キース・アウト

マスメディアはこう語った

学校教育が企業やマスメディアの踏み台にされ、完食される。「教育は死んだ、教育は死んだ、私たちが殺してしまったのだ!」――そんなふうに叫ぶ日は、案外近いのかもしれない。

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(写真:フォトAC)


記事

「会食恐怖症」給食の完食指導が引き金に

 (2021.06.03 Yahooニュース)

news.yahoo.co.jp

 

 「会食恐怖症」をご存じですか。人前での食事に恐怖と不安を感じ、吐き気などの体調不良を引き起こす社交不安症のこと。学校給食や部活動での「完食指導」が、発症の引き金となるケースが多いという。当事者を支援する団体は「子どもに無理やり食べさせないで」と訴えている。

 

「トイレで食べたこともある」

  「食物アレルギーがないのに残しちゃ駄目。もったいないでしょ」。担任に給食を完食するよう求められたのは小学3年の時。広島県の30代派遣社員女性は、今も担任の怖い顔を思い出し、食べ物がのみ込めなくなることがあるという。

 

 当時は、食が細くて時間内に食べ終えられず、昼休みも教室に残された。給食が苦痛だった。食べきれなかったパンを引き出しに隠したことがばれて、同級生の前でひどく怒られたこともある。「みんなできることが私にはできない」と自分を責め、自己肯定感が低いまま成長した。

 

 会食恐怖症の兆候が現れたのは社会人になった頃。新生活のストレスも重なったのかもしれない。誰かと食事をすると相手の視線が気になり、手が震える。親しい友人とならお茶はできるが、派遣先の同僚との食事は避けてきた。飲み会は断り、昼食はお弁当を持参して人目に付かないところに移動。「トイレで食べたこともある。無理な場合は食事を抜いています」

 

つらいのは「自分だけじゃない」

 岡山市の男性(30)は、大学時代に異変が起きた。同級生の女の子との初デートで食事が喉を通らない。冷や汗が出て、吐き気がした。3年生の頃にはさらに悪化。ゼミの教授から「食べ物を残すなんてけしからん」と、飲み会で食べ残しがあるたびに説教された。その後は人が多い場所では1人でも食べられなくなった。

 

 男性は、174センチ52キロで線が細い。幼い頃から小食だったが、家や学校では「男の子なんだからしっかり食べなさい」「残すと作った人に申しわけないでしょ」と言われ、無理して食べていた。「胃袋の大きさはそれぞれなのに、男はよく食べるべきだのような押し付けもしんどかった」と振り返る。

 

 数年前から当事者の支援を行う一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会(東京)の交流会に参加し、徐々に症状が改善している。体験を打ち明け合い「つらかったのは自分だけじゃない。無理して食べなくてもいい」と思えたことで楽になったという。

 

 同協会の代表、山口健太さんは「以前から症状を訴える人は少なくないのに認知度が低い」と話す。山口さんも症状に苦しんだ一人。10年前、高校の部活動での食事トレーニングがもとで発症した。合宿中は朝2合、昼2合、夜3合の米を食べるのがノルマ。監督が見張っている重圧で吐き気と動悸(どうき)がしたという。「それが偏食、わがままなんでしょうか」と疑問を投げ掛ける。

 

「食品ロス」が気掛かり 

 「発症のきっかけに給食での完食指導が関わっている」―。山口さんたちが症状のある642人を対象に行った2019年のアンケートでは、50・3%がこう回答した。結果を受けて3月、教員向けの給食指導のノウハウをまとめ、同協会のホームページで公開。無理やり食べさせたり、完食を強要したりしないよう呼び掛けている。

 

 山口さんは「『食は楽しいもの』『食べることが好き』という感情がベースにあれば、食材を大切にする気持ちは自然に芽生える」と指摘。学校や家では食にポジティブになれるような教育が必要と訴える。食品ロスが問題になる中、「食べ残しは悪」の価値観が強まるのも気掛かりという。

 

 学校の給食指導はどうなっているのか。広島市内の小中学校では「完食指導はしていない」(市教委健康教育課)という。11年から13年ごろまで「残食ゼロ」の取り組みをしていたが、同課は「あくまで食育の意識を高める目的。食べ残しがいけないと押し付けることはしていない」と回答。食が細い子が多い小学校低学年の児童には、「1年前と比べてどれだけ食べられるようになったか」を評価するようにしているという。

 

 児童・思春期精神科などを専門とするライフサポートクリニック広島(広島市東区)の新宅恵子院長は、「食に関する不安は、過食や拒食と同様、複合的な要因によるもの」とした上で「完食が目的化すると、大きな負担になる」と指摘する。「栄養バランスはもちろん大切ですが、食べられない子の事情を理解し、心に寄り添う指導が必要」と話した。

 (元記事は中国新聞「人前で食事、喉通らない 知っていますか『会食恐怖症』」

 

 飽食の国――主人は食べ残しが出るほどに料理を出し、客は食べ残すことが美徳とされたその中国でさえ法律をもって食品ロスをなくそうという昨今、そして日本では2007年の「食育推進法」によって「食は命の源。食育は生きる上での基本であり、知育・徳育・体育の基礎となるべきもの」として「『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践できる人間を育てる食育」が急務とされるこの時代、しかしその重要な指導の場である学校には、保護者・マスコミ等から繰り返し「完食指導」の非人間性・人権無視を訴える声がある。

 

【給食を平等に盛り付けて食べさせるはずがない】

 まず現れたのは「中には食の細い子もいるから、みんなと同じように盛って “食べろ”と言われても食べきれるものではない」という主張。

 しかし現場教師にしてみれば食べられない子がいるなんて百も承知、全員に同じ量を食べさせるなどあり得ない。

 

 以前から学校給食では米飯にしてもパンにしても必要量の8割しか出していないのが普通だ(食べられないから)。だから“みんな同じように”盛ってしまうと少食の子にはそれでも多すぎても、食いしん坊は絶対量が足りなくなる。そこで教師はいったん平等に配り(というのは最初から量に変化をつけるのは難しいからだ)、

「はい、『こんなに食べられないよォ』、という人がいたら持って来なさい」

「うん、そのくらいなら減らしていいよ、あとはがんばろうね」

とやるわけだ。それから、

「もっと欲しいって人、手を挙げて! ジャンケンするよ」

となる。大変手間もかかるが、全員ムリなく、かつ十分に食べさせるにはこれ以外の方法はない。

 

 同じように配れば食べきれない子の出る給食も、学級全体だと完食できる—―何しろ主食が標準の2割引きなのだからできないわけがないし、それ以上減らすと誰かが栄養不足・カロリー不足になりかねない。

 学級全体での完食はぜひとも必要で、だから食べる能力に応じた傾斜配分は私が子どもの頃から自然に行われてきたのだ。

 

【アレルギーがあっても食べさせる――はずがない】

 さらにもう一つ出てきたのが「アレルギーがあって食べられないのに、無理に食べさせる教師がいる」という話――こうなるともうイチャモンだ。

 1988年に北海道でそばアレルギーをもつ小学生が誤って食べて亡くなって以来、食物アレルギーは学校において最も警戒すべき事項になっている。当初はしばらく給食のたびに担任が除去していたが、今は調理室の段階で除かれる。忙しい担任に任せると事故が起きかねないからだ。

 

 センター給食はもちろん自校給食でも調理室内に専門のブースを設け、調理員が接触しないように注意しながら、材料の検収から調理、運び出しまで全部べつに行うようにしている。人間一人を余計に雇うわけだからたいへん予算がかかるが、命がかかっているだけに自治体はおろそかにしない。

 もう20年以上もそうなっているのに、イチャモンをつける側は事実をしらない。

 

【しかしそれでも批判は続く】

 今回もそぞろ完食指導のおかげで会食恐怖症になったというので、いったいいつの話なんだと読み直したら、なんと、

 広島県の30代派遣社員女性の小学3年の時の話、

そして30歳の男性の、

 家や学校では「男の子なんだからしっかり食べなさい」「残すと作った人に申しわけないでしょ」

と指導を受けるような年齢のころの話。そして、

 10年前、高校の部活動での食事トレーニン

の話だった。

 いまごろそんなことを言われても困るし、高校の部活のことまで責任はとれない(相撲部だったのか?)。

 

【会食恐怖症という病気はない】

 「会食恐怖症」というのも初耳なので、原因が「完食指導」かどうかもよくわからない。

 そこでGoogle検索にかけると、Wikipediaに記載がなく、Wikiにないのは一向にかまわないが、検索上位20位以内にあるのはほとんどが記事の山口健太氏と山口氏の「一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会」の絡むものだった。NHKラジオやFNNのサイトも出てくるが、それぞれ山口氏の活動をあつかったものだ。PRTIMESのサイトでは「精神科医も知らないマイナーな病気」ということになっている。

 世の中に、精神科医も知らない心の病気というものがあるのだろうか?

 

 そこでさらに調べていくと、どうやら「会食恐怖症」という病気はなく、「社交不安症」に含まれる症状のひとつらしい。「頭痛」という症状はあるが「頭痛病」という病気はないのと同じである。だから精神科医も知らない。

 知らないだけではなく専門家が、

「食に関する不安は、過食や拒食と同様、複合的な要因によるもの」

と言っているにもかかわらず、

「発症のきっかけに給食での完食指導が関わっている」―。山口さんたちが症状のある642人を対象に行った2019年のアンケートでは、50・3%がこう回答した。

だから、

無理やり食べさせたり、完食を強要したりしないよう呼び掛けている。

 

  “専門家が何を言おうが証拠があろうかなかろうが、被害者がそう言っている以上は存在する”――どこかで聞いたこともある反科学・自説のゴリ押しである。くだんの問題ではそれが支援団体の収入につながった。

 では食を強制される子どもたちの支援を標榜する「一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会」とはどんな組織なのだろう。

 

【一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会】

 社団法人というと何らかの公益性のある、ほとんどボランティアのような組織だと思われがちだが、2006年の法改正で姿を変えた。現在は公益性のある活動でなくても良く、収益があってもかまわない(ただしそれは翌年に繰り越すだけで分配してはいけない)。社員やアルバイトに給与を払うのも問題ないので、収入の一部はそういう使い方をされるのだろう。

 

 実際に「一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会」のサイトを見てみると、主たる活動は、

「会食恐怖症克服と人生の質の向上のためのプログラムの立案、カウンセリング及びセッション、書籍の出版、コンテンツ配信、セミナーの実施。会員制度の制定及び運営、ほか」

とある。

 具体的には1回2000円のカフェ・カウンセリング、5000円のカウンセリングルーム開催。50分8000円の個別カウンセリングや1セット(60日分)5500円の克服「トレーニングプログラム」の販売、講演会(教育関係5万円前後~、一般10万円前後~)、書籍販売等。

 

 カウンセリングや講演会には専門の「会食恐怖症克服支援カウンセラー」があたるが、この資格は「一般社団法人日本会食恐怖症克服支援協会」だけが与えられるもので、初級資格を得るためには3万円ほどの費用と二か月間のメール学習が必要らしい。

 

【私たちは学校教育を殺してしまうのかもしれない】

 世の中は需要と供給で成り立っている。

 会食恐怖で苦しんでいる人がいて「支援協会」が料金に見合う支援をしているなら、その部分については問題がないだろう。

 

 しかしあたかも会食恐怖の原因が学校給食にあるかのように誘導し、学校教育と教師を踏み台にして広く社会に貢献しようとしているとしたら、それはいかがなものか。

 

 中国新聞も学校を叩けば記事が売れる時流に乗ろうとし、Yahooニュースはさらにその上に乗っかって来る――。

 ちなみに、記事の表題は中国新聞では「人前で食事、喉通らない 知っていますか『会食恐怖症』」だったのにYahooだと「『会食恐怖症』給食の完食指導が引き金に」になっている。表題に学校の落ち度が入ると、さらに記事は売れる。

 

 企業もメディアもこぞって己のために学校を殺そうとしている。

 腐臭のしはじめた学校からは教員志望者がどんどん減っていき、子どもの栄養管理や食事マナーもきちんと指導できる熱心な親たちは、我が子を公立から私立に逃がそうとする。

 

「学校は死んだ、学校は死んだ、私たちが殺してしまったのだ」

 そう叫んで本気で「教育再生」を考えなくてはならない日は、案外近いのかもしれない。

 

自民党の文部科学部会が、学校を取り巻く状況の変化に対応するためとかいって、変な提案をしてきたようだが、たかが部会だとバカにしないで、妙なことにならないよう注意深く見て行こう。

f:id:kite-cafe:20210507183930j:plain(写真:フォトAC)

 

記事

 自民 教員養成の在り方を提言 免許更新講習見直しなど求める
(2021年5月5日  NHKwww3.nhk.or.jp 
 教育の充実に向けた小中学校や高校などの教員の養成や研修の在り方として、自民党は、大学・大学院の5年間一貫で教員を養成するプログラムの開設や教員免許の更新講習の抜本的な見直しなどを求める提言をまとめました。
 自民党の文部科学部会は、1人1台のIT端末の整備や公立小学校での「35人学級」の導入など、学校を取り巻く状況の変化を踏まえ、教育の充実に向けた小中学校や高校などの教員の養成や研修の在り方の提言をまとめました。

 

 提言では、優秀な学生を対象に大学・大学院の5年間一貫で教員を養成するプログラムや教員免許を持っていない社会人を対象にした集中的なプログラムの開設を打ち出しています。

 

 また、教員が10年ごとに受ける教員免許の更新講習について、最新の知識や技術を習得するという制度本来の趣旨を改めて徹底すべきだとして、実施時期や方法などを抜本的に見直すよう求めています。

 

 さらに、学校での研修を充実させるため、例えば「40分授業」の導入で1時限当たりの時間を短縮して午前中に授業を集中させることにより、午後は校内研修や授業研究に充てるよう促しています。

 

 部会は、この提言を文部科学省に提出し、政府全体で取り組むよう求めています。

 

【たかが自民党の一部会の提言だとバカにしてはいけない】

 政府ではない、単なる一公党のさらに一部会にしか過ぎない自民党文部科学部会。ここで出されたことが政策として実現するにはまだまだ時間もかかりそうにも見えるが、実はそうでもない。部会として提案し、党の提案となり、国会を通して文科省に送られ、そこで実現の可否が検討されて、その上で政策として都道府県教委、市町村教委を経てようやく学校まで下ろされる、そこまで普通は数年を要するが、自民党が本気でやろうと思えばすべてを端折ってわずか数カ月で実現させること不可能ではないのだ。権力者にはそれだけの力がある。

 

 実際に1992年春、対米公約であるのにまったく進まない企業の週休二日制を一気に進めるため、自民党は学校を休みにすることを考え、文教部会でその年の9月からの学校五日制(月一回)を決め、実施に移してしまったのだ。

 突然の動きに当時の文部省はうろたえ、週休二日制度を要求していたはずの日教組でさえ時期尚早と待ったをかけたくらいである。しかしその年の9月12日、とんでもなく中途半端な時期から五日制はスタートした。

 

 そこで今回も私は怯え、とりあえず原文に当たらなければならないと思って探したのだが、記事にある「提案」は今のところ見つかっていない。仕方がないので上の記事だけを頼りに少し考えてみたいと思う。

(ただやはりこれだけだと分かりにくい。本来は大学・大学院、合わせると6年間であるのに、それを大学・大学院の5年間一貫というのは、残りの1年間だけを本来の研究にあてるということなのか、それとも教育学部の大学院だけは修士課程1年制ということなのだろうか等々)

 

【教員になるための修養年数を増やすらしい】

 とりあえず理解できたことは、自民党議員が相も変わらず、

大学の教職課程の修養年数を増やし、現職の研修も増やすことで教員の質を高め、もってこれからの教育政策にあてようと考えている、

ということである。

 

 より質の高い学生を集めるために大学の教員養成課程を医学部や薬学部と同じ6年制にすることや、採用試験の受験資格を修士以上とすることはこれまでも言われてきたことである。しかし30万人~33万人程度の医師・薬剤師に対して幼小中高の教員は100万人も必要である。それが4年制から6年制への移行の過程で丸2年間も供給が滞るとなると、全国的な教員不足が生じかねない。

 そもそも6年制に移行した瞬間に、教育学部の受験者が激減することも考えられるのだ。いや確実に志願者は減る。

 

 死ぬまで働ける医師や薬剤師と違って、教員には定年がある。

 将来の65歳定年制を見越して計算すると、現行の教育学部4年制だと最長43年働けることになる。ところが6年制になると41年しか働けない。不足の2年分の給与が支払われない。しかもそれは初任の時期の2年分ではなく42年目と43年目の給与分、つまり最も高いときの給与が失われるわけだ。40年先のことを考えるとその額は2000万円にもなろうか?
 2年も余計に授業料を払って生活費を使い2000万円も生涯賃金が減るとしたら、だれが教職など目指すものか。

 

 ただし(そんなことは絶対にないと思いながらもついつい期待してしまうのだが)、優秀な学生を対象にとあるのは、もしかしたら選抜した学生に防衛大学並みの学費と給与を与え、勉強させてくれるのかもしれない。それだったら生涯賃金に差は生まれず、志願者も出てくるかもしれない。

 私も現職教員として大学院に出してもらったときは給与が保障されていた(ただし学費は自腹)。そうした制度のさらなる拡充(学費も出してもらえる)だとしたら、無碍に反対しないで済む。

 

 

【教員免許更新制は簡略化・廃止の方向か】

ところで、

教員免許の更新講習について、最新の知識や技術を習得するという制度本来の趣旨を改めて徹底すべきだ

も何のことか分からない。現在は本来の趣旨に反することをやっているのか?

 ただ、これについては日本教育新聞に記事(*)があって、それによると、

これまで主に大学が担ってきた更新講習は文科省がICTを活用して教育政策の動向などを伝える内容に見直すこととした。

ということだ。もしかしたら自宅で無料のオンライン講習になるということかもしれない。

www.kyoiku-press.com

 もちろん「政府の意志を直接、教員に反映させるのが目的かもしれない」と警戒心も捨ててはならないが、評判の悪い更新制を、政府のメンツを保ったままでなくしていくための第一歩だと、そんな気もする。

 必ずしも悪いことではない。ICTを活用してと、さりげなく自分たちの手柄を誇示しているのもかわいい。

 

【授業時間を1割~2割減らすらしい=国会のセンセイたちは何も分かっていない】

 しかしさらに、

「40分授業」の導入で1時限当たりの時間を短縮して午前中に授業を集中させることにより、午後は校内研修や授業研究に充てる

となるとこれは問題だ。

 

 いくら教員の日常生活が多忙だからと言っても、子どもの授業時間を減らすのは禁じ手だろう。1時間当たり小学校で5分、中学校で10分の授業短縮は、それぞれ1割強、2割の削減である。教師はその短い授業時間のためにさらに追いつめられることになる。子どもの理解が進まないからだ。

 

 どうやら国会のセンセイたちは学校のことを何も分かっておられないらしい。

 しかし党に文部科学部会があって提言を出さなければならない以上、何かを絞り出してモノ申さなくてはならない。それが学校をさらに追い詰め、教員志望を減らしていく。

 志望者が減れば質が下がる、質が下がればまた叩かなくてはならない――素人はそう考える。そして新たな研修機会の創設。

 こうなる底なしの悪循環だ。教員志望が一人もいなくなるまで続けなければならない。

子どもの性被害を減らす「生命(いのち)の安全教育」がいよいよ本格的に始まる。喫緊の課題で学校にしかできない重要な仕事だが、人も増やさず他の仕事も減らさず、ひたすら追加される新しい教育は、教師の生命の安全を脅かす

f:id:kite-cafe:20210417135614j:plain法務省:フォトAC)

 

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「みずぎでかくれるところはだいじ」…性被害防止、幼児から大学まで教材作成
(2021.4.16 産経新聞

www.sankei.com 深刻化する子供の性被害を減らすため、内閣府文部科学省は16日、保健体育や道徳などの授業で今年度から段階的にスタートする「生命(いのち)の安全教育」で使う教材を公表した。今後、モデル授業の実践例などの調査研究も行い、学校現場での指導の活性化を目指す。

 教材は幼児、小学校低・中学年、小学校高学年、中学校、高校、大学などの計6種類。被害者だけでなく加害者や傍観者にならないため異性との適切な距離の取り方なども盛り込んだ。

 幼児向けでは、プールに入るときに「みずぎでかくれるところは じぶんだけのだいじなところ」と説明。小学校高学年向けでは、会員制交流サイト(SNS)を利用する際に「やりとりしている相手は 本当に信らいしていい人なのかな?」と問いかけ、軽い気持ちで会ったところ、車に連れ込まれそうになる危険性を図示した。

 教材は弁護士や大学教授、現職教員らでつくる有識者検討会が、学校やNPOの先進的な取り組み事例を基に作成。これとは別に、指導の方法や留意点をまとめた教員向けの手引きも作成し、都道府県教育委員会などを通じて周知。被害経験のある児童や生徒がいることを想定し、養護教諭との連携など事前の準備も求めている。

 

【ともに考えよう】

 これはひとつのケーススタディである。上の記事を読んで、内容を理解したうえで問いに答えよ。

(問1)
 深刻化する子供の性被害を減らすため、今年度から段階的にスタートする「生命(いのち)の安全教育」は、今日、必要不可欠な教育と言えるだろうか。
(答え)
 記事にある教員向けの手引きを読むと、そこにはこんな記述がある。
性犯罪・性暴力対策の強化性犯罪・性暴力は、被害者の尊厳を著しく踏みにじる行為であり、その心身に長期にわたり重大な悪影響を及ぼすものであることから、その根絶に向けた取組や被害者支援を強化していく必要がある。性犯罪・性暴力の根絶は、待ったなしの課題であり、その根絶に向けて誰もが性犯罪・性暴力の加害者にも、被害者にも、傍観者にもならないよう、社会全体でこの問題に取り組む必要がある。
 
まったくその通りで、「生命の安全教育」は今日の子どもにとって、是非とも行われるべき必要不可欠な教育と考えられる。

(問2)
 「生命の安全教育」が必要不可欠な教育だとして、それを学校で行うことは適切と言えるか。
(答え)
 現在の日本において、ほぼすべての子ども(というのは高校に進学しない子どももいるからだ)に、組織的・計画的、一定水準以上の教育を施そうとしたら、学校を通して行うしか方法がない。したがって学校で行うのが最適であると言える。

(問3)
 「生命の安全教育」が必要不可欠な教育で、かつ学校で行うべき内容だとして、実施に伴う教員の負担増(超過勤務、過重労働、研修の必要)、さらには突然新しい内容が入り込むことによる体育や道徳の教育課程の圧迫などは、受忍範囲のものといえるだろうか。
(答え)
 子どもに必要な正しい教育を行うに、ためらうことは許されない。負担増といっても年間3時間程度の授業時間の増加と推定される。さらに今回は文科省より丁寧な教材が公表され、今後、モデル授業の実践例などの調査研究も行い、学校現場での指導の活性化を目指すとの予告もある。実際に始めてみれば大した負担とは言えないと考える。

 

【指導の実際】

 「生命の安全教育」は必要だと思う。切実さから言えば英語教育やプログラミング教育よりもはるかに重要だと思う。また学校以外にやれるところがないという点にも同意する。
 しかしだからといって「子どもに必要な、正しい教育を行うに、ためらうことは許されない」と言われれば苛立つし、「実際に始めてみれば大した負担とは言えない」と重ねられたら「フザケルナ」と返したくなる。
 指導の実際はそれほど簡単なものではない。

 今回公表された「生命(いのち)の安全教育」で使うパワーポイント仕様の教材)を見たが、まさかあれをそのまま子どもに見せ、画面を読んで終わりというわけにはいかないだろう。良く整理されていてイラストもそろっており、授業の最後のまとめの資料としてはいいが、学年別になっているのでもなく中学用・高校用とひとまとめだからそのままでは使えない。
文科省「性犯罪・性暴力対策の強化について」からダウンロードできる)

 教師はまず教材を見ていつも通りそのままでは使えないことを確認し、「教員向けの手引き」を読んで趣旨等を学び直す。
 単元(ひとまとまりの学習内容)の目標を立て、何時間でできるか計算し、指導案の大まかな流れを考えて1時間ごとの目標をつくる。教材スライドのどれがどう使えるかを吟味し、不足の資料を探して新しいスライドを作成し、前後をそろえる。指導案を完成させ、リハーサル。
 ベテランの教師なら指導案は頭の中で書いて終わりだが、若い教員はそういうわけにはいかない。丁寧なものでなくてもいいが一応の流れくらいは紙にして、過不足・遺漏・齟齬はないか確認しておいた方がいいだろう。ちなみに私の場合、こうした特別な授業では必ず書いた。

 保護者からのクレームのつきやすい領域だからその点でも事前の準備が必要だ。
「教員向けの手引き」にも、

  • お便り等を通じて保護者に対して、事前に授業のねらいや内容について伝え、授業後もその様子を伝える。
  • 授業後に保護者から相談が寄せられた場合は、状況に応じて児童生徒への聞き取りや専門機関の紹介を行う。
  • 授業の保護者の参観については学校の判断とするが、参観を可能とすることも考えられる。

とある。ぬかりのないようにしておかねばならない。事前にねらいや内容を知らせるとなると授業案は授業日のかなり前に完成しておかなくてはならない。授業後に様子を伝える以上、児童生徒用アンケートも用意して、あとでまとめることも必要だ。

 

ひたすら追加される新しい仕事は、教師の生命の安全を脅かす

 繰り返しになるが「生命の安全教育」は必要だと思うし、学校以外にやれるところがないという点にも同意する。したがって「生命の安全教育」を撤回しろとか内容を縮小せよとかは言わない。現場の教師に努力してもらうだけだ。
 しかしこれだけは記憶にとどめておいてほしい。

 これによって教員の負担は確実に増加する。

 
現在、学校が背負っているもの全体からすれば相対的に微々たるものだが、絶対量としては少なくない負担だ。これまでもこうした「大したことのない負担」が積み重なって、学校を追いつめてきた。
 性教育、人権教育、平和教育、国際交流教育、環境教育、薬物乱用防止教育、メディア・リテラシー教育、キャリア教育、防災安全教育、小学校英語、プログラミング教育・・・

 今後も、ハラスメント防止教育、有権者教育、消費者教育、金融教育、ギャンブル等依存症予防教育など、「教育の力に期待するしかない」といった言い方で次々と「新しい教育」が入り込んでくるだろう。

 もはや小学校の「教科担任制の推進」だの、「部活動の見直し」「外部人材の配置支援」だの――「十分には」という意味ではできっこない弥縫策を掲げても無意味だろう。
 今こそ、文科省都道府県教委も、市町村教委もマスコミも、そして社会全体も覚悟を決めるべきだ。
 今後も学校のブラック化は進み、多くの教員が病み、病んだ一部が不祥事を引き起こし、早期退職が後を絶たず、新規採用試験受験者も減り続けるだろう。その結果、日本の学校の教育力は下がり、下がった原因は教員の自覚不足・能力不足と指摘され、さらにブラック化は進む。

 日本の学校教育という巨人に、大量のアリがたかって倒してしまうようなものだ。

 

 

文科省が学校への持ち込みを許可したスマホで、子どもたちが盗撮をすることがあるからしっかり指導しろって、オイ! 「教師の働き方改革」「労働時間の削減」はどうなってるんだ!

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(写真:フォトAC )

 

記事

 被害者にも加害者にもなる中高生…スマホ悪用「校内で盗撮」目立つ

(2021.03.28 読売新聞)

www.yomiuri.co.jp

  スマートフォンの普及が進み、学校現場でスマホを使った盗撮などの事件やトラブルが相次いで表面化している。生徒が校内で盗撮し、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で摘発されるなど、軽率な行動が罪に問われるケースが目立つという。進学などで新たにスマホを手にする子どもが増える季節を迎え、専門家は「児童生徒には事件に巻き込まれないことに加え、加害者にならない教育も必要だ」と指摘する。(沢井友宏)

「加害者、想定外」
 「まさか校内で盗撮事件が起きるとは……。想像もしていなかった」。九州北部の高校の教員はそう振り返る。同校では昨年度、スマホのカメラによる盗撮事件が発覚。新年度から、トラブルを引き起こさないように注意を喚起する教育を始める。

  警察や同校によると、男子生徒は数人の友人らとともに、カメラを起動させたスマホを教室などに置き、着替えをする女子生徒の写真や動画を撮影。児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)などの容疑で書類送検された。警察が男子生徒のスマホを調べたところ、複数の盗撮画像が出てきた。

  同校では、放課後に塾に通う生徒もいることから、スマホの携帯は許可する一方、校内での使用は禁止してきた。ここ数年は、授業でSNSを悪用した性犯罪などに巻き込まれないように注意を呼びかけていた。

  教員の一人は「被害防止は意識してきたが、加害は想定外だった」と悔やみ、「幼い頃からスマホを持つ子どもが増え、しっかりとした指導が必要だと感じた」と話した。同校では新年度から警察などと連携し、生徒や保護者に対して具体的な加害事例を示しながら指導していく方針という。

(以下、略)

 

【当然、予想されたこと】

 取材に応じた高校教師が本気で、

「まさか校内で盗撮事件が起きるとは……。想像もしていなかった」

などと思っていたとしたら、とんでもない大バカ者だ。

 校内における生徒による盗撮事件など、いくらでもあるだろう。一度も指導したことがなかったのか?

 教員と違って児童生徒の盗撮はニュースになりにくいが、有名なところでは一昨年、2019年1月15日に東京都町田市の都立高校で、挑発に乗せられた教師が生徒に暴力を振るい、その様子を生徒が盗撮。その日のうちにツイッターに上げられるという事件があった。

kite-cafe.hatenablog.com
 また2020年には奈良県生駒市で男子中学生が同級生のスカートの中を撮影、動画や静止画を生徒間で売買したという事件も起こっている。

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 こうした前例を思いだしただけでも、子どもたちが加害者となることは容易に想像がつこうというものだ。

 おそらく生徒指導の問題として校内で処理され、表には出ないもののスマホを使った犯罪の数は教員よりはるかに多い。なにしろ児童生徒は教師の数より何十倍も多いし、中高生男子の性欲はしばしば制御の効かない暴れ馬だ。確率からすれば圧倒的に多くなるはずだ。

  それを「まさか校内で盗撮事件が起きるとは……」と驚いて見せるのは、

「生徒を十分に疑って盗撮を予想していたのに、結局、防げなかったバカ教師」と「生徒を信じていたのに裏切られた誠実な教師」を秤にかけて、後者をとっただけのこと。新聞記事としてもその方が収まりがいいので、記者もそのまま採用した(あるいは捏造した)のだろう。

 

スマートフォン:本来は子どもに持たせてはいけない道具】

 ケータイ・スマートフォンは便利な道具だが同時に非常に危険なものでもある。

  私は決して忘れないのだが、2004年に奈良市内で起こった小1女児殺害事件では、娘を必死に探す母親の携帯へ「娘はもらった」と言うメッセージとともに少女の遺体写真が送りつけられてきた。少女自身がもっていた携帯で撮影され、そのまま送信されたものだ。親は娘の登下校を心配して持たせたが、携帯は誘拐に際して何の役にも立たないどころかそんな悪用のされ方をしたのである。

 これは最も極端な例だが、出会い系サイトを通して少女が誘い出されたり、ネットいじめにあったり、ケータイ・スマホを媒介にした犯罪、ケータイ・スマホがなければ起こりえなかった犯罪は、数え上げたらきりがない。

  そうした犯罪から(そして記事にあるような子ども自身が加害者となる危険から)、児童生徒を守るためには何をどうしたらよいのか――。

  答えは簡単である。あんな悪魔の道具を子どもに持たせなければいいのだ。少なくとも学校に持ってこさせなければ、子どもが道具に触れる時間は半分以下に減らせる。

 ところがここに、たいへんな壁が立ちはだかる。親と文科省である。

 

 【危険なものは親も子どもも文科省も大好き】~苦労するのは学校

 昨年6月、親やマスコミの要求に耐えかねた文科省は、わざわざ専門家会議を設けて、

小中学校では携帯電話の持込みは原則禁止だが、中学校では一定の条件のもと持込みを認めることが妥当だ

という結論を出し、全国に通達した。文科省が「許可する」と言えば「全員もってこい」というのと同じだ。多くのの小中学生が学校に持ち込んでいるに、ウチの子だけ(ウチの孫だけ)に我慢しろと言える両親・祖父母は少ない。

kieth-out.hatenablog.jp ただ闇雲に持ってこられては困るから文科省も、

学校や教育委員会が持込みを認める場合、一定の条件として、学校と生徒・保護者との間で「学校における管理方法や、紛失等のトラブルが発生した場合の責任の所在を明確にすること」「フィルタリングが保護者の責任のもとで適切に設定されていること」「携帯電話の危険性や正しい使い方に関する学校および家庭における指導が適切に行われていること」の3つの事項について合意がなされ、必要な環境の整備や措置が講じられていることが求められる。

てなことを言う。

 今回、このブログで引用した読売新聞の記事にも、

専門家は「児童生徒には事件に巻き込まれないことに加え、加害者にならない教育も必要だ」と指摘する。 

とある。

 さあ結論だ。私は声を大にして言いたい。

 ひとこと「ケータイ・スマホの学校への持ち込みは禁止」と言えばいいものを、さらに言えば元々そうだったのだから改めて言う必要もないのに、わざわざ持ち込みを許可しておいて、「学校と生徒・保護者との間で(中略)3つの事項について合意がなされ、必要な環境の整備や措置」を講じ、「加害者にならない教育」も行わなければならないとは!

 いったいどれほどの時間が必要だと思うのだ!?

 

 勝手に仕事を増やしておいて、それで「教員の働きかた改革」「長時間労働の解消」たあ、へそで茶を沸かすとは、このことだワィ!

 いい加減にしてくれ!

 

三条市:和食中心の給食に牛乳は変だからと廃止したが、先生たちが大変だとやかましいのでまた始めることにしました。

f:id:kite-cafe:20210325162313j:plain(写真:フォトAC)


記事

小中学校の牛乳ドリンクタイム廃止
   
三条市教委 現場負担配慮 4月から
(2021.03.03 新潟日報

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www.niigata-nippo.co.jp

 新潟県三条市教育委員会は4月から、牛乳を給食とは別の時間に飲む市内小中学校での「ドリンクタイム」を廃止することを決めた。牛乳が米飯給食に合わないなどの理由で2015年度に導入した制度だが、学校現場の負担感などに配慮し、方向転換する。市教委は「今後も、ご飯を牛乳で流し込まないといった食育指導はしていく」としている。

 廃止は、2月26日に開かれた市学校給食運営委員会で了承された。

 ドリンクタイムは国定勇人前市長時代、試験期間を経て、15年の2学期から市独自に導入。当時は完全米飯だった同市の学校給食と牛乳の食べ合わせが悪いことや、よくかんで味わうなど和食の正しい習慣を身に付けてもらうことなどが狙いだった。給食には「当たり前」の牛乳を切り離すことは全国的に注目され、一方では議論も呼んだ。

 牛乳を飲む時間は学校の判断に委ねられていたが、導入直後から、配る手間や時間確保の面から、給食時間直後に設けている学校が大半だった。

 また、過去の同委員会でも「給食後に牛乳だけを飲むのが苦手な子もいる」といった保護者の声が出されたこともあった。

(以下、略)

 

 記事は今月3月3日のものだからだいぶ賞味期限は過ぎてしまったが、気づいたのが最近なのでしょうがない。

 私は毎日かなり熱心に教育関係のネットニュースを拾っているがこの内容は見落とした。いや、もしかしたら全国規模ではほとんど扱われなかったのかも知れない。

 始まるときにはあれほど大きな扱いだったのに、終わるときはひっそり(というか「こっそり」)というのは教育関係ではありがちなことだ。

 

【問題の経緯】

 問題は2014年、米どころ新潟の三条市で週五日の給食がすべて米飯になったところから始まった。その際、当時の市長が「米飯に牛乳は合わないだろう。子どもにはきちんとした和食の伝統を教えたい」とか言い出して、学校給食から牛乳をなくす方向で検討がなされた。

 今、当時を振り返って記事を探すと、元は保護者からの訴えということになっているが、私の記憶では市長の発案だ。もしかしたら財政当局から提案があって教育委員会が抵抗できなかったという話かもしれない。

 

 さらに牛乳廃止の理由として、当時の西日本新聞の記事を見ると、

おかずも魚やつくだ煮、みそ汁など和風を増やしたため、牛乳よりお茶が合う献立となっている。

牛乳を1パック200ミリリットル飲むとおなかに入る食事量は当然減る。まずは主食やおかずをしっかり食べる習慣が、子どもの発育に大切

ということも挙げられたらしい。

 牛乳をなくすことで失われるカルシウム摂取については、

小魚やゴマのふりかけなどカルシウムに配慮した献立を充実させるほか、米飯やおかずの増量で補う

とした。

www.nishinippon.co.jp

 ところがその年の12月から年度内いっぱいの4か月間、試行してみたところ、牛乳ので得られるカルシウムを他の食品で摂ろうとすると著しくメニューが固定化され、実際には困難なことが明らかになって来た。それはそうだろう、毎日、魚と佃煮、粉末煮干したっぷりの味噌汁ではかなわない。たまにハンバーグが出てもシラス入りだったり、カレーの具が肉ではなくてサバやツナばかりだったらやりきれない。

 

 そこで2015年6月、牛乳そのものはなくさず、給食から切り離して「ドリンクタイム」を設け、そこで飲ませることとして9月からの実施に踏み切った。

www.sankei.com

  記事によると、

ドリンクタイムに関しては可能な限り午前中の休み時間などを活用し、時間設定は各校の判断に任せる。

 また休み時間の子どもの負担が増えないように、牛乳は教職員が運んで配ることとなった。

 

 もっとも牛乳のために休み時間を減らされては子どももたまったものではないし、教員もその時間をただ遊んでいたわけではない。結局ドリンクタイムは負担の少ない給食の時間の中に含めることになり、「ごちそうさま」が済んだあとで一斉に飲む方式をとったり、食べ終わった子どもから飲むようにしたりといった学校がほとんどだった。いわば有名無実化していたわけだ。

 

 しかし食事中に牛乳が飲みたい子どもだっているだろう。

 カレーやスパゲッティといった味の濃い洋食だと、合間の牛乳はもってこいという子だっているはずだ(ちなみに私はカレーに牛乳は必須だと思っている)。

 そして今回の仕儀となった。

 

【翻弄される学校】

前市長も市も間違っていない。しかし先生が負担だというのでやめてあげる

 ただ私が気に入らないのは、元にもどった理由が、

学校現場の負担感などに配慮し

とされたことだ。

 

 すでにドリンクタイムが有名無実化した時点から、現場の負担なんかほとんどなかった。牛乳は給食と一緒に給食当番が運んで来ればいいのだし、空ビンは食缶や食器とともに片付ければいい。強いて言えばズルをして早めに飲んでしまう子がいないか見張るくらいの負担はあったかもしれないが、その程度のことを気にしてくれるならもっと別に気遣ってほしいことは山ほどある。

 

 もしかしたら三条市は市独自の牛乳補助を出していて、それを削減したかっただけなのかもしれない。ひとビン5円の補助金でも6000人ほどの児童生徒で1日3万円、年間だと600万円ほどになる。週5日の給食がすべて米飯になるのを機に、その600万円をまるまる浮かそうとして失敗したのが今回のことなのかもしれない。

 

 いずれにしろ「前市長がアホなので」、あるいは「財政当局が無能なので」、はたまた「教育委員会がバカなので」、こうなりましたとは言えないので、先生たちが大変なのでと恩着せがましく言って幕引きをすることにしたのだろう。

 もちろん今回も、

「給食後に牛乳だけを飲むのが苦手な子もいる」といった保護者の声が出されたこともあった

と市民からの要望があった(かのような)話も付け加えることを忘れない。

 結局、上の思いつきに翻弄されただけだが、教員は忙しすぎて新聞を読んでいる暇もないから、どれだけ弄ばれバカにされているか気づかない。気づいても文句を言う余裕がない。

  新潟日報は市の発表を真に受けて、批判もせずに記事にする。もっとも記事にしただけでもマシで、全国紙の大半は見て見ぬふりをするのだ。

 

体操服の「肌着禁止」は保護者の要望で始まったとは限らないが、体育のある日は肌着も持たせろと言われてウンザリする親も少なくないと思う。

f:id:kite-cafe:20210318113734j:plain(写真:フォトAC)

記事

体操服の「肌着禁止」、保護者の要望で始まった? 女優ツイートに注目も...川崎市教委「経緯は不明」
(2021.03.16  J-CASTニュース)

www.j-cast.com

    神奈川県川崎市立などの一部小学校で体操服の下の肌着を禁止していることについて、同県出身の女優・春名風花さん(20)が、保護者のクレームで禁止になったと自分の母親から聞いたとツイートして、話題になっている。

   春名さんの母親がどこの自治体の小学校のことを指しているかはっきりしないが、川崎市教委に一部小学校で肌着を禁止するようになった経緯などについて話を聞いた。

(ツィート写真略)

 

「汗をかいた肌着だと風邪をひく」との保護者の苦情で禁止に?

   肌着禁止が大きな関心を集めたのは、川崎市議会の予算審査特別委員会で2021年3月9日、山田瑛理議員(自民)が「多くの子どもが『嫌』と言っている」と問題提起したことがきっかけだ。

   市教委側は、そのような指導はしていないものの、運動後の汗で体を冷やさないようになどの健康面の配慮から、主に低学年で肌着を禁止している小学校が一部であることを認めた。これに対し、山田氏は、体育後は新しい肌着に着替えられるはずだと肌着禁止を止めるよう訴え、市教委も、見直しも含めて検討していく考えを示した。

(以下略)

 

 こんなことを特別委員会で話題にすることもないと思うが、今や、

「学校にはかなりの数の小児性愛者が教諭として入り込んでいて、そのうちの一部は他の行政区ですでに処罰されたにもかかわらず、免許の再取得で続けているらしい」

といった神話がはびこっているため、こういうことになったのだろう。

 多くの人たち、殊に女の子の保護者の一部は本気で学校を恐れている、そう考えると切なくもあり、教師たちにとっては屈辱だ。
 

【学校にとって大した問題ではない】

 いずれにしろ「小学生の肌着禁止は、体操着の上から子どもの裸を想像したい教師たちの発案」「男性教員が女子児童が下着を着用していないか確認、胸の発育状況なども目視している」とまで言われて続けるほどのことでもない。こんなきまりは早晩、廃止すべきだ。

「体育のある日は必ず肌着も持たせてください」と言われ、「たびたび肌着を忘れるので〇ちゃんはとても困っています」と連絡帳に書かれたりする親はウンザリするかもしれないが、市議会やマスコミで問題になるほどの重大事、せいぜい気を張って頑張ってもらいたい。

 

【発端はおそらくこうだ】

 さて、小学校低学年の肌着禁止については、必ずしも保護者のクレームが始まりということでもないと思う。

「子どもは汗かきではない、汗腺は密になっているだけで大人と数は変わらず、それぞれ汗腺の発汗能力は大人の半分程度しかない」

 といった話もあるが、身長が大人の半分なら表面積は四分の一、その四分の一の面積から大人の二分の一の汗が出てくるとすると見た目は2倍の汗になるだろうとか、

 いやいや身長170㎝の大人と80㎝の子どもを比べたら、地表面により近い子どもの方が2度近く高い気温のところで活動しているわけだから余計に汗をかくだろうとか、

 いろいろ言い方を考えてみたが、結局、経験的に、どう見ても夏の体育の授業では子どもはびしょ濡れになる、特に低学年ではそうだ、と言うに留めておく。さらに言えば子どもは体温調節が下手くそですぐに発熱し、すぐに下がる。したがって木陰に入っただけで寒いほどに冷えてしまうことがある。特に乾燥した地域ではそうだ。――と付け加えておこう。

 その様子を保護者のひとり、あるいは教師のひとりが見て、これはたいへんだ、体育が終わった後はできるだけ早く乾いたものを着せたい、そう考えたときにすべてが動き出す。おそらく今から何十年も前、小学生の体の発達が今ほど早くなかった頃のことだと思う。

 保護者、あるいは教員でも養護教諭あたりから提案されると、まさか将来、教師の性犯罪と一緒に論じられるとは思わないから一般の教諭も賛成してしまう。

 ひとつの学校でそれが始まると、教員やPTAの研修会を通して、あるいは教員の異動によってじわじわと全国に広まる。保護者の方が先に気がついて、学校に申し入れをすることもある。 

 おそらくそれが春名風花さんの言う「クレーム」の正体だろう。クレームではなく提案だ。学校のきまりいくつかは、同じ流れで決まってきたからまず間違いない。子どもを守ろうとする親心は校則になりやすい。

 【子どもの嫌がることはやめた方がいい】

 いずれにしろ初めに言った通り、何が何でも守らなければいけないきまりでもない。

「多くの子どもが『嫌』と言っている」

 それが理由なら、これからは毎日の宿題とか、メニューを自由に選べない給食とか、マラソン大会のようなシンドイ行事とかについても見直す(やめる)方向で考えていくべきだろう。

 

大人たちの事情が創り上げた「釜石の奇跡」という神話を、“真実”で解きほぐしていこうとする女性がいる。がんばれ!!

 f:id:kite-cafe:20210312122252j:plainフォトACより)

 記事

 「釜石の奇跡」は奇跡じゃない。あの日、報じられた“美談”から私は逃れられなかった

(2021.03.09 BuzzFeed)

www.buzzfeed.com

震災後、「奇跡」のストーリーを追うメディアの取材が相次いだ。釜石で起きたことに、「奇跡」という言葉は本当にふさわしいのか。


東日本大震災に襲われた岩手県釜石市。小中学校に通う子どもたちほぼ全員が避難し、津波を逃れた。

人口約4万人の市内で1000人を超える死者・行方不明者が出る一方、小中学生の99.8%が無事だったという事実は、一般に「釜石の奇跡」と呼ばれる。

なかでも、釜石市鵜住居地区で中学生が小学生の手を引いて避難したことは、徹底した事前の防災教育の成果で子どもたちが自主的に動いたと受け止められ、高く賞賛されてきた。

菊池のどかさん(25)は中学3年生だったあの日、小学生の手を引いて避難した。震災後、「奇跡」のストーリーを追うメディアの取材が相次いだ。中学校では防災を担当する委員会で委員長を務めていた。

だが、奇跡と呼ばれることに、戸惑いもあった。一時は、取材を避けるようになった。

あれから10年。大人になった菊池さんは釜石市第三セクター「かまいしDMC」に就職。震災の伝承と防災学習を行う「いのちをつなぐ未来館」で働く。震災のことを語り伝えるのは、仕事の一つだ。

釜石で起きたことに、「奇跡」という言葉は本当にふさわしいのか。

あの日、実際に何が起き、なぜ子どもたちは生き延びたのか。

10代半ばで「奇跡」の語り手となることを求められた菊池さんは、何を感じていたのか。

そしてなぜ、震災の伝承と防災学習に取り組む道を歩むようになったのか。

(以下、略)

 

 同じ内容はちょうど一年前、朝日新聞の記事を下敷きに書いた。

kieth-out.hatenablog.jp  しかし引用記事が有料だったために全体の3割程度しか見ることができず、あとは同じ記事の新聞評をあちこち読みながら類推した不十分なものだった。

 

 今回のBazzFeedの記事はタイトルが朝日新聞『本当は違う「釜石の奇跡」 24歳語り部が伝えたい真実』に対して『「釜石の奇跡」は奇跡じゃない。あの日、報じられた“美談”から私は逃れられなかった』とほぼ同じ。インタビューの相手も同じ釜石市第三セクター「かまいしDMC」の菊池のどかさん。したがって内容的に大きな違いはないだろう。

 全文が読める。有り難い。

 

【神話の始まり】

 「釜石の奇跡」という神話を創ったのは、現在東京大学大学院特任教授の肩書を持つ片田敏孝という人物である。当時は群馬大学の教授で、2004年から釜石市の防災・危機管理アドバイザーとして防災教育を主導してきた。

 その片田氏が2011年4月22日にウェブサイト「Wedge REPORT」に書いた、

wedge.ismedia.jpがはじめと思う。ご丁寧に英訳版もリンクされて、記事は全世界に発信され、もてはやされた。しかし事実は違う。

 

 記事は

 岩手県釜石市では、市内の小中学生、ほぼ全員が津波の難を逃れた。多くの人たちは、これを「奇跡」と呼ぶ。

で始まる。しかし当時、少なくとも全国的にそうした認識があったわけではない。なぜなら生存率99.8%なら隣の気仙沼市だってそうだったし、東日本大震災で死者行方不明者を出した市町村の中には、小中学生の生存率が100%だったところだってあるはずだからだ。

 学校は片田氏の指導のいかんに関わらず、子どもを災害から救う機能をもっている。74名もの子どもを死なせてしまった大川小学校のある石巻市でさえ、小中学生の生存率は98.6%もあったのだ。

 それを「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない(私が指導したからだ)」と言うのはあまりにもおこがましいだろう。

 

【あの日、釜石で何が起こっていたのか】

 さらに言えば片田氏の広めた「釜石の奇跡」の内容もひどい。一例を示そう。

  釜石市鵜住居(うのすまい)地区にある釜石東中学校。地震が起きると、壊れてしまった校内放送など聞かずとも、生徒たちは自主的に校庭を駆け抜け、「津波が来るぞ」と叫びながら避難所に指定されていた「ございしょの里」まで移動した(右図参照-引用者が削除)。日頃から一緒に避難する訓練を重ねていた、隣接する鵜住居小学校の小学生たちも、後に続いた。

 ところが、避難場所の裏手は崖が崩れそうになっていたため、男子生徒がさらに高台へ移ることを提案し、避難した。来た道を振り向くと、津波によって空には、もうもうと土煙が立っていた。その間、幼稚園から逃げてきた幼児たちと遭遇し、ある者は小学生の手を引き、ある者は幼児が乗るベビーカーを押して走った。間もなく、ございしょの里は波にさらわれた。間一髪で高台にたどり着いて事なきを得た。

  ここには教職員の姿も住民の姿もまったくない。記事の印象からすればおそらく大人たちは生徒を置き去りにしてわれ先に逃げたか、生徒の後について避難してきたのだろう。一言も触れないことで、教師の無能さはむしろ際立つ。

 これをBazzFeedが伝える「事実」と比較すれば、いかに真実が曲げられたかはわかる。

 

 「釜石の奇跡」が事実でないことは、すでに2011年以来、釜石東中学校の生徒たちによって報告されていた。

www.nhk.or.jp その先頭に立っていたのが、震災当時の釜石東中学校防災委員長だった菊池のどかさんだ。朝日新聞やBazzFeedの取材を受けた「かまいしDMC」の職員と同じ女性である。

 

 しかしマスコミも世間も「真実」など欲していなかった。「賢く自立的な小中学生と無能な教師たち」という図式の方がよほど面白いし記事として売れるからだ。

 あの大川小学校だって児童が「山へ逃げよう」と泣きながら訴えたにもかかわらず教師が無能で74人も死なせてしまったではないか! というわけだ。

(ただしあのとき大川小学校にいて、ともに亡くなった地域の役員や住民を“無能”だとは、匂わせもしない)

 

【歪曲された事実に苦しめられた人、これから苦しむ人】

 そうした大人たちの悪意ある歪曲に子どもたちは苦しめられる。

「たしかに色々な出来事が重なり助かったことは、奇跡的だったとは思います。でも、本当に色々な人のおかげで今生きている。私たちが生き残るために一生懸命尽くしてくれた人たちがいて、私たちは、たまたま助かったんです」

「そうやって助けてくれた人たちがいっぱいいるのに、中学生が、自分たちで全部やったように伝えられていたことを、すごく申し訳なく感じていました。助けてくれた人たちを隠しているようで申し訳なかったし、何より亡くなった人たちのことを思いました」 

 菊池さんの言葉だ。

 

 「釜石の奇跡」に苦しめられた人は他にもいる。

 釜石東中学校の生徒と一緒に逃げた鵜住居小学校で事務員として働いていた女性の夫だ。

 「釜石の奇跡」では震災当日、隣り合う二つの学校にいた全員が助かったようにされているがそうではない。鵜住居小学校の事務の女性は今も行方不明のままだ。保護者からの電話対応に追われていたという話もあるがほんとうのところは分からない。その夫である人にとっても「釜石の奇跡」は受け入れられない。

www.sankeibiz.jp

 さらに言えば、全国の教職員が多かれ少なかれ「釜石の奇跡」の被害を被っている。

 釜石では子どもたちが教師の指示を聞かずに自主的に避難したから助かったが、大川小学校では指示にしたがったばかりに全員殺されてしまった。

 それが今や”真実“となってしまったからだ。

 

 もちろん、だからといって災害があったらできるだけ早く、教職員の手から自分の子を守らなくてはいけないと考えるような親はいないだろう。だが、教師は恐ろしく無能なのかもしれないという疑いを抱えた親に、育てられた子が幸せになるだろうか――。

 

 2019年の9月、私は大川小学校の廃墟のほとりにいた。数組の家族がそばにいたが、そのうちの初老の一人は、被災状況を記した掲示物を読んだあとで、

「こんなところに51分もいたなんて、――バカっ教師どもが!」

と吐き捨てるように言った。そして実際に地面にツバを吐いた。

 その様子を、二人の孫らしい子どもが見ていた。

 (参考)

kite-cafe.hatenablog.com