キース・アウト

マスメディアはこう語った

中学生が殺されて、心配されるのは「学校の開放」が後退することだという


成人の日、あちこちのTVニュースを見ているうちにいきなり切れて、こんなコンテンツをつくってしまった。
大人げないことである。しかし無用のものはいつかなくなっていくものだ、このまましばらく放っておこう。


昨年末、京都の小学校であまりにも残酷な犯罪があり、一昨日は和歌山で中学生が刺された。
マスコミは学校の無防備を非難するかと思っていたら意外とそうではなく、むしろ事件のために『開かれた学校』づくりが退歩することを心配する論調が目立った。
それはそれで論理的だ。

しかし、だったら校内の児童生徒を守ることと、『開かれた学校』づくりをどう整合させるのか。
そう思っていたら、中国新聞によい記事が出た。

和歌山県の事件では、犯人は学校の近所に住み、日ごろから挙動が不審な人物だった。
住民が知っていたこの情報を学校側はどこまでつかんでいたのか。
教師には知っていた人もいたと考えられるが、少なくとも学校全体に周知徹底してはいなかったようだ。

そうか、地域の不審人物調査こそ、われわれに欠けていた点だったのか。
今後はこうした点にも目を向け、綿密なリストづくりに励むことにしよう。
(口が裂けても地域住民のプライバシーだとか人権だとか、「学校は警察なのか」などといったふざけたことは言うなよ!!)
それはいいとして、しかし解せないのは、先の引用文の続きである。

もちろん、学校が知っていたとしても犯行が未然に防げた保証はないのだが。


だとしたら、それまでの部分はどういう意味をもつのだろう。