キース・アウト

マスメディアはこう語った

社説「どうつくる『開かれた学校』 」

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  ときどき私は、マスコミは本気で教師に喧嘩を売ってるんじゃないかと思うことがある。2月3日付の中日新聞社説「どうつくる『開かれた学校』 」などその典型だ。

 「学級崩壊」や子どもたちの荒れに対処するには、保護者や地域住民との協力関係が欠かせない。「開かれた学校」をつくるため、まず教職員が心を開いてほしい。   石川県で開かれた日本教職員組合山口県で催された全日本教職員組合のどちらの教育研究全国集会でも、「開かれた学校」「保護者、地域の人たちとの共同」といった言葉が、現状打開のキーワードになっていた。
うん、そうか。

(中略)
 開かれた学校づくりは、学校側が進んで具体的な教育目標や学校経営の方針、伸ばしたい特色、各教科それぞれの到達目標と各教員の指導計画、全般的な到達状況などの情報を明確に示すことから始まる。
毎日それを書いて提出しろということだな。

 「問題を外部に漏らすな。校長や教頭の評価が下がる」というような姿勢でいると、深刻な問題が表面化したとき、保護者からも地域住民からも解決への協力を得るのは難しくなる。まして公立学校は、納税者に支えられているのを忘れてはならない。
私たちが学校の問題を公にしたがらないのは、常に児童生徒の個人情報が、憶測とともに流れ出すからだ。校長や教頭の評価を気にする教師なんてそうはいない。できれば下げてしまいたいと思っている教師はいるかもしれんが。

 説明責任を果たすことも大切だ。まず保護者の相談や苦情にきちんと対応すべきだ。
相談や苦情にきちんと対応していないというのは、どういうことだろう? 続く文では、そもそも相談や苦情を学校に持ちこんでいない事実を語っているのに。

教研集会で親から「学校はなんとなく怖い」「PTAの席では建前しか言えない」という発言があったが、教員と本音の話ができる関係をつくってほしい。とくに父親には、積極的に教育への参加を求めたい。
「なんとなく怖い」という気持ちにどう対処したらいいんだろう? おいで、おいで、こわくないよ。さあ、何もしないから、言いたいこと言ってごらんと、一人ひとりの親と話をすればいいのだろうか? それがいっぱしの大人に対して、教師が取るべき態度なのだろうか。

「PTAの席では建前しか言えない」その圧力は、教師がかけているのだろうか?

「父親の参加を求めたい」というのは要するに押しの弱い女親ではダメだから、男にビシバシ言わせろということだろうか? そもそも親が学校に言いたい本音の質がまったく問題にならないのはなぜだろう?

 開かれた学校づくりは、教員をますます忙しくするとの声を聞く。休日や夜間の仕事が増えるのは間違いない。会議の整理と時間短縮、電子メールの活用などを工夫してはどうか。国、自治体も支援してもらいたい。

ここまで来て私は完全にキレてしまいそうになる。
休日や夜間の仕事が増えれば、その分「休日や夜間の仕事」のための会議や計画のための時間が増えるのだ。「会議の整理と時間短縮」なんて論理的にもできるはずがない。その上「電子メール」とは!!

電子メールで会議に参加できるほどネットやキーボードに熟達した教師はそうはいない。そもそもコンピュータを持っていない教師に、とにかく買え、そして勉強しろと言う方が無理なのだ。いまPCに熟達している教師は、全員個人の趣味の上に知識や技能を蓄えたにすぎない。そうした個人の支出と趣味に支えられているだけなのだ。会社から支給されたノートパソコンを持ち、社に戻れば机上に一台ずつのPCがあるあなたたちとは、まったく違う。

 文部省は学校と地域を結ぶため、二〇〇〇年度から自治体の判断で各学校に評議員を置けるようにした。
 評議員は校長が推薦することになっているため、どちらの教研集会でも批判が出た。校長の権威付けのために地元のいわゆる有力者を評議員にするのなら、形式化が著しい現行教育委員制度のミニ版化する不安が大きい。
とはいえ、推薦に当たって教職員、保護者の意見を聞くとか、学者、企業経営者、弁護士、福祉関係者といった多様な専門家を集め、議論には教職員、PTA代表も加わるような運営を図るなら、学校と地域を結ぶパイプ役として期待できるだろう。
おいおい、評議会は学校ごとに置かれるんだろ? 田舎の小規模校(小学校なんか小規模校だらけだが)のそれぞれに、無料で参加してくれる弁護士や学者をどこで調達すればいいんだ?

そもそも推薦にあたって教職員や保護者の意見を求めなくて済むところに、評議員制度の特色があるというのに「推薦に当たって教職員、保護者の意見を聞く」など、文部省も各教育委員会も絶対認めるはずはないじゃないか?

白状したまえ、とにかくなにか言わなくちゃ記事にならないから、思いつきを書いているだけなんだと。

2000.02.04

ときどき私は、マスコミは本気で教師に喧嘩を売ってるんじゃないかと思うことがある。2月3日付の中日新聞の社説「どうつくる『開かれた学校』 」などその典型だ。

 「学級崩壊」や子どもたちの荒れに対処するには、保護者や地域住民との協力関係が欠かせない。「開かれた学校」をつくるため、まず教職員が心を開いてほしい。   石川県で開かれた日本教職員組合山口県で催された全日本教職員組合のどちらの教育研究全国集会でも、「開かれた学校」「保護者、地域の人たちとの共同」といった言葉が、現状打開のキーワードになっていた。
うん、そうか。

(中略)
 開かれた学校づくりは、学校側が進んで具体的な教育目標や学校経営の方針、伸ばしたい特色、各教科それぞれの到達目標と各教員の指導計画、全般的な到達状況などの情報を明確に示すことから始まる。
毎日それを書いて提出しろということだな。

 「問題を外部に漏らすな。校長や教頭の評価が下がる」というような姿勢でいると、深刻な問題が表面化したとき、保護者からも地域住民からも解決への協力を得るのは難しくなる。まして公立学校は、納税者に支えられているのを忘れてはならない。
私たちが学校の問題を公にしたがらないのは、常に児童生徒の個人情報が、憶測とともに流れ出すからだ。校長や教頭の評価を気にする教師なんてそうはいない。できれば下げてしまいたいと思っている教師はいるかもしれんが。

 説明責任を果たすことも大切だ。まず保護者の相談や苦情にきちんと対応すべきだ。
相談や苦情にきちんと対応していないというのは、どういうことだろう? 続く文では、そもそも相談や苦情を学校に持ちこんでいない事実を語っているのに。

教研集会で親から「学校はなんとなく怖い」「PTAの席では建前しか言えない」という発言があったが、教員と本音の話ができる関係をつくってほしい。とくに父親には、積極的に教育への参加を求めたい。
「なんとなく怖い」という気持ちにどう対処したらいいんだろう? おいで、おいで、こわくないよ。さあ、何もしないから、言いたいこと言ってごらんと、一人ひとりの親と話をすればいいのだろうか? それがいっぱしの大人に対して、教師が取るべき態度なのだろうか。

「PTAの席では建前しか言えない」その圧力は、教師がかけているのだろうか?

「父親の参加を求めたい」というのは要するに押しの弱い女親ではダメだから、男にビシバシ言わせろということだろうか? そもそも親が学校に言いたい本音の質がまったく問題にならないのはなぜだろう?

 開かれた学校づくりは、教員をますます忙しくするとの声を聞く。休日や夜間の仕事が増えるのは間違いない。会議の整理と時間短縮、電子メールの活用などを工夫してはどうか。国、自治体も支援してもらいたい。

ここまで来て私は完全にキレてしまいそうになる。
休日や夜間の仕事が増えれば、その分「休日や夜間の仕事」のための会議や計画のための時間が増えるのだ。「会議の整理と時間短縮」なんて論理的にもできるはずがない。その上「電子メール」とは!!

電子メールで会議に参加できるほどネットやキーボードに熟達した教師はそうはいない。そもそもコンピュータを持っていない教師に、とにかく買え、そして勉強しろと言う方が無理なのだ。いまPCに熟達している教師は、全員個人の趣味の上に知識や技能を蓄えたにすぎない。そうした個人の支出と趣味に支えられているだけなのだ。会社から支給されたノートパソコンを持ち、社に戻れば机上に一台ずつのPCがあるあなたたちとは、まったく違う。

 文部省は学校と地域を結ぶため、二〇〇〇年度から自治体の判断で各学校に評議員を置けるようにした。
 評議員は校長が推薦することになっているため、どちらの教研集会でも批判が出た。校長の権威付けのために地元のいわゆる有力者を評議員にするのなら、形式化が著しい現行教育委員制度のミニ版化する不安が大きい。
とはいえ、推薦に当たって教職員、保護者の意見を聞くとか、学者、企業経営者、弁護士、福祉関係者といった多様な専門家を集め、議論には教職員、PTA代表も加わるような運営を図るなら、学校と地域を結ぶパイプ役として期待できるだろう。
おいおい、評議会は学校ごとに置かれるんだろ? 田舎の小規模校(小学校なんか小規模校だらけだが)のそれぞれに、無料で参加してくれる弁護士や学者をどこで調達すればいいんだ?

そもそも推薦にあたって教職員や保護者の意見を求めなくて済むところに、評議員制度の特色があるというのに「推薦に当たって教職員、保護者の意見を聞く」など、文部省も各教育委員会も絶対認めるはずはないじゃないか?

白状したまえ、とにかくなにか言わなくちゃ記事にならないから、思いつきを書いているだけなんだと。