キース・アウト

マスメディアはこう語った

モンペと思われることなく、学校に苦情を持ち込む方法

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 教員の側からすると
 モンスターペアレンツも困るが
 親がモンペと思われるのを怖れて
 必要な苦情や不信の表明をしないのも困る
 要は事実の確認と持って行き方なのだ

というお話。

 

2019.04.13

 「モンペ」と思われたくないけれど

担任の言動に不信感!
大中 千景
[LIMO 4月12日]

 

モンペ、モンペと騒がれている昨今ですが、子どもの担任の対応にモヤモヤした、担任に不信感を抱いている…という方も多いもの。

これって担任にクレーム入れていいのかどうか…という小さな「イラッ」が蓄積されている、でも、ひとつひとつは些細なことだから、クレーマー扱いされてもなぁ…なんて悩んでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。


(中略)

他にも担任にモヤモヤしたエピソードをお持ちの方はたくさんいるようです。

「娘が特定の子から無視をされるように。担任に相談すると『もちろんした方が悪いが、された方にも問題がある』と言われた」(小学4年生の女の子の母)

「隣の席の男子に『死ね』とか『学校に来るな』と言われていた娘。担任に席がえをお願いしても、『あの子はもうすぐ転校するから』といって取り合ってくれず。三ヶ月もそのままに」(小学5年生の女の子の母)

「間違えて上級生が掃除で使うホウキを持ちだしたらしい我が子。担任が一緒に返しに行こう、と言ってくれたらしいけど…。担任は上級生に向かって開口一番『ごめんね、この子、バカだから』と言い放ったらしい」(小学2年生の男の子の母)

「担任が一部の頭のイイ子だけニックネームで呼ぶのがイヤだ、と息子」(小学6年生の男の子の母)

聞いてみると出てくるわ出てくるわ、あきれたエピソードの数々。中にはクレームを付けるべきでは…?というものも多々ありました。

どのお母さんも「最近モンペがどうとかうるさいから、私が学校にクレームを言うことでモンペ認定されて、ますます子どもの居場所がなくなるのでは…」という心配をされています。

では、このまま黙って時が過ぎ去り、担任が変わるまで待つのが得策でしょうか?

そんなことはないはずです。


(中略)

感情的にならずに

「子どもがこういう風に訴えて、少し、とまどい、悲しい気持ちになったようです。子どもからの言葉しか聞いてないのでなんとも言えませんから、一度状況確認のためにもそのときのことを詳しく教えていただけませんか?」と聞いてみて、回答に納得できなければ改めて「それは納得できません」と伝える。

先生に働きかけてくれた、というだけでも子どもはとても嬉しく、頼もしく思うはずです。

子どもの「学ぶ機会」を守ること、それも親の役割なのです。


過剰な信頼をよせないで


相手が先生だから、と過剰に信頼するのはおすすめできません。先生も人間、保護者からの訴えで学ぶこともたくさんあるはずです。「おかしい」と感じたことは、冷静かつ論理的に伝えることも必要なのではないでしょうか。

また、何かあったら子どもがすぐに報告してくれるよう、親子間の信頼関係をしっかりと構築しておくことも大切です。



 この手の問題に対する“専門家”のアドバイスにロクなものはないが、大中氏はめずらしく常識人だ。
 
「子どもがこういう風に訴えて、少し、とまどい、悲しい気持ちになったようです。子どもからの言葉しか聞いてないのでなんとも言えませんから、一度状況確認のためにもそのときのことを詳しく教えていただけませんか?」と聞いてみて、回答に納得できなければ改めて「それは納得できません」と伝える。
 こんな常識的な話が、なぜ他の評論家たちはできないのか。

 他人との神経質なやりとりは、このくらい低姿勢なところから入っていかないとあとで後悔する。
 振り上げた拳の下ろしどころを失ったり、全く予想もしていなかったような反撃を食らったり、何が起こるか分からないからだ。
 くれぐれも心しておいてほしいのは、
 子どもは必ずしもウソをつくとは言わないが、極めて主観的な生き物だということだ。彼らの語ることはすべて「ボクの見た、ボクの世界の、ボクの物語」に過ぎない。それが客観的事実と重なるときもあればまったく反対方向にあるときもある。
 子どもの問題には心して当たらないと、とんでもないことになる。

 
 学校や担任に対する不信感の表明が正当な申し立てになるかモンスターペアレンツ的強要になるか、その分かれ目はひとえに事実の確実性と持って行き方にかかっている。

 たとえば、
 「娘が特定の子から無視をされるように。担任に相談すると『もちろんした方が悪いが、された方にも問題がある』と言われた」
 この場合、ウチの娘に問題があるかどうかはやはり決定的な問題だろう。
 
 よく言われるように、いじめ問題では一夜にして加害者と被害者が入れ替わってしまうことがある。そう考えると、もしかしたらウチの娘は昨日までのとんでもないいじめっ子で、今日、その復讐を受けているだけなのかもしれない。
 あるいは“何かというと他人に食ってかかる癖がある”とか“クラスに非協力的で委員会や当番の仕事をしない”とか、それで無視されているといった事情があるのかもしれない。
 盗人にも三分の理という。いじめる側にも一応顔を立てて話を聞いておかないと飛んでもない赤っ恥をかくことがある。

「担任が一部の頭のイイ子だけニックネームで呼ぶのがイヤだ、と息子」
 これも注意が必要だ。担任が一部の子だけをニックネームで呼ぶのは事実かもしれないが、それが頭のイイ子なのかどうかは検討が必要なところだろう。さらに頭がイイからそうしているのか、あるいは別の理由があってそうなっているか、これも確認の必要なところだろう。

 こうした場合、十分に子どもの言うことを聞いて具体的事実を押さえた上で、それでも慎重に丁寧に、いったんは下出から出て調査をしてもらうのが肝要だ。その結果が気に入らなければ、あとから高圧的に出ればいい。それからでも遅くない。
 大中氏はそのことを、
 回答に納得できなければ改めて「それは納得できません」と伝える。
と言っているが、もちろん正しい態度である。
 
 この件については私も別のところで書いたことがあるので参考にしてほしい。
 「ああ言えばこう言う辞典」応用編 「いじめだ、万引きだ、喫煙だ、でも………おれやってないもん。


 ところで、
 モンペは困るが、モンペと思われるのを嫌がって正しい抗議がなされないのも困る。クレームもあとでまとまってドカッと来るくらいなら、最初から小出しに来てもらう方が楽だ。
 大中氏も先生も人間、保護者からの訴えで学ぶこともたくさんあるはずですと書いているように、教師にとって、「今、児童生徒・保護者がこういう問題で不信感を抱きつつある」というのは差重要な情報である。 たいていの不信感は誤解から生まれているのだから一刻も早く解いておく必要がある。

何かあったら子どもがすぐに報告してくれるよう、親子間の信頼関係をしっかりと構築しておくことも大切です。
は親子間だけでなく、親と教師の間でも重要なことなのだ。