学校教育には、しんどくてもやらなくてはならないことがたくさんある

f:id:kite-cafe:20191014195948j:plain

 教師がしんどい、子どもの一部がしんどい、だから宿泊行事はやめようと、それでいいのか?

 必要性が感じれない、教育効果が見られないという話もあるが、それは宿泊行事に対する考え方が間違っているからだ。

 九九を覚えさせるのがたいへんだから、九九が覚えられない子がいるからかけ算の勉強はやめようということにはならない。

 それと同じくらい、特別活動は大切。

記事




2019.11.06

 修学旅行や林間・臨海学校は「しんどい」?
負担感は教員9割近く、保護者の間にも賛否

京都新聞 11月 3日]

 

 「子どもが山の家に行くのを嫌がる。負担に感じる家庭は少なくないのでは」「修学旅行の引率がしんどい」-。京都府内の保護者と教員から、宿泊学習(林間・臨海学校や修学旅行など)のあり方を疑問視する声が相次いで寄せられた。京都新聞社では9~10月に宿泊学習への考えを問うアンケートをインターネットで実施し、780件の回答があった。負担が大きいと答えたのは、保護者や経験者など教員以外の回答者で27%、教員は89%だった。教員以外の回答では、負担を訴える声から、心や体調が不安定な子どもを育てる家庭の悩みが浮き彫りになった。教員では、拘束時間の長さを訴える声や教育効果を疑問視する意見が目立った。

(中略)

■保護者と教員目的再確認を
 宿泊学習に疑問を感じる保護者らがいることついて、小児科医の小谷裕実京都教育大教授(特別支援教育)は「多様な子どもがいる中では、宿泊学習で個に応じた対応が難しいという背景がある」と指摘。宿泊学習が保護者、教員両者にとって恒例行事という認識になっている可能性についても触れ、「行事を精選するという観点からもなぜ宿泊する必要があるのか、宿泊学習で子どもに付けさせたい力は何か、を両者で再確認することが大切。教育上の目的が明確であれば、現在負担に感じていることは目標に向かう過程と捉えられるようになるだろう。その上で子どもによっては不参加という選択肢もある」と話す。

■夜間の体調管理心配/思い出づくりは教育活動でない/一回り成長、実感
 アンケートの自由記述欄には33件の意見が寄せられた。負担が大きい理由として、準備を含めた業務量の多さと労力に見合う教育効果が感じられないといった声が多かった。
 「夜間の体調管理が必要な児童もいる。連泊だと疲労がたまり日中の指導に支障を来さないか心配」(30代・京都市伏見区)「ほかの行事の時期と重なることもあり準備が大変」(20代・左京区)「限られた人員で安全面も不安な中、宿泊する必要性が見つからない」(30代・京田辺市)「家族旅行などで多様な経験を積んでいる子どもは多い。宿泊学習は思い出づくりの側面が大きく、学校が実施すべき教育活動とは思わない」(40代・兵庫県尼崎市


(中略)

 一方、宿泊学習を評価する意見は「活動を終えたら一回り成長したと感じる」(40代・亀岡市)「素晴らしい体験からは生徒の最高の笑顔が生まれる」(50代・北区)などがあった。別の北区の教員は負担は大きいと答えたが、「それ以上に得られるものが大きい」と記していた。
 中央教育審議会で学校の働き方改革部会委員を務める教育研究家の妹尾昌俊さんは、宿泊学習に対する教員の負担感に納得できるとした上で「参加がつらいと感じる子どものケアや、修学旅行などが本当に学びになっているかについての検証の不十分さ、裕福でない家庭の旅費負担の大きさに課題がある」と指摘。「活動内容や児童生徒全員で行く必要性などを見直す時期に来ているのではないか」と話す。

 

 全文を読むと可もなく不可もなく、宿泊行事に反対というわけでもなく積極的に進めるわけでもない中途半端な内容。
「活動内容や児童生徒全員で行く必要性などを見直す時期に来ているのではないか」も文章を落ち着かせるための決まり文句みたいなもので、大した意味のあるものでもない。
 ただし、
「アレルギー対応が大変」「発達障害で環境の変化に大きなストレスを感じる」など、傾聴のうえで考慮しなくてはならないと思える意見もあった。

 ただ私が気になったのは、おそらく教員の側から出たと思われる次のような発言である。
「準備を含めた業務量の多さと労力に見合う教育効果が感じられない」
「限られた人員で安全面も不安な中、宿泊する必要性が見つからない」
「家族旅行などで多様な経験を積んでいる子どもは多い。宿泊学習は思い出づくりの側面が大きく、学校が実施すべき教育活動とは思わない」


 宿泊学習の教育効果や必要性は感じたり見つけたりするものではなく、生み出したり造り出したりするものである。思い出づくりの側面が大きいようでは困る。

 その意味で、小谷裕実京都教育大教授の、
「行事を精選するという観点からもなぜ宿泊する必要があるのか、宿泊学習で子どもに付けさせたい力は何か、を両者で再確認することが大切。教育上の目的が明確であれば、現在負担に感じていることは目標に向かう過程と捉えられるようになるだろう。その上で子どもによっては不参加という選択肢もある」
は非常に適切な助言だと思う。

 思うに宿泊行事の最大の目的は、日ごろ培ってきた生きる力を非日常的な世界で確認することなのだ。
 きちんと計画を立てそのための準備をして遂行できるか。友だち話し合って物事を決められるか、協力できるか。与えられた役割(係)についてその責任や内容を十分に理解し、逐次行動に移せるか。
 時間正確に行動できるか、危険回避のために自分の周辺に気を配れるか、友だちの困難や危険に気づいて助けてあげられるか。
 衛生管理に注意を向けられるか、金銭や貴重品の扱いは適切か、身の回りをきちんと整理できるか――宿泊行事を通してやろうとすれば検証の項目はいくらでもある。

 そのすべてが完璧に確認できればそれに越したことはないが、実際にはチェック項目が多すぎると子どもも教師も集中しきれない。そこで各自「旅行の目標」などを立てさせ、意識させるのである。

 ある生徒は「係活動をしっかりやる」を目標にする。だとしたら教師は彼が「係活動をしっかりやったかどうか」だけはきちんと見て評価しなくてはならない。
 別な子は「時間を守る」を目標に掲げる。教師はその子が時間正確に動いているかどうかを確認して、できていなければ責めてやらなくてはならない。小さな目標だから必ず達成させなければならない。
 
 課題はもちろん教師の側にもある。
 ホテルの朝食バイキングで、子どもたちが好きなものだけを集めて食べているようなら、その担任の“食育”には甘さがあったことになる。
 宿舎を出ようとするとき、部屋が乱雑なままだとすると社会的マナーや気づき、友だちとの協力の点などで指導が足りなかったことが明らかになる。
 集合時間のたびに同じクラスの生徒が遅刻するようなら、その担任は生徒にスケジュール管理の能力を十分につけて来なかったことがはっきりするだろう。
 
 それらの力は喫緊のこととして、とりあえず受験期に重要な役割を果たす。
 教師としてやればできたことをしてやらなかったばかりに、子どもが望んだ受験をできないようではかわいそうだ。
 そして大人になった時、よりよく社会を生きようとしたら、それらはやはり重要な能力として働くに違いない。
 
  もちろん日常生活の中でさまざまな力を完成させておいて宿泊学習で確認するのが理想だが、実際にはそうはいかない。
 教師も児童生徒も常に忙しく、どこかですべき学習が不十分だったりつけるべき力がついていなかったりする。だから宿泊学習を機に、生きる力をつける学習を徹底的にする。それが宿泊学習の必要性である。
 
 日頃できない多くの学習を一気にやろうとするから準備を含めた業務量は多く労力も半端ではなくなるが、それに見合う教育効果が感じられるかどうかは、教師が子どもに何をどう学ばせるかによって違ってくるだろう

 

 特に小学校の修学旅行では思い出づくりの側面を強く打ち出す担任もいるが、だまされてはいけない。その多くは方便なのだ。
 志ある教師なら、
「修学旅行を思いっきり楽しもう!!」
と子どもたちの意欲を掻き立てて、陰でしっかりと子どもたちにつける力を分析し、静かに子どもたちを追いつめている。それがプロの仕事というものだ。

 宿泊行事で明らかになった不足の部分は学校に戻ってからまた丁寧に育てなおされる。
 優秀な教師がしているのは、そういうことである。