第4の権力「マスコミ」も、第5の権力「ネット社会」も、こぞって「いじめ教諭」の有給休暇をなじり「組体操」を責めたのに、
いざ給与の支給を差し止め、組体操を中止にすると、それはそれで「教師の思考停止」と今度は馬鹿にする。
いったいどうすればいいのか?
こうして教師は「自分でものを考えたり判断することもできない、バカで融通が利かないブラック業界の担い手」という評価が高まっていく。
これでは教師のなり手がいなくなるわけだ。
記事
2019.11.10
神戸「イジメ教諭問題」「組体操中止論」に見る「教師の思考停止」
[デイリー新潮 11月10日]
組体操は悪か?
今、「ピラミッド」が消えようとしている。エジプトではなく日本で――。スポーツの秋に、ピラミッド等の技で魅せる運動会の組体操が論争の的になっている。火をつけたのは、イジメ教諭問題など、何かとホットな兵庫県の神戸市。同市の久元喜造(きぞう)市長(65)が、ツイッターで「組体操中止論」をつぶやいたのだ。
〈何度でも言います。教育委員会、そして校長先生をはじめ小中学校の先生方にはやめる勇気を持って下さい〉
神戸市内の学校で、運動会の組体操による骨折事故が相次いだことを受け、9月9日、久元市長はこうつぶやいて組体操中止を訴えた。その後、同じ兵庫県の明石市では、来年度から市立の小中学校で組体操の実施を見合わせる方針が決定。組体操を「忌避」する状況が生まれつつあるのだ。
確かに、ピラミッドの「高段化」などが進み、組体操での負傷事故は各地で起こっている。しかし、だからといって「伝統」の組体操を全廃すればいいという議論は些(いささ)か短絡的すぎるのではないだろうか。実際、名古屋大大学院の内田良准教授(教育社会学)は、
「安全の確保さえできれば、組体操は子どもが体の動かし方、達成感や団結力の大切さを学ぶことができるプラス面の大きい競技です」
こう組体操の価値を説明し、印西市立木下(きおろし)小学校(千葉県)の齊藤秀樹校長も、
「組体操は体力だけでなく、耐える力の“耐力”、連帯する力の“帯力”も育てることができる。最近は『自分さえ良ければいい』と考える子どもが増えているなか、組体操で他人に体を預ける経験をすることによって、団結や連帯の素晴らしさを教えることができると感じています」
と、その意義を強調する。
「当校では組体操の評判は今でもとても高く、保護者から止めてほしいという意見は一切ありません。高学年が行う運動会の伝統種目としてこれからも続けていく予定です。当然、指導する側の教師は絶対に事故はひとつも起こさないという覚悟を持つ必要がありますが、実際、私が赴任してからのこの3年間、うちでは組体操による事故はゼロです。ピラミッドは3段までしか作らないようにしたり、『落ち方』を教えるなど安全対策を徹底しているからだと思います」(同)
「教師の思考停止」
つまり、「10段ピラミッド」のような過度に危険な技を避ければ、安全に組体操は続けられるというのだ。
「SNSや動画サイトの普及で、他校でどんな組体操をしているのかが分かるようになり、危険な技を安易に真似する風潮ができています。しかし、ある学校では可能でも、他の学校でその技が安全にできるとは限りません。生徒のポテンシャルに応じた技を、現場の教師が吟味していくことが大切だと思います」(同)
結局、各校が適切に現場判断すればいいという至極当然の話に帰結するわけだ。リスクがあるから全廃。それはやはり極論であり、「間(あわい)」を認めない機械的で非人間的な決断と言えよう。
「何が危険なのかを教師が考えず、上からの全廃規制に従うだけでは、本来、教師に必要な資質であるリスクマネージメントの感覚は育たないままになってしまいます」(前出の内田氏)
日本体育大学体操研究室の荒木達雄教授が締める。
「上の判断で組体操を全廃することは教師の思考停止に繋がります。教師自身に安全対策を考えさせ、危険度の高い種目を変更するのが適切な対処ではないでしょうか」
悪は組体操そのものではない。組体操のあり方すら自分でマネージメントできない指導者が悪なのである。
「週刊新潮」2019年11月7日号 掲載
評
おそらくいわゆる「いじめ教師事件」で神戸市がとった「加害教師の給与支給差し止め」という処置が今後問題となることを見越しての伏線なのだろう。あれほど叩いておきながら、市民・マスコミの圧力に屈すると今度はそのことが「信念のなさ」「思考停止」と叩かれる。
まったく「ああ言えばこう、こう言えばああ」。
学校は何をやっても怒られる。
悪は組体操そのものではない。組体操のあり方すら自分でマネージメントできない指導者が悪なのである。
「分かりました。今後はマネージメントに励みましょう」と言えばそれだって「自己判断しない教師の思考停止」だと言われそうだし、だまって組体操をマネージメントすべく研究を重ねれば時間外労働がさらに増えて、今度は「学校のブラック化さらに進む」「教師は自分の労働環境すらマネージメントできないのか」ということになりそうだ。
こういう時は関西弁が便利かもしれない。
使い方は間違っているかもしれないが言わせてもらおう。
どーすればいいっちゅうねん!
私は基本的に組体操の中止にも、未起訴・未処分の教員の給与支給差し止めにも反対である。
事件の背景には明らかに学校の人手不足からくる過重労働、体制のひずみがあると考えているからだ。学校の問題の大半は職員を増やすことによって解決できる、つまり金の問題だが、世間はこれ以上、教育にビタ一文出す気はないように見える。
どんな問題でも「個人の意識」が最終的な到着点であるような解決策は無効だ。「個人の意識」が高まるようにするにはどうしたらよいのか、それこそが解決策でなくてはならない。
教育に関して「子どもを追いつめれば教育効果は高まる」といった考え方には狂気のごとく反対するのに、教師を追いつめれば意識は高まると今もマスメディアは信じているらしい。