キース・アウト

マスメディアはこう語った

理想の学校はだれもが目標としていいものではない

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 理想の学校、理想の管理職、理想の教師を語るとき
 それが真面目に努力すれば、だれでも達成できるものかどうかは決定的だ
 凡人が下手に手を出すと大やけどをする
 しかもその被害の大部分は児童生徒が背負うことになる
 ゆめゆめ安易に真似することのなきよう

 

記事




2019.11.16

校則撤廃中学校の校長
「教員らしく振る舞う必要ない」

[Newsポスト セブン 11月15日]

 

 東京都世田谷区立桜丘中学校では、校則の全廃による服装や髪形の自由化のほか、チャイムは鳴らず、何時に登校してもいい。今年度から定期テストも廃止され、代わりに10点ないし20点の小テストを積み重ねる形式に切り替えられた。スマートフォンスマホ)やタブレットの持ち込みが許可され、授業中も教室外での自習が認められている──これら画期的な学校改革は大きな注目を集め、新聞や雑誌、テレビでも取り上げられてきた。

 校長の西郷孝彦さん(65才)の初となる著書『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』には「子育ての参考になった」「こんな先生に教わっていたら、人生が変わっていたかもしれない」などと、大きな反響が寄せられている。

 しかしそうした改革は、決して理論ありきで行ったものではないと西郷さんは言う。

「ルールはただ1つ、“誰もが楽しい3年間を過ごせる学校”にすること。生徒一人ひとりの抱える問題を解決していく上でぶつかった不都合を見直し、取り除いていくうちに、結果そうなったにすぎません」(西郷さん・以下同)

 西郷さんは、この桜丘中学校で校長として10年務めてきた。“ちょっと変わった”、それでいて“楽しい”学校へと生まれ変わったキセキとは、どんなものだったのだろう。

(中略)

 1979年、最初に配属されたのは養護学校(現・特別支援学校)。そこに通う子どもたちの大半は、人の手を借りなければ自分で食事も、そして排泄も、うまくしゃべることさえもできなかった。

「最初の1年は、子どもたちにどう接していいものか、見当もつきませんでした。ただ、じっとほかの教員がやることを見ているだけ。まして歌にお遊戯をつけて踊るなど、できもしませんでした」

 しかし、肢体不自由ながら、必死にコミュニケーションをとろうとする子どもたちを、日々、目の当たりにするうちに、何かが変わっていった。

(中略)
「教員らしく振る舞う必要はなかったんですね。“素”の自分を出せばいい。それがいちばんダイレクトに子どもたちに伝わることを、この時、学びました」

 喜びに相反して、悲しい現実もあった。普通、子どもたちは成長とともに日に日にできることが増えていく。しかし、養護学校の子どもたちは難病を抱え、昨日まで歩けていた子が歩けなくなり、しゃべることができなくなる子もいる。早くに亡くなる子もいた。

「生きるとはどういうことか。それまで何も考えずに生きてきた自分は、どれほど薄っぺらい人生だったのだろうと、自分の生き方を恥じました」

 子どもたちにとって、一日一日が濃密だからこそ、ただ学校に来るだけではなく、そこでどう過ごすのかが重要なのだ。楽しい3年間を送ることは、何にも増して大切なことだと子どもたちに教えられる毎日だった。

※女性セブン2019年11月28日号→Newsポスト セブン 2019.11.15→Yahooニュース2019.11.15(リンク先はNewsポスト セブン)

 

【教職=職人芸の世界】
 私は教員になってわずか1ヵ月で“素”のままではまったく戦えないことを悟った。それからの10年間は“教育は職人芸だ”という先輩の言葉を頼りに、一人前の職人になるためにただひたすら真面目に頑張った、いわば修行の時期だった。 よほど自分が才能に欠けていない限り、真面目に10年頑張ればなんとかなると思っていたのだ。

 だから「教員らしく振る舞う必要はなかったんですね。“素”の自分を出せばいい」どという発言を聞くと、本能的な小さな反感とともに、ため息の出るような羨望と敬意を感じるのである。

 教員にとってもっとも重要なのは何かと問われれば、私は間違いなく「才能だ」と答える。
 天才的な教師はおそらく1割以上もいて、彼らは何をやってもうまくいく。子どもがついてくる。彼らの前では自然と努力するようになる。
 しかしそれでも天才は1割程度なのだ。他の凡人や才能のない者は、私と同じように真面目に努力して、芸を磨く道を選ぶべきだ。天才の真似をしてはいけない。


【偉大な校長の真似はできない】
 さて、そんな天才の一人が1校で10年も校長をやっているのだ。これなら何でもできる。
「校則の全廃」「「服装や髪形の自由化」「ノーチャイム」「登校時間の自由」「定期テストもの廃止」「スマートフォンタブレットの持ち込みが許可」「教室外での自習も可」
 それは天才が10年、同じ学校の校長をやって初めて成し遂げられることだという点を肝に銘じておかなくてはならない。

 1990年の「神戸高塚高校校門圧死事件」の直後に全国で校則の見直しが行われた際、とにかく対応を急がなくてはいけないということで、校則が鉈で枝を切り払うように削減されたことがあった。
 課題は「多すぎる校則を減らすこと」で、減らしてもやっていける体制があるか、生徒の状況はどうか、地域の雰囲気はどうかといった話は二の次だった。
 
 その結果、多くの学校が荒廃し、生徒は暴力といじめと学習環境のなさに苦しむことになった。校長もその9割は天才ではなかったので、立て直すためにどれほどの無駄な時間とエネルギーがかかったことか。
 
 “誰もが楽しい3年間を過ごせる学校”にすること。
 その目標がいかに困難なものか、一度でも学校教育に携わったことのある者ならわかるはずだ。世田谷区立桜丘中学校の教育は理想だが、追求するにはそれだけの覚悟と才能がなくてはならない。


【桜丘中学校の今後】
 ところで西郷孝彦校長は65歳で10年目だという。
 東京都の人事制度には詳しくないのだが、とりあえず桜丘中学校では56歳から5年間普通の校長として勤め、そのあと再任用校長として5年間務めてきたということだろうか。
 一般的に教員の再任用期間は65歳までである。東京都では校長に限って無期限の任用ということなら別だが、そうでなければ今年度で退職となる。

 桜丘中学校、ここまで理想的に育ってしまった学校を引き継ぐ校長は、やはり天才でなければならない。万が一、現在の体制を維持できず、なくしてしまった校則を復活して登校時間や定期テストを復活するといったことになったら、その労力は半端ではない。子どもたちは“自由を奪われる施策”など大嫌いだからだ。
 ゆめゆめそのようなことにならぬよう、祈る。