元文科官僚が「不登校は学校に責任がある」と言っているけど、この人、在職中は何をしていたのだろう?

文科省の元官僚が、
不登校の原因は現在の政権が右傾化して、
上から抑えつけるような“押し付け道徳”を復活させたために、
学校が居心地の悪い場所になっているからだ、と言っている。
百万歩譲ってそうだとしても、
それは学校の責任ではないだろう。
という話。f:id:kite-cafe:20200111105410j:plain(「文部科学省文化庁スポーツ庁phtoACより)

 

記事

不登校は学校に責任がある」前川喜平桐野夏生と考える教育問題(2020.01.10  AERA.com )

(以下、抜粋)
桐野:学校に行きたくても行けなかった人がいる一方で、不登校も増えている。

前川:不登校に関しては、私は学校のほうに責任があると思うんです。今、学校がものすごく居心地の悪い場所になっている。例えば道徳が「特別の教科」として格上げになりました。教育勅語も安倍政権のもとで閣議決定まで行われていて、学校の教材として使っていい、ということになっている。さすがに公立学校で教育勅語を教材に使ったというケースは聞いていませんが、これから出てくる恐れはあります。森友学園の幼稚園では暗唱させていましたね。
 とにかく上から抑えつけるような“押し付け道徳”が復活してきていて、全体のために自分を捨てることがいいことなんだという滅私奉公みたいな考え方が復活してきている。

桐野:軍隊や企業とか、組織に従順であれ、という教育ですよね。それが家父長制の家族に結びついて、全く今の状況と合わないのに、なんでそんなアナクロニズムなことをするんでしょう。

前川:私はやはり今の政権を担っている一人ひとりが、自己肯定感を持ってないからじゃないか、と思う。自分に自信がない人っていうのはより大きなものにすがろうとしますから、強い権力や大きな権威というものと一体化することによって、実態のない安心感を得ているんじゃないかと。

桐野:大きなものというのは、つまり日本人であることですとか、日本国であるというナショナリズムに結びつくわけですね。

前川:だからヘイト的になったりするんじゃないかと。

桐野:「企業の一兵士として、企業のために働け」という発想が今なお残っていることが、大人の自己承認欲求が満たされないことにつながっていると思います。だから家で威張るようになる。すごく問題を生んでいます。

 

  まさかこの記事を鵜呑みにする人もいないと思うが、天下の元文部科学官僚が、天下の週刊朝日を使ってこのような発言をする、それを天下のYahooニュースが無批判に引用する――そんなことがあっていいのだろうか?

 これは現代のマスコミの低俗さという問題ではない。これだけいい加減なことを言っても騙される国民はいくらでもいると、バカにして挑戦しているのだ。
「どうだオマエら、こんなことも分からないんだろう」

 特別な教科道徳が始まったのは小学校で2018年、中学校では2019年、つまり昨年一昨年からのことだ。しかし不登校は1975年あたりから顕著になってきた、よくも悪しくも”歴史ある“問題である。我々は40年以上もこの問題と戦ってきた。

 それを前川喜平はいとも簡単に、
不登校に関しては、私は学校のほうに責任があると思うんです。
と言い、タイトルにも、
不登校は学校に責任がある」
と掲げる。

 見出しを見ただけで内容にまで進まない人は、
「ああやはり学校が悪いんだな」
と思い、読んだ人の一部は、
「ああ学校は息苦しい場になっているんだ」
と心に刻んで行ってしまう。

 百万歩譲って特別な教科「道徳」がつくられるような“押し付け道徳”の素地が、不登校の始まった1975年前後からつくられてきたとしても、原因が前川氏の言うように、
今の政権を担っている一人ひとりが、自己肯定感を持ってないからじゃないか
ということだったら、不登校の責任は今の政権を担っている人たちがとるべきであって学校ではない。

 ところで確か、不登校が明確な社会問題となってきた1979年に当時の文部省に入省し、2016年には事務方トップの次官にまで上り詰めたエリート官僚がいたが、彼は不登校の児童生徒数が14万人を超えた2017年に退官するまでの間、この問題にどう対処したのか、前川氏に調べてもらいたいものである。
 難しいことではない、記憶をたどるだけでいいのだから。

 そのうえで、なお、
不登校に関しては、私は学校のほうに責任があると思うんです。
と言えるとしたら、
オマエはとんでもないクズ野郎だ。