キース・アウト

マスメディアはこう語った

神戸市教委が「学校業務見直しの指針」を発表したが、必要なものを減らし、どうでもいいものを残すという錯誤は、どうして起こるのだろう。

 授業時数の確保と教職員の負担軽減のために、
 神戸市教委が業務見直しの指針を出した。
 
しかしよくもまあここまで、
 やめてはいけないものをやめ、
 
やめた方がいいものを残す計画が立てられたものだ。
という話。

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記事

神戸市、教員の業務軽減 動物飼育を縮小、通知表の所見欄廃止…
(2020/1/17 神戸新聞NEXT)

 新学習指導要領による授業時間数の確保と教職員の負担軽減のため、神戸市教育委員会は市立小中学校の業務見直し方針を策定し、16日までに各校に通知した。例として運動会を午前中だけの開催にするなど原則、学校行事を簡素化。ウサギや鳥といった動物飼育(小学校)は全校で段階的に縮小、成績通知表の「所見欄」(中学校)は廃止する。

 新学習指導要領が小学校で2020年度、中学校では21年度から全面実施されるのを前に、市教委は昨年5月から学校現場の声を基に検討を重ねてきた。

 業務見直し方針のうち、事前練習の負担が大きいとして原則、各校に簡素化を求める学校行事は、運動会のほか入学式や卒業式、音楽会、文化祭など。小学校でのスキー実習も段階的に廃止し、中学校では野外活動などは1、2年で計3泊する学校が多いが、計2泊以内を原則とする。

 さらに、毎年4月に全家庭を対象に実施してきた家庭訪問は、希望する家庭だけにするなど、原則として見直しを求める。

 全校で必ず取り組むのは、動物飼育の段階的な縮小のほか、夏休み中の水泳の補習廃止、夜間電話の自動音声対応への切り替えなど。学校で購入し、児童、生徒宛てに送っていた年賀状や暑中見舞いも、担任の負担が大きいとして取りやめ、成績通知表は小学校も項目を整理、簡素化する。

 市教委によると18年度、教職員の平均残業時間は小学校で月44時間、中学校で月62時間。(長谷部崇)

 

 市が発表した「神戸市立小中学校における教育活動等について(方針)」に対して、ど神戸新聞がういう立場を取っているのか全く理解できない記事だ。

 どう評価したらよいのかわからないのでいちおう事実を投げ出してみた、というところかもしれない。しかしこれはきちんと批判してもらわなくてはならない内容だ。なぜなら記事に、
市教委は昨年5月から学校現場の声を基に検討を重ねてきた。
とあるのに、教職員の声が反映した様子がまるで見えないからだ。
 現場教師はほんとうに「動物飼育を減らしたい」「通知票の所見欄はなくしてほしい」「運動会や音楽会を縮小してほしい」と言ったのだろうか。

 

【教師は校務の何に負担を感じているのか】

 少し古い資料になるが、2015年に全国1万人の教員を対象にして文科省が行った調査(2015文部科学省7月27日「学校現場における業務改善のためのガイドライン~子供と向き合う時間の確保を目指して~」)で、5割以上の教員が従事する業務のうち、負担感の大きいワースト5は、
「57.国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」
「52.保護者・地域からの要望・苦情等への対応」
「11. 研修会や教育研究の事前レポートや報告書の作成」
「45.児童・生徒、保護者アンケートの実施・集計」
「8. 成績一覧表・通知表の作成、指導要録の作成」
だった。(数字は71に分類された業務の番号。特に意味はない)
 いずれも教員の6割以上が負担に感じていて、「57.国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」などは9割近い職員が負担感を持っている。

 それに対して神戸市が縮小しようとしている学校行事については、
「5.学校行事の年間計画の策定、各種行事の企画」が負担だと答えた教員は小学校で33.3%、中学校33.0%。
「6.学校行事の事前準備、当日の運営、後片付け」については同じく小学校で32.5%、中学校で31.9%しかいない。

 あの悪名高い中学校の部活動も、
「24.部活動の活動計画の作成」が負担だという職員は39.0%。
「25.部活動の技術的な指導、各種大会(運動部・文化部)への引率等」も48.5%と、5割を切っている。

 ちなみに負担率5割を越えるもので、前述のワースト5以外のものは次のようなものだ。
「9 .週案・指導案の作成」
「23. 学期末の成績・統計・評定処理」
「26. 関係機関への申請・登録、大会申込み」
「28. 児童・生徒の問題行動への対応」
「29. 児童・生徒の指導に関する照会・回答」
「45. 児童・生徒、保護者アンケートの実施・集計」
「47. 会議のための事前準備、事後処理」
「48. PTA活動に関する業務」
「50. 地域との連携に関する業務」
「58. 児童生徒の在籍管理」
「59. 月末の統計処理や教育委員会への報告文書の作成」
「67. 備品・施設の点検・整備、修繕」

 一方、いかにも大変そうで、それにもかかわらず負担感の少ないものは、
「7.テスト問題の作成、採点」
「17.朝学習、朝読書の指導、放課後学習の指導」
「10.教材研究、教材作成、授業(実験・学習)の準備」
「14.職場体験、校外学習等の事前打合せ」
「15.学年・学級通信の作成、掲示物等の作成・掲示
「30.特別な支援が必要となる児童生徒への対応」
「31.児童・生徒、保護者との教育相談」
「34.進路相談、保護者進路説明会の開催」
「22.日々の成績処理(テスト等のデータ入力・統計・評定)」
など。

 一見してすぐにわかる通り、直接児童生徒に働きかけるもの、子どもの成長に欠かせないものは、どれほど大変でも負担感を訴えない(例えばテスト作成)のに対し、潜在的に「なくても何とかなるだろう」と思えるものは軒並み負担感が大きいのだ。
「57.国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」だの「45.児童・生徒、保護者アンケートの実施・集計」だの、あんなもの、なくても一向にかまわないと内心、本気で思っているのである。
(例外は「28 児童・生徒の問題行動への対応」だが、ときに内容が底なしで、徒労感の少なくない場合が多いといった事情もあるのだろう。どんなに誠意を尽くしても、うまくいかないときがある)

 

【神戸は何をしようとしているのか】

 そうした観点から改めて神戸市の取り組みを見てみると、縮小ないしは廃止すべきものとして挙げたものは、
「ウサギや鳥といった動物飼育」
「運動会のほか入学式や卒業式、音楽会、文化祭」
「小学校でのスキー実習」
 いずれも児童生徒に直接働きかけ、成長を促すものばかりである。言い換えれば、教師がやりたいこと、手放したくないことは縮小する。

 夜間電話の自動音声対応への切り替えも、一見教師の負担を減らしそうだが実は逆である。普通の教師は、情報が毎日12時間以上に渡って遮断されているという状況に耐えられない。

 電話さえ取らなければ以後一切問題が持ち込まれないというならいいが、金曜日の夕方に聞いておけばよかった話を月曜日に持ち込まれても手の施しようがないだろう。
「危機管理のさしすせそ」は「最悪の事態を考え」「慎重に」「すばやく」「誠意を持って」「組織的に」である。三日も放置された問題に、”素早く誠意をもった対応”などできるはずがない。”慎重に行う”には失われた時間は長すぎ、”組織を動かす”暇もない。

 また、心ある教師なら、今日あった子どもの素晴らしい様子を、その日のうちに保護者に伝えたいと思う。その日のうちに伝えておけば、親はその日のうちに子どもを誉め、子は気分がよくなり、親子関係が良くなるとともに教師への信頼も厚くなる、そういうことを知っているからである。

 学校の電話が遮断されるとなると、教師は自分の携帯番号を親に知らせなければならなくなるだろう。「お宅のお子さん、今日、こんな素晴らしいことがありましたよ」という話を、非通知で電話する教師もいないからその瞬間に番号を取られてしまう。
 かくて教師は24時間、保護者に捕捉されてしまう。夜間、学校で電話を取ってもらえば遅くとも平日は9時以降、土日も自由でいられたものを――。

 年賀状や暑中見舞いについても言いたいことがあるが、長くなるので別の機会に話そう(それにしてもこれまでハガキ代を学校に出してもらっていたのは羨ましい)。

 

【英語やプログラミングのために何を棄てたのか】

 学校に持ち込まれるものに悪いものはない。子どもと日本の将来を考えれば、国語も算数数学も理科も社会も、英語も小学校英語も図工・美術も技術家庭科も、音楽も、体育も、道徳も部活も、総合的な学習の時間も特別活動も、ぜ~~~~んぶ良いもので大切なものだ。
 ただ問題なのは、もうカリキュラムが満杯で、時間的に入れ込んでいかないということだ。したがってあとは優先順位をつけ、より重要なものを入れて、不要なものを抜くだけである。

 今回の学習指導要領改訂によって、小学校英語とプログラミング学習と特別な教科道徳が最優先で入った。
 では何を抜くか。

 神戸市教委はひとつの基準を示した。
「ウサギや鳥といった動物飼育」を外して、「もう“命の教育”はほどほどでいい。道徳の時間に教科書で学ぶ程度で構わない」という宣言した。

「運動会のほか入学式や卒業式、音楽会、文化祭」を縮小するのは「地域との連携や人間関係づくり、仲間との協力や計画性・実行性、ひとと一緒にものを作り上げていくという過程の学びも、これからは教科書を中心にやっていこう」というサインだ。

 それはまるで運転免許を取るのに学科のみで実地教習をしないこと、あるいはゴルフのプロテストを受けるのに入門書を山ほど読んでクラブを一度も握らないことと同じと言えるが、英語やプログラミングの重要さを考えれば、人間教育などという手間のかかることはしないでいい、ということになるのだろう。少なくとも神戸においてはそうだ。

(参考)

学校に動物がいることは子どもが動物と触れ合う大事な機会です。学校での動物の世話や触れ合いにより、学校で過ごす時間が楽しくなったり、人や動物への共感性が高まったりすることが、学校動物に関する研究で確かめられています。/動物との接触から生じる児童へのリスクを恐れるあまりに、学校での動物飼育がなくなっていくと、抱いて温かく、愛着を感じやすい「鳥・哺乳類」と触れ合う機会が子どもの生活から失われてしまう。/動物との触れ合いを通して、“命の大切さや思いやりを学ぶこと”と“教員の負担の軽減”。これらをどうすれば両立できるのか。「学校での動物飼育」は今、曲がり角に来ていると感じます。

 

【やめるべきものはいくらでもある】

 ところで、教師の働き方改革というとき、なぜ教員が一番ムダでやめたいと思っていることをやめてくれないのだろう。

 日常の学習との関連性の薄い全国学力学習状況調査(全国学テ)。

 もう形ばかりになった教員評価、
 保護者による学校評価
 児童・生徒による担任評価。

 お前はバカだから金を出して勉強しなおせという免許更新制度。
 はっきり言って女性教諭は除外してもいいコンプライアンス講習。
 報告書ばかり書かされるその他の研修。

 何のためにあるのかわからなくなった学校評議員制度。

 子ども自身に向かわない、子どもの向上に資さない、どうでもいい制度はまだまだいくらでもある。

 

(付記)

 学校で購入し、児童、生徒宛てに送っていた年賀状や暑中見舞いも、担任の負担が大きいとして取りやめる

 では担任は以後いっさい年賀状を書かないか、子どもから届いても返事を書かないのか――もちろんそんなことはないだろう。あとは自腹でやってもらうしかない。

 ただし職員全員が書かなから、却っていいということもある。
「いまはプリンターで枚数指定をすればいいだけだから、出すとなったら1枚も30枚も同じだ。住所録はすでに4月の段階でコンピュータに入力してある。自腹となった3000円は痛い出費だが、そうなれば出さない担任はアイツとアイツと、アイツだ。その分、差がつけられる。
『あ~ら、お宅の担任の先生、年賀状くださらなかったの? うちの先生はくださったわよ。やっぱり子どもに対する熱意が違うのね』
 保護者の信頼を勝ち取るというのはそういうことだ」
 そんなふうに考えてせっせとハガキづくりに励む教師もいる。私はそういうタイプだ。