キース・アウト

マスメディアはこう語った

ひっそりと、神戸・教員いじめ事件の処分が下りた。

 新型コロナウイルス騒動の陰で、
 ひっそりと、神戸・教員いじめ事件の加害教員の処分が下った。
 
懲戒免職2名、他に3カ月の停職、減給。
 教員としては決して軽い罰ではない。
 しかし私にはひとつの心残りがある。
という話。

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(「神戸市役所からの風景」フォトACより)
 

記事

激辛カレーなど教員間暴行の加害教員4人処分 神戸市教委
2020.02.28 神戸新聞

 神戸市立東須磨小学校(同市須磨区)の教員間暴行・暴言問題で、市教育委員会は28日、加害教員4人のうち、外部の調査委員会から悪質なハラスメント行為を多数認定された30代男性2人を懲戒免職とし、40代女性を停職3カ月、別の30代男性を減給10分の1(3カ月)の処分にした。

 管理職では、パワハラが認定された前校長を停職3カ月、一連の問題に適切に対応できなかった現校長を減給10分の1(3カ月)、前々校長を戒告とした。

 また、調査委の報告書で「ハラスメントと評価しうる」行為が分かった別の40代女性は文書訓戒とした。

 

 北海道で新型コロナウイルスに関する緊急会議が始まった直後の17時45分、ネットの片隅にひっそりと載った記事で危うく見過ごすところだった。

 意外に思ったのは30代の男性教諭2人が懲戒免職になったのに対し、週刊誌等で“女帝”と揶揄された女性教諭が停職三か月で済んだことだ。もっとも処分は具体的事実に基づいて行われるものであって、実際の暴力案件はこの女性の場合、他の二人との間に大きな差があったのだろう。
 いずれにしろこれで幕引きは終わったと言える。

 刑事事件にはおそらくならない。
 あの程度の暴行をいちいち裁判にかけていたら、裁判所はたちまちパンクしてしまうからだ。
 また、教員の懲戒免職は軽い罰ではない。教員免許が取り消されてしまう。
 セールスマンは懲戒解雇になっても他の場所でセールスを続けることができるし、エンジニアも職場を変えて同じ仕事をすることができる。しかし教員は免許をはく奪されればもう二度と教壇に立てないのだ。
 したがって仮に裁判になったとしても、社会的制裁は十分に下されたものとみなされるに違いない。重い罪に問われることはないはずだ。

 

 別記事(「停職の教諭らに指導させず」と神戸市教委)には、
 神戸市教育委員会は28日、教諭いじめで停職や減給処分を受けた市立小の加害教諭2人を学校現場以外へ異動させ、当面は子どもの指導をさせない方針を明らかにした。(2020.02.28 KYOUDO)
とあった。

 普通、教員が学校以外で働くといったら、出世コースに乗って都道府県教委や市町村教委に入ることを言う。しかし免職にならなかった二人がその流れに乗るはずもなく、どこかに無理やり閑職を用意し、自主退職してもらうよう仕向けているのだろう。
 4人とも優秀な教員だっただけに、返す返すも、残念なことである。

 もちろん一義的にはこの4人の罪が一番重い。
 しかし雰囲気に流されていく学校全体を指導しきれなかった三人の校長の罪も重く、心情的には、私の気持ちは元校長・現校長の罪を問う立場に傾いていく。

 さらにもうひとつ。
 私には世間に受け入れてもらえそうにない、ひとつのこだわりがある。

 それは被害教員が、元校長に訴える以外に自分の人権を守るための戦いをしたのだろうかということである。
 もちろん報道の偏りのために、その部分が十分に掘り起こされなかったという面もあるのかもしれない。しかし子どものいじめではないのだ。

 私は大人の社会に“いじめ”という言葉が入るのを好まない。なぜなら基本的人権というものは天から与えられ、誰かによって守られるものではないからだ。

 それは先人が血と汗と涙で獲得したものであり、私たちが命に替えても守らなければならないものだ。その力の十分に育っていない子どもは、もちろん大人や周囲の子どもたちが守ってやるにしても、大人はまず、自分で自分を守る努力をしなくてはならない。

 被害教員はそうした努力をしたのだろうか?
 加害教員をつけ上がらせたり、罪の意識を鈍麻させたりするような、対応の甘さはなかったか?

 そのことがいつまでも疑問なのだ。

 彼は精一杯抵抗し加害教員の非を打ち鳴らしたが、しかしどうしてもかなわなかった――そういう記事があって私が見落としていただけなら、むしろ幸いである。