校則でツーブロックがダメな理由は何かという質問が、東京都議会で出されたらしい――しかし、そんなの簡単だろ?

東京都議会で「都立高校の校則で、ツーブロック(段差ができるような髪型)が禁止されているのはなぜか」という質問が出たという。
それに教育長がうまく答えられなかったとかでSNS上は大笑い。
私もそう思う。ツーブロックがダメなのは事件や事故に遭うからではない。

ダメなものはダメだからだ。

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記事


事件に遭うからツーブロック禁止? 都立高校の校則に「意味不明」「データはあるのか」と批判殺到

2020.07.14 BazzFeed

「都立高校の校則、なぜツーブロックはダメなのか」

共産党・池川友一都議会議員Twitterに投稿した動画が230万回以上再生され、話題になっている。

Twitterでは「本当に意味不明なルールってあるんだな」「ツーブロックで、事件や事故にあうデータがあるのでしょうか」といった批判や疑問の声があがっている。

(中略)

今回、話題となっている動画は以下の答弁についてまとめたものだ。

3月12日の東京都予算特別委員会で共産党の池川都議が東京都の藤田教育長に校則に関して、質問した。

池川:校則を見ていると、ツーブロック禁止という校則は一定数あります。ツーブロックは、かなり広い定義の髪型として今、定着していると考えます。

それを全体として禁止していることについて、何で禁止をされているのかという声がたくさん寄せられています。実際に、そのことによって指導を受けている生徒もいらっしゃいます。なぜ、ツーブロックはだめなんでしょうか。

藤田教育長:先ほども申し上げましたが、校則は、生徒が健全な学校生活を営み、よりよく成長していくことができるよう、必要かつ合理的な範囲で定められた学習上、生活上の規律でございます。

お尋ねの髪型につきましては、それを示している学校もございますけれども、きちんと類型を示しまして生徒に伝えているところでございまして、その理由といたしましては、外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます。

(中略)

この質問を行った池川都議はBuzzFeed Newsの取材に対し、「校則を決めるときに、生徒の声がほぼ聞かれていない。それが、一番の課題です」と語る。

「多くの学校で、髪の毛は染めてはいけない、ピアスはダメと細かく定められている。そして、現場の教員はそれをとにかく守らせることに力を尽くしています」

「3年間我慢すれば良いと思っている生徒も少なくない。学校も『これを破れば進路に関わる』『この学校では決まっているから』と明確な理由もないまま、とにかく従うように伝えているケースも多いのが現状です」

文科省は最終的に校則を決めるのは校長の権限であるとしています。ですが、会社であれば社長が最後に決めるとしても、その過程でいろいろな意見を聞くのではないでしょうか。校長が一方的に校則を押し付けて良いということにはなりません」

(中略)

「大人の世界ではツーブロックは非常にスタンダードな髪型です。清潔感のある髪型と言っても良い。そうであるにもかかわらず、学校では禁止されています。しかも、その理由は目も当てられないものです」

「事件や事故に遭うのを防ぐためという理由は、意味不明です。髪型が理由で事件・事故に遭うことなどあるのでしょうか? これは完全なミスリード、根拠のない校則だと思います」

(中略)

池川都議は、都議会での質疑の目的を「校則は大人によって変わるものでなく、子どもたちの意見を聞いて変わっていくものだと伝えること」だったと語る。

「これを機に、校則は変えていけると知っていただきたい。今あるルールを受け入れることが全てではなく、ルール変えていくこともできるのだと議論になればと思います」

 

  藤田教育長も苦労した。しかし本音で語らぬ答弁は人の失笑を引き起こす。無理にひねり出した理屈はしっかりと筋が通って行かないから突っ込まれるのだ。
 藤田氏も教育長である以上、きちんと言えばよかったのだが、きっと言えない事情があったのだろう。ただし私なら言える。私が教育長だったらきっと本音で、こんなふうに語るだろう。

『えー、池川委員に私の方からお答えします。
 学校においてツーブロックはなぜダメなのか、というお問い合わせでしたが、それは現在、ツーブロックが若者間で流行しているからなのです。流行っているものでなければ、それがチョンマゲであろうがスキンヘッドであろうが――もちろん一応は中高生の身だしなみとしていかがなものかと指導はしますが――禁止はしません。けれど予想に反してチョンマゲが流行の兆しを見せるようでしたら、やはり禁止の方向で考えることになるでしょう。

 委員はここで、“なぜ流行りのヘアスタイルはダメなのか”と首を傾げられることと思います。しかしそれはいわば信仰の問題なのです。神様が許さないのです。

 もちろんここでいう神様というのは宗教上のものではなく、いわば学問の神と言っていいような汎神論的な神様です。

 具体的に言えばまず、学問そのものをつくり上げた人々です。
 ユーグリットやアルキメデスソクラテスプラトン、レオナルド・ダビンチ、ニュートンパスカルエジソンアインシュタイン。日本人で言えば外国語を日本語に翻訳した福沢諭吉西周森有礼。遡って俳諧を大成した松尾芭蕉国学本居宣長、あるいは国語の教科書に載っているような名文を書いた作家たち――ちょっと考えただけでもいくらでも出てきます。

 しかしさらに大切なのは、何の結果も出さず業績も残さず、しかも生涯を学問に捧げた無名の先人、神様たちです。彼らの多くは洗うがごとき赤貧に耐え、死の恐怖に怯え、また実際に殺されるような目にあいながらも、決して学問を棄てようとはしなかったのです。
 西洋なら錬金術師、中国なら最後まで合格できなかった科挙受験生、日本で言えば井上靖の「天平の甍」に出てきた業行のような留学僧です。


 第二の神様たちは学校制度をつくり、学校を支えた人々です。
 日本で言えば学制発布に関わった政府の人々はみな神様ですし、県の端々、村の隅々まで熱心に回って子どもを学校の出させた県令(県知事)、市長・村長、校長、教員たち――、この人たちも今となっては神様のような人たちです。
 西部開拓時代のアメリカで、一番殺されやすい職業は教員がだったと言われています。それは彼らが働き手である子どもを、学校につれていこうとしたからです。
 革命直前のロシアではたくさんの貴族の子弟が、貧しい農民の教育に当たろうと地方に下りました。ナロードニキ(人民のなかへ)と呼ばれる彼らは、やがて社会主義者として次々と投獄され、多くが獄中で死にました。
 日本では梅田雲浜吉田松陰が学問に殉じた人として記憶されますが、さすがに子どもを連れ出したという理由で殺されるようなことはありませんでした。

 それどころか地域の人々が金を出しあって学校を建て、教員を誘致したといった話が、日本全国にいくらでもあります。豊かな者は豊かなりに、貧しい者はわずか一銭なりとも金を出して学校を建てようとした――その無名の人々も学問の神様です。現在ある学校の多くがそうした伝統をもって今日まできているのです。

 三番目にご紹介するのは、今も生きておられる神様たち――東京の納税者の皆さまたちです。
 ひとつの学校が一年を通してつつがなく運営されるためには莫大な金がかかります。一人あたりで言いますと東京都の場合、小学生で年間およそ100万円、中学生だと130万円もの公費が投入されているのです。これはすべて都民の血税によるものです。

 私の家にはもう就学している子どもはいません、そもそも子どもはいませんでした、まだ結婚前ですから学校は関係ありません、だからその分の税金は払いません、などという人はひとりもいませんよ。
 一人の子どもを小学校から高校を卒業させるまでのあいだに、都民は学校教育だけで1500万円もの税金を使ってくれるのです。その方々が現代の学校の神様、生き神様なのです。

 そうしたすべての神様のことを考えたとき、私は学校で教師や生徒たちがバカをやっていることが許せないのですよ。
 すべての学徒は精励刻苦を尊び、蛍の光、窓の雪で学ぶことが期待されています。実際にそうした苦しい勉学ができるとは限りませんが、目標はそうでなくてはならないのです。
 学問の神様のことを考えると、児童生徒が「奢侈淫佚」「遊惰放蕩」に溺れるのはほんとうに切ない。流行に流されてちゃらちゃらしているようでは心底、恥ずかしく、情けないのです。

 先生たちは日々それを意識しているわけではありませんが、伝統として、教師の世界に脈々と流れています。学校にはアカデミズムがなくてはならないのだと。
 流行を追って朝夕に髪を逆立てて、休み時間のたびに鏡に向かってそれで苦しい勉学など続けられるはずがない――そう考えるのが学校の文化なのです。

 学校に来ていいのは児童と生徒・学生だけです。学問をする意思のない“単なる子ども”は学校に来てはいけない。だからツーブロックはダメなのです。

以上!』

 ただし、
 大切な議会の質問時間を学校問題に当ててくれた議員を、公衆の面前でギャフンと言わせたり煙に巻いたりしていいことはなにもないだろう。下手をすると江戸の仇を長崎で討たれる。
 だから私もここは「隠忍自重」。バカのふりをして、
「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」
 みたいなことを言って叩かれて終わりにするだろう。
 それが大人の知恵というものだ。
(いい加減な子どもを育てたのでは納税者に申し訳ないという気持ちは、いつもあるのだがね)