キース・アウト

マスメディアはこう語った

小学校5,6年生が教科担任制になるかもしれないといっても、教師にとって何もいいことはないのかもしれない

 中央教育審議会が小学校5,6年生を教科担任制にしようと言い出した。
 悪いことではない。
 しかし新たに専門の先生が来てくれるなどと、ゆめゆめ期待してはいけない。
 文科省が正規に教員を増やすなんて、今まで一度もしたことがないのだから。
という話。

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記事

小学5、6年に教科担任制案 22年度から 授業の質向上など狙う 中教審
(2020.08.20 毎日新聞

mainichi.jp 小中学校や高校の教育のあり方を検討している中央教育審議会の特別部会は20日、2022年度から小学5、6年生で「教科担任制」を導入する案を示した。専門性の高い教員が教えることで授業の質を高めることに加え、教員の負担軽減につなげる狙いもある。対象の教科として、小学5、6年で20年度から正式教科になった英語のほか理科と算数を例示した。

 教科担任制は特定の教科を専門に担当する教員が複数の学級で教える仕組みで、中学校や高校で導入されている。一方、小学校では教員免許が教科ごとに分かれていないこともあり、担任教員が自分のクラスのほとんどの教科を受け持つ「学級担任制」が主流だ。

 20日に示された案は、小学校高学年で学習内容が難しくなることを踏まえ、「中学校への円滑な接続を図ることが求められる」と指摘。「教科指導の専門性を持った教師によるきめ細かな指導を可能とする教科担任制により、学習内容の定着度の向上と学びの高度化を図ることが重要」と教科担任制の導入を求めた。導入すれば1人の教員が担当する授業時数が減り、教員の負担軽減につながることもメリットに挙げた。

 導入に向けては人材の確保が課題となる。特別部会は、教員を目指す学生が小中学校の両方の免許を取得しやすくしたり、現職の中学教員が小学校の免許を取りやすくしたりする制度改正を求めた。「必要な教員定数の確保に向けた検討の具体化を図る必要がある」と定数改善の必要性にも言及した。【大久保昂】

 

 一般の人で教職員配置表を見たことのある人は少ないだろう。学校の規模に応じて、先生を何人置くかという基準を示した表である。

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学級編制及び教職員定数に関する資料 - 文部科学省より)

  パッと見、すぐに首を傾げるのは0.75とか0.5といった表記である。これは教師の「首から下だけ」とか「左半分」といった意味ではなく、4校で3人、2校で1人といったことである。
 “4校あるいは2校で掛け持ちにしろ”という意味にも取れるが、近くに同じ規模の学校が4校も揃うなどそうあることではない。0.75や0.5は「政府はその値に応じたお金を出しますよ」という、その程度の意味だ。

 公立小中学校の教員給与は都道府県が出すことになっている。しかしその三分の一は国庫が負担するため国は基準を示す必要がある。それがこの配置表で、都道府県教委はこれに従って独自の配置表を作ることになる。もちろんその際0.75や0.5は整数に置き換えられなくてはならないのだが、やれることは小数点以下の部分を自腹で補うことくらいだ。
 一般論で言えば3学級の小学校の「担任外0.75」には都道府県費で0.25補い、「1」として教頭をおくことになる。他も同様である。もちろん地域の状況次第で2校兼務ということもあれば、予算潤沢な自治体ではもっと増やすこともある。都道府県あるいは市町村が自腹で教職員を増やすことについては、文科省はまったく寛容なのである。
 さて、そこで上の記事だ。

 過去の経験から、私は文科省がこの配置表を容易に動かさないことを知っている。背後にあるのは教職員定数法(正式には「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」)で、これを動かして増員したりするととんでもなく予算がかかるうえ、それが未来永劫続くと分かっているからである。

 上の記事で、
「必要な教員定数の確保に向けた検討の具体化を図る必要がある」と定数改善の必要性にも言及した。
中教審が「言及」に留めたのは、「言ってもしょうがない」と承知しているからである。どう叫んでも文科省が教員の数を増やすことはない。

 では定数法もいじらずにどうやって算数や英語の専門教師を増やそうというのか――。
 そのヒントは記事の中にある。

 特別部会は、教員を目指す学生が小中学校の両方の免許を取得しやすくしたり、
 現職の中学教員が小学校の免許を取りやすくしたりする制度改正を求めた。

 つまり小学校の免許と同時に数学や理科・英語の免許をもった教諭を大量に入れて、相互に授業を交換しあえばいいというわけだ。数学の免許をもった先生は、自分のクラスが理科の時間になったらその先生のクラスに行って算数を教える。英語も何とか組み入れよう。そうすれば、
 専門性の高い教員が教えることで授業の質を高めること
になる、そういう理屈だ。
 しかしそれで、
 教員の負担軽減につなげる
 ことになるのか――。
 もちろん、なる。数学の免許をもつ先生は慣れない理科を教える負担を免れるからだ――たぶん、そういうことだろう。実際にはちっとも楽にならないのに。

 政府が「小中学校の各校に一人の司書教諭を配置する」と決めたあと、国語を専門とする教師の多くが司書教諭の免許を取らされ、採用試験でも司書教諭免許を持つ受験生が有利と言われるようになった。
 「各校に自律支援コーディネーターを配置する」と決めたときも、特別支援教育の免許を持つ教員、副校長や教頭、生徒指導担当あたりが講習会に行かされ、薄っぺらな受講証明書をもらって帰ってきた。私もその口だが、校長に頼まれて受講したばかりに仕事が増えて困った。

 文科省が政治家に突っつかれてやることなんてそんなものだ。
 何が、教員の負担軽減につなげるだ。

 1週間あたりの算数と理科と英語の時数は違うから、これをうまく組み合わせるのは容易ではない。地方自治体ごとに予算や教育に関する考え方は異なるから、そこは都道府県教委や市町村教委にしっかりと考えてやってもらうしかない――と逃げてお鉢が教育委員会に回ってくる。
 あとはよろしくと言われても、そんな難しいやりくりはうまくいきっこないから、自治体は泣く泣く自腹で算数や理科の講師を雇ってくれるかもしれない。
 私たちはそれに期待しよう。文科省の本音もそこにあるのかもしれないのだから。

 本来はマスメディアも、そこまで突っ込んで取材・報道してほしいところだが――。