「正しい行いは訓練しないとできない」という、当たり前のことを専門家に説明しなくてはならない悲しさについて

 なぜ学校の掃除を、子どもがやらなければならないのか分からない人たちがいる。
 もちろんそれがマスコミ関係者や保護者だったら素人だからかまわないが、
 教師や教育評論家だったらマズイだろう。
 特に後者は、なまじっか影響力を持つだけに、捨てておくわけにはいかない。
という話。

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(写真:フォトAC)


記事


学校の掃除ってなんで子どもがやるの?
(2020.09.29 NHK)

www3.nhk.or.jp
ほうきやちりとり、それにぞうきん。多くの人が小中学校時代に一度は経験したことがある学校の掃除。海外では、専門の業者などが行う国もありますが、なぜ日本では子どもたちが行っているのでしょうか。新型コロナウイルスの広がりもあっていまネット上で議論となっています。
(ネットワーク報道部記者 目見田健 秋元宏美 高杉北斗)

【掃除をめぐって激論】
「学校教育の掃除時間、マジで掃除機を導入しませんか?1日の勤務時間がパツパツで、給食時間も休憩時間も余裕なし。」
こうツイートした九州の中学校で働く30代の教員に話を聞くことができました。

真由子さん
「学校では業務が増えることはあっても減ることはありません。新型コロナウイルスの影響で放課後に教室やトイレの消毒の業務も増え、教員はさらに多忙になっています」

この教員は、時間が限られる中で「今よりも効率的に業務を進めるためにはもう掃除の時間の見直しくらいしかない」と感じているそうです。

コロナ禍で一部の学校で、子どもたちによる掃除を縮小したり一時中止したりする動きも出る中、このつぶやきをきっかけに子どもが掃除を行う意味やその必要性について、保護者などからも多くの意見が出ています。
掃除ロボットでよくないですか」
「掃除の業者を雇えばいいのに・・・」
「ほうき、ちりとりの正しい使い方は1度は学んでほしい」
「みんなで行うことによって責任感や協調性が身につき主体的になるというのが狙いなのでは」

(中略)

文科省に聞いてみた】
そもそも、なぜ日本では子どもたちが毎日、小中学校の掃除をしているのでしょうか?文部科学省の担当者に話を聞いたところ、意外な答えが返ってきました。
「実は毎日の掃除に関しては明確な根拠はないんです」
えっ明確な根拠がない・・。
さらに聞いてみると文科省が定めている学校カリキュラムの基準、「学習指導要領」を解説するページに、少しだけ記述があるだけだそうです。

「清掃などの当番活動や係活動等の自己の役割を自覚して協働することの意義を理解し、社会の一員として役割を果たすために必要となることについて主体的に考えて行動すること」。

つまり、学校をきれいにするのが目的ではなく、あくまで社会性を身につけてもらうのが狙いなんです。

(中略)

【目的・狙いがあいまいでは?】
子どもたちによる学校掃除については、専門家からもさまざまな意見が出ています。

「不思議な慣習だと思います」
学校の業務改善アドバイザーで教育研究家の妹尾昌俊さんは学校の掃除について疑問を感じているといいます。

「サッカーの試合のあと日本人サポーターがゴミ拾いをしている光景が海外から称賛されるなど街なかにゴミが少ないことは清掃指導の効果かもしれません。だからといって毎日・強制的に子どもたちに掃除をさせる必要があるのでしょうか」
さらに妹尾さんは掃除の目的や狙いがあいまいだと指摘しています。

「きれいにするのが狙いなら、ほうきとちりとりではなく掃除機を使えばいいですし、業者を雇ってもいい。子どもたちの心の教育が狙いなら毎日やることは疑問で、家庭科や道徳の授業の一部で行えばよいと思います。毎日、掃除をする効果がどれほど出ているのか検証もなされないまま、なんとなく続けるのは疑問です」と話しています。

(以下、略)

 

【若い教師をしっかり育てたい】
 なぜ学校の掃除を子どもがやらなければならないのか――。
 NHKの放送記者や児童生徒の保護者が学校清掃の意義を知らなくても構わない。しかし教育の専門家、教員や教育評論家がこんな基本的なことを理解していないとしたらやはり問題だ。

 ツイッターで最初に問題を投げかけた九州の30代の教員とやら、おそらく現場に10年以上もいると思うが、そんなことも知らずに今日まで来たのか、誰も教えてくれなかったのか、どこの大学で教育を学んだのだ、現在の勤務校の管理職はいったいなにをやっているのだ。

 学校教育における清掃の重要性はついこのあいだ話したばかり(*1)なので繰り返さないが、あんな長い文章は読めないという人のために、動画をひとつだけもう一度載せておく。

www.youtube.com 文科省は国内向けにはさっぱり広報しないが、海外に向けてはきちんと説明しているので、たった4分10秒だ、少し我慢して勉強してくれ。

 *1

kieth-out.hatenablog.jp

【この男、正気か?】
 しかし今日、問題としたいのは清掃の重要性ではなく、教育評論家の質についてだ。天下のNHKがご意見を伺うほどの人が、この程度の見識しかないということが私には理解できない。

 学校の業務改善アドバイザー 妹尾昌俊という人がどういう人なのかよく知らないが(本当はよく知っている)、NHKの記者が足で稼いで、
つまり、学校をきれいにするのが目的ではなく、あくまで社会性を身につけてもらうのが狙いなんです。
との結論を得たあとで、
妹尾さんは掃除の目的や狙いがあいまいだと指摘しています
などと紹介されて恥ずかしくないのか。

きれいにするのが狙いなら、ほうきとちりとりではなく掃除機を使えばいいですし、業者を雇ってもいい。
 
こんな部分が引用されて情けなくないのか? 悲しくないか?

 掃除機を使えばいいといったって、雑巾がけをしたり台拭きをしたり、トイレ掃除をしてくれる掃除機を、不幸にして私は知らない。ならば業者を雇ってもいいと気軽に言うが、仮に100人の生徒が15分かかってやる清掃を業者に依頼したらいったいいくらかかると思うのだ?
 のべ1500分(25時間)の清掃だ。時給1500円として1日3万7500円、授業日数を年200日と考えるとそれだけで700万円だ。床のワックスがけだとか学期ごとの大掃除は別料金になるだろう。
 それだけ金があるなら私は講師を二人雇いたい。多忙に苦しむ普通の教員なら、一も二もなく私に賛成してくれるだろう。

 しかし私が妹尾氏の資質を問題とするのは、この人の、こうした学校の現実に関する無知や経済観念のなさのためではない。
子どもたちの心の教育が狙いなら毎日やることは疑問で、家庭科や道徳の授業の一部で行えばよいと思います。
毎日、掃除をする効果がどれほど出ているのか検証もなされないまま、なんとなく続けるのは疑問です
という教育の本質をまったく理解していない二つの発言のためなのだ。


【人は、頭で理解したことは実践できるものなのか】
 これは人間を、
「頭で理解すれば実践に移せるもの」
と考えるのか、それとも、
「わかっちゃいるけどやめられないダメな存在」
と考えるのか、という人間観の問題だ。
 私は後者である。私自身が年じゅう、閉め切りが分かっているのに間に合わなくなったり、これ以上はダメだと知っていながら飲みすぎたりしているからだ。それが人間ではないのか?

 そんな私からすると、
子どもたちの心の教育が狙いなら毎日やることは疑問で、家庭科や道徳の授業の一部で行えばよいと思います。
というのは教育に対する恐ろしい無知である。

 私たちが清掃活動の中で身に着けさせようとしてきた、
「ものを大切にし、感謝する心」
「自分の遣った場所は自分できれいにすることを当たり前と感じられる心」
「与えられた仕事はきちんと果たすという責任感」
「時間内に作業を終えるための見通しを立てる力」
「黙って仕事をする忍耐力」
「よりよい清掃をめざそうとする向上心」
「すみずみまで美しくしようと心がける気配り」
 その他もろもろの価値を、家庭科や道徳の授業の一部で行えば獲得できるという人間性への異常な信頼、それが私には恐ろしい。

「人間は頭で理解すれば実践に移せるもの」
という考えを裏返せば、
「理解したのに行動に移せないのは人間ではない」
という傲慢さしか見えてこないからだ。

 記事の省略した部分には清掃中の私語を禁じる“無言清掃”を推進する福井県永平寺中学校が出てくるが、担当者の言葉として、
「無言で掃除をすることが目的ではなく、1日のうち15分間だけでもいいので、静かな心で自分自身と向き合い感謝の心や心地よさを感じてもらうのが目的です」
というのがあった。
 妹尾氏の言葉はそうした真摯な取り組みを愚弄するようなものだ。
「授業で扱えばできるようになるのに、なんで毎日、実際にやってみなくちゃいけないわけ?」
「何時間も何年間もかけて訓練するなんて、それじゃあバカじゃない」

 だが、そうしたバカな訓練をして初めて、大災害の被災地で水や食料をもらうために辛抱強く列の後ろに並んで何時間でも待つことのできる人間は育つのだと、教師たちは思っている。
 避難所の運営を自主的にできるのも、毎日毎日(幼稚園も入れれば)10年以上に渡って、清掃や当番活動、児童・生徒会、運動会や文化祭、修学旅行などを通して協働や分担、責任や共助を訓練してきたからだと教師たちは信じているのだ。


【学校教育に科学的根拠は期待できない】
 さらに、
毎日、掃除をする効果がどれほど出ているのか検証もなされないまま、なんとなく続けるのは疑問です。
と、教育効果の検証を求める態度も教育を真面目に考える者の態度とは言えない。そもそも、
毎日、掃除をする効果がどれほど出ているのか
の検証を、妹尾氏はどうやったらできると考えているのだろう。

 同じ中学校の1組は毎日掃除をし、2組は週3回、3組は週1回しかしないというようにして、3年後、修学旅行先でどの程度きちんとした掃除ができるかを比較する――そんなふうにやるのだろうか? 学校ごと掃除をやるところと業者任せにするところとに分けて試すのか? あるいは質問紙などつくって統計的に測るというのだろうか?

 私は学校教育の成果について科学的根拠を求めることはできないと思っている。できてもごくわずかな領域でしかない。

 清掃で言えば、教師たちが“毎日やることに価値がある”と考えている限り、3組だけ週1回で終わらせることはできない。生徒は実験材料ではないのだ。もしそれで3組の結果が悪かったらどう責任を取ればいいのか。

 逆に、私たちが“毎日掃除をやることに意味はない”と考えているとしたら1組をムダに働かせたことになる。そうなると教師と生徒の信頼関係に重大な傷が生じる。

 さらに言えば、子どもの成長には要素が多すぎて、「学校で毎日清掃をするか否か」の1点だけで道徳性が育ったかどうかを確認することなど、とうていできはしないのだ。その子の育ちから、清掃以外の要素を排除することはできない。

 妹尾氏自身、こう言っている。
サッカーの試合のあと日本人サポーターがゴミ拾いをしている光景が海外から称賛されるなど街なかにゴミが少ないことは清掃指導の効果かもしれません。
 
私もそうだと思っている。日々の清掃や旅行行事での「来た時よりも美しく」がああした人材を育てている。しかしこれも科学的に証明することはできない。

 教育は経験の学問であって、
「これまで効果があったと思われるから効果があるのだろう」
という推論の上にしか成り立たっていないのである。
 もし妹尾氏が教育効果の検証をもって教育の要不要を論じるなら、「いちおう成果があるらしい清掃」ではなく、「まだいちども試されたことのない小学校英語やプログラミング教育」の方にこそ噛みついてもらいたい。

 小学校から英語を学べば日本人の英語力が高まるかどうかなんて誰も知らない。私のような頑固な英語嫌いが、私より低年齢から生み出されるのかもしれないし、高校3年生の時に開いていた英語力の差が、さらに大きくなるだけなのかもしれない。
 そもそもグローバリズムの進展によって誰もが英語を必要とする時代が来るといった未来予想自体が眉唾だ。
 プログラミング的思考も確かに大事だが、日本人全員が身につけなくてはいけないようなものではないだろう。
 それよりは清掃をしっかりやった方が、よほど日本人のためになる。
 僧侶の修行も武士道も、徒弟制度を基本とする芸道や職人の世界でも、最初に取り組むのは掃除だ。その効果を科学的に説明することはできないが、歴史的には証明できる。何しろ残っているのだから。


【評論家というのは「それで飯を食っている人」】
 
評論家というのは「それで飯を食っている人」という観点を忘れてはいけない。これはかつて教育評論家の尾木正樹が直接、私に教えてくれたことである。

 日教組の講演会でいつもと違う調子でしゃべる尾木に対して、休憩時間、私が直接質問したのだ。
「何か、いつもテレビで言っていることと違うような気がしますが」
 それに対して尾木はこう言った。
「私もこれで飯を食っているのです。だから行く先々で、相手によって少しずつ言い方を変えているのです。」

《少しじゃないだろう》と思ったが私は言わなかった。その正直すぎる発言に少し感動しただけだった。
 妹尾昌俊も同じ質問をすれば、同じように答えるのだろうか?