キース・アウト

マスメディアはこう語った

大人たちの事情が創り上げた「釜石の奇跡」という神話を、“真実”で解きほぐしていこうとする女性がいる。がんばれ!!

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 記事

 「釜石の奇跡」は奇跡じゃない。あの日、報じられた“美談”から私は逃れられなかった

(2021.03.09 BuzzFeed)

www.buzzfeed.com

震災後、「奇跡」のストーリーを追うメディアの取材が相次いだ。釜石で起きたことに、「奇跡」という言葉は本当にふさわしいのか。


東日本大震災に襲われた岩手県釜石市。小中学校に通う子どもたちほぼ全員が避難し、津波を逃れた。

人口約4万人の市内で1000人を超える死者・行方不明者が出る一方、小中学生の99.8%が無事だったという事実は、一般に「釜石の奇跡」と呼ばれる。

なかでも、釜石市鵜住居地区で中学生が小学生の手を引いて避難したことは、徹底した事前の防災教育の成果で子どもたちが自主的に動いたと受け止められ、高く賞賛されてきた。

菊池のどかさん(25)は中学3年生だったあの日、小学生の手を引いて避難した。震災後、「奇跡」のストーリーを追うメディアの取材が相次いだ。中学校では防災を担当する委員会で委員長を務めていた。

だが、奇跡と呼ばれることに、戸惑いもあった。一時は、取材を避けるようになった。

あれから10年。大人になった菊池さんは釜石市第三セクター「かまいしDMC」に就職。震災の伝承と防災学習を行う「いのちをつなぐ未来館」で働く。震災のことを語り伝えるのは、仕事の一つだ。

釜石で起きたことに、「奇跡」という言葉は本当にふさわしいのか。

あの日、実際に何が起き、なぜ子どもたちは生き延びたのか。

10代半ばで「奇跡」の語り手となることを求められた菊池さんは、何を感じていたのか。

そしてなぜ、震災の伝承と防災学習に取り組む道を歩むようになったのか。

(以下、略)

 

 同じ内容はちょうど一年前、朝日新聞の記事を下敷きに書いた。

kieth-out.hatenablog.jp  しかし引用記事が有料だったために全体の3割程度しか見ることができず、あとは同じ記事の新聞評をあちこち読みながら類推した不十分なものだった。

 

 今回のBazzFeedの記事はタイトルが朝日新聞『本当は違う「釜石の奇跡」 24歳語り部が伝えたい真実』に対して『「釜石の奇跡」は奇跡じゃない。あの日、報じられた“美談”から私は逃れられなかった』とほぼ同じ。インタビューの相手も同じ釜石市第三セクター「かまいしDMC」の菊池のどかさん。したがって内容的に大きな違いはないだろう。

 全文が読める。有り難い。

 

【神話の始まり】

 「釜石の奇跡」という神話を創ったのは、現在東京大学大学院特任教授の肩書を持つ片田敏孝という人物である。当時は群馬大学の教授で、2004年から釜石市の防災・危機管理アドバイザーとして防災教育を主導してきた。

 その片田氏が2011年4月22日にウェブサイト「Wedge REPORT」に書いた、

wedge.ismedia.jpがはじめと思う。ご丁寧に英訳版もリンクされて、記事は全世界に発信され、もてはやされた。しかし事実は違う。

 

 記事は

 岩手県釜石市では、市内の小中学生、ほぼ全員が津波の難を逃れた。多くの人たちは、これを「奇跡」と呼ぶ。

で始まる。しかし当時、少なくとも全国的にそうした認識があったわけではない。なぜなら生存率99.8%なら隣の気仙沼市だってそうだったし、東日本大震災で死者行方不明者を出した市町村の中には、小中学生の生存率が100%だったところだってあるはずだからだ。

 学校は片田氏の指導のいかんに関わらず、子どもを災害から救う機能をもっている。74名もの子どもを死なせてしまった大川小学校のある石巻市でさえ、小中学生の生存率は98.6%もあったのだ。

 それを「小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない(私が指導したからだ)」と言うのはあまりにもおこがましいだろう。

 

【あの日、釜石で何が起こっていたのか】

 さらに言えば片田氏の広めた「釜石の奇跡」の内容もひどい。一例を示そう。

  釜石市鵜住居(うのすまい)地区にある釜石東中学校。地震が起きると、壊れてしまった校内放送など聞かずとも、生徒たちは自主的に校庭を駆け抜け、「津波が来るぞ」と叫びながら避難所に指定されていた「ございしょの里」まで移動した(右図参照-引用者が削除)。日頃から一緒に避難する訓練を重ねていた、隣接する鵜住居小学校の小学生たちも、後に続いた。

 ところが、避難場所の裏手は崖が崩れそうになっていたため、男子生徒がさらに高台へ移ることを提案し、避難した。来た道を振り向くと、津波によって空には、もうもうと土煙が立っていた。その間、幼稚園から逃げてきた幼児たちと遭遇し、ある者は小学生の手を引き、ある者は幼児が乗るベビーカーを押して走った。間もなく、ございしょの里は波にさらわれた。間一髪で高台にたどり着いて事なきを得た。

  ここには教職員の姿も住民の姿もまったくない。記事の印象からすればおそらく大人たちは生徒を置き去りにしてわれ先に逃げたか、生徒の後について避難してきたのだろう。一言も触れないことで、教師の無能さはむしろ際立つ。

 これをBazzFeedが伝える「事実」と比較すれば、いかに真実が曲げられたかはわかる。

 

 「釜石の奇跡」が事実でないことは、すでに2011年以来、釜石東中学校の生徒たちによって報告されていた。

www.nhk.or.jp その先頭に立っていたのが、震災当時の釜石東中学校防災委員長だった菊池のどかさんだ。朝日新聞やBazzFeedの取材を受けた「かまいしDMC」の職員と同じ女性である。

 

 しかしマスコミも世間も「真実」など欲していなかった。「賢く自立的な小中学生と無能な教師たち」という図式の方がよほど面白いし記事として売れるからだ。

 あの大川小学校だって児童が「山へ逃げよう」と泣きながら訴えたにもかかわらず教師が無能で74人も死なせてしまったではないか! というわけだ。

(ただしあのとき大川小学校にいて、ともに亡くなった地域の役員や住民を“無能”だとは、匂わせもしない)

 

【歪曲された事実に苦しめられた人、これから苦しむ人】

 そうした大人たちの悪意ある歪曲に子どもたちは苦しめられる。

「たしかに色々な出来事が重なり助かったことは、奇跡的だったとは思います。でも、本当に色々な人のおかげで今生きている。私たちが生き残るために一生懸命尽くしてくれた人たちがいて、私たちは、たまたま助かったんです」

「そうやって助けてくれた人たちがいっぱいいるのに、中学生が、自分たちで全部やったように伝えられていたことを、すごく申し訳なく感じていました。助けてくれた人たちを隠しているようで申し訳なかったし、何より亡くなった人たちのことを思いました」 

 菊池さんの言葉だ。

 

 「釜石の奇跡」に苦しめられた人は他にもいる。

 釜石東中学校の生徒と一緒に逃げた鵜住居小学校で事務員として働いていた女性の夫だ。

 「釜石の奇跡」では震災当日、隣り合う二つの学校にいた全員が助かったようにされているがそうではない。鵜住居小学校の事務の女性は今も行方不明のままだ。保護者からの電話対応に追われていたという話もあるがほんとうのところは分からない。その夫である人にとっても「釜石の奇跡」は受け入れられない。

www.sankeibiz.jp

 さらに言えば、全国の教職員が多かれ少なかれ「釜石の奇跡」の被害を被っている。

 釜石では子どもたちが教師の指示を聞かずに自主的に避難したから助かったが、大川小学校では指示にしたがったばかりに全員殺されてしまった。

 それが今や”真実“となってしまったからだ。

 

 もちろん、だからといって災害があったらできるだけ早く、教職員の手から自分の子を守らなくてはいけないと考えるような親はいないだろう。だが、教師は恐ろしく無能なのかもしれないという疑いを抱えた親に、育てられた子が幸せになるだろうか――。

 

 2019年の9月、私は大川小学校の廃墟のほとりにいた。数組の家族がそばにいたが、そのうちの初老の一人は、被災状況を記した掲示物を読んだあとで、

「こんなところに51分もいたなんて、――バカっ教師どもが!」

と吐き捨てるように言った。そして実際に地面にツバを吐いた。

 その様子を、二人の孫らしい子どもが見ていた。

 (参考)

kite-cafe.hatenablog.com