(写真:フォトAC)
記事
イェール大学名誉教授「アメリカの幼稚園で気づいた日本低迷の根本原因」 苦手を潰す日本と得意を伸ばす米国
浜田 宏一 イェール大学名誉教授
(プレジデント 2021年10月29日号)
(途中から)
古い教育が日本人の活力を奪っている
さて、ここまではいわば“個人主義の行きすぎ”の話であって、読者は、日本の教育は子どもや学生に自分勝手を許さないよう教育しているから安心だと受け止めるかもしれない。しかしながら、日本では、逆に個人主義の欠如が経済の活力をそいでいるというのが、実は本稿の強調したい点である。ワクチンがアメリカで先に開発されて、日本ではそうでないといった科学の進歩の差が、実は個人のインセンティブ不足に関係しているかもしれないのである。
日本の教育の第一の特徴は、基礎的学力、特に記憶と計算能力の強調である。日本の技術が世界のフロンティアに近づいた今、記憶と計算だけでは前に進めない。漢字、人名や歴史を忘れても、スマートフォンが教えてくれるし、計算もスマートフォンがやってくれる。
今の技術革新に大きく役立つのは、ITに代表される技術革新を前提としたところで、いかに多数の人々に利便を与えるようなネットワークのある構想ができて、それをビジネス化できるかである。アップル、アマゾン、グーグル、フェイスブックなどが多大の利益を得るのは、インターネットの存在を前提として、世界中に散らばっている隠れた需要と供給をうまく結びつける技術である。
日本の教育の第二の特徴は、知識を学び理解するという情報摂取(インプット)に偏り、自らの発信(アウトプット)が限られていることである。明治以降に世界に追いつこうとした日本の経済発展の歴史に根づいているものであるが、お互いに意見を言い合って、その中から新しいヒントを得ることがフロンティア開発のためには不可欠である。
個人主義と対比される日本の教育の第三の特徴は、画一的なところである。「不得意なところをなくせ」というのが、私の中学の校長先生の口癖だった。これに比べ娘の通った(ハーバード大の近くにある)幼稚園の園長さんは、入園式で「“子どもは一人ひとりそれぞれ違う”ということを理解するのが教育のはじめです」と入園式で述べた。
したがって、有能な子どもには飛び級が許されたり、能力差に応じて特別のクラスを設けたりすることも、米国では当然である。
(以下略)
評
【話は米国の個人主義にも困ったものだというところから始まる】
引用部分に先立って浜田名誉教授は次のように言っている。
米国は個人主義の国である。
したがってバイデン大統領のコロナワクチン義務付け方針に対しても、
共和党支持者およびワクチンを受ける子どもの親などから強烈な反対運動が起こっている。
自分の体は自分で面倒を見るというのが合衆国憲法に保障された人権だと反対派は言うのである。ウイルスの伝播を防ぐマスク着用の強制についても同様で、米国は個人主義の行きすぎと科学への無知から、多くの人命が失われている。
また、
今でも南部諸州を中心に共和党を地盤とする20数州の知事が、ワクチン接種の義務付けに反対
しており、
米国では、科学的真理を認める人々と、いまだ影響力の強いトランプ前大統領が唱える“自分に都合のよい世界”を信じて科学を軽視する人々の間で、認識の対立が政治的対立につながっている
と紹介する。
私の引用したのはそれに続く部分だ。ひとことで言えば「個人主義には悪い面もあるが、日本経済の活力を削いでいるのはまさにその個人主義の欠如のためであり、日本はその教育の在り方を考え直さなければいけない」という内容である。しかし果たしてそうだろうか?
【飛び級もあるが留年もある】
学校教育は有機的なものであってあちらをいじってこちらが無傷というわけにはいかない。世界中の国々の教育の、良いところばかりを剥ぎ合わせてパッチワークのような制度を創り上げれば理想的な教育が出現するとは言えないのだ。
例えば浜田教授は、
「有能な子どもには飛び級が許されたり、能力差に応じて特別のクラスを設けたりすることも、米国では当然である」
とおっしゃるが、有能な子どもに飛び級があるように、そうでない子に留年があることには触れていない。
もちろん「子どもはそれぞれの能力に応じた教育を受ける権利がある」といえばその通りだが、現実問題として、よくわからない授業を2年も続けて受ける子どもの意欲を、維持するのは容易なことではない。留年した子どもに特別な教師や授業が与えられるわけでもない。
実際、ほとんどの州で義務教育となっている高校の中退率が3割以上、非白人に限っていえば半数が高校生活をまっとうできていない。さまざまな理由があるにしても、学力の不足が大きな要因であることは容易に想像できるだろう。
しかし低学力が去ったあとの教室は身軽である。必然的に義務教育修了者は一定水準以上ということになり、その中からハーバード大学やイェール大学といった超一流大へ進む者が出てくる。
【教育を憂える人々の一部は、エリートのことしか考えていない】
これについてマイクロソフトのビル・ゲイツは次のように語っている。
アメリカ合衆国の生徒人口の内、2割は他国のトップ2割の優秀者たちと比較しても劣らない優秀な人たちで、ソフトウェアやバイオテクノロジー分野に革命をもたらしアメリカ合衆国を常に最前線に位置づけてきました。
(中略)
経済界を見ても、現在、成功のチャンスは優れた教育を受けた者だけに与えられています。
この傾向は、変えなければなりません。皆が公平にチャンスを得るよう変えることにより高度な教育を原動力とする分野においてアメリカを最先端に位置づけることができます。
www.ted.com(「TED2009 Bill Gates: Mosquitos, malaria and education」 日本語字幕は画面右下のボタンで切り替える)
浜田教授もいう。
今の技術革新に大きく役立つのは、ITに代表される技術革新を前提としたところで、いかに多数の人々に利便を与えるようなネットワークのある構想ができて、それをビジネス化できるかである。
そんな素晴らしいネットワークが構想できてしかもビジネス化できるような(あるいはそうした集団の一員となれるような)優れた人材は、私が担任・教科担任として教えてきた4000人の児童生徒の中でも、おそらく数人だけだろう。
この記述の前にある記憶と計算だけでは前に進めないという言い方の中にも、「記憶や計算がしっかりできるなんて当たり前だが」といった含みはないのだろうか?
漢字、人名や歴史を忘れても、スマートフォンが教えてくれるし、計算もスマートフォンがやってくれる。
といっても、例えばスマホで「乖離」という漢字を調べようとするのは、日本語に「乖離」という言葉があることを知っていて、しかも使い方も分かった上で今まさに使用しようとしている者だけだ。スマホが計算をやってくれるといっても「(12+15)×(45-28)」ができるのは、カッコ内を先に足し引きするという計算ルールを身につけた人間だけである。
そうした基本的な内容を身につけることは、それだけでも普通の子たちにとっては大変だ。
浜田教授のように日本の教育を憂え批判する人たちの一部は、確実にエリートのことしか考えていない。
【ジョブズとザッカーバーグとトランプが手をつないでやってくる】
先に言ったように、
学校教育は有機的なものであってあちらをいじってこちらが無事というわけには行かない。
スティーブ・ジョブズやマーク・ザッパーバーグを生み出す教育は、ドナルド・トランプやその信奉者である “自分に都合のよい世界”を信じて科学を軽視する人々を生み出す教育と同じものである。ジョブズやザッカーバーグだけが欲しいというわけにはいかないのだ。浜田教授はその部分がわかっていない。
私たちにできるとしたら、日本を合衆国にするか、このまま微調整で進むか、あとは他に理想的な教育をしている国や地域を探し、それを丸ごと写し取るかだけであろう(*)。
*学力だけで言えば中国・韓国・台湾・シンガポールが手本となるが、「あんな厳しい受験競争はいらない、学力だけが欲しい」といっても無理な話だ。