週刊新潮によると、いよいよ来年度から高校で「ゆとり教育」が再開されるという――そんなバカなことがあるか? 誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていく――

f:id:kite-cafe:20211029193254j:plain(写真:フォトAC)

 

 

記事

22年春から「ゆとり教育」が再スタート 高校の指導要領に「総合的な探求の時間」が
週刊新潮 2021年10月21日号)

www.dailyshincho.jp

 

 生徒・児童の学力を奪い、文部行政最大の失敗作といわれた「ゆとり教育」が、看板を替えて再スタートする。文科省が2022年春から実施する高校の新指導要領に〈総合的な探究の時間〉という学習プログラムが盛り込まれるのだ。中身は、ゆとり教育を引き継いだものだ。

 文科省担当記者の解説。

ゆとり教育とは公式な呼び名ではなく、昔の詰め込み教育を否定した教育方針の総称です。02年から本格的に小中・高校で導入され、8~9年にわたって続けられました。たとえば、中学校では一般教科の授業が2割前後削られたのです」

 授業時間が短くなったことで円周率をはしょって「3」と教えたなどの逸話が残っているが(実際には3.14と教えていた)、代わりに登場したのが〈総合的な学習の時間〉だ。当時、文部省のスポークスマンとして、大臣官房審議官だった寺脇研氏が宣伝して回っていたアレである。ところが、同プログラムは教室をさらに混乱させた。

 

文科省は「ゆとり教育」を自画自賛

「〈総合的な学習の時間〉は、ゆとり教育の目玉。たとえば中学では70~130単位時間が必修とされたのですが、内容は教師の裁量に任されたため、何を教えてよいか分からないという事例が続発したのです」(同)

 例えば〈ドラえもんのハリボテ作り〉や〈アイドルのダンスの真似〉から、果ては〈東京タワーに登って景色を眺める〉、〈市内のお店の食べ歩き〉までが授業になったのである。結果、03年と06年に実施されたOECDの学習到達度調査(PISA)で、日本は大きく順位を落とした。いわゆる“PISAショック”である。

 その反省もあって08年の改訂版学習指導要領では〈総合的な学習の時間〉が、半分近く削られる。「脱ゆとり」の宣言には、さらに数年を要した。最近ではその名を聞くことも少なくなったが、〈総合的な学習の時間〉が無くなったわけではない。

(以下、略)

 

 今月26日の会見で小室圭・眞子ご夫妻は、否定的な報道やインターネット上の書き込みについて、

「誤った情報が、なぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていくことには、強い恐怖心を覚えました」

と語ったが、もはや一部の報道は“面白ければウソでも何でもいい”の時代に入っている。今回取り上げた週刊新潮の『22年春から「ゆとり教育」が再スタート 高校の指導要領に「総合的な探求の時間」が』にしても、これは調査不足というより扇動を意図したフェイク・ニュースである。これほど悪意に満ちた記事もそうはない。

 

 記事にちりばめられたウソをいちいち訂正するのも大人げないが、新潮が子どもじみたやりかたで仕掛けてくる以上、こちらも対応せざるを得ないだろう。

 

【「ゆとり教育」と「総合的な学習の時間」を意図的に混同する】

 まず、新潮は「ゆとり教育」と「総合的な学習の時間」をわざと混同している。

 22年春から「ゆとり教育」が再スタート

 そんなことはない。看板を替えて再スタートするのは「総合的な学習の時間」だ。「総合的な探究の時間」という名前に代えて中身を充実させるという話らしい(*1)

 

 確認しよう。

ゆとり教育」は学校五日制の完全実施に際して、全体の時数が大幅に減ることからそれに合わせて学習内容も減らした、教育課程全体のことをいう。

 時数を減らしたら内容も減らすのは当たり前で、ゆとりを生み出したいなら時数はそのままで内容を減らすか、逆に内容はそのままで時数を増やすしかないと思うのだが、なぜかそうならなかった。それだけではなく、記事にも出てくる寺脇審議官などは、

「内容を減らした以上、学校はすべての子どもたちにきちんとした学力をつけます」

などと吹聴して回ったから教師は苦しくなった。繰り返すが、内容を減らしても時数が減ってしまえば状態は変わらない。すべての子どもにきちんとした学力をつけるほどの余裕ができたわけではない。

 

 さらにそれだけでなく、寺脇審議官たちは「総合的な学習の時間」などというとんでもない置き土産を残した。これは文科省が児童生徒に“つける”と約束した問題解決能力を高めるための授業で、週3~4時間もの授業がいきなり学級担任に任されたため、いよいよ首が締まった――。

 現在でこそ週2時間だが(それでも多い)、日記を読んだり宿題を確認したりする時間が一気に吹っ飛び、それらは給食を食べながら行う仕事になった。

 

 教科書も指導書もない時間で、当時は「いよいよ担任の力量が試される時代が来た」などとマスコミにもてはやされたが、別に教師は力量など試してほしいとは思っていなかった。すでに十分に忙しかったからだ。そもそも大学で学ばず、採用試験でも問われたことのない力をどう発揮したらいいのか――。

 

 幸い「学力問題」騒ぎで「総合的な学習の時間」は週2時間に減らされたが、教科の学習内容は旧に復された。内容が元に戻ったからといって年間の時数まで戻ったわけではないので、教師はさらに苦しくなった。

 それが現状だ。

*1  高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説「総合的な探究の時間 編」(平成30年7月)

 

【総合的な学習の具体的内容を知らない】

 もう一度整理すると、

ゆとり教育」は学習内容を大きく減らした教育課程(カリキュラム)のこと、

「総合的な学習の時間」は児童生徒の問題解決能力をつけるために教師に与えられた自由な学習の時間のこと。

 

 引用記事で文科省担当記者が解説している部分は、「ゆとり教育」の説明としてはおおむね正しい。しかし「総合的な学習の時間」の説明は最悪だ。そもそも高校の「総合的な探究の時間」について話をしているのに、なぜ小中学校の「総合的な学習の時間」の内容が引き合いにされなくてはならないのか。しかもどういった活動が行われたのか、確認した様子もない。

 

 例えば〈ドラえもんのハリボテ作り〉や〈アイドルのダンスの真似〉から、果ては〈東京タワーに登って景色を眺める〉、〈市内のお店の食べ歩き〉までが授業になったのである。 

 たしかにありそうな話だ。私も〈ドラえもんのハリボテ作り〉には魅かれる。第一にこれは子どもたちが意欲を持ってやりたがるからだ。

 しかし、そもそもドラえもんのハリボテはつくっていいものだろうか? 著作権の問題はクリアできるのだろうか。できるとして、ハリボテというのはどういうふうにつくるのか。

 竹で芯をつくるとしてその竹はどこで手に入るのか、竹を割るというのはどういう作業なのか、割った竹はそのまま捻じ曲げてもいいものだろうか、竹と竹はどう接合するのか,紙はどうやって貼るのか、設計図は必要なのか、必要だとしてどう描くのか、そういえばハリボテの雄、青森のねぷたはどうやって作るのだろう、調べてみよう、試してみよう、やってみよう――それが問題解決能力を高める授業だと、教師は信じている(他に方法はあるか?)。

 

 何かをしようとすれば次々と問題が発生する、それを解決する能力が問題解決能力だ。その力をつけることが授業の目的であって、ハリボテをつくることやアイドルのダンスの忠実なコピーや、東京タワーに上ることが目的なわけではない。

 週刊新潮はそんなことも知らない。子どもたちはネット検索と電話取材だけで週刊誌の記事を書くような、安易な学習をしているわけではないのだ。

 

ゆとり教育は失敗だったのか】

 来年、令和4年度から高校の「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」に看板を替えて再スタートする。だからといって週刊新潮のタイトルにあるように「22年春から『ゆとり教育』が再スタート」するわけではない。高校の履修内容が大幅に減るなどという話はまったくない。それが事実だ。

 

 ところで文部行政最大の失敗作といわれた「ゆとり教育で育ったエンゼルス大谷翔平選手が今日(10月28日、日本時間29日)、大リーグの選手間投票で決まる「プレーヤーズ・チョイス賞」で、最高の栄誉にあたる「年間最優秀選手賞」と「ア・リーグ最優秀野手賞」をダブル受賞した。

 しかし週刊新潮の記者の目には、大谷翔平選手ですら失敗作にしか見えないのだろう。

 

(参考)

kite-cafe.hatenablog.com