キース・アウト

マスメディアはこう語った

巷で部活動の顧問拒否が話題となっている。課外活動への関与は義務ではなく、顧問を引き受けるかどうかは「任意」なのだそうだ。私は任意だとは思わないが、顧問拒否が可能ならむしろ学級担任の方を拒否したい。

(写真:フォトAC)

 

記事

部活「顧問拒否」、周囲の教員から「卑怯だ」と非難も 強制されない権利はないのか

(2022.06.03 AERAdot.)

dot.asahi.com 教員の間で部活動の顧問を拒否する動きが出始めている。部活動の顧問は任意にもかかわらず、嫌がらせやいじめを受けるケースもある。教員が顧問を強制されない権利を守ることはできるのか。AERA 2022年6月6日号の記事から紹介する。
*  *  *
 兵庫県の30代男性教員は今春、顧問拒否に踏み切った。自分だけでなく、周囲でも多くの教員が部活動に苦しんでいる状況を見かねた末の決断だった。
 SNSを通じて知り合った教員から「顧問になるよう要請されても、粘り強く断り続けるのがコツ」とアドバイスを受け、2日かけて交渉し、顧問からはずしてもらった。本人が引き受けさえしなければ管理職もそれ以上は無理強いできないのだ。
 ただ、代償もあった。4月1日、男性教員が出勤すると周囲の教員たちの目は冷ややかだった。顧問を拒否したことが知れ渡っていたのだ。
「顧問をやらないなら教員採用試験の段階で明らかにすべきだ。卑怯(ひきょう)だ」
「部活動は教員たちの善意や無償労働で成り立っている。『やりたくない』と言い出せばまわらなくなる」
 いやみ、あてつけ、皮肉──。教員同士のひそひそ話が耳に入ってくる。最近はあいさつを無視されることもある。男性教員は「自分は間違ったことをしていない」と信じているが、職場の居心地は今も非常に悪い。
 なかには「顧問を拒否をしても問題は起きなかった」という教員もいる。
 愛知県の40代男性教員は、5年前に顧問を拒否したが「周囲には自然に受け入れられた」と話す。普段からおかしいと思うことを遠慮なく管理職に意見していたため、他の教員たちも、彼を「そういう人」と認識しており、顧問拒否にも驚かなかったようだ。
(以下略)


【ひとりが部活顧問を拒否すれば、みんなが救われるという謎】

 分らない記事である。
 最初に登場する30代男性は、自分だけでなく、周囲でも多くの教員が部活動に苦しんでいる状況を見かねた末の決断をして、顧問拒否に踏み切ったというが、それで同僚たちの何が変わったのだろう? どういう救いがあったのか?

 一人が部活顧問を受けなかったからと言って、それで部活が減るわけでも全廃になるわけでもない。拒否された部活は他の誰か――顧問になることが予定されなかった人に回るだけのことである。
 それは学年主任級で忙しい人かもしれないし、20年~30年と顧問をやってきて、そろそろ休ませてやろうという年配の先生かもしれない。いずれにしろ30代が拒否したものを40代~50代が背負うことになる。
 
 もちろん顧問拒否は法律的に、あるいは制度的に「間違ったこと」ではない。しかし正しい行動でもない。皆が背負うものを分かち合わないと宣言した以上、やんわりと排斥されたり孤立したりするのも致し方ないだろう。そんな覚悟もなく見通しもなく、「みんなのための顧問拒否」だと考えていたとしたら、それはとんでもない思い違いであり、かつ傲慢だ。そんな身勝手な思い遣りはいらない。

 しかし30代男性も、記事を書いたライターもそうは思っていないらしい。教員が顧問を強制されない権利を守ることこそ最重要課題で、とにかく顧問拒否のしやすい学校社会を早くつくりたい、そう願ってやまないらしいのだ。
 普段からおかしいと思うことを遠慮なく管理職に意見していたため、他の教員たちも、彼を「そういう人」と認識し
――と直接争わなくても済む顧問拒否の仕方まで指南してくれる。


【部活をしてほしい保護者の気持ちも考えなくてはならないという矛盾】

 ただし「弱者の味方、朝日新聞出版社」としては保護者の立場にも目を向けなくてはならない。それが割愛した後半部分だ。
 
 そこには、
 神奈川県の公立中学や高校に子どもを通わせる40代の母親は「顧問拒否が広がって、子どもが所属する部が廃部になるのは困る」と話す。
とか、
「高校生活の全てを野球に捧げたいと思っている子どももいるので、先生の都合で時間を短縮するのでなく、顧問の先生にしっかりと手当を払ってほしい」と話す
保護者の声が記録されている。後ろの方の母親は、地域移行によって発生する指導員への謝礼が心配な様子で、あまり負担が大きいようなら子どもに断念させざるを得ないと嘆く。

 ここに至ってライターも天を仰ぐ。
 こうした保護者や生徒の思いを尊重しつつ、教員が顧問を強制されない権利を守ることは可能なのか。

 自分が答えを持たないため、唐突に専門家を呼び出すとこちらも、
「このままでは教員の身が持たない。外部指導者を雇うなら、その費用をどう確保するか検討する必要があります。保護者も行政に費用負担を働きかけてほしい」
と歯切れが悪い。

 現在、部活動指導員の年俸は、元文科省前川喜平氏によれば32・4万円程度である(注意していただきたいのは月収ではなく年収だということ)。これを100倍にしたって生活は苦しい。200倍にするなら教員たちから「だったら正規の教員を雇え」という話になりかねない。

 いずれにしろ社会に受け皿のない状況で教員の顧問拒否が増え続ければ、やがて教頭・副校長・校長までが顧問をせざるをえなくなる。それでも足りなければすでに部員のいる部活でもどんどん潰していくしかないだろう。


【部活顧問が拒否できるなら、学級担任こそ拒否したい】

 ちなみに「部活動の顧問は任意」というのはアエラの言い過ぎである。
 学習指導要領に「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については・・・」とあるように、生徒の参加は任意であるが教員についても自主的・自発的なものではない。
 
 部活動は課外活動(教育課程外活動)だということを盾に「任意」を主張する立場もあるが、それだと朝読書だとか生徒の休み時間、あるいは「植物の灌水」や「あいさつ運動」といった児童・生徒会の自主活動の指導もしなくていいことになる。その時間帯に起こった事故にも責任は取らなくていい――。
 そんなバカなことはない。学校の教育活動は教育課程内活動と課外活動によって構成されているのであり、課外活動に責任を負わなくてもいいという筋合いはないのだ。

 ちなみに部活顧問が任意なら学級担任や学年主任も「任意」である。実際に担任拒否の事例も少なくないし、「学年全員担任制」という方法で実質的な学級担任をなくしてしまう試みもある。学級担任さえしなくて済むなら教員を続けていいという人だっている。
 
 特に中学校の場合、学級担任の負担は大きい。自分の教科以外に「特別の教科道徳」や「総合的な学習の時間」の指導もしなくてはならない。通知票の所見欄を書くのも、家庭訪問に行くのも、懇談会で対応するのも全部学級担任で、教科しか持たない教員との差は歴然としている。
 学級担任も部活顧問もしなくて済むということになれば、教員不足など一気に解決してしまうだろう。
 
 個人の意思を最優先に考えるとしたら、アエラは担任拒否にも同情的であるべきだ。
 担い手のいなくなった特別の教科道徳や総合的な学習の時間については、部活同様、地域に移行していくよう、論戦を展開してほしいものである。