(写真:フォトAC)
記事
米メディアが世界に紹介した日本の学校の「不審者対応訓練」
(2022.06.09 COURRIER Japan)
courrier.jpアメリカの学校でまた痛ましい銃乱射事件が起きたばかりだが、日本の学校では銃ではなく、刃物を持った侵入者を想定した訓練が実施されている。そうした訓練に参加したこともあるカナダ人記者が、日本の学校の「不審者対応訓練」を米メディア「アトラス・オブスキュラ」で紹介する。
「刃物を持った男が今日学校に来ます」
職場に来るなりそんな挨拶をされるとはちょっと予期しがたいものである。しかし、当時教えていた日本の群馬県にある中学校に出勤すると、教頭からそう言われたのだった。
それは年に一度の不審者対応訓練の日だった。日本中の学校で実施されている訓練だ。
日本は犯罪が少ないことで有名だが、学校と生徒を守ることにはとくに気を配っている。定期的に実施され、厳重にコントロールされた、武器を使う乱闘もその一環だ。
他の先進諸国と比べて凶悪犯罪は日本でまれだが、学校や生徒を狙った悲惨な事件がこの20年間で何件が起こっている。
銃犯罪がどの学校内でも懸念されるアメリカとは対照的に、日本で学校を狙った犯罪では刃物が使われることが圧倒的に多い。日本の銃器取締法が厳しいこともその一因だ。
(以下省略、有料記事)
評
先日アメリカ国内で起こった小学校乱射事件に際して、トランプ前大統領は「教師に銃を持って戦わせるべきだ」と発言したらしいが、安全で知られる日本の学校で、すでに20年前から教師が武装して乱闘する訓練が行われているという、欧米人には驚きの記事――ということなのだろう。
【さすがにサスマタは・・・】
ただし文中の武器を使う乱闘の「武器」とはサスマタのことである。サスマタというのはU字型の金属の下に棒をつけた道具で、現在でも消防署の地図記号として使われているアレのこと。
警察署ではなくて消防署なのは、江戸時代の消火活動が基本的に破壊消防(建物を壊して延焼を防ぐ)であったためで、奉行所の手下たちが使うものよりかなりU字部分が小さく、ものを壊しやすい構造になっている。
学校に常備されているのはU字部分が人間を挟める奉行所タイプで、たいていはアルミ製。かなり軽い道具である。
各校に1~2本あって毎年一回、これで犯人役の警察官と大立ち回りを行う。もちろん刃物を持った犯人に1人~2人で立ち向かうのは危険なので、他に数人、児童用の椅子を持って駆けつける担当もいるが、椅子で犯人を挟みつけてもよほどしっかりと腕を伸ばさない限り距離が保てず切られてしまいそう。だから自分が椅子担当の時も、模造刀が手あたらないかと、かなりビビってやったものである。本物が来たら対応できるのだろうか。
しかも20年間、“犯人はひとり”という想定でしか訓練していないから、二人以上で来られたらおしまいだ。昔のアメリカ映画「ボディガード」の中に「犯人が死ぬ気で襲ってきたら、少なくとも最初のひとりは守り切れない」というのがあって、私がそれになるかもしれない、そんなことも頭の隅にチラつきもした。
【訓練が役に立つ可能性はほとんどない】
言うまでもなくこうした訓練は2001年の付属池田小学校事件を契機として始まったものだ。しかし以後20年間、同様の事件は一件も起こっていない。ほんとうにこんな訓練は必要なのか、それよりも路上連れ去り事件への対応の方がまだしも可能性があるんじゃないか――そう提案したい気持ちもあるが、言えば「じゃあ、そちらもやりましょう」ということになりかねないので黙っていた。黙ったままで退職してしまった。
不審者侵入対応訓練がなくならないのは、それがいいことだからだ。悪いことならすぐにもやめられるが、いいことはやめられない。
全国3万3000校あまりの小中学校が20年間訓練してきても同様の事件は起こらなかった。だから明日、附属池田小と同じ事件があっても、起こる確率は660万の1。それが「自分の勤務校で起こる確率」となればほとんど無視してもいいほど小さな数字になる。
それでもやめられないのは、万が一どころか数億分の1の可能性が自分の学校で起こったら、訓練をやめた学校と市町村教委・都道府県教委はメチャクチャ非難されるに決まっているからだ。
その大変さに比べれば、たった45分で終わる不審者侵入対応訓練を毎年しておいた方が楽、ということになる。
実際、前年度踏襲の極みみたいな訓練だから教師にとってそれほど負担の大きいものでもない。そんな「それほど負担の大きいものではない」仕事が、学校には山ほどあってなお増え続けている。
2011年からは津波対応訓練、それ以前からの火災訓練・地震対応訓練、最近は集団登下校交通事故回避、路上連れ去り対応、ネット犯罪対応等々々・・・。
そのたびに学校は計画を立てて準備をするのだがが、それは表面張力でギリギリ保っているコップの水に水滴を垂らすような愚行である。
【教師の「命の安全教育」だけがない】
安全訓練は絶対に減りもしなければなくなりもしない。安全担当の専任教師でも置かない限りと学校は持たないが、専任が欲しいのはクレーム対応だの地域説明だの、いくらでもあってここだけというわけにも行かないだろう。
昨年度からは「命の安全教育」も始まったから、また何か考えなくてはいけない。しかしがんばろう! どうせ「教師の命の安全教育」なんかないのだから。