キース・アウト

マスメディアはこう語った

教員の働き方改革について地方自治体にできることは極めて少ない。しかしごくわずかな中身であっても、それを大真面目にやったら大変なことになる。もっとも本気でやるはずもないと思うが・・・(たぶん)。

(フォトAC)

記事

家庭訪問・水泳指導は「廃止」、マラソン大会・運動会は「縮小」…教職員の負担軽減へ提言
(2022.12.30 読売新聞)

www.yomiuri.co.jp

 学校現場での教職員の負担増が指摘されている問題で、群馬県や県内市町村の教育委員会職員や学校長らでつくる協議会が、負担解消に向けた取り組みを県教育委員会に提言した。学校の業務で廃止できるものとして、定期的な家庭訪問や夜間の電話対応、夏季の水泳指導を挙げた。

 提言は23日に行われた。「学校向け」「教育委員会向け」「保護者・地域・関係団体向け」の三つに分け、それぞれで「多忙化」の解消に向けてできる取り組みを例示した。県教委は提言内容について「学校や各教委が共有し、今後の取り組みの柱としていく」とした。

 「学校向け」では、廃止できる業務に「定例的な家庭訪問」「夜間の電話対応」「夏休みの水泳指導・プール開放」を挙げた。家庭訪問については「来校形式やオンライン面談にかえることができる」と指摘したが、「児童生徒の安全に関わることなど、必要な訪問は引き続き実施する」とした。

 また、縮小を奨励するものとして、式典やマラソン大会、運動会・体育祭などを、ICT(情報通信技術)化を推奨するものに、子供の欠席連絡や各種アンケート・調査を挙げた。

 「教育委員会向け」では、書類の公印押印や、学校から教委に書類を提出する際に添付する「 鑑文かがみぶん 」などを廃止できるとした。「保護者・地域・関係団体向け」では、学校での取り組みに理解を求める一方、PTA行事の「精選」を奨励するとし、「休日の参加について十分配慮をお願いする」とした。

 県教委は今後、市町村教委を通じて各学校に提言内容を伝え、取り組みを進めてもらう考えだ。
(以下略)

 この記事を取り上げる価値は二つである。
 ひとつは教員の働き方改革に関して、地方自治体は独自にどんな対策を打てるかという限界が示されている点、そしてもうひとつは自治体が誠実に働き方改革に取り組むと何が起こるのか、その問題性が見えてくるからである。


地方自治体が考える教員の働き方改革

 記事の内容を整理してみよう。
 教員の負担軽減策として、まず学校には、

  •  「定例的な家庭訪問」「夜間の電話対応」「夏休みの水泳指導・プール開放」の廃止
  •  卒業式・始業式の内容の削減、来賓・招待者の精選。
  •  マラソン大会を授業や校内で実施し、道路使用許可申請を不要にする。
  •  運動会・体育祭での競技種目の精選、半日開催。
  •  事前活動の縮小や清掃活動日の限定。
  •  年間の授業時数を適切に計算し、余剰となる時数を削減。
  •  子供の欠席連絡や各種アンケート・調査等のICT化。

    教育委員会向けには、
  •  書類の公印押印や「鑑文(かがみぶん)」などの廃止。

    保護者・地域・関係団体向け」では、
  • PTA行事の「精選」を奨励するとし、「休日の参加について十分配慮をお願いする」
     
     改めて読んでみていかがだろう? 
     私は泣きそうになった。地方自治体にはこんなことしかできないのだ。しかも半分以上はすでに終わっている。

 

地方自治体にできることの半分はすでに終わっている】

 定例的な家庭訪問は働き方改革の観点からではなく、“家庭のプライバシーに触れずにきちんとした子どもを育てろ”という保護者の強い要望によってすでに多くの学校で廃止されているし、夜間の電話対応もしない学校が増えている。夏休みの水泳指導やプール開放に至ってはどういう頭の使い方からこれが労働時間短縮につながると考えたのか、私は訊ねてみたくなる。夏休みに時間外勤務している先生はまずいない。ナイトプールじゃあるまいし、開放したところで過重労働に繋がる話でもない。
 
 運動会や体育祭の半日開催も、子どもの熱中症対策・紫外線対策の観点からすでにずいぶん進んでいる面もあるし、そもそも半日にすれば仕事も半分になるわけもない。半日だからテントは半分張ればいい、100m走のラインも半分描けばいいとはならない。
 卒業式の来賓の精選や内容の削減も同じで、校長講話や来賓祝辞をなくしても一般の教員の仕事が減るわけではないのだ。ただ挙げて見ただけ。
 
 体育主任(または教頭・副校長)が前年度踏襲の「道路使用許可申請」を1枚ペロンと作って警察に持って行けばいいだけなのに、その労力を削減するために子どもたちが沿道の人々から拍手をされながら走る機会を奪われるのはかわいそうだと私は思う。教員の働き方改革の効果と、教育効果のバランスが取れない。

 清掃を毎日から隔日に変えて、教師の負担はどれほど軽減されるのか。浮いた時間で英語をやりましょうとなるのがオチである。それよりは私は、自分が汚した場所はその日のうちに自分で片付けることを“ATARIMAE”と考え、ワールドカップの観覧席で実施して世界から賞賛を浴びる子どもを育てたい。そうして高まった日本人ブランドが商取引や海外生活でも役に立つはずだという下心も含めて、そう思うのである。

 

 こうして検討してみると地方自治体に新しくやれることはほとんどないことが分かる。しかしそのわずかな「やれること」を誠実に実施すると、その影響はとんでもないことになるかもしれないのだ。

【削減するのは特別活動=日本人を日本人に育てる教育】

「年間の授業時数を適切に計算し、余剰となる時数を削減する」
 この方策をどこまで真面目にやるかによって、学校の在り方は根本的に変わってくる。なぜなら学習指導要領に定められた標準時数は小学校1年生が850時間、2年生は910時間、3年生は980時間で、それ以上(小学校高学年および中学生)は1015時間と決められているからである。この1015時間を越えて授業を行っているとしたらその部分が「余剰」であり削減対象となる。そこに重要な問題が隠されているかもしれないからだ。

 では実際のところ、平均的な学校は年間、どの程度の授業時数を確保しているのだろう。
 これについては2022年10月13日の教育新聞が次のように報告している。
 実際の授業時数については、文科省の最新の調査(公立小・中学校、18年度)によると計画時数として、小学校第5学年では平均1061・0時間(標準時数は移行措置期間のため995時間)、中学校第1学年では平均1072・6時間(標準時数1015時間)となっている。いずれも標準時数を上回って計画されたことが分かる。特別活動の学級活動以外の活動については、小学校第5学年で平均79・0時間、中学校第1学年で平均52・5時間が充てられた。

 この記述からは国語や算数・数学が標準時数を確保できたかどうかは分からないが、少なくとも年35時間しかないはずの「特別活動」が、小学校5学年で2倍以上の79・0時間、中学校1学年で5割増しの52・5時間も行われていたことが分かる。しかもそれは「学級活動を除いて」の特別活動なのである。

 その中身を具体的に言えば、児童・生徒会および入学式・卒業式などの儀式、文化祭・学習発表会、音楽会・合唱コンクール、運動会・体育祭、水泳大会、・マラソン大会、遠足・修学旅行・移動教室・臨海学校・林間学校、職場体験、ボランティア活動・地域美化運動等々。
 特別活動はいわば日本人を日本人に育てるための教育であって、海外からもっとも評価されている部分である。ほんらい35時間で足りるはずがないものを、「標準」というどうとでも取れる謎の用語を用いて、あたかも時間内に収まっているかのように誤魔化してきたものである。
 それを「余剰となる時数」としてざっくり削減すればどうなるか――。

【日本の教育はグローバル(無国籍)人間の育成を目指す】

 少なくとも二泊三日の修学旅行はできなくなる。これに費やす授業時数は18時間もあるのだ(教師の拘束時間は60時間ほど)。文化祭も二日がかりでやれば12時間の消費になるからこれも1日ないしは半日開催にすべきだろう。
 卒業式はまだしも、入学式は欧米に倣って”やらない“。ボランティア活動や地域美化運動は課外活動として、成績だけを地域諸団体からもらうように工夫しなくてはならない。
 遠足も半日ですませる(学校に戻ったら普通の授業)。したがって「クリーン大作戦! 来た時よりも美しく!」などと言っている余裕はない。公園や観光地の清掃は専門業者がやればいいし、舛添元東京都知事が言うように「清掃業の人たちから職を奪ってはいけない。掃除などしてはいけない」と子どもに教えるべきだ。
 
 要するに日本人を日本人に育てる学習はやめて、英語ができプログラミングができ、問題解決能力の高いグローバル(無国籍)人間をつくるのがこれからの日本の教育になる。そしてそれは、地方自治体が指導要領の示す標準時数を「上限」と規定するだけで果たせることなのである。