キース・アウト

マスメディアはこう語った

生徒の心身の健全育成、教員の長時間労働の縮減を理由とした部活動の縮小や地域移行。いまのところ生徒や保護者から不満の声は聞こえてこないが、それはまだ本格的に始まっていないからだろう。ウチの子や私に少しでも不利になるなら、いつでも議員の動かして変えてやると、今は腕まくりをして見ているだけなのだ。

(写真:フォトAC)

記事


部活「上限2時間」延期 茨城県教委 新3年の引退まで

(2023.03.11 茨城新聞クロスアイ)

ibarakinews.jp

茨城県教委は10日、県内公立高校の部活動を「上限2時間」などと厳格化する時期を当初の4月から、今夏以降に延期すると発表した。新3年生が部活動を引退する時期までは、平日「2時間程度」などとした現行の運営方針で対応できる。公立中学・高校の部活動改革の一貫として、昨年12月に方針を改定したが、現場の混乱を避けるため、準備期間が必要と判断した。

現在の県部活動運営方針は、平日は「2時間程度」▽休日は「中学で3時間程度、高校で4時間程度」▽休養日は「中学で週2日以上、高校で週1日以上」-などと定めている。

県教委はこうした方針が順守されていないとして、生徒の心身の健全育成、教員の長時間労働の縮減を進めようと運営方針を改定。時間制限について「程度」から「上限」と表現を改めることで、国の方針より厳格化した。休養日も国の指針に沿い、高校で1日増やし、原則週2日以上に変更した。

新方針は4月に適用し、学校側には、活動実績を学校ホームページ(HP)で公表することを求めた。

これに対し、一部の生徒や保護者らが「私立の学校と練習量に差が出る」などとして反発。公表から適用までの期間も短く、「すでに練習試合や遠征の日程を組んでいる」「変更や準備が間に合わない」などとして、反対の声や混乱が広がっていた。

9日には、県議会会派のいばらき自民党が、新方針への移行期間を設けることなどを県教委に求めた。森作宜民・県教育長は8日の県議会一般質問で、「活動時間の長さは必ずしも競技力向上につながらない」などと説明していた。

県教委は10日、記者会見を開き、移行期間の設定は学校現場の混乱を避けるための判断と強調した。一方で、活動時間の実績を学校HPで公表する取り組みなどは予定通り実施すると説明した。

保健体育課の清水秀一課長は「(新たな部活動運営方針を)なし崩しにするつもりはない」として、猶予期間を設けた上で、新方針の運用を進める考えを示した。

【部活は最低でも、良質で無料の学童保育である】

 部活動とは何か――学習指導要領によるとそれは、
「スポーツや文化,科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するもの」
だそうだ。文科省的に言えば、あるいは理念的に言えばそうなる。しかし現実にはそれだけではない。

 例えば運動の飛び抜けて優れた子にとって、部活動は自己実現の場であり、遠大な進学・就職活動の一環であり、莫大な収入獲得への第一歩でもある。
 才能と努力によって手に入れた高い技能と成績は、勉強だけではとても望めない有名大学や有力企業への優先切符となる。親にしてみれば学習塾や予備校の授業料の代わりに、用具を購入し遠征費を出しているに過ぎない。向いている方向は「お受験」組と異なるが、夢をもって親子で取り組み、しかもできるなら最低でも投資分くらいは回収したいと思っているのも同じである。

 そこまでの技量がない子にとっても、部活動は有意義な場である。それは楽しみであり、生涯スポーツの基礎づくりであり、精神修養の場であるとともに青春そのものである。結局は諦めるにしても、一流のアスリートを夢見て努力した日々がまったくムダということもない。プロになるような才能のないことは、親も十分に承知の上で送り出している。したがって負担も、子の可能性と釣り合う程度のものでいい。

 そしてそれ以外の子どもたち――私と同じような運動も芸術も科学も人並み、あるいはそれ以下の人間たち、彼らにとっても部活は重要な場である。なぜなら放課後の居場所だからだ。
 部活がなかったら小学生と同じように友だちの家に遊びに行くか、近くの公園や遊び場に出かけるしかない。それも友だちのいる子の話で、いない子はひとりで家にいるしかなくなる。放課後に通うべき学習塾があるとか、生きがいをもって取り組んでいるお稽古事があるとか、子役としてのテレビの仕事がある子ならいいが、何もない子はとりあえず、何もない。
 
 部活に対するそうした子どもの姿勢の違いは、親の姿勢も規定する。
 優秀な中高生アスリートは保護者を「追っかけ」にする。その競技や楽器を極めることが子どもの輝かしい未来に繋がるかもしれないと思えば、親はいくらでも投資する。金も時間もエネルギーも。
 
 そこまでの逸材でなくても、我が子が夢中になって取り組んでいると思えば、たいていの保護者は応援を惜しまないものだ。
 そしてさらに残った“大して才能があるわけでも熱中しているわけでもないが嫌がらず部活に参加している子どもたち”、つまり放課後の居場所として利用している子どもたちの親にとっても、部活は重要な意味をもつ。そこは無料で良心的な学童保育だからだ。
 生徒指導的な不安を持つ保護者は、部活動がなくなって午後4時以降、アホな息子が家に籠るか街に繰り出しているか、どちらにしても落ち着かないことだろう。家に籠って銃の試作をされていても困る。
 
「部活動は最良の場合で子どもの自己実現の場、最低でも良質で無料の学童保育の場」
である。このことを意識しないで部活動の改革を行おうとすると、たいへんなことになる。

【今年度限りのことではない】

 今回の茨城のケースは部活動によって自己実現の可能性の見える生徒の保護者が、議員を動かして教育委員会の決定を一部くつがえしたものである。この場合の「保護者」はおそらく高校の、新三年生の親たちである。自分の子さえ私立に対抗できる十分な練習量を確保できれば、後は野となれ山となれである。もちろんそれを見ながら、新1年生や2年生の保護者たちはこれから動くことになる。
「ウチの子が在籍する間は、いまより練習時間は減らさないで――」
 普通の親ならそう考えるのが当たり前である。

 いくら教育長が「活動時間の長さは必ずしも競技力向上につながらない」と説明したところで、私立をはるかに上回るコーチ陣で指導を固めるというならまだしも、いままで通りで練習時間を減らされれば不安になるのは当然である。
 今年度そうであったように、来年度も再来年度も同じことが起こるに違いない。

【部活の地域移行は多くの保護者にとって苛酷なものになる】

 今のところ部活動の地域移動は、指導の質や活動の幅が広がる前提で話が進んでいる。
 土日に限って地域の専門家が指導に入り、彼らは専門家だから過剰な練習や体罰、勝利至上主義に走ることはない。競技力も飛躍的に高まるはずである――と、無言のうちに説明している。
 各地の先進私立校や研究指定校では、十分な予算をつけた上で土日の地域移行を実験的に行っている。地域のスポーツクラブやスポーツジムもそこに新たなビジネスチャンスの可能性を探って、無料でひとや機材を差し出している。しかし今後、すべての学校で地域移行が始まった時、同じ体制が拡充していくだろか。

 良心的なメディアは、そろそろ部活の地域移行に伴う保護者の負担増について語り始めた。しかしそれも「親たるものそのくらいは受忍しろ」という話ではなく、「公費で負担せよ」という方向だ。
 言っておくが教員を増やすための予算さえ出せない国や地方自治体が、土日の部活動のために膨大な資金をつぎ込んでくれることなど、研究指定以外では絶対にありえない。
 最悪の場合、保護者は毎回子どもの送り迎えを強いられ、用具や楽器の移送当番・お茶くみ当番で働かされ、さらにコーチへの謝礼・お弁当代なども用意しなくてはならなくなる。不熱心な指導者なら土日の片方だけで済むが、熱心で情熱溢れる指導者だと休日は全部、平日も「学校の部活が終わったら町の体育館に集まりなさい」といったことにもなりかねない。
しかしだからといって、やる気のない指導力にも欠けるコーチの方が楽でいいや、ということにもならないだろう。

【部活動の地域移行など軽く一蹴できる】

 部活動の地域移行、具体的な話になってからもずいぶん時がたったが、生徒や保護者の生の声が報道されることはほとんどない。いまのところはオイシイ話ばかりでデメリットが見えてこないからだろう。
 しかし今後さまざまな困難が見えてきたとき、今は何も言わず何も聞いてもらえない子どもや保護者たちが一斉に反発し、記事にあるように議員を動かし始めるだろう。議員は予算を握っているから教育委員会に対する圧力もハンパではない。

 例えば沖縄県では独自の予算で小学校1・2年生は30人学級、他は中学校3年生まですべて35人学級といった手厚い教員配置をしているが、それを「国基準の小学校4年生までは35人学級、それ以上は40人学級に戻すぞ」と脅されれば、教委などひとたまりもない。議員の無茶も大半は受け入れようということになる。

 部活動の地域移行の延期、教員の過剰負担解消の中止などもっとも受け入れやすい内容だ。文科省が「公表するぞ」「予算を減らすぞ」と脅しても、簡単に首を縦に振ることもできない状況がある。教委もほんとうに気の毒なことである。