キース・アウト

マスメディアはこう語った

「定額働かせ放題」はそのままに、4%の調整額を10%以上に引き上げることで一応のケリはついた。しかし教員の働き方が改善されたわけではない。教職不人気の現状では人を増やすこともできないが、仕事を減らさないことへの文科省の覚悟も、相当なものだと改めて知らされた。

(写真:フォトAC)

 

記事

 

教員確保策、中教審案は「0点」 現職教員らに広がる失望と怒り
(2024.05.13 毎日新聞

mainichi.jp

 

中央教育審議会の特別部会後、「教職調整額の引き上げでは問題は解消しない」と訴える現職教員らの記者会見=東京都千代田区文部科学省で2024年5月13日午後4時46分、斎藤文太郎撮影
 「点数を付けるとすれば0点だ。審議を最初からやり直してほしい」――。13日に教員確保策を取りまとめた文部科学相の諮問機関・中央教育審議会中教審)の特別部会。審議を傍聴した現職教員、大学教授、弁護士らの3団体が同日夕、東京都千代田区文科省内で合同記者会見を開き、教職調整額の引き上げを含む方策は長時間労働の抑制につながらないと批判した。
(以下、略)

【政府・自治体からすれば、調整額増額も残業代も同じだろう】

 おそらく財政的には調整額を残して4%を10%以上にするのも、残業手当を創設するのも大差はないだろう。
 巷間言われるようにこれまでの調整額4%が月の時間外労働の8時間分にあたるなら、10%以上(ここでは仮に10%としておくが)は20時間分以上に相当することになる。だったらその分を残業手当の財源にして、さらにその上で「残業時間の上限を20時間」と決めればいいだけのことだ。
(具体的に言えば次のようになるが、面倒くさい人は青字部分を飛ばして先に進んでもらいたい)
 ボーナスや諸手当を含まない基本給だけだと、教員給与は比較的高い神奈川県で月額322,000円平均ほどになる。現在の4%の調整額はこれだと12,880円あまり。10%の調整額で32,200円ほどということになる。つまり教員数10名の学校を想定すると、支払い側はこれまで128,800円だった調整額予算を322,000円まで増やさなくてはならないことになる。
 この322,000円を調整額ではなく、給特法をなくして残業手当を創設し、その財源にあてたらどうなるだろうか。
 4%の調整額は月8時間の時間外労働に対応したものだから時間給に計算し直すと1,610円が神奈川県の教員の平均時給ということになる。したがって用意された322,000円は200時間分の残業手当として使えることになり、その上で月の残業時間の「上限をひとり20時間」と定めれば、結局は同じことになる。ひとり最大32,200円平均の残業代が手に入るわけだ。

【残業上限20時間は必ず達成できる】

 「残業時間の上限20時間」と言えば「現在、平均で過労死基準を越える80時間以上もの時間外労働をしている教員が、上限20時間で収まるわけがない」と反論されるのは目に見えている。しかし20時間以内に納めることは必ずできると私は思っている。
 
 そもそも給特法のつくられた1972年時点で「月の残業時間の平均が8時間だった」とい部分に首をかしげる人のいないことこそ不思議なのだ。土曜授業があって月に25日もの登校日があったのに残業が8時間――単純計算で毎日19分間の残業をするだけで達成できてしまう時間だ。19分なんて帰り支度をしているだけでも経ってしまうだろう。いかに半世紀前とはいえ、昔の教師がそんなに暇だったはずはない。
 
 「提灯学校(日が暮れてもいつまでも灯りの消えない学校)」という言葉は学校に電灯の入る前につくられたものだ。それくらい昔から教員は遅くまで学校にいた。しかしその遅くまで学校にいた時間のすべてが時間外労働と認められたわけではないのだろう。そのうち学校行事の延長だとか職員会議のはみ出し分だとか、正式に「残業」と認めたものだけを合算したら8時間になったという、それだけのことだろう。
 そして同じ論理は今も流用できる。
 
 残業手当が創設されたとして、職員から教材研究のために残業したいと言われたら、管理職は「ダメだ」と言えばいいのだ。「それでは明日の授業ができない」と言われたら、「キミは何のために大学で4年も学んできたんだ」と言えばいい。ベテラン教師には別の言い方もできる。
 教室の飾りつけのために残りたいと言われても「残業として認めないよ」と答える。運動会の準備が終わっていないと言われたら「なぜもっと早くから手を付けなったのか」と叱る。「通知票が仕上がっていない」と言われたら「一カ月前に『そろそろ始めましょう』って言ったよね」と逆ギレすればいいのだ。その上でどうしてもやってもらわなくてはならないことについては、シブシブ残業として認める。それも20時間以内に収まるように。そんなことを半年も続ければ、教師たちは誰も残業したいなどといわなくなるだろう。誠実な教師は黙って仕事を持ち帰るだけだ。
 管理職と一般職の仲は険悪になり、教材研究のレベルのグンと下がった学校は授業も殺伐としてくる。しかしそれもやむをえない。
 「残業手当が労働時間短縮の決め手だ」と考える人にとっては予想通りの結果かもしれないが、これでいのだろうか?

【しかし結局、残業手当は余る】

 なお、ついでに言えば、教員の中には育児や介護で最初から1分の時間外勤務もできないない人もいる。子育て真っ最中の時期の私たち夫婦がまさにそうだった。そうした人たちは調整額の廃止によって月々の手取りがひとりあたり1万数千円減っただけで何もいいことがない。
 さらに残業できない人たちがいる限り、一人上限20時間の残業手当は余り始める。政府・自治体にとってはありがたいことかもしれないが、割り切れない教師たちはどうしても出てくるだろう。
 そう考えると、私は残業手当の創設ではなく、とりあえず調整額増額を受け入れて、そのあとで先のことを考えればいいと思うのだがどうだろう。

【記事を読んで感じたその他のこと】

  1. 「点数を付けるとすれば0点だ。審議を最初からやり直してほしい」と記者会見で訴えた「有志の会」の人々。私と意見が異なることもあるが、単なる「有志の会」が教員たちの代表であるかのようにマスメディアで扱われることには強い違和感がある。しかし労働組合が有効に機能していない以上、仕方ないことなのかもしれない。

  2. それ以外の教員の声はネットの中にしかない。SNSには毎日大量の不平不満と慨嘆と提案が吐き出されているが、文科省に行ったとか国会に動員をかけたとか首相に直訴したといった話はいっこうに出てこない。せいぜいが行政の末端の校長と対決して打ち負かしたという程度の話だ。しかし校長なんて捨て石。交代すればいくらでも元に戻ってしまう。

  3. 調整額を10%以上にというのは法改正と予算措置を伴うもの、だから当然財務省とは話がついているのだろう。私は35人学級が小学校6年生まで行き届く来年度まで、教育予算は1円も増えないと思っていたので驚いた。文科省もよく頑張ったといえる。

  4. ただし教員の働き方改革の観点から言えば、それは本筋ではない。教員を増やすか仕事を減らすか、あるいはその両方を同時に行うしかない。それが行うべき働き方改革である。

  5. 確かに教員を増やすという方向は、予算的にも、また募集したところで応募がないという現状では不可能である。だとしたら仕事を減らすことが、財政的にも手続き的にも簡単なはずである。ひとこと通達するだけで済む。

  6. ところが文科省は、
  • 指導要録から「道徳や総合的な学習の時間の所見欄をなくす」(そうすれば通知票からもなくなる)とか、
  • キャリア・パスポートを廃止するとか、
  • キャリア教育をなくすとか、
  • 食育をなくすとか、
  • 小学校英語やプログラミング学習を一時停止するとか、
  • 国学力学習状況調査を悉皆から抽出にする、あるいは完全に辞めてしまうとか、
  • そもそも総合的な学習の時間をなくしてしまうとか、

――目安としては平成以降に学校に導入されたものをひとつひとつ減らしていくだけで、昭和の落ち着いた学校と大量の教員志望は戻ってきそうなものなのに絶対に口にしない
 財務省と喧嘩して金を出させることはあっても仕事を減らすことは絶対にないと、とてつもなく強い力で覚悟を決めている様子が見られるのだ。しかしその理由は私には思いつかない。平成以降の教育政策のひとつひとつに、過去の偉大な政治家や官僚の名前がついているとでもいうのだろうか――。