キース・アウト

マスメディアはこう語った

オリンピアンやパラリピアンを、積極的に学校現場へ迎え入れようとする政策が施行されるという。しかし一度は国家の代表者となった人たちを、精神疾患による休職者が6500人以上も出る学校現場へ送り込むのは、あまりに気の毒ではないか――。

(写真:フォトAC)

記事

 

オリンピックやパラリンピック経験者を先生に
教員採用を促進へ

(2024.09.14フジテレビ)

 

教師になるオリンピアンが増えるかもしれません。

文科省は、教員免許がなくても高い専門性を持つ外部の人材を採用できる「特別免許状」を活用し、オリンピックなどに出場経験があるアスリートを採用しやすくする新たな取り組みを始めます。
(中略)
オリンピックやパラリンピックデフリンピックへの出場経験者を採用する場合は、本来決められた教員の定数とは別で、学校に配置できるようにするということです。

【青春をスポーツに捧げ尽くした人は大切にされるべきだ】

 パリ・オリンピックの選手団だけでも410名、パリ・パラリンピックの選手が175名。合わせて600名近い選手たちだが、今後、現役生活を離れてもその競技の指導者・コーチ、競技関係者、解説者、あるいは講演活動で生きて行けるのは、メダリストを中心とするほんの一握りのひとたちだけである。
 企業スポーツが盛んだった時代は、各企業が責任をもって引退後のアスリートを職業人として再教育し、あるいは広告塔として生活を保障したが、いまはそもそもチームをもつ企業自体が減ってしまった。国を代表して国際大会に出場するような、優秀でしかも青春をスポーツに捧げ尽くした若者の多くが、社会人としては十分なスキルを持たないまま、競技場から一般社会へと戻ってくる。
 国民スポーツの高揚と国威発揚のため、さまざまに支援し、叱咤激励してきた国家としても用済みとなったからといって簡単に捨てるわけにもいかない。あまりに冷淡だと、あとに続く若者もいなくなってしまう。

【定数外の配置というのは理にかなっている】

 そこで公務員として多くを吸収し、同じ流れで教員にも採用して行こうとする気持ちも分からないではない。
 学級担任もしなければならず、生徒指導も保護者対応もしなくてはならない教員社会に、スポーツ以外の何のスキルも持たないアスリートたちを送り込めば、たちどころに学校は立ち行かなくなる。道徳教育も総合的な学習の時間も特別活動のための何の教育も受けていないので担任はできません。生徒指導も保護者対応も、どこからどう手を付けていけばいいのかわかりません――そんな人をひとり入れたばかりに正規の教職課程を学んできた人がひとり排除されるようでは、学校教育全体が先細りとなる。
 だから、
本来決められた教員の定数とは別で、学校に配置できるようにする
というのは賢明というよりは当然の配慮である。

 定数とは別だから学校に配置される教員が単純にひとり増えたことになり、元オリンピアン・パラリピアンには体育の授業を見てもらい、その分、小学校では担任教師の空き時間が増え、中学校では浮いた一人を生徒指導や道徳専科、さらにあるいは特別支援コーディネーターとして活用することも可能になる。

【しかしそれで十分なのか】

 ただ、元アスリートで教員免許もない、生徒指導や保護者対応のための何の訓練も受けていない、だからそうした部分については一切タッチしなくてもよい、と言っていられるほど学校に余裕があるわけではない。かならずそうした面でも対応が迫られる日が来る。そのとき彼らはどうするのか、何ができるのか。

 1703年、江戸幕府は前の年の暮れに吉良上野介邸へ押し入った赤穂浪士の処遇に頭を悩ませていた。世論は浪士たちに同情的だったが、社会秩序を守るという観点からは幕府に選択肢はなかった。46名全員が切腹で斬首刑にならなかったのはせめてもの温情だったが、死罪を免れることはなかった。またこのとき、死罪と主張する側の意見として、
「46名もいるのだから、このまま生かしておけば中には身を持ち崩し、義士の名を汚す者も必ず出てくる。それではあまりにも気の毒だ。今ここで死なせてやることこそ温情だ」
といったものもあったという。たしかにそのとおりとも思う。

 大げさな例を引いたが、子どものころから何かのスポーツにすべてを犠牲にして打ち込み、オリンピックやパラリンピックに出場できるほどの業績上げたアスリートたちを、毎年5000人以上、2023年には6539人もの精神疾患による休職者を出した学校現場へ、そう簡単に送り込んでいいものだろうか? 地獄のような練習と競争にようやく耐えてきた人たちを、再び地獄に送り込むのに何のためらいもないのか――。

 どうせやるのなら、もっと学校を居心地の良い場所にしてから迎え入れるべきものと思う。