(写真:フォトAC)
記事
日の出前に出勤、1日14時間労働も 長野県の50代教頭、つらい…でも耐えるのは、学校変えるため
(2024.10.19 信濃毎日新聞デジタル)
■「任せる先がない…」
日の出前、職員室はひっそりしている。「この時間は電話を受けなくていいので、仕事がはかどる」。東北信地方の公立小学校に勤める50代の男性教頭にとって、前日に終わらなかった業務や校内の見回りなどができる貴重な時間だ。
始業時間になると「水道水が出ない」といったトラブルがある。欠席した教員の授業を代行し、保護者の電話に出て、職員研修の準備をし、配布物を印刷、子どものもめ事に対応する。県や市町村の教育委員会から届く各種調査の回答期限が近づくが、ほとんど手が付かない。
地域住民や保護者との窓口となる教頭の業務は「ほかに任せる先がない」という。1日の勤務時間は14時間を超えることもある。その間、給食を5分で食べ終え、休憩はないに等しい。
(以下、略)
評
「教師たちはなぜ、こんなにもつらい教頭職を経てまで、校長になりたがるのか」
それが本日のテーマである。
取り上げた記事にはすでに「でも耐えるのは、学校変えるため」と答えの一部が出ていて、「いやそれはさすがにカッコウつけ過ぎだろう」と思われる人もいるかもしれないが、こうした立派な心掛けの人は、実はいる。それもかなりの割合で存在する。それが学校だ。
【校長になりたがる人、二種】
私が若いころとても信奉していた先輩教師は、出世など歯牙にもかけない人だと思っていたので気安く、
「先生! 校長になりたいって思ったことあります?」
と訊いたら、
「もちろんですよ」
と返されて心底おどろいたことがある。
「だって自分の教育理念を実現しようとしたら、校長になるしかないじゃないですか――」
それまで《死んでも校長になんぞなるものか》と思っていた私が、《そういうことならなってもいいかな》と思うようになった瞬間だった。
その、私に新しい視点を与えてくれた先生はやがて校長となり、最後は地方都市の教育長にまで上り詰めて退職された。ちなみに教育長というのは「(教育委員長を校長とする)教育委員会の教頭」みたいな存在で、自治体の学校教育に関する全雑用を引き受ける職である。その最も大切な仕事は議会への説明・提案、そして校長指導。教育長は校長指導を通じて、自分の教育理念を自治体レベルで実現できるわけだ。私の尊敬する先輩は、そこまで見越していたのかもしれない。
もちろん実力が備わっていなければできないことで、似たような目標を持ちながら違った場所に着地する人もいる。
新卒のくせに
「できるだけ早く仕事を覚え、可能な限り早く校長になって、やがては県の教育長になる」
と宣言する若者を同僚にしたことがあって、おかげで散々な目に遭ったことがある。教科教育とか学級経営とか基本的なこともままならないというのに、生徒会顧問だとかPTA担当だとか重要な校務分掌を校長直訴で勝ち取り、その上で悉く失敗したのだ。おかげで尻ぬぐいがたいへんだった。
その若者教師は、結局、校長にも教育長にもなることなく、昨年の春に退職した。志が同じなら結果も同じになるわけではない。
【出世欲は突然に・・・】
いま話した2例はしかし例外であって、20代~30代で「将来、校長になりたい」と本気で考えている教師はほとんどいない。多くは子どもが好きだったり教科を教えることが好きだったり、ごくまれに部活がしたくて教師になった人たちなので出世には興味がない。
もちろん教員には情熱だけでこの職に就いた人ばかりでなく、「教育にも子どもにも関心はないが“安定”した職なので」といった不埒な人もたまにはいるが、この人たちは管理職の仕事ぶりを見ただけで早々に出世の道を自ら断ってしまう。およそ“安定”とは程遠い職だとすぐに分かってしまうからである。
若い教師はだれも出世を考えない――それが常態である。しかしそれなのに40歳も半ばを過ぎたある日、とつぜん出世欲に火が着くことがあるのだ。それまで一瞬たりともなりたいと思ったことのない管理職に、本気でなりたいと思う日が来る。苦しい教頭職を経てもなお校長になりたいと願う日が、ある種の人々には、ほぼ確実に来るのだ。
それはなぜか――。
【人間は負けることが嫌いなのだ】
私はこの話をするたびに「人間というのは本当に弱いものだ」と痛感するのだが、信念に燃えていても、生涯一教師であっていいと決断していても、人は誰かに越されることに耐えられないのだ。
先ほど紹介したような立派な先輩が出世していくのはかまわないし優秀な同輩が管理職になっていくのもかまわない、しかしちょっと首をかしげるような、あるいはあからさまに自分より仕事のできない元同級生が、いよいよ管理職になると聞くと落ち着かなくなってくる。ましてや後輩で、それも明らかに仕事ができない教員が出世し始めると心が揺らぐのも仕方がないだろう。
「あんなヤツの下に就いて、わけの分からない指示をきかされたうえ、失敗の責任を取らされたのでは敵わない」
のだ。では「あんなヤツの下」につかずにすむためにはどうしたらよいのか――答えは簡単である。そいつより早く管理職になればいいのだ。
こうした傾向はヒラ教員と管理職比率の高い小学校で濃く、低い高校で薄い。また、この世界に友だちの多い地元の教員養成大学の出身者に強く、他所者に少ない気がする。私なんぞは都会の私大法学部卒で30歳で教員になるというまったくの傍流だったので、そんなストレスはまったくなかったが、それでも管理職になってしまったのはこの世界が一筋縄ではいかないものだからだ。
ただ40歳代も半ばになって慌てて手を上げて、それで通るのは長年きちんと勤めてきた教員だけだ。したがって多くの場合、バタバタしている割合には、それなりの教員が管理職になっていく。意外と妥当なところに落ち着く。
【忙しくても驚くほど面白い教頭職】
ただ、大した自覚もなくなった管理職でも、教頭(副校長)というのは案外おもしろい仕事である。事務仕事はたいへんだし校内でただ一人の総務部長兼総務部員だから、校内の施錠どころかトイレ詰まりの修繕、蜂の巣の除去、なんでもござれ。それも楽しいと思えば楽しい。
- 初めての蜂の巣退治に、蜂に見つからないよう全身黒づくめの服装で出かけ、みんなにバカにされた。蜂は何千年もの熊との対決で、黒くて動くものに襲いかかる習性を持っていると、その時初めて知った。そんなことも面白かった。
- とにかく学校のすべてに関わるため学校の全部を知り、あらゆることを把握して取り仕切ることができる。それも面白い。
- 教員として長年培った技術で、先生たちを助けてあげられる。管理職だから遠慮なく支援に入れる。特に保護者対応は、教頭(副校長)あたりが出ていくと収まり易い。校長が出て行って失敗すると後がないので、その点でもこのあたりがいい。
- 先生方の知らないところで先生たちを助けることができる。県教委や市教委からくる調査・アンケートの類を、いちいち係の先生にやってもらう必要はない。学校の状況は1年くらいではそんなに変わるものではないし、多少間違ったところで数百校もが提出する調査だ、一校の一項目の間違いくらいでは誤差の範囲にすら入って来ないだろう。そんな調査は教頭の手元で書いてさっさと出せば、締め切りを気にすることもないし、先生たちに何度も催促して人間関係を危うくする必要もない。
- そして最後に、教頭(副校長)職の一番良いところは、報・連・相だけしっかりしておけば、責任を取るのは校長の仕事だということだ。
教頭(副校長)の仕事は、びっくりするほど面白い。だからあんな過剰労働にも耐えられる。
【校長にはなるものではない】
ただ、もちろん面白いからと言っていつまでも続けられる職ではない。体には疲労がたまるし、心にはストレスが蓄積されていく。私はよく教頭先生たちが事故を起こさないものだと感心するが、家に帰るまで緊張感を持続させているのだろう。稀に破廉恥罪で逮捕される人もいるが、あれはもう精神が崩壊してしまったからに違いない。善悪の判断がつかないというのではないが、判断が遅れるようになるのだ。そうなる前に職から解き放ってやらなくてはならない。
ところが “地獄の教頭職”を抜けだしてようやく手に入れた校長職は、これが案外つまらない。教育的信念に燃えて理想を実現するために校長になったような人はいいかもしれないが、そうでない普通の校長はやることのなさに唖然としてしまう。
暇という意味ではない。すべてが型にはめられているのだ。
優れた教師を自校に引っ張ってくるような人事権はなく、あるのは校内の係を決める校内人事のみ。予算は教委が下し置くものであって校長に権限があるわけではない。人事権も予算権もない権力など、この世に存在するだろうか?
生徒指導や保護者対応に自信があっても、うっかり出て行って失敗すると後がないから、大人しく引き下がっているしかない。
学校の行うべきは基本的に前年度踏襲。新しいことは教育委員会から降りてくるのみ。もちろん自らの独自の試みを行う余地はあるが、改革が過ぎると先生たちの負担になって迷惑だ。私自身が改革派校長の元でとんでもない苦労をしたので、他人には押しつけられない。
校長になり立ての時期、先輩校長から、
「校長の仕事はなあ、究極、挨拶をして責任を取ることだ」
と言われたことがあったが、挨拶はほんとうに多い。みんな聞きたいわけでもないのに、会を締めやすい(閉めやすい)というだけの理由で、最後に「校長先生の話」を持ってくる。
ほとんどの場合、生徒はあまり聞いていないが、困ったことに先生たちの一部がメモを取りながらしっかり聞いていて、話がつまらないと平気で途中でノートを閉じたりするので気が休まらない。いい話ができるとやはり先生らしく、あとで誉めてくれたりするので、すっかり調教されている気分。
責任の方は、職員がUSB1本なくすだけでも首が飛ぶのでさらに気が休まらない。校長会や教育委員会には、不祥事があったら教員生活の先が長い一般職員よりも、定年間近の校長の方が辞めるべきだという空気があって、そのつもりでいた。覚悟はしていたがやはり落ち着かなかった。
今度生まれ変わってまた教師だったら、教頭(副校長)はいいが、校長は二度とやらない。