(写真:フォトAC)
記事
「春休み、学校の先生は何してる?」元教員が明かす、意外な“オフシーズン”の過ごし方
子どもたちが登校しない春休み、学校の先生たちはどのように過ごしているのだろうと気になったことはありませんか? 小学校と中学校で教員経験を持つ筆者が、忙しくも充実した「教員の春休みの実態」をお話しします。
(2025.04.03 All About)
春休みといえば、子どもたちにとっては楽しい休暇の時間。でも、学校の先生はこの期間、一体何をしているのだろう?と思ったことはありませんか? 小学校教員を5年、中学校教員を7年経験した筆者が、知られざる教員の春休みの過ごし方をお話しします。
教室の大掃除と荷物の移動
教員にとって春休み中の大きな仕事は、「教室の大掃除」と「次の教室への荷物の移動」です。
基本的に担任は毎年教室が変わるため、次に教室を使う先生や生徒が気持ちよく新学期を迎えられるよう、使った教室を徹底的に掃除して、次の教室に自分の荷物を移動させなければなりません。朝から晩まで掃除をしていたこともありました。かつての筆者のように荷物の多い先生は大移動になるので、ひと苦労です。
(以下略)
評
Yahooニュースに転載され、コメント欄で猛烈に批判された記事である。
内容は五つの項目から成り立っていて、「教室の大掃除と荷物の移動」以下は、「学年旅行でリフレッシュ」「3月は教員の『結婚式シーズン』だが、4月は……」「部活動の指導も続く」「先生にとっては“休暇”という名の多忙期」となっていて、最後に、
3月中は大掃除をしたり、結婚式に出席したり、部活動をやったり、学年旅行を楽しんだりと、あっという間に過ぎ去って、4月1日からまたバタバタと新年度に向けた準備の日々が始まるというサイクルでした。
特に4月は1年の中で最も忙しく、教員は休暇中も子どもたちのために奮闘しています。
とまとめてある。
このまとめの部分はある意味でとてもよくできていて、本文を読んでもこれ以上のことは何も書いていない。そもそもこの数行だけで済ませても何の問題のない程度の内容なのだ。私も無駄に長い文を書くが、ここまで要領よくまとめる力があるなら、主戦場はブログではなく「X」に移していいと思う。その方が華やかだし、注目も集めやすい。
もっとも書いてあることについては、1mmも賛同しかねる。私の知る学校の春休みは、こんなふうではないのだ。
【地域によってやり方の違う場合もある】
「日本国内にいる限り、北は北海道から南は九州沖縄まで、義務教育の公立学校はほぼ同じような教師によってほぼ同じ教育が行われている」
――そう考えるのは間違っていない。住む場所によって教育の水準が大きく違ったり、都道府県をまたがって転校したら何もできなくなった、というのでは困るからだ。国内の学校はどこに行っても、そしておそらく在外の日本人学校に行っても、内容に大差はない。ただし細かな点では異なることもないわけではない。
例えば1年の終わりに「修了式」がない自治体がある。大したことではないみたいに見えるが、修了式のある学校では「卒業式は最上級生のため、修了式は在校生のため」という棲み分けができるので、卒業式のあと在校生だけ授業をやって月末にその学年を閉じることができる。ところが修了式がなく、3学期終業式という形でやる場合は全学年同時に授業を閉じなければならないから、卒業式はそのあとに回されるようになる。たったそれだけのことで、年度末の日程がかなり変わる。
その他、離任式が卒業式の当日に行われる地域もあれば3月中の別日に行われる地域、4月に改めて行う地域と、様々である。しかしいずれ場合も、このやり方をしたら暇、ということはない。
【春休みに済ませておかなくてはならない学校の仕事に、地域差があるのか?】
引用した記事の筆者、自称「教育革命家ドラゴン先生」坂田聖一郎がかつて勤務していた学校では、
教員にとって春休み中の大きな仕事は、「教室の大掃除」と「次の教室への荷物の移動」です(中略)かつての筆者のように荷物の多い先生は大移動になるので、ひと苦労です。
3月中の校務は「教室の大掃除」と「次の教室への荷物の移動」だけだそうだが、児童・生徒の机やいすはどうするのだろう? もちろん3月末に登校日があって実際の作業は子どもがするにしても、子どもたちに自分の机やいすを運ばせるつもりか? 1年生は自分の机といすを持って2年の教室に行くのか?
――いやそんなことはない。それだと持ち主のいなくなった6年生のバカでかい机やいすを、新入生の教室へ持ってこなくてはならなくなる。そんな面倒なことはするまでもなく、1年間使った自分の机やいすは旧教室に残したまま、例えば今度6年生になる現5年生は卒業生が出たあとの教室の、机といすを使えばいいだけだ。これでひとつ楽ができた。
いや、待てよ。机やいすの数はあっているのか? 現5年1組の児童数が34名として卒業した6年1組も34名だったのか? たまたま数は同じだとしても、それを確認するのは誰の仕事だ? 足りなかったら好きな教室から適当にもってくればいいのか? それだとそちらで足りなくならないか?
今、倉庫で段ボールに入ったままになっている来年度の教科書。新学期が始まったら児童一人ひとりが取りに来ればいいのか? それで大丈夫か? それとも各学年の先生たちが教室へ持って帰るのか? その時点で数が足りなかったらどうする? 学年の先生たちがそれぞれ販売会社と掛け合うのか?
新しい教室に掃除道具は揃っているのか? 数だけ合えばいいというものではない。前年度のクラスの使い方次第で、数はあるのに使えない、ということもありうる。不足分は各担任が早い者勝ちで倉庫に取りに行けばいいのだろうか? 残留職員はそれでいいにしても、新任教師が気づいたころには清掃倉庫は空っぽということにはなっていないか?
そもそも掃除分担は大丈夫か? 去年の6年生は3クラスだったが今年の6年は4クラス。前年通りにしたら6年4組の分担場所は「ない」ということになってしまうが、それでいのか。
時間割はどうだ? まさか授業が始まったらひとつしかない理科室で3クラス同時に授業をすることにはならんだろうな? 曜日・時間ごとの特別教室の割り振りが必要なはずだが、誰がつくるんだ? 新1年生の名簿って、新1年生の担任がつくるんじゃないだろうな。
新しく来られる先生がたの下足箱は決まっているのか? 机は? ロッカーは? 中は本当に空だろうな?
いや、待て。来年度の準備の前に、そもそも今年度が終わるよう、後始末はできているのだろうな? 児童生徒一人ひとりに関する重要な公簿「指導要録」は完成しているか? 最高学年は中学や高校へ送る様々な書類があるはずだが、用意はできているだろうな? え? 合格発表の前に進学校まで記入して先方に送ってしまったって? 大丈夫か? 落ちているなんてことはないよな。
【豊田市は違うのかもしれない。あるいはドラゴン先生が特別なのかもしれない】
――私が勤務してきた学校では1月初めに年度末計画が出され、計画に基づいて早く準備できるものは準備し始めるが、最後まで決まらないものもある。35人学級制度の対象学年で、児童生徒数が70人だとすると、そのままなら2クラス、ひとり増えるだけで3クラス(35人と36人ということはあり得ず、24人・24人・23人)にしなくてはならない。そうなると3月末ギリギリまで、学級数も教員数も決まらない。
さらに先生方の中には転任によって引っ越しを余儀なくされている人もいるから、最後の1週間くらいはその人をアテにすることはできない。したがって年度末休業に入ると同時に1月に決められた役割分担は組み直されて、残留職員だけで次年度の準備をすることになる。いつもより少ない人数で学校の仕事を果たすことになる。
だから春休みは忙しいのだ。ここまでに書ききれなかったが他にも三角定規だの地球儀だのモバイルパソコンだのといった備品管理(チェックと修理・補充)、児童・生徒・職員名簿の作成、年間計画の作成、ホームページの管理等々と、とんでもない量の仕事がある。そのすべてに教員が担当者として張り付き、自分のクラスの仕事をしながら、全体の仕事も遺漏ないように頑張っているのだ。とてもではないが、
「教員にとって春休み中の大きな仕事は、『教室の大掃除』と『次の教室への荷物の移動』です」
などとは言っていられない。ドラゴン先生はやらなくて良かったのか? 嘘を言っていないとしたら、どこに可能性があるのだろう?
【ドラゴンへの道】
私に思い浮かぶ可能性は四つほどしかない。
- ドラゴン先生が勤務しておられたのは愛知県豊田市内の公立小中学校で、豊田市は言わずと知れたトヨタ自動車工業の城下町である。自動車生産台数世界一を誇る企業の生み出す税金はとんでもない金額で、その資金で市内の各校は年度末・年度初めの業務を、すべて外部委託にしてしまったのかもしれない。「尾張名古屋は城でもつ」と言うではないか。もしかしたら豊田市には2~5月限定ですべての学校業務を受けおう企業があるのかもしれない。いやそもそも通年で教員は授業さえしていればいいような仕組みになっているのかもしれない(可能性はほとんどないが)。
- ふたつ目は、3月中は何もせず、新年度準備のすべてを新年度に持ち越して、入学式までの一週間でやり遂げ、間に合わせる方法である。臆病な私にはとてもできるものではないが、毎日9時まで働いて土日も出てくれば不可能ではないだろう。
- 3番目の可能性は、ドラゴン先生が12年間ずっと時間講師として学校勤務をしていた場合である。時間講師だから授業時以外に働かせると時間給が発生してしまう。時間講師の賃金は年度初めに決まっているから春休みには使えない。ただし本人が道徳的見地から自分の使った教室を掃除し、私物を移動するのは妨げないから、一応学校にいるといった場合。
- 四つ目の可能性は、(これもめったにないことだが)教師が無能すぎて下手に手を出させるとやり直しのため、かえって時間も手間もかかってしまうような場合だ。そのときはいちおう名前だけは「副主任」みたいな形で入れておいて、実質的な仕事は主任の方で全部やってしまうようにする。「副主任に手出しをさせない」という本来はしないで済む仕事もしなくてはならない大変さはあるが、例えば不足分を一ケタ間違えて発注してしまった(例えば追加のコンピュータが200台)の後始末を考えれば、はるかに楽とも言える。
【結婚式だと!? やってもいいけどオレは呼ぶなよ!】
そんな忙しい時期に結婚式を挙げる馬鹿もいない。教員仲間や上司に招待状を送れば顰蹙ものだ(一般企業だって3月~4月の結婚式は迷惑だというところは多くないか?)。教員同士の結婚式は夏休みに汗をかきながらやるものだ。それだったら新婚旅行にも行きやすい。仮に3月に結婚するにしても、籍を入れるだけ、あるいは身内だけの半日の式ということにならざるを得ない。それも自分自身の異動がからんで、3月最終週の仕事(次年度準備)のない場合、限定だ。
学年旅行は、昭和から平成の10年あたりまでは確かにやっていた。しかし暇だから行ったわけでもない。今よりも人間観関係のずっと濃い時代だったから、時間的にも心情としてもかなり無理して行ったのだ。年度末の忙しさは今も昔も変わらない。多忙のために行きたいとは思えない旅行だったが、もちろん行けば行ったなりの収穫はあったが――。
引用したAll Aboutの記事、しかしそれにしてもかなりいい加減で、後味の悪いものであった。