
(写真:フォトAC)
記事
【社説】次期指導要領 教育課程の柔軟化に期待
(2025/10/21 西日本新聞【社説】)
2030年度から導入される次期学習指導要領の基本方針が中教審の特別部会でまとまった。多様な子どもたちの包摂を柱の一つに据えたことは評価できる。
学校では、さまざまな個性や背景のある児童生徒が増えている。文部科学省が示す小学校1クラス35人の平均的なイメージが分かりやすい。
家に本が少なく学力が低い傾向の子12・5人、不登校やその傾向の子4・8人、学習や行動に著しく困難がある子3・6人、家で日本語をあまり話さない子1・0人、特異な才能がある子0・8人。
この現実に対応するために打ち出したのが、学校の裁量で教科の授業時間数を一定範囲で増減できる新制度だ。
年間の総時間数を維持した上で、児童生徒の特性に応じた学習支援などに充てることができる。
不登校の子に対しては、個別の指導計画を作成できる制度も新設する。
授業時間の見直しでつくり出した時間を、学校がどう生かすかが重要だ。
(以下、略)
評
新しい指導要領のもとで、これからは授業時間数を一定範囲でやりくり「できる」のだそうだ。その時間を使って、児童生徒の特性に応じた学習支援が「できる」のだという。個別の指導計画も作成「できる」らしい。
あたかも教師たちが自由になって望んだ方向に進んでいるかのように見えるが、授業時数を犠牲にしてまで児童の特性に応じた学習支援をしたいと思っている教師は、おそらくひとりもいない。
【個別の学習、個別の支援】
もちろん「家に本が少なく学力が低い傾向の子」や「不登校やその傾向の子」、「学習や行動に著しく困難がある子」や「日本語をあまり話さない子」「特異な才能がある子」の面倒は見てやりたい。しかしそれはひとりひとりの問題に対応するだけの教員が配置されてこそのことで、いくら時間をあてがわれても、ひとりでやれと言われてできることではない。考えてみればいい。週に2時間~3時間、個別の指導計画や個々の特性に応じたそれぞれプログラムを用意して、一人で対応するのだ。
学力の低い傾向の12・5人のための、分からなさに応じた12・5種類の学習プリント、不登校やその傾向をもつ4・8人のための活動プログラム。学習や行動に著しく困難がある3・6人にはその子の問題性に応じた教材。家で日本語をあまり話さない1・0人のためには母国語で自習できる日本語習得のための教材、特異な才能がある0・8人のために特性を生かしたハイレベルな問題集。毎時間それを作成して、授業も一人で見るのだ。
もちろんできるはずがない。しかし完璧にできないにしても、よりよくできるよう最大の努力をしなくてはならない。それが教師の宿命である。
さらに言えば「個別の指導のために与えられた時間」は各教科の時数を減らして生み出す時間であり、「教科」は時数が減った分だけ濃密になる。そこに新たな工夫もしなくてはならない。手が回るだろうか?
おまけに「学校の裁量で」行うことだから文科省も教委も責任を取ってはくれない。ただ「やれ」、と言い「何をやるのか報告せよ」と繰り返すだけだ。
【メディアは非難しない。ともに学校を追い詰めるだけ】
記事の割愛した部分には現行の学習指導要領が、
「思考力、判断力、表現力を育むことを教育現場に求め」、
「『主体的・対話的で深い学び』につながる授業の改善を促した」
部分を取り上げて、
「それが教員の多忙さに拍車をかけた面は否めない」
と指摘している。その教員たちを多忙にしている「深い学び」が次期改定でも維持されることを確認した上で、【社説】は
注意したいのは、教育課程の柔軟化で生まれた時間を活用した学習が、児童生徒と教員の新たな負担になる可能性もあることだ。取り組むときは双方への影響を考慮する必要がある。
という。考慮するのはもちろん学校、具体的には教員である。なぜならこれは「学校の裁量」で行うことであり、元を質せば学校が、(身に覚えはないが)そう「できる」ように望んだことだからだ。
なんたる欺瞞!
マスコミは中教審の特別部会の欺瞞を糾弾もしないで、自ら同じ欺瞞に乗っかってくる。これでいっそう学校が崩壊への道を突き進むようなら、それもまた面白い記事になりそうだと、――もしかしたら本気で考えているのかもしれない。