(写真:フォトAC)
記事
日教組、OECD比較で最低水準の授業時間提言 小学校で年875コマ 中教審特別部会
(2026.10.15 産経新聞オンライン)
令和12年度から実施される次期学習指導要領を巡り、日本教職員組合(日教組)は15日、年間の授業時間を現行の1015コマ(小学4年~中学3年)から引き下げ、小学校で875コマ、中学校で945コマとするよう求める意見書を明らかにした。経済協力開発機構(OECD)加盟国の年間平均授業時間は、小学校で804時間(2025年)。日教組案のコマ数を時間に換算すると660時間でOECD最低水準となる。
(以下、略)
評
力を失ってもう誰も見向きもしない日教組に焦点を当てた記事が、久しぶりに大手マスコミに載ったと思ったら、叩くための拾い出しだった。死者に鞭を打ってもしかたないと思うが、産経もなかなかしつこい。しかも記事に悪意がある。
経済協力開発機構(OECD)加盟国の年間平均授業時間は、小学校で804時間(2025年)。日教組案のコマ数を時間に換算すると660時間でOECD最低水準となる。
もちろんウソではない。しかし授業時数がOECDで最低になって何が困るというのだろう?
【今でも授業時数は少ない】
文科省幹部は現行のコマ数について「子供の基礎学力を維持するために最低限必要な水準だと思っている」と語ったというが、同じOECDのPISAテストで、日本の子どもたちは三領域すべてで、加盟国1位なのだぞ。
その世界一の日本の子どもの学力を、維持すべき『基礎学力』だとするなら、他のOECD諸国の子どもの学力は何だというのだ?
これではまるで、年収2千万円ほどの小金持ちが、
「今の時代、この程度の年収は最低限でしょ。これ以下じゃあ生きて行けない」
と言っているのと同じだ。
件の文部省幹部は暗に思っていることを、声に出して世界に言ってみるといいのだ。
「日本以外のOECD加盟国の子どもたちは、全員、基礎学力さえおぼつかないバカ!」
何とも傲慢でおぞましい話ではないか。
【日本の児童生徒は、まず人間的に優秀だ】
しかも日本の子どもたちは、並外れた努力によって世界トップクラスを維持し、しばしば一位に輝いているわけではない。
おそらく産経新聞はワザと計算して見せないのだが、現行の学習指導要領に基づく年間授業時数1015コマも、日教組の875コマを660時間に換算したのと同じやり方で計算するとわずか761時間。つまり現在でもOECD平均より43時間も少ない。
しかし同時に、そのことをもって、日本の学校や教師は優秀だというのも間違っていると私は思う。優秀なのは児童生徒の方だ。
以下は、OECD生徒の学習到達度調査(PISA2025)で行われたアンケートの一部である。理科に関するものだけで、数値は「まったく、又はほとんどない」と答えた割合(つまり問いを否定する割合)だが、日本の学校の教室の雰囲気が、如実に伝わってきそうな数値である。思い描いてみるといい。思い描いてみるといい。日本の学校にいるのは、単なる『ガキ』ないし『子ども』ではなく、学習しようとする意志と意欲をもち、それが習慣となっている『児童・生徒』なのだ。
- 生徒は、先生の言うことを聞いていない。
(「まったく、又はほとんどない」と答えた割合)
日本 60.8% OECD 23.2% - 授業中は騒がしく、荒れている。
(「まったく、又はほとんどない」と答えた割合)
日本 65.8% OECD 23.8% - 先生は、生徒が静まるまで長い時間、待たなければならない。
(「まったく、又はほとんどない」と答えた割合)
日本 77.6% OECD 35.2% - 生徒は、授業が始まってもなかなか勉強に取りかからない。
(「まったく、又はほとんどない」と答えた割合)
日本 74.3% OECD 38.0%
(OECD生徒の学習到達度調査 PISA2025のポイントP13「科学コンピテンシーに関係する質問調査の結果(理科の授業における教師の支援)」より)
なぜ、こんな優秀な子どもが育ってきたのか――。
そこが日本の学校教育の特徴なのだが、今日は十分な時間がない。とりあえず簡単なヒントだけを列挙しておくが、いずれも言うは易く、行うに難い内容である。
- 入学式や始業式によって、学校が「特別な場所」であることを意識づけること。
- 運動会や文化祭、合唱コンクールなどを通して集団性を高め、“ともに成長しようとする仲間”意識を育てること。
- 給食当番を始めとする係活動や清掃を通して、行うべきことを淡々と行う気風をつくること。忍耐強さを育てること。
- 理科の実験や社会科における社会見学、修学旅行、その他、体験を重視した学習によって、学習内容の現実的・具体的な意義を理解させること、
等々――。
【私も時数を減らすことに反対だ】
日教組の時数削減案を、「OECD諸国で最低になってしまう」と単に数字だけで非難する産経新聞にも同調できないが、学習内容を減らさずに時数だけを減らすことには私も反対だ。
大盛カツ丼の中身を減らさずに器だけ小さくしたら、ご飯をソフトクリームのように積み上げ、煮カツをご飯の山の山腹に立てかけるしか方法がなくなる。それでは苦しいし、しばしば落ちこぼす。
かといって、特別活動(学校行事や学級会活動、児童生徒会活動など)を大幅に削減することは、大盛カツ丼から煮カツを減らすようなものだ。誰が白米の山頂に一切れ煮カツを乗せたものをカツ丼と呼ぶのだろう?
米は今の半分でもいい。総合的な学習の時間だの小学校英語だの、あるいはプログラミングだのICTだの、あとから追加した高度なものは、全部、取っ払うがいいのだ。それでおいしいカツ丼が保全されるなら。





