通知票の所見欄がなくなったり、通知票そのものの回数が減らされたりしているらしい。しかし待て、親も子も楽しみにしていて、かつ人間関係の上で有益なものをなくすことはない。それより先に減らせるものがあるだろう。

記事

 

全国で広がる「通知表」の削減…適切な評価に必要なことは?Z世代が議論
(2022.09.15 TOKYO MX) 

s.mxtv.jp

 TOKYO MX(地上波9ch)朝の報道・情報生番組「堀潤モーニングFLAG」(毎週月~金曜7:00~)。「モニフラZ議会」では、削減傾向にある“通知表”についてZ世代の論客が議論しました。
 
 ◆一部の小中学校で通知表の配布回数&所見欄が削減
 
 学期末に配られる通知表ですが、最近では、学期ごとの配布をやめたり、先生からのコメントが減ったりと、各地で通知表の削減が広がっています。
 
 例えば、熊本市立の小学校では、配布回数を年に3回から2回に。京都・亀岡市京丹波町の小学校、北九州市立の中学校などでは、先生からのコメントなどがある所見欄が削減。こうした背景には、教員の働き方改革があり、所見欄をなくすことで1学期につき、先生1人あたり約10時間の業務時間減につながるとされています。
 
 子どもの頃、通知表で一番楽しみだったのが「所見欄だった」と話すのは、キャスターの堀潤。その理由は、先生が自分をどう見ているのか、先生が自分のことを見てくれていることがわかるから。
 (以下略)

【通知票、悪者でもないのに真っ先に切られる】

 「以下略」と内容の大部分を割愛したのは、そこで多くの紙幅が「成績が教師の主観に左右されていいものか」対「人間は点数だけで評価されていいものではない」という、もう何十年も続けられてきた不毛な論争が行われているからである。不毛である上に「通知票および所見欄の削減はいかがなものか」という問いの本質とはかけ離れている。
 
 しかし先まで読み進むと、
「(先生に)自分がどう思ってもらっているとか、学校でどういった役割を果たしているかなどは自己肯定感につながると思う。保護者も、自分の子どもが学校でどのようにしているのかわかるのは通知表ぐらいしかないので、所見欄がなくなってしまうと、(子どもの学校生活ぶりが)わからなくなってしまう」
といったごく常識的な発言があり、
「もっと違うところで教員の仕事の削減ができるのではないか。ここ(通知表)を削減するべきなのか」
と、これもごもっともな発言も見受けられる。

 その通りだ。通知票よりも前に削減できる仕事は山ほどある。それなのに真っ先に手がつけられるのは、これが公簿ではなく理屈上は校長裁量でやめていいものだからだ。現実には市町村教委レベルで合意するのが望ましいが、校長ひとりでやめることも、中身を簡略化することもさほど難しいことではない。
 そして通知票を廃止ないしは簡略化することは、教師たちの想いに叶っているからでもある。

【文章で記入する欄が多すぎて・・・】

 一般にはあまり知られていないが、平成以降、通知票は記入内容が増え続け、特に文章で書かなくてはならない部分は、ひところ「特別な教科道徳」「総合的な学習の時間」「特別活動の記録」「総合所見」と4か所もあった。小学校ではこれに加えて「外国語活動の記録」まである。

 いずれも分量としては大したものではないが40人近い児童生徒の5つの記入欄に、それぞれ別の文章を書くとなると並大抵のことではない。私は作文が得意だから創作でもいいならいくらでも書けるが、本人に渡す以上ウソ八百というわけにも行かない。当たり障りのない数パターンを用意して使い回す方法も思いつくが、今はトラブルを怖れて事前に教頭や校長の目を通してもらうからそれもやりにくい。
 かくして教師にとって真面目に書くしかない地獄のような学期末が続いてきたのである。通知票の簡略化はある程度必然だったのかもしれない。
(昭和のころは「特別活動の記録」と「総合所見」しかなく、特別活動の方は属する委員会名や学級内係名を書けばいいだけだった)
 
 しかしそれにしても、なぜ公簿でもなく学校独自でつくっていいはずの通知票がかくも全国に広がり、かつどれもこれも似たようなものになったのか――実は通知票には全国的にほぼ統一されたひな形あって、それに合わせるようにしたためなのだ。それが指導要録だ。

【指導要録の話】

 指導要録は、一人一人の子どもの学籍や指導の過程及び結果を記録したもので、その後の指導や外部への証明等に役立たせるための原簿となるものである。
 百聞は一見に如かずで、その様式(参考様式)を下に示しておこう。
 小学校指導要録(参考書式)
 中学校指導要録(参考書式)

 児童生徒がその学校に入ったときから書かれ始め、小学校の6年間、あるいは中学校の3年間の活動の様子が、3ページに渡ってびっしり書き込めるようになっている。

 1ページ目の「様式1」は児童生徒の学籍を証明するもので卒業後20年間は保存されることになっている。2・3ページ目の「様式2」は成績や活動に関する記録で、担任が代わったり校内で検討しなくてはならなくなった場合に参考にするためのものだ。この部分の保存期間は5年。

 特別なことがあった場合はいつでも書き込めるが、普通は年度末にまとめて記録する。その上で学年主任や教頭・校長に見てもらって担任と校長の認印を押し、保管庫に納められる。しかしそれを次年度に新しい担任が見ること稀だ。年度初めは忙しくて見ている暇がないし、ようやく一息つける大型連休明けくらいなれば要録など見なくても子どものことは十分わかってくるからだ。
 
 かくして指導要録は3学期末に担任が死ぬほど忙しい思いをしながら書いたのに、点検する主任や教頭・校長以外はまったく誰も見ない謎の書類として収納庫に収まり、毎年年度末に書き加えられて続けて児童生徒の卒業とともに眠る。
 そして5年がたつと成績や活動に関する様式2の部分は誰の目にも触れられないまま破棄されるのだ。
 
 しかし指導要録の作成は法的な義務で書かないわけにはいかないし、「特別の教育道徳」や「総合的な学習の時間の記録」などの部分は、文章で記すことも決められている。やめるわけにはいかない。

【通知票の総合所見は残してほしい】

 そうした指導要録に準拠した通知票はしたがって 「あなた(またはあなたのお子さん)は、公的記録の指導要録にこんなふうに書かれることになります」という報告も兼ねていることになる。
  中学校の場合はさらに加えて「通知票に書かれた内容は、指導要録の内容および調査書(内申書)の内容とほぼ同じですからご承知おきください」という意味にもなる。
  そこで通知票が指導要録の簡易版みたいになってしまい、所見欄が5か所といった異常事態が発生したのである。
 
 しかしどうだろう。保護者はそこまで詳しい報告を望んでいるのだろうか。先ほども引用したが、児童生徒は、(先生に)自分がどう思ってもらっているとか、学校でどういった役割を果たしているかなどを知りたいだけなのだ。保護者もまた自分の子どもが学校でどのようにしているのかが分かりさえすればいい。
 担任が自分を(ウチの子を)忘れずに温かい目で見ていてくれると確認するだけで、安心するし気持ちも和らぐ。通知票の所見欄は「総合所見」ひとつでいい。
 
 朝の報道・情報生番組「堀潤モーニングFLAG」の堀潤キャスターも、
 子どもの頃、通知表で一番楽しみだったのが「所見欄だった」
 と話している。
 その理由は、先生が自分をどう見ているのか、先生が自分のことを見てくれていることがわかるから。
 私自身も子どものころはそうだったが、ふたりの子の親としても総合所見を見て誉めてやることも安心することも少なくなかった。

 通知票の総合所見欄はぜひ残してほしい。その代わり指導要録の記述欄は全部削除でかまわない。どうせ5年しか保存しないのだ。その子のことが知りたくて資料が必要なら、旧担任を探し出して訊けばいいのだ。
 指導要録の簡略化は、文科省にしかできない。だからすればいい。

 

 (付記)
 「いいことだらけの総合所見に何の意味があるのか、悪いことも家庭に知らせるべきだ」という意見がある。筋としてはその通りだ。
 しかし通知票は単なる連絡票ではなく一生残るものである。そこに苦言を書き残してもいいことはない。問題があるなら学期末まで残してまとめて言うのではなく、そのつど早めに伝えて対処する方がお互いのためでもある。
 通知票の所見は誉めるためだけのものと腹を据え、保護者に気にいってもらい、子どもの気分の良くなる文を考えるべきと思う。

 

 ついでに、
 通知票には良いことを書いて、指導要録や調査書(内申書)の方には本当のこと(悪いことや困ったこと)も書くのではないか、と疑う人もいるかもしれない。しかし大丈夫だ。両者とも情報開示の対象であるから悪いことは書けない。ほぼ似たような調子のよいことが書かれていると考えて間違いないだろう。

 

一部の科学者は「スマホやゲームをやりすぎると脳が破壊され、心身が侵される」というが、脳はそこまでヤワではないだろう。しかしだからといってそれらを野放しにしてもいいというものでもない。

 記事

 子どもが突然キレるのはスマホのせい?デジタルが「脳に悪い」といわれる本当の理由
(2022.09.07ミュレ)

mi-mollet.com

 デジタルスクリーンは子どもの脳を壊す

   現代生活においてデジタル機器、なかでもスマホやPC、タブレット、ゲーム機といったスクリーンを有する機器はなくてはならないものになっていますよね。
   しかし、筆者などは「テレビばかり見ていると頭が悪くなる」と親に叱られて育った世代ということもあり、このデジタル漬け、およびスクリーン漬けの生活に不安がないといえばウソになります。ですから、デジタル機器に対して一歩引いて見ているところがあります。
   これがデジタルネイティブと呼ばれる若い世代になると、どのような感覚になるのでしょう? おそらく、筆者ほどに抵抗を感じてはいないのではないでしょうか。しかし、そんな人たちにとって少し不都合な研究結果が発表され、話題を呼んでいます。
   
   それは、スマホタブレット、ゲーム機などの「デジタルスクリーン」は「子どもの脳を壊す」ということ。この説を唱えるのは、10年間にわたって7 万人以上の子どもの脳と認知機能の発達を追跡調査した医学博士・川島隆太さんです。川島博士は自身が監修を務めた『子どものデジタル脳完全回復プログラム』という米国のベストセラー書籍の日本語版において、子どもの脳が壊れると以下のような問題が現れると説いています。
・ 学力(IQ)が下がる、授業についていけない
・ 物事に集中できない、すぐに気が散る
・ 突然キレる、泣きわめくなど、感情のコントロールができない
・ 人とうまくコミュニケーションがとれない、友だちができない
・ 不自然に太ってしまう、肥満やメタボになる
発達障害うつ病双極性障害を発症しやすい、症状が悪化する
   
   最近の子どもは感情のコントロールが苦手といわれていますが、これを見るとデジタル機器と無関係ではなさそうですね。では、なぜこのような症状が出てしまうのか? そちらに関しては、本書のオリジナル版の著者である精神科医ヴィクトリア・L・ダンクリー博士が、エビデンスをしっかり示しながらメカニズムや対処法を説明しています。
(以下略)

スマホやゲームをし続けるとバカになる、性格がゆがむ、精神的・身体的に不健康になる】

 私のような「子どものスマホ・ゲーム撲滅希求症候群」の人間が飛び上がって喜びそうな記事が出た。しかも書いたのは日本の学者ではなく、この種の研究では世界のトップを走るアメリカの医学博士だ。もう間違いない。スマホやPC、タブレット、ゲーム機といったスクリーンを有する機器は子どもの脳を破壊するのだ。
 
――と、一気に話が進みそうだが「好事、魔、多し」。自分に都合の良い話に出会えたらむしろ要注意である。私たちは都合の悪い意見には猜疑心をもって注意深く当たるが、逆は甘くなる。
 うっかりこんな記事があった、あんな論文があったと情報を振り回すと、とんでもないしっぺ返しを受けることがある。注意してみていこう。
 

【著者と監修者は?】

 とりあえず精神科医ヴィクトリア・L・ダンクリー博士について調べてみる。有名な科学者ならさまざまな場面で活躍しているはずだからである。
 ところがこれをgoogle先生に訊ねてみると、最近出版された川島隆太氏監修の「子どものデジタル脳 完全回復プログラム」(2022 飛鳥新社)の著者としてしか検索できないのである。まさか架空の人物ではないだろうが、世界にあまねく知られた専門家、というわけではなさそうである。
 
 一方、監修者の川島隆太氏は知る人は知る、覚えている人は覚えている脳科学者である。認知症患者の学習療法(読み・書き・計算をさせることによる治療)で名を馳せ、脳トレブームの火付け役となった・・・らしい。川島氏はブームのおかげで数十億円の収入を得たと言うが、そのほとんどを大学の研修室に寄付してしまったというから奇人でもある。私も数十億円手に入ったら同じように寄付したいものだ(どうせ一銭も使えずに遺産となって、子どもたちの人生を狂わせるだけだから)。


 【ゲーム・スマホは子どもの脳を破壊するのか】

 先に「火付け役になった・・・らしい」とい書いたのは、学習療法や脳トレに関するこの人の活躍を私はまったく知らなかったからである。
 この人の名を知ったのは3年前の月刊文芸春秋に載った『スマホと学力「小中7万人調査」大公開』という記事の筆者としてであり、その内容も今回とりあげた『子どものデジタル脳完全回復プログラム』とほぼ同じ、ゲームやスマホは人間の脳を破壊するというものだった。そのときも私は眉に唾をつけて読み、今もピンとこない。


 例えば文春の記事には、
 家庭で毎日2時間以上勉強をしていても、携帯・スマホを3時間以上使用すると、携帯・スマホを使用せず、かつほぼ勉強もしない生徒より成績が低くなっていた
 という記述があったが、
「“家庭で毎日2時間以上勉強をして、なおかつ携帯・スマホを3時間以上使用する子ども”がデータとして意味を成すほど大勢いたのか?」
とか、
「“携帯・スマホを使用せず、かつほぼ勉強もしない生徒”は毎日なにをやって過ごしているんだ? 部活か? 街の徘徊か?」
とか、考え始めるときりがない。
 そして何より、これほど重大な研究成果が3年経っても世間の常識にならないのは、結局、ゲームやスマホが子どもの脳をダメにするという説が、学問の世界でも一般社会でも肯定されず受け入れられてもいないからだと考えることが妥当だということだ。
 同じような警鐘を鳴らす人は少なくないので、いちおう気には留めておくべきだが、あまり深刻に考える必要もないだろう。

【それでも私は戦う】

 ただし私は今も「子どものスマホ・ゲーム撲滅希求症候群」の真っただ中にいる。もちろん「脳を破壊する」説を信じているわけではないが、とんでもなく強い依存性や昂進性、つまり中毒性があり、魂を24時間奪われる可能性があるからである。
 それらが子どもたちを連れ去ろうとするなら、私たちは全力で阻止しなくてはならない。

 

教頭は過労死直前というごく当たり前の話。しかし教頭は案外しぶとい。さらに言えばしぶといはずなのに、しばしばワイセツ事件の容疑者としてマスコミに顔を出す。なぜだろう?

(写真:フォトAC)

記事

 「激務で倒れそう」ほとんどの教頭が過労死リスクの高い働き方をしている事実 仕事が多岐にわたり緊急対応も多い大変な業務
 (2022.08.22 東洋経済ONLINE)
 執筆:妹尾昌俊・東洋経済education × ICT編集部

toyokeizai.net

 「学校の先生がとても忙しい」ことは広く知られるようになったが、その中でも「とりわけ激務なのが副校長・教頭だ」と教育研究家の妹尾昌俊氏は話す。全国公立学校教頭会の調査では、約8割の副校長・教頭が過労死ラインである月80時間を超える時間外勤務を余儀なくされているとみられ、中には朝7時から夜の9時、11時まで働いている先生もいるという。なぜ副校長・教頭は、こんなにも忙しいのか。その仕事内容と、過酷になりやすい業務の特徴について妹尾氏に解説いただきながら解決策を考えてもらった。
 
 約8割の教頭が過労死ライン超え
 全国の小中学校の副校長・教頭(以下、副校長・教頭をまとめて教頭と表記)のほとんどが過労死リスクの高い働き方を余儀なくされている。
 
 こうしたことは、10年以上前から、少なくとも教育関係者(教職員、教育委員会文部科学省など)の間ではよく知られていたことではある。だが、事態は一向に改善しないどころか、悪化しているところもある。

 全国公立学校教頭会によると、2021年の公立小中学校の教頭の通常日(行事前や特別な日を除く)の勤務時間は、11時間以上が約83%にも上る。1日11時間というと、月当たりの時間外勤務は70時間近く。土曜、日曜などに残業する人も多いから、こうした教頭の多くは過労死ラインとされる80時間を超えているとみたほうがよい。
 
 1日13時間以上という人は、2年前よりは多少マシになっているとはいえ、直近でも約3割に上る。これは120時間以上の水準(1日5時間以上×24日と仮定した場合)で、いつ倒れてもおかしくないような働き方だ。数日前も、ある小学校教頭から「周りの教頭は朝7時から夜の9時、11時まで働いている人が何人もいる」ということを聞いたばかりだが、本当に心配だ。
 (以下略)

 

 【比較的に良くできた記事】

 執筆者の妹尾昌俊という教育評論家はコンピュータの前だけで記事を書く人で、しばしばあらぬ方向に話が進み、私は好きになれない。しかし今回は「その仕事内容と、過酷になりやすい業務の特徴について妹尾氏に解説いただきながら解決策を考えてもらった」というように編集部の調査の上に妹尾氏がコメントをする形式をとっており、その分、客観性のしっかりとした良い記事となっているように思う。
 
 さて、教頭がなぜ忙しいかをまとめた四つの視点、
 第1に、教頭の仕事の範囲は広く、多岐にわたっている。
 第2に、緊急性の高い対応が多いことが、教頭の仕事をより大変にしている。
 第3に、以上の2点(業務の多さと緊急性)を、新型コロナを含む昨今の学校教育事情が、さらに悪化させている。
 第4に、教頭への評価の問題もある。
は確かのその通りだ。

 しかし「教頭は基本的に授業を持っていないために緊急性の高い仕事にすぐに対応できてしまいそのぶん日常的な仕事は常に夜に回される」とか、「そもそも開錠・施錠は教頭の最も大切な仕事で、誰よりも早く出勤して誰よりも遅くの残っているのが本来の姿、だから一般教師の過剰労働が解消しない限り永遠に長時間労働はなくならない」とか、「総務および雑用係のため、防災機器の扱いからハチの巣ができやすい場所まで熟知していなくてはならない宿命がある」とか、そういった具体的な部分にも触れてほしかった。

 他にも、追加される新しい仕事(例えば「特異な才能を持った子どもたちへの支援・教育」)に対するいち早い対応、不登校になりかかっている教員への支援、代替えがいない場合はつなぎの学級担任、校長の失言のしりぬぐい・・・等々、書き出したらきりがない内容にも十分に突っ込んではいない。
 

【しかし対応策はお粗末だ】

 また、無理ないと言えば無理はないのだが、「今すぐ取りかかれる解決策」はあまりにもお粗末だ。
 書類や手続きのなどの断捨離は教頭のできる仕事ではない。それらを下ろしてくる教育委員会だって分かっていながらできない。それは議員たちが次々と教育問題について議会で質問し、マスコミが繰り返し問い合わせ、市民もメールなどを通じて常に批判や無理な提案をしてくるからである。答えを持っていないと持っていないこと自体を責められる。
 分担・分業といっても教師の働き方改革が求められる昨今、配下の教員に仕事を回すわけにも行かず、PTAはマスコミの支援を受けて規模を縮小し始めているところだ。仕事を振り分けるわけにも行かない。ときおり遊びに来る猫の手を借りるわけにも行かない。
 ボランティアを募ろうにも、ひとが集まれば今度はその人たちへの説明・訓練・作業確認をしなくてはならない。それくらいなら自分でやった方が早い。
 かくして教頭の仕事は減らない。
 
 記事には「教頭の中には校長を目指している人が多いこともあって、校長や教育委員会に悪く思われたくないという心情になりやすい」という表現もあったが、過労死直前の教頭にとって、そこから抜け出すのは降任人事を頼るか中途退職するか、あるいは校長に出世するしかない。おそらく多くの教頭(副校長)が校長を目指して励んでいる背景には、そんな事情があるのだろう。ただし校長はありとあらゆる会合で挨拶をして、あとは不祥事の責任をとるだけの、ほんとうにつまらない仕事だ。
  

【付記:教頭はなぜワイセツ事件に関わるのか】

 教頭先生たちの働きを見てつくづく感心するのは、病気になる人が実に少ないことだ。普通の病気になる人も心の病に陥る人も、一般の教師に比べるとおそらく有意に少ない。もともとそういう人が選ばれているとも考えられるし、気を張っていれば数年は何とかなるという話なのかもしれない。しかしそれにしても、あれだけ過重な働きをしているにしては、あまりにも元気だ。
 もうひとつ感心するのは交通事故・交通違反が驚くほど少ないことだ。体力のギリギリで働いて睡眠不足の日も少なくないはずなのに、なぜか居眠り運転だとか信号の見落としだとか、あるいはスピード違反だとかがない。不思議なことだ。
 それでいてワイセツ事案で検挙される例は驚くほど多いのも、大きな謎である。
 
 たしかにあんな働き方をしていたらストレスも尋常ではないだろうし、家のことは一切できないから夫婦関係も(必ずしも悪くなくても)良好というわけにはいかないだろう。家族からも見放されている。
 職と立場を考えれば普通のサラリーマンがストレス解消に使う場所にも、簡単に立ち入るわけにはいかない。浮気など、とりあえずしている時間がない。

 これは一般教員についてもいえることだが、これだけ教員のワイセツ事案が問題視される中で、誰も「教員の性生活とその問題性」といったテーマで研究しないのはほんとうに不思議である。
 

 

 学校で孤立しがちな、特異な才能を持った子どもたちを支援する事業が始まるという。すばらしいことだ。しかし支援の場は学校で、教師が担当者となるらしい。そのための研修も始まる。結局、“ホラまた仕事を増やした文科省”みたいな話。

(写真:NHK
 

 記事

 特異な才能ある子どもに“多様な学びの場を” 有識者会議
 (2022.07.25 NHK) 

www3.nhk.or.jp 
 小学生で大学レベルの数学を理解するなど、特定の分野で特異な才能のある子どもが、学校生活で困難を抱えるケースがあるとして、文部科学省有識者会議は、多様な学びの場を確保するといった支援策の素案を公表しました。
 
 科学や言語、芸術など特定の分野で特異な才能のある子どもの中には、教科書をすべて理解していて、授業で時間を持て余したり、同級生との関係を作るのが難しかったりして、困難を抱えるケースがあるとされています。
 
 文部科学省有識者会議が25日公表した素案では、こうした子どもを支援するため、学校の教室に居づらい場合は、一時的に空き教室や図書室で過ごせるようにするなど、多様な学びの場の確保が考えられるとしたうえで、子どもの特性を理解するよう、教員や専門スタッフへの研修を国から促すべきだとしています。
 
 また、学校外の学びの場も活用できるようにする必要があるとして、大学や民間団体など外部の機関が提供する学習プログラムについて、オンライン上で情報提供する仕組みを国が作るべきだと指摘しています。
 
 有識者会議では、特異な才能の定義に一律の基準を設けることなく、一人ひとりに応じた教育の一環として、支援策を考えることが重要だとしていて、文部科学省は、こうした方針を受け、今後、予算確保に向けた検討を進めることにしています。
 

 評

 日曜日(24日)夜、NHKニュースでこの話題を扱っており、Webにアップしたら中身を確認してひとこと書こうと思っていたが、当日、NHKはおろかどこのメディアも扱っていなかった。
 月曜日、さらに手を広げると6月の上旬にnippon.com「突出した才能の子に学習支援=授業中の苦痛や孤立解消―文科省」
などでこの件に関する記事があり、大枠で新鮮味のない内容であることが分かった。ではNHKは何をいまさら引き出してきたのか。

 

【誰が支援を担当するのか】

 実は6月のnippon.comの記事「特異な才能ある子どもに“多様な学びの場を”」に書かれていた支援の方法は、
「特定の教科だけ別室で高度なオンライン教育を行ったり、大学やNPOなどで指導を受けられるようにしたりすること」(nippon.com)
であったのに対し、今回は、
「学校の教室に居づらい場合は、一時的に空き教室や図書室で過ごせるようにするなど、多様な学びの場の確保が考えられるとしたうえで」
と学習の場が現存の学校であることとされ、さらに、
「子どもの特性を理解するよう、教員や専門スタッフへの研修を国から促すべきだ」
と、指導の主体が学校の教師であることを明らかになったのである。だからNHKは改めて取り上げたのだ。つまりしごとは増やすが教員や専門スタッフ(誰のことかわからないが)の増員はないということだ。


【昭和の節度は失われた】

 かつて「学校は民間の知恵を学べ」と繰り返し言われたが、少しでも気の利いた企業なら新しいプロジェクトを立ち上げるために、人員を雇い増すなりあちこちの部署から臨時に引き抜いて期限付きのチームをつくるなりするはずだ。それができなければプロジェクト自体を諦める。事業を持続可能なものに留め、人材を失わないためにはそうするしかない。

 しかし学校は違う。定数法と加配予算によって人員は厳しく制限されているのに、仕事は増やす一方で、事業の成否も組織の存続にも、まったく頓着する様子がない。
 総合的な学習の時間もキャリア教育もICT教育もプログラミングも小学校英語も、すべて人を増やすことなく、担任教師に背負わされた。小学校1・2年生の生活科を創設するために社会科と理科をなくした昭和の節度は、平成以降まったく失われてしまったのだ。


【小さなことの積み重ねが岩盤をくり抜く】

 こういう話になると教育委員会はバカか、文科省は何も分かっていないという話になるが、私はそう思わない。
 両者ともSNSやネットメディアに疎いワケではない。それらを通して自分たちがどれだけバカ者扱いされているか百も承知している。それでいながら教員の仕事を増やさざるを得ないのは、そこに別の力が働いているからだ。文科省教育委員会を動かして自分の夢を実現しようとする輩がいる。

 確かに、
科学や言語、芸術など特定の分野で特異な才能のある子どもの中には、教科書をすべて理解していて、授業で時間を持て余したり、同級生との関係を作るのが難しかったりして、困難を抱えるケースがある
 そういう児童・生徒はいる。古くはレオナルド・ダ・ビンチやモーツァルト、新しいところならビル・ゲイツスティーブ・ジョブズイーロン・マスク。そういった特異な才能のタマゴが国内で埋もれているとしたら実にもったいない。
 また、協調性が重要視される日本社会・日本の学校では、特異な子どもたちはいじめの標的や不登校になりやすい。
 したがって彼らが自由にのびのびと成長できる特別な支援はぜひとも必要だし、そのためのコスト=教員や専門スタッフの研修も、専門家を養成するわけではないからたいしたものではないだろう。
 
 これはいつもの学校の在り方である。
 新事業のコストのひとつひとつはたいしたことはない。しかし「涓滴(けんてき)岩を穿つ」――、その「たいしたことのないひとつひとつ」の30年の累積が、いま、「日本的学校教育」という世界に誇る岩盤に、穴を開けようとしているのだ。
 もはや学校も市町村教委も都道府県教委も、そして文部科学省もこれを押しとどめることはできない。

 

退職教員ボランティア諸君! 学校は乾ききった砂の世界だ。善意のためにうっかり近づくと、あっという間に吸い込まれるアリジゴク。「砂の女」に取り込まれぬよう、ゆめゆめ近寄ることなかれ!

(写真:フォトAC)

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教育現場を救え!多忙を極める先生をサポートするのは元教員 “担当不在サポート”とは《新潟》
(2022.07.22 TeNYテレビ新潟)

www.teny.co.jp

教員の多忙化についてです。通常の授業に加え、新型コロナウイルスの対応などで悲鳴に近い声が上がる学校現場・・・多忙を極める教員を少しでもサポートしようと活動する団体があります。
所属メンバーは〝元教員”。〝後輩たち”を助けるべく立ち上がった〝先輩たち”を追いました。

新潟市の関屋小学校です。4年生の教室で教壇に立つ笠原恵子先生です。
分からないところがないか…必要に応じてアドバイスをしながら様子見て回ります。
その後の給食ではエプロン姿に。新型コロナウイルス感染症対策として机を消毒し、アレルギーのある児童のメニューを確認。

実は笠原先生・・・このクラスの担任ではなく、ましてやこの学校の教員でもありません。
教員サポートを行うNPO団体「smileういんず(読み:スマイルウインズ)」のメンバーとして不在の担任に代わり子どもたちの見守りを行っていたのです。

「担当不在サポート」と呼ばれるこの取り組み。学校は担任や養護教諭が不在時に一日4時間、月5日を上限に見守りできる人を依頼。依頼を受けた「smileういんず」は対応できる人をマッチングして学校に派遣します。
対象は新潟市内にある小中学校です。サポートはボランティアで行われ、派遣時の交通費は寄付金で賄われています。
この取り組み、一番の特徴は派遣される人が全員“元教員”なのです。笠原先生も3年前まで市内の小学校に勤めていました。
(以下、略)


【教員はひとを助けるのが仕事。そうしたいと願っている】

 方法論は違っても、すべからく教員は子どもが好きだ。少なくとも子どもの成長を見守ったりその手助けをしたりすることが好きでなければ、この職に長くはいられない。その最も大切な子どもが困っている、同僚が疲れ果てている、そう聞けば何とか助けてあげようとするのが教員の性である。
 そして現在のように、現職が忙しすぎて子どもや同僚を助けられないとしたら、ここは退職教員の出番であろう。

 退職後は楽をしたいと思っていた人も、趣味に生きたいと思っていた人も、あるいは別に働き口を考えている人も家に仕事のある人も、どこかで悲鳴が上がれば行かないわけにはいかない。なにしろ「困っている人がいたら助けなさい」と40年近くも教え続けてきたのだから。

 

【本来はなかなか悪くない活動】

 したがって教員不足などなかった一昔前なら、この制度もさほど悪いものではなかった。教員が出張に出かける、通院のために数時間教室を空ける、そういった時間だけ退職教員がボランティアに入る――それは学校にとっても暇を持て余してる一部の退職教員にとっても、利益になることだったろう。
 しかし今は違う。
『学校は担任や養護教諭が不在時に一日4時間、月5日を上限に見守りできる人を依頼。依頼を受けた「smileういんず」は対応できる人をマッチングして学校に派遣』
は退職教員が無制限に搾取されないための最後の砦かと思うが、どこまで守れるかということだ。


【理念は現実に踏みつぶされる】

 一人の教員が突然休職に入る。
 最初の一週間、午前中は「smileういんず」が教室に入り、午後は校内の先生たちで何とかやり繰りする。校長はその間、必死に代理の教師を探し、翌週には間に合わせようとする。しかし見つからない。
 今や3カ月間も担任不在の教室がある時代だ。おいそれと変わりが見つかるはずがない。約束の期限は「月5日」だから1週間で消費されてしまう。
 そこで校長は「smileういんず」に泣きを入れる。なんとかもう一週間、続けてはもらえないかと。

 これがビジネスなら話は簡単だ。
「時給を2倍にするから一週間だけ頼む」
 それで通る場合は通る。教室に入る方も事情があれば事務的に断ればいい。しかしボランティアは違う。
 それでもなんとか受けてもらったとして、代理探しが2週間~3週間と長引けば、さすがに校長もタダ働きさせるわけにはいかず、講師として雇い入れることを考える。自分が受けなければ教室が空きっぱなしになると分かっていて、さて、ボランティア教師は決然とこれをはねのけることができるだろうか。


【この仕事、持続可能か?】

 かくして「smileういんず」の試みは追い込まれる。「一日4時間、月5日を上限」ならいいが、フルタイムの教員となればとてもではないが応じられない、そう考える元教員は、そもそもボランティアに加わることにさえ躊躇する。そのままずるずるとフルタイムに引きずり込まれたら、断れないことははっきりしているからだ。

 こうした取り組みは、何十年も前から文科省都道府県教委が予算を立ててすべきことだったのだ。そうすれば教員の負担も多少軽くなり、研修意欲も高まったはずだ。
 
 TeNYテレビ新潟よ、「smileういんず」の活動をもうしばらく追い、本質的な教員不足にどう対応していくか、私たちに知らせてほしい。

 

部活動の地域移行。人々はなぜか優秀な専門家は学校の外にいると思い込んでいる。しかしその競技または芸術に精通して、指導経験があり、人間関係の調整や生徒指導的内容に踏み込んで、情熱的に、かつタダ同然で働いてくれる人をどれだけ揃えられる? こうして現職と退職教員に白羽の矢が立てられ、教員は死ぬまで働かされるのだ。

(写真:フォトAC)


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文化系部活に地域の先生 専門的技術を指導 金沢・野田中 教員の負担も軽減
  (2022.07.20  北国新聞) 

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●市教委、23年度拡充へ
 金沢市教委は19日までに、地域住民が生徒の部活動を指導する制度を野田中の文化系部活で試験導入した。文化系では県内初の試みで、専門的な技術に精通した文化団体の役員らが生徒への技術指導を行っている。教員の負担軽減にもつながり、市教委は来年度以降に他校に順次拡大する方針だ。
 (中略)
 合唱部で指導に当たるのは、県合唱連盟理事長を務める粕谷雪子さん(66)=土清水1丁目=で、週末や平日の放課後に、歌唱時の発声や呼吸法など専門的な技術を生徒に教えている。
 
 3年前まで同校音楽科の教員を務めていた粕谷さんは「子どもの指導は教えがいもあって、こちらも楽しい」とやりがいを感じている。合唱部顧問の山本光太郎教諭(35)は「これまで他校では吹奏楽部顧問をしていたので、技術的な面を指導してもらえるのは心強い」と話した。
(以下略)

 

 「吹奏楽部の地域移行、受け皿があるわけがない」
 そう書いたばかり()なのに、あった。こちらは合唱部なのだが、退職教員が引き受けてくれるらしい。
 
 考えてみれば合唱や吹奏楽の経験者は大勢いても、指導の専門家となるとほとんどいない。金沢市の言う、専門的な技術に精通した文化団体の役員も、中身は退職してから文化団体の役員になった元教師だ。だったら最初からそう言えばいいのに、体裁が悪いのか「地域の人材はいた」という形にしたのかもしれない。

 たしかに土日のどちらかで2時間の練習をしてくれ、週日も朝晩合わせて3時間の指導をし、部員たちの人間関係を調整したり生徒指導的事案にも関わったりしてくれる――それだけの技量があり、生徒を育てることに情熱を持ち、しかもほとんど無償で働いてくれる専門家と言ったら、現役の教員か退職教員しかいない。

 退職後は家でのんびりしたいと思っていた元教員も、別に働き口を見つけた人も、学校の危機、部員が路頭に迷う、現職が倒れかねないと聞かされれば、行かざるを得ない。
 こうして現役時代は殺人的な超過勤務に苦しめられた教師たちは、退職後も学校への献身的な奉仕を求められるのだ。
 

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地域移行といって外に出されても吹奏楽部の行くところはない。結局、親に頼まれ、部員にすがられ、元の教員が休日の指導を続けるしかないのだが、そのとき教師は別の名で呼ばれる。「休日も指導を希望する教員」、だから時間外勤務の対象にもならないのだ。

(写真:フォトAC)

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 中学文化部も来年度から3年で地域移行を 文化庁有識者会議が提言案
 (2022.07.12 朝日新聞デジタル) 

www.asahi.com 中学校の文化部活動の地域への移行を議論している文化庁有識者会議で12日、提言案が示された。運動部と同様、2023~25年度を「改革集中期間」とし、公立中の休日の文化部活動を、地域の文化芸術団体や外部指導者らにゆだねる取り組みを進めるとしている。
 
 部活の地域移行は、少子化による廃部や活動の縮小、教員の長時間労働などの課題に対応するため、スポーツ庁有識者会議が先行して運動部について議論し、6月に提言をとりまとめた。文化部の提言案も、運動部の方向性に沿ったもので、将来的には平日の移行も視野に入れている。
 
 提言案では、文化芸術団体や民間教室、芸術系大学が地域移行の受け皿となり、それらの団体に所属する人たちなどが外部指導者になることを想定。休日も指導を希望する教員は、兼業の許可を得て地域で指導できるようにする。
 

【どう考えてもイメージがわかない】

 文化庁有識者会議の人々の頭に、どんな心象が描かれているのだろう?
 月曜日から金曜日まで、コンクールの課題曲と自由曲の練習を学校で続け、土曜日または日曜日になると地域に出て行って・・・で、何をするのだ? 
 顧問と意思疎通の十分にできている指導者が、同じ考えをもって、顧問以上の指導力で続きをしてくれるのならいい。しかしそれだと私の住む市では、15中学校に15人の地域指導者が必要になるのであって、毎週休日を使って吹奏楽の指導ができる専門家をそれだけ用意できるかどうかが問題になる。もちろんできるはずがない。
 
 いやそうではない、休日の部活は数校集まっての合同練習だ、ということになれば、今度は場所や楽器移動の問題が生れる。仮に三校一緒の練習だとして部員はざっと60~70人。それだけの保護者が休日の朝、自分の子の学校へ行って楽器を受け取り、練習後は返還に行かなくてはならないのだ。自宅にトラックでもあればまとめて移送ということにもなるが、そうでなければひとりひとりの親が動くしかない。さて、そんな生活に耐えてくれるだろうか?
 

【誰が受け皿になる?】

 そもそも受け皿となってくれる文化芸術団体や民間教室、芸術系大学がどれくらいあるか、文化庁は調査してから提案しているのだろうか? 
 地域の文化芸術団体といっても、ほとんどが勤務の傍ら、自分の楽しみのために時間を割いてがんばっている人たちだ。とてもではないが他人のために譲る時間はない。そもそも演奏ができることと指導できることは別なのだ。

 民間の教室もいいが、月4回の講座で20000円もの月謝を取る音楽教室がタダでやってくれるとは思えない。受益者負担? ホラきた「困ったときの受益者負担」。だとしたらはじめから「義務教育は、これを無償とする」などと言いつつ、部活動など始めなければよかったのだ。

 ついでだが、我が田舎県にも芸大のひとつくらいはあっていい。是非とも早急に設置してもらいたいものである。

【結局、部活顧問しかない】

 どう見ても――上から見ても下から見ても、前後左右どちらから見ても、吹奏楽部の地域移行などできるはずがない。合唱部も然り、美術部も然りである。
 
 結局、部活顧問が親に懇願され部員に泣きつかれて休日も続けるしかないのだが、異動の際にはひと悶着あるだろう。
 親は「転任してもこのまま休日指導を続けくれ」と強く迫り、断れば新任の音楽教師を手ぐすね引いて待つ。うまく行かなければ議員に泣きつき、議員は教委を脅し、教委は校長を締め上げて次は校内で闘争だ。管理職と一般教員の仲は悪くなる一方。
 教員の働き方改革によって、職員集団が極めて居心地の悪いものとなっていく。


 
 【ひとつだけ、いいことがある】

 いや待て、悪いことばかりではない。
 もはや休日に指導している教員は「休日も指導を希望する教員」。やりたくてやっているわけだから、時間外労働の枠には入れなくて済む。おまけに兼業の許可を得て地域で指導できるわけだから、そこで多少の収入が出てきてもかまわない。自治体が民間の指導者と一緒に予算化してくれるかもしれないし、ほんとうに困ったら親も出してくれるだろう。これで「定額働かせ放題」の非難も多少はかわせるだろう、ホイ、ホイ。
 有識者会議はそんなふうに考えたのかもしれない。