キース・アウト

マスメディアはこう語った

精神疾患による教員の退職者が1300人を超えたが、政府はそれを個人的な資質の問題とだと捉えているようだ。だから大臣は言う。「仕事は減らさない、人は増やさない、夏休みもゆっくりさせないが、その分、教委や校長は頑張って職員の心のケアに励んでほしい――」

(写真:フォトAC)

記事

 

学校教員、精神疾患による退職が過去最多の1300人超 保護者対応など過重労働影響か
(2026.07.22 産経新聞)

www.sankei.com

精神疾患を理由に退職した公立小中高校の教員が令和6年度、全国で計1319人に上り過去最多を更新したことが22日、文部科学省の学校教員統計調査(中間報告)で分かった。文科省は児童生徒への指導業務や職場の対人関係など複合的な要因があるとみている。

3年前より369人増加
調査によると、6年度に鬱病などの精神疾患で退職した教員は前回調査(3年度)より369人増加した。病気による退職者の75%超を占めた。小学校801人(3年度569人)、中学校365人(同277人)、高校153人(同104人)で、いずれもデータのある平成21年度以降で最多となった。
(以下、略)

 教壇を去っていった1300人は、単に仕事が嫌になって辞めたわけではない。病気にさえならなければ、いまも最前線で日本の教育を支えてくれたはずの人たちである。

【それはこんな人たちだ】

 彼らのうちの多くは10代のうちに教員になることを決め、教育学部で真面目で誠実な4年間の修行をし、あるいは他学部で別の勉強をしながら、重ねて教職課程の単位も取ってきた純粋な人たちなのだ。教育への思いには、並々ならぬものがあったと思う。
 教員採用試験も、今は競争率が2倍前後にまで下がって“楽な試験”とみなされるようになったが、それでも専門に勉強してきた人や学校現場の経験者だけが受ける試験だから、低倍率といっても簡単ではない。現在でも受験者の半数以上が落ちる試験なのだ。

 そうしてようやく教師になった人たちが、やがて心を病み、休職と復職を何度か繰り返したあげく、ついに教職を去ることになるわけだ。どんな思いで学校を後にするのだろう。もちろん、辞めて第二の人生を生き生きと送り始めるならいいが、必ずしもそうした前向きの再出発ができるとは限らない。

 まず、傷をいやさなくてはならない。エネルギーも溜めなければならない。それからどんな職業に就くにしても、高卒の18・19歳や大卒の22歳・23歳の就職ではないのだ。その年齢になれば「知りません」では通らないことも多いのに、普通の会社員として修業はしていないから、年齢にふさわしい仕事ができない。スキルがない。

 世間の目はその人を「子ども相手の楽な仕事にも耐えられなかった人」としか見ない。実際にそうでなくても、「そんな目で見られている気がする」から、活動はどうしても後ろ向きになる。後ろ向きになれば成績も上がらず、ミスも増える。やがて「子ども相手の仕事もできなかった」という評価が裏付けられた形となり、普通の職業人としてやっていくことが難しくなる。お情けで雇い続けてもらったとしても、それが宙ぶらりんなまま、定年となる60歳過ぎまでずっと続くのだ。

 振り返ってみてほしい。彼がどんな人間だったか。
 それは教員に採用されると決まった日に、胸を希望と意欲でいっぱいにしていた人なのだ。

【米百俵はどこへ消えたか】

『1868年、戊辰戦争に敗れた長岡藩は石高7万4千石を2万4千石に厳封され、藩士は「一日三度の粥もすすることができない」ほどの窮乏状態に陥った。
見かねた支藩の三根山藩から見舞いとして百俵(約6トン)の米が届くと、長岡藩士たちは「これで飢えをしのげる」と歓喜した。ところが藩の大参事・小林虎三郎(1828–1877)は米を藩士に配らず 売却して学校設立の資金に充てると宣言。藩士たちの猛反発を受ける。それに対して虎三郎は次のように語って譲らなかったという。
「百俵の米も食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」 
 虎三郎は結局米を売却。その資金で国漢学校を開校。ここから山本五十六など、後に日本を支える多くの人材が輩出した』
 この話を改めて全国に広めたのは、小泉純一郎元総理大臣だった。彼は2001年(平成13年)5月7日の第151回国会・所信表明演説で「米百俵」を持ち出し、「聖域なき構造改革」を国民に訴えるのに、“痛みに耐えて未来を良くする”という意味で、この逸話を持ち出した。
 腹立たしいことに、「米百俵」の逸話は「痛みに耐える」という部分でのみ、使用されただけで、学校や教師を大切にし、教育に金を使う、という方向には進まなかった。それどころかここから15年あまりが、職員室を過酷にした苦難の時代だった。

 その前年(2000年)、総合的な学習の時間とキャリア教育が始まり、その翌年(2002年)は内容を十分に減らさないまま授業時数のみを削った(いわゆる)「ゆとり学習指導要領」が完全実施され、2006年には全国学力学習状況調査(いわゆる全国学テ)、教員評価・学校評価が義務付けられた。
 2008年には授業時数が年間945時間から980時間へと増やされ、2011年には1015時間へと元に戻された。学習内容もほぼ2001年以前へ戻されたが、学校週5日制は6日制に戻さなかったのでひたすら窮屈になっただけだった。

 さらにそこへ「環境教育」だの「SDGs教育」だの「ICT教育」だの――。他に「プログラミング教育」「メディアリテラシー教育」「(阪神淡路大震災以降の新しい)防災教育」「消費者教育」「食育」「ジェンダー平等教育」「いじめ防止教育」「多文化共生教育 」「金融教育(金融リテラシー)」「主権者教育」等々が被さってくる。もちろんだからといって従来の「人権教育」や「平和教育」「性教育」などがなくなったわけではない。
 そして文科省は唐突に、「夏休み中の学校を開放するように」とまで言い始める。

【米百俵を食いつくした上で、下々の“今あるもの”まで奪う】

 夏休みまであと20日というタイミングで、「子どもたちのために休み中の学校を開放するように」と通達を出したのは現・松本文科大臣だが、この人は「精神疾患による退職者1300人」をどうとらえているのだろう。
 これについては別の記事*1にこんな記述があった。
松本洋平文部科学相は24日の閣議後会見で「重く受け止めている。学校における働き方改革を加速するとともに、教員のメンタルヘルス対策の推進を図ることが重要だ」と述べた。
 ああ、重くは受け止めてくれているのか――精神疾患による休職者も7000人を超えているからな。

 しかし松本文科大臣はこうも言う。
「職場の対人関係や事務の負担など、多様な要因が複合的に影響している」
 なるほど、先生同士の人間関係や事務仕事が負担になるような状況、つまり教師自身の性格や能力に問題があると考えるわけだ。
だから対策も、
「管理者によるケアなどの予防的取り組みやストレスチェックの実施、相談体制の充実などを進めている」
ということになる。

 仕事は減らさない、人は増やさない、ゆっくりできるはずの夏休みも取り上げる、あとは教育委員会や校長の努力で、何とかするようにという話なのだ。
 若者よ、やはり教師になんかなってはいけない。

文科省はきっと教員募集のとんでもない秘策を編み出したに違いない。来年度以降、爆発的に応募者が増える見通しでもなければ、「夏休みの子ども預かり」なんてことを言い出すはずがないからだ。

(写真:フォトAC)

記事


夏休みの学校など一部開放、文科省が全国に要請へ 居場所を確保

【2026.07.03 毎日新聞)

mainichi.jp

 夏休み期間中の子どもの居場所を確保するため、文部科学省は学校の一部開放などを全国に要請する。松本洋平文科相が3日の閣議後記者会見で明らかにした。同日中に事務連絡を全国に出す。

 酷暑が予想される一方で電気代が高騰しており、経済的に苦しい家庭では冷房の使用を控える可能性も懸念されることなどが背景。子どもが安心して学びや体験活動に取り組める場所を確保する狙いがある。
(以下略)


【子どもが安心して学びや体験活動に取り組める場所の確保】

 「場所」という言葉は、人や物が存在する位置、または何かが行われる空間や土地を指すことが多いが、ここでは子どもが安心して学びや体験活動に取り組める場所と言っている以上、単に「冷房の使用を控える可能性も懸念されるから冷房のある空間を提供する」という話ではないだろう。

 「安心できる」「学びと体験活動に取り組める」――そう言う以上、当然、人員の確保と計画と予算が必要となる。しかもあと二週間足らずの間に用意しなくてはならないのだ。できるか?
 記事の割愛した部分には、
地域の各種団体やボランティアへの安全管理や見守りの依頼などが想定される
とあるが冗談じゃない。部活の外部移行ですら上手く行かないのに、2週間で何ができるというのか。
 結局、教員が総出で対応するしかない。
 教師たちからは当然不満が出そうだが大臣は聞く耳をもたない。同日(注:3日)中に事務連絡を全国に出すというから取り返しがつかない状況をつくってからの発表ということなのだろう。

 私は「放課後児童健全育成事業(いわゆる学童保育)」の場に勤めたことがあるが、少なくとも7月中は、共稼ぎの家の子のほとんどが学童保育に来ていた。つまり小学校の児童の75~80%が引き続き学校に来るということだ。冷房が効いていて電気代の節約になるとなれば来ないでいい子まで来る。体験活動に取り組めるとなると行く気のない子まで行きたくなるから児童の大半が登校してくるが、全員が来るわけではないから授業を進めるわけにもいかない。大変なことだ。
 学校を開放する場合は教員の業務が増える可能性もあるが、働き方改革にも留意するよう求める。
 こんなまやかし発言ができるのは、松本大臣を除けばドナルド・トランプくらいしかいない。

【昭和の教員は、夏休みに一日も出勤しなくてもよかった】

 かつて教員は魅力的な職業だった。給与が特別よかったわけではないが、やりがいがあり、人々から尊敬され、大事にされ、そして長期休業があった。宮沢賢治、島木赤彦、窪田空穂、上田敏、有島武郎、若山牧水――こういった人たちは皆、長期休業を利用して教養を深めた人たちだ。そこまでのレベルを要求しないなら、地域の文化を担った作家・歌人・俳人・画家・彫刻家・地方史研究家・自然科学者らはいくらでもいる。
 昔の教師は夏休みをたっぷり休んで、創作や研究に没頭できた。私が教師になった昭和末期でさえ、長期休業中、教員は部活と日直当番さえしていればあとは自由に休めた。当時は「自宅研修制度」が自由に使えて、その気になれば一日も出勤せずに、自宅で過ごすことができたのだ。長期休業以外は、朝晩土日も事務仕事や教材研究、部活で働いていたから、夏休みに勤務しないことにも何の後ろめたさもなかった。それが魅力だった。

 しかし平成にいたって長期休業中にも大量の研修や行事が入れられ、簡単には休めなくなった。平成不況の中で社会全体が苦しんでいる中で、教員だけがのうのうと夏休みを休んでいるわけにはいかないという話だったが、普段、朝晩土日も働いていることは顧慮されなかった。

【今も法律上は制度が残っている】

 実は今でも「自宅研修」を可能とする法律は残っていて*1、文科省の号令ひとつで、いつでも昭和に戻せる状況にある。したがって紙一枚に、「自宅研修制度を復活する」と書いて全国に配れば、1円の予算もかけずに、教員の待遇改善は果たせ、教職の魅力は燦然と輝くはずだった。

 35人学級が中学校3年生まで拡大し終える令和10年まで、財務省はひとりの教員増も認めないだろうし、教職調整額が10%に引き上げられる令和12年までは、教員給与も増やすつもりはない。人々が突然、教員を尊敬し、大切にし始めることもなさそうだ。
 そんな中、長期休業中の教員の完全休養は、ほとんど唯一の、しかも確実な待遇改善策になるはずだった。現在7000人もいる精神疾患による休職中の教員も、長い休養を適切に設けることによって、これ以上、増やさずに済む可能性があった。
 ところが――。

【これだけのことをするからには大臣に秘策があるはずだ】

 松本文科大臣は教員の長期休業にトドメを刺した。給与を上げる必要もない、数を増やすこともない、夏休み冬休みもゆっくり休ませない、しかしそれでやっていける、そう踏んだのだろう。何かとんでもない秘策があるに違いない。
 大臣の座右の銘は「いまやらねばいつできる、わしがやらねばだれがやる」(小平市名誉市民 平櫛田中の言葉)だという。政治信条は「頑張っている人たちの汗が報われる公正な国づくり」。

 学校現場がブラック企業のように言われ、教員の成り手が減って教員配置に穴が開く今現在、さらに教員の生活を追い詰めても大丈夫と考える理由はこれから語られると思うが、松本大臣なら「頑張っている先生たちの汗が報われる国づくり」をしてくれるはずだと、私は泣きたいくらいの気持ちで、この件の落ち着き先を見ていこうと思う。

*1:教育公務員特例法 第22条第2項(現行法)
教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる

東京都北区の学校火災は、教員が私物の洗濯物をストーブで乾かしていたことが原因だったという。もしそれが日常化していたのなら驚くべきことだ。しかしより深刻なのは、そのような行為に気づかなかった学校の管理体制である。 

(写真:フォトAC)

記事


女性教員「洗濯物は私服」 電気ストーブも私物―小学校火災
2026.07.02時事通信)www.jiji.com


 東京都北区の区立滝野川第三小学校で、児童ら11人が重軽傷を負った火災で、40代の女性教員が、火元とみられる校舎4階の音楽準備室で干していた洗濯物について、「私服で、(火元近くにあった)電気ストーブも私物」と説明していることが2日、分かった。同小の高草木政浩校長らが記者会見し、明らかにした。

(以下、略)

 


 私は教員として現場に30年間奉職し、学校の隅々まで熟知した、しかもおそらくはつまらないほどに常識的な人間である。

【私には自信があった】

 その私の経験と知識に従えば、教員が自宅から私物を持ってきて洗濯をし、準備室に干して乾かすなど、100%ありえない話である。だから自信をもって前回の記事*1を書いたのだが、世の中、やはり人間のやることに100%はないということなのだろうか?
40代の女性教員が、火元とみられる校舎4階の音楽準備室で干していた洗濯物について、「私服で、(火元近くにあった)電気ストーブも私物」と説明していることが2日、分かった。
 衝撃でめまいさえ感じる。
 あまりにもアテが外れたという衝撃もあるが、学校内に女性の洗濯物が干されているという性的なイメージが私を圧倒するのだ。

【アカデミズムの場に性的なものはあってはいけない】

 学校はアカデミズムの場、学究の集まる場でなければならない。どんなに古臭いと言われようとも、学校が世間と同じ汚れた地平に立つことを、私は受け入れられない。

 だから十数年前、ちょっと腰骨の曲がった女子中学生たちが、薄地の透けるブラウスの下をパステルカラーの下着でそろえてきたときは、たちどころに「下着は白」に手を挙げたのだ。そんな性的なものを目の前にして、普通の男子は苦しい勉学など続けられるはずがない(と私は思う)。
 それが今回は音楽準備室に大人の女性の洗濯物なのだ。

 清掃に入った高学年の男子児童は、それをなんと見るだろうか?
 授業中、何かのきっかけで開いた準備室のドアの隙間から、同じものを見た女子児童はどう考えるのだろう?
 “いや、さすがに下着は家で洗ったろう”という話になると、今度は洗濯物を分けた理由が分からない。この季節、洗濯物として出てくるのは、下着を除けば上に着る薄手のブラウスかシャツ、出しても薄手のパンツかスカートくらいなものだろう。下着と分けて別々に持ってくることもない。

【誰も気づかなかったということがあるのか?】

 女性教師は朝、6時に出勤して洗濯をしたと言うが、教頭は朝の見回りをしなかったのか?
 校長は日ごろ、校内の見回りをしないのだろうか? 私が勤めてきた学校では、少なくとも平成以降、校長は時間の許す限り校内の見回りをし、授業を参観し、教室や準備室の整理整頓の具合を確認したものだ。そうしなければ評価ができない。適切な評価・助言ができなければ、校長自身の評価表が書けなくなる。

 もちろん屋外活動をしているうちに土砂降りに会い、仕方ないのでTシャツを着替えて一時的に干している程度のことに目くじらを立てることもないが、日常的な洗濯を学校でしていたとなると、それを管理職が把握していないこと自体がおかしい。毎朝6時に出勤して何をしているのだと、確認する必要もあった。
 さらに言えば、一般教員さえ知らなかったということもおかしい。自分のクラスの音楽の授業や清掃指導の際に、目撃できる機会はいくらでもあったはずだ。

【もう少し様子を見よう】

 時事通信の記事は最後の方で
以前から、金管バンドで使う楽器を拭くタオルなどを洗濯していたという。
と記して日常的に私物を洗濯していたわけではないと読み取ることもできる。できればせめて、
「音楽科とともに指導している家庭科*2で使う私物のエプロンを洗濯していた」
といった穏やかな話で終わらないものか。そうであることを切に願う。

 それにしても、同じく記事の最後に出てくる、
同校長は、なぜ私服を洗濯していたかは確認できていないとしつつ
 記者会見で絶対に聞かれそうな内容なのに、調べていなかったのか。教委も想定問答になぜ入れておかなかったのか、不思議である。まさか中途半端な聞き取りのまま記者会見に臨んだわけでもないと思うが、この質問を想定した上でのこの回答だとしたら、それもまた謎だ。
 もうしばらく、成り行きを見よう。

*1:kieth-out.hatenablog.jp

*2:授業時数の少ない音楽専科の教師が、家庭科の授業を兼任することはよくある

火事を出して子どもを危険にさらしたのだから何も言えないが、それにしても原因は切ない。

(写真:ChatGPT)

 

 

記事

 

【小学校火災】児童を助けた40代女性音楽教師が一転、失火の“容疑者”に…燃えた衣類は「金管バンドのユニフォーム」か
 (2026.06.27女性自身)

jisin.jp

 6月19日に発生した、東京都北区の滝野川第三小学校の火災。児童や教職員11人が搬送され、児童と女性教員1人が骨折の重傷を負ったが、24日になって40代の女性教員が「サーキュレーター(送風機)を使って洗濯物を乾かしていた」との趣旨を警視庁に説明していることがわかった。警察は失火容疑で火災との因果関係を捜査している。

 「この女性教員は、火災の発生時、音楽室で5年生の児童26人に音楽の授業をおこなっていました。その隣の音楽準備室から煙が上がりましたが、廊下を伝っての避難はできない状態だった。女性教師は児童を窓から脱出させ、ひさしの部分に避難させたといいます。これは通常の避難経路ではなく、咄嗟の判断だったようです。

 結果として児童1人が骨折しましたが、ほかの児童を無事避難させることができました」
(以下略)

 

【悪意ははびこる】

 基本的に女性週刊誌を読むことはないが、Yahooニュースが転載していたので本家をたどって読み直した。というのは、Yahooはしばしば記事を短期間に削除してしまうためリンクは元記事に貼っておいた方が安全なこと、また、稀ではあるが、Yahoo記事が抜粋だったりすることもあるので元記事に当たっておくことが必要だ。

 滝野川第三小学校の火災は、音楽科の教師が準備室で洗濯物を干して電気ストーブで乾かそうとしていたためだという話は一昨日あたりから出ていた。当初はXなどで蜂の巣をつついたような騒ぎで、
「音楽科教師が日常的に学校で洗濯をしていた私物で、“忙しくて家ではできないので学校でやるしかなかった”などと言い訳をしている」
などと、発火点の低い人々によるまことしやかな話で盛り上がっていた。

【わざわざ学校で私物の洗濯をすることはない】

 言うまでもないことだが、ありえない話だ。
 朝の忙しい時間に洗濯物をバッグに詰め込んで満員電車で学校まで運び、家庭科室の洗濯機で洗濯をしてから(というのは、洗濯機は普通、家庭科室にしかないからである)4階の準備室まで持ち上げ、そこでハンガーに掛ける。電気ストーブのスイッチを入れてサーキュレーターを回し、乾いたら午後、それを畳んでまたバッグに詰めて家に持ち帰る――その方がよほど面倒くさく、時間もかかりそうだ。

 私だったらどうするか教えてやろう。
 朝、洗濯物はバッグではなく、洗濯機に入れてスイッチを押し、それから出勤するのだ。全自動洗濯機だから帰宅した時にはすでに乾燥まで終わっている。干す手間もない。こんな簡単な方法があるのに、何が悲しくて家庭の洗濯物を職場に持って行かなくてはならないのか。
 さらに言えば音楽室は専科の教師だけが使うものではない。低学年では学級担任が音楽の授業も行うことが多く、準備室に足を入れることもある。若い男性教師だっている。そこに私物――家族と自分の下着を干せるか?

 少し考えただけでもアホなヨタ話と分かるのに平気で拡散していったのは、やはり一部の人々の教師不信には、測りがたいものがあるということだろう。考えさせられはする。

【結局、備品は教師が洗濯するしかない】

 もっとも事件の扱いは一夜明けるとすっかり変わっていた。今回とり上げた『女性自身』の記事に対するコメント欄も好意的なものが中心となり、擁護の声が大きくなってくる。
 常識的に考えて、教師が堂々と家庭科室で洗濯して干せるのは学校備品だけであり、音楽準備室に干したとしたら、インタビューを受けていた子どももその存在を語っていた『鼓笛隊の制服』がもっとも怪しいことになる。電気ストーブまで使って慌ただしく乾かしたのは、翌土曜日か日曜日に何かの演奏行事でもあったのかもしれない。

 同じ教員や鼓笛隊(吹奏楽部)経験者、その保護者たちはほぼそのように想定し、確信する。けれどその上でさらに、疑問を呈する人たちもいる。

  1. 鼓笛隊の子どもたちが使う制服。なぜ親たちに洗わせないのか。家に持ち帰らせ、クリーニングに出させるなり、自宅で洗濯しアイロンをかけて提出させればいいではないか。
  2. 学校の備品なのだから、公費で洗うのは当然だろう。なんで教師が自分で洗わなくてはならないのだ?


 実はその答えもコメント欄にある。
「1」 については、

  • きちんと洗って返せない家がある。
  • そもそもアイロンを持っていない家がある。
  • クリーニング代を出せない家がある。
  • いちど持ち帰らせると、なかなか戻ってこない家もある。
  • 備品の管理は学校でやるものだからと、親にやらせることに不信感をもつ保護者がいる。

「2」 について言えば

  • ・教育予算からクリーニング代を出させるということになると、他のどの予算を削ればいいのかということが問題になる。
  • 鼓笛隊のない学校も存在することを考えると、公費から制服のクリーニング代を出すことは不公平につながる可能性がある。
  • もちろん潤沢に資金があればいいのだが、学校予算を増やすことを理由としたものでも増税に国民が応じるとは考えにくく、予算は行政改革によって生み出すしかないが、その行政改革の枠には教員の給与あるいは人員削減も入ってくる。
  • だとしたら安易に予算の増加を求めるわけにはいかない。

 かくて毎年、学校じゅうのカーテンを洗うように、鼓笛隊の制服も教師が洗うことになる。それどころか鼓笛隊(あるいは吹奏楽部)の制服そのものを自腹でつくる教師も出てくる。
 より良きもの、より素晴らしいものに仕上げようとすると、どうしてそうなってしまうのだ。

 しかし、だからと言って当該音楽教師の罪が免れるわけではない。失火の責任はもちろん取らなければならない。それは前提だ。

苦しいことは誰か他の人がやるべきだと思っている我儘な親と、節操なく読者に阿(おもね)るポピュリスト評論家、キミたちには宿題の丸つけの意味さえ分かっていない

(写真:フォトAC)

目次

 

記事

 

「宿題のマルつけは親」はもう限界? 「一律の宿題」そのものを廃止する学校が出てきている納得の理由
(2026.06.03 All About) 

allabout.co.jp

 「毎晩の宿題のマルつけがしんどい……」そんな親たちの悲鳴。全ての家庭に一律の協力を求める今のシステムには無理があります。手書きドリルからタブレットへの移行、そして宿題をなくす学校の動きから、これからの宿題の在り方を考えます。

「毎日の宿題のマルつけや、音読のサインが親の大きな負担になっている」
 小学生のお子さんを持つ保護者の間で、毎日のようにネットやSNSでため息混じりに語られるのが、この宿題への「親の関わり」をめぐる問題です。
 
 仕事や家事で忙しい毎日のなか、子どもの勉強に付き合うのは決して簡単なことではありません。「なぜ学校の仕事を親がやらされているの?」と疑問を抱くのも無理はないでしょう。
 
 All Aboutの子育て・教育ガイド、鈴木邦明氏の著書『言い方・伝え方でこんなに変わる 保護者の相談・クレーム対応100』(学事出版)から一部抜粋・編集し、家庭を疲弊させる「宿題マルつけ問題」の現実と、これからの新しい宿題の在り方を考えます。
 (以下、略)

【親は嘆く】

「もういい加減にしてほしい。学校は子どもを親に押し付けるんじゃない!」
と親の悲鳴が聞こえてくるような記事である。

「長年の夢が叶って学校からPTAがなくなり、おかげで休日の無賃労働も会費もなくなった。給食費もなくなってだいぶ楽になったとはいえ、学校でやるべき丸つけを今でも親にやらせているなんて!日本は諸外国に比べて30年くらい遅れてるんじゃないか? 


 そもそも日本の学校は親を頼りすぎてるんだ。

 インドやパキスタンは土曜日も授業をやっているっていうし、シンガポールやオーストラリアでは夏休みもない。日本だけがいつまでも子どもを親に押し付け、親の力を借りて子育てをしようとする。こんなことをしているからみんな親になりたくなくなって、少子化が進んでいるんだ。いい加減にしろ!」

 「諸外国」をインド・パキスタンで代表させるのもいかがかと思うし、シンガポールやオーストラリアみたいに2~3週間の休暇があちこちに分散して4~5回もある国をさして「夏休みがない」というのも筋が違う気もする。

 しかし引用した記事は親たちの嘆きに積極的に同調していく。
 結論から言えば、保護者による宿題のマルつけは、基本的には廃止していくべきだと私は考えています。

【ポピュリズム:宿題なんてなくてもいい・・・か?】

 さらに長期休業中の宿題についても、
私個人は宿題をなくしてもよいと考える立場です。やはり、子ども自身が必要と感じ、自らの意志で取り組もうとする学習にこそ、意義も効果もあると思います。
と――、よくもまあ、教育の専門家のくせに、こんな現実性のない空論が言えたものだ。
 確かに子ども自身が必要と感じ、自らの意志で取り組もうとする学習にこそ効果はあるが、子どもは、必ずしも親や社会が必要と考え、自らの意志で取り組んでもらえたらいいと考える課題を選び取るわけではない。

 ある子はゲームの攻略法を最も必要と感じ、別の子は“推し”の情報と追っかけの資金が必要である。さらに別の子はオンラインカジノで使う資金が何よりも必要なものであって、みなそれに向かって自らの意志で取り組もうとする
 最初の子は本やネットで攻略情報を集め、何百時間もかけて検証する。別の子は“推し”を追っかけて日本中を駆け回る。そしてさらに別の子はカジノ資金を集めるために秘匿性の高いSNSに慣れ、収益性の高い闇バイトの見分け方などに自らの意志で取り組もうとする。それで欲しいものが手に入るのだから、そうした学習の意義や効果は高い。

 だが算数や国語は、ゲームや“追っかけ”、カジノほどは楽しくない。それら学校の勉強の必要性がほんとうにわかるのは、大人になってからである。
「ああ、もっと勉強をしておけばよかったな」
 その日まで、親は黙って見守るしかないのだろうか――。
 もっとも記事はちゃっかり、
「本人の自主性に委ねるだけではうまく学びにつなげられない子どももいることを念頭に、最適解を探していくことになると思います」
などと逃げを打っているが――。

【なぜ親が丸つけや音読のチェックをしなくてはならないのか】

 これにはいくつかの理由がある。

1.学校に余裕がなくなった

 第一は、学校に丸づけや音読確認の余裕がなくなっているからだ。この場合、「教師が多忙」というのが最大の要因ではなく、影響があったのは時数の削減である。
 下は昭和33年と現行の学習指導要領に示された算数の授業時数を比較したものだが、見てわかる通り、高学年は年間で35時間も時数削減、割合にして20%も減らされたのである。

 どうして減らしたのか――ちょっとピンとない数字だが、これを、
「昭和時代には週6時間あった算数が週5時間に減らされた」
と言えば事情は理解できるだろう。学校五日制が始まって、210時間が175時間になったのである。

 学校は年間授業日数175日(35週)で行うという擬制の上に成り立っているため(週6時間×35週=210時間)だったのが、(週5時間×35週=175時間)に減ったのである。そして時数が減ったのに合わせて、内容も減らした(2002年完全実施の指導要領)。ところが社会の猛烈な「ゆとり批判」があって、指導要領改定の10年を待たずして、ほぼすべての内容が戻された。
 いわば、器が小さくなったので中身も減らしたカツ丼に、もういちど以前と同じ量のカツやご飯を入れたのだからあふれるのは当然だ。

 算数では「分かる」「できる」「すらすらできる」の三段階が重要とされるが、今や授業では「分かる」「できる」までがせいぜい。「すらすらできる」は家庭に任せるしかなくなったのである。

2.親に実情を見てもらう

 「お受験」が社会問題となったのは2回。バブル経済とぴったり重なる1986年(昭和61年)~1991年(平成3年)。そしてう「ゆとり教育」が親たちを恐怖に陥れた1999年(平成11年)~2008年(平成20年)だ。猫も杓子も「お受験」に向かう中で、とてもではないが受験に耐えられないような子まで追いやられてしまった。そして潰れた。
 原因のひとつは、明らかに親が子の実力を見誤っていたことにある。この子には「お受験」を乗り切るだけの能力がない――そう教師が言えば角が立つ。宿題の丸つけをする中で、自然に理解してもらうしかない。

3.子と親の向かい合う時間を確保する

 一日に一度、短時間でいいので親が子と向かい合う時間を持ってもらう。他のことを忘れ、その子だけのことを考える時間をつくってもらう。

 丸つけをする中で、「おや、この子、こんなところで間違えるんだ」とか「思ったより漢字、書けないんだな」とか気づき、「こんなことじゃ将来大変かな」と不安になったり「授業中つらい思いはしてないかな?」と心配したり。あるいは逆に「この子にはもう少し負荷をかけてもいいかな」とか「中学受験を勧めてみようか」とか、宿題の中から読み取れることを読み取ってもらう。

 親が子を誉めるきっかけにもしてもらう。
「おや、音読。この前よりすごくうまくなったじゃないか」
「あ、この漢字、前は間違えたやつ、書けるようになったね」

 特に仕事や家事で忙しい毎日のなか、子どもの勉強に付き合うのは決して簡単なことではありませんといった状況の親にこそ、時間を取ってもらわなくてはいけない。そのための丸つけ・音読評価なのだ。忙しいからできないというのは、本末転倒である。

【子どものために時間を使う】

 1980年代アメリカの伝説的殺人鬼ジェフリー・ダーマーの父親ダイオネル・ダーマーは数学者だったが、彼は「親の愛は計測できる」と言った。
「愛は自分の最も大切なものを、子どものためにどれだけ費やしたかによって測ることができる。現代人にとって最重要のものは“時間”だ。したがって親の愛は、子どものために費やした時間の総量で示すことができるのだ」(大意)

 丸つけや音読の評価のための10分、15分が我慢できない親たちは、どうやって自分の愛を証明するのだろう?

PTA役員になると誰でも、iPad Airが通常より8000円~1万7000円も安く買えるんだって!

(写真:ACフォト)

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ママ友に「PTA役員になるとiPadが1万円以上安く買える」と勧誘された!「学割のようなもの」と聞きましたが、PTA役員も対象なんですか? 意外と知らない“Appleの教育割引”とは
 (2026.05.08 FINANCIAL FIELD) 

financial-field.com

 Appleには、学生や教職員であれば通常よりも安い価格でMacやiPadなどの製品を購入できる、教育割引があります。この割引は、PTA役員として活動している保護者も対象になるのです。 本記事では、Appleの教育割引は通常価格と比べてどれくらい安くMacやiPadを買うことができるのか、どんな人が対象になるのか、教育割引を使って製品を購入する方法についても解説します。
 
 教育割引でiPadがいくら安くなるの?
 Appleには学生・教職員向けストアがあり、MacやiPadを割引価格で販売しています。例えば、iPad Airなら128GBの場合は通常より8000円安い9万800円から、1TBなら通常よりも1万7000円安い16万9800円からです。 教育割引はMacやiPhoneといった製品だけでなく、一部のアクセサリやAppleCare+の保証なども対象になるので、組み合わせによってはよりお得に購入できます。 教育割引を使うとAppleのギフトカードがもらえるなどのキャンペーンを開催しているときもあり、お得にApple製品を購入できるので、対象の人は教育割引を使って購入することをおすすめします。
 
 PTA役員は誰でも対象になるの?
 Appleの教育割引は大学生、高等専門学校および専門学校生とその両親、教育機関の教職員以外にも、PTA役員に選出された人と既にPTA役員として活動している人も対象となります。
(以下、略)

 全国各地で単位PTA(学校ごとのPTA組織)が潰れている。ほとんどの家庭が共稼ぎとなっている現在、PTAの仕事に時間やエネルギーを奪われるのはたまらん――というのが理由らしい。時代は変わった。それもいたしかたない。
 
 これまであったPTA作業やら研究会のお手伝いやらはボランティアにお願いし、PTA会費やバザーなどの収益をあてにしていた暖冷房費の不足分やその他の教育費は市町村にお願いして、それも不十分なら子どもに我慢させて凌げばいい。大したことではない。しかし保護者が正当に選んだ代表者=PTA会長を失って大丈夫だろうか?

【保護者代表はいなくてもいいのか、あんなヤツがなってもいいのか】

 学校のやり方に不満や不安のある場合、そのつど有志を募って交渉団を結成するのか、それで保護者の代表と言っていいのか。つまらんお調子者や物見高い一部の保護者が手をあげて、あるいはマスコミ関係者や政治色の強い人が代表となって学校をかき混ぜてもいいものか。
 重大な事故や事件が起きた時、誰が学校を監視するのか、誰が抗議に行くのか、誰が言質を取ってくるのか、誰が行政やマスコミに働きかけるのか――。

 一方、学校側にも困惑は広がる。PTA会長を失った学校で、校長は誰をたよりに学校運営を行っていけばいいのか。学校の周辺の環境整備を訴えるとき、校長はひとりで市町村に働きかけるのか、地域にお願いしたり、地域について教えてもらったりするのに、どこに行って誰と会えばいいのか――。
 もちろん地域には地域の代表者がいる。しかしその人たちが必ずしも協力的とは限らない。町会長や区長に頼んだところで膨大に仕事の増える話を、彼らが簡単に引き受けてくれるだろうか。そもそも町会長・区長の成り手だって少ないのだ。そのために町会の仕事も極力減らしてきたというのに、今さら学校PTAの仕事まで引き受けたら本末転倒だ。町内会まで解散の憂き目にあう――。

 大きな事件・事故が起きた場合、真っ先に駆けつける保護者代表がいないのは、一瞬、楽である。説明する相手が一人減る分、5分か10分の節約にはなる。しかしそのあとの保護者説明はどうするのか。毎日、一斉メールを更新して送り付けるのか、保護者たちから送り付けられる意見・質問メールに誰がいちいち答えていくのか。
 PTA会長のいた昔なら「会長に話してあります。すべて会長にお見せしています」で済むし、会長は「全部、私が承知している。任せてほしい。経過は一括して保護者説明会でお話しする」で済んだはずなのに――。

【ボランティア役員にも報酬は必要だ】

 というわけで、PTAはなくしてもPTA会長・三役あたりまではぜひとも残しておきたい。しかしほとんど役得のない今までのPTAでは役員の成り手もいない。かといって会費を集めて報酬というのも学校にはなじまないだろう。そこでアップルだ。

「PTA役員になるとiPadが1万円以上安く買える」
 すばらしいじゃないか。
「日本の学校教育のために汗を流し、時間と労力を犠牲にしてくれる人のために、アップルは最大限の協力をします」
 それも素晴らしい宣伝だ。
 PTA役員なんて全国に無限にいるわけではない。1割引き、2割引きで売ったって損はないだろう。全国の家電量販店やドラッグストア、外食チェーンなども追従すればいい。さらに制度を部活指導者などに広げれば、いっそうの宣伝効果がみられるはずだ。

 公共の学校に企業宣伝はなじまないと言っていられる時代ではない。公営の球場や体育館にだって企業名がついているではないか。
「PTA役員になるとiPadが1万円以上安く買える」
 さすが資本主義の牙城アメリカ合衆国の巨大企業、実に見事である。
 アップル! じゃなかった、アッパレ!

京都府の小学生殺人事件を機に子どもにGPSを持たせるかどうかが議論になっているという。しかし時代遅れでもいい。あんなものを持たせても犯罪抑止にはならない。持たせるなら子を殺す親の方だ。子どもにスマホまで渡して、ネット犯罪の餌食にすることはない。

(写真:フォトAC)

 

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「GPS機器の学校、持ち込み禁止は時代遅れ!?」子どもの安全をどう守る「監視はやりすぎ」と批判の声も

 (2026.05.01 CHANTO WEB)

chanto.jp.net

 京都府で小学6年生の児童が行方不明となり、その後遺体が発見された痛ましい事件は、犯人が逮捕された後も驚きをもって報じられています。子どもの安全を脅かす事件をきっかけに防犯意識が高まり「GPS機器」の重要性を指摘する人が増えるいっぽう、批判の声もあって──。防犯アドバイザー京師美佳さんにお話を伺います。
 
 ■GPS機器を学校に持たせるのはあり?なし?
 ── 先日遺体が見つかった京都府の事件で行方不明となっていた男の子の学校ではGPS機器の持ち込みが原則禁止とされていたようですね。GPS機器の携帯について文科省は2020年に「原則禁止だが条件付きで容認」という指針を示していますが、同様の対応をとる小・中学校は少なくありません。
 
 京師さん:教育関係者にお話を伺うなかで感じたのは、「まだまだ閉鎖的な学校が多い」ということでした。GPS機器には、録音機能やトーク機能がついているものもあり「記録されること」をよく思っていない関係者らは、防犯目的であれ、それらの所持には消極的でした。
 
 ですが、持っていること自体が誰かに迷惑かけるものでもありません。子どもたちの安全を守るためにGPS機器の使用については議論、見直しが必要だと感じています。
 
 ──保護者の約7割が小学校の入学までにGPS機器を含めた防犯グッズを持たせるか検討する、と聞きます。
 (以下、略)


【下品で方向違いの見出し】

 ある意味で、とても象徴的な表題である。
 特に学校批判を中心とした記事でもないのに、いかにも学校の非を打ち鳴らしているような一節。「GPS機器の学校、持ち込み禁止は時代遅れ!?」
 基本的に“子どもにGPS機器を持たせるべきだ”という内容なのに批判を恐れて『「監視はやりすぎ」と批判の声も』とバランスを取っておく――。
 多くの人たちに関わりがあって、それだけに不満の多い学校の批判は読者の食いつきもいい。しかしGPS機器を持たせるかどうかはおそらく賛否の分かれる問題で、一方に偏していると思われるとそっぽを向かれる心配があるから両論併記の形にしておこう――そんな下種な配慮の見られる安易な表題。

 さらに現在ニュースとしてもっとも熱量のある京都府の事件を入り口に置いて、
行方不明となっていた男の子の学校ではGPS機器の持ち込みが原則禁止とされていたようですね
 しかし被害に遭ったあの子の事件は、GPS機器を持っていたら防げたという話なのだろうか?

【GPSも、持たせればいいというものではない】

 「GPS・犯罪」と並べてまず思い出すのは、昨年の暮れ、水戸市でネイリストの女性が殺害された事件である。犯人は被害者の好きなキャラクタにGPSを仕込み、あたかも景品として当選したかのように装って実家に送ってそれが被害者の自宅に届き、住所特定につながった。GPSが加害者のために仕事をする。
 京都府の事件でも、仮に被害児童がGPSを持っていても、命を救うという意味では何の役にも立たなかっただけでなく、運よく逃げ出しても、義父に果てしなく追跡されるための発信機となった可能性さえあるのだ。機器は、それ自体が安全を保障するものではない。

 実際に誘拐を行おうとする者は真っ先に被害者の身体検査をするだろうし、ランドセルなどもできるだけ早く捨てるようにするだろう。運よく捨てられなかったとしても、現代は被害者を生かしたまま身代金交渉をするような時代ではない。
 GPSは遺体捜索には役立つかもしれないが、誘拐・殺人を防ぐには何の効果もない。むしろ持たせたことで大人たちが安心し、安全のために打つべき方策の、手が緩むことの方がよほど恐ろしい。

【結局、機械ではない。人間だ】

 2004年11月に起こった奈良小1女児殺害事件の被害者は、当時の1年生としては極めて珍しいことに携帯電話を持たされていた。GPS機能も付いていたが、犯人が極めて短時間で電源を切ってしまったために、追跡ができなかった。しかしその携帯は捨てられたわけでも電源が切られたままだったわけでもなかった。それは犯人によってたびたび電源が入れられ「娘はもらった」「妹にも注意しろ」といった脅迫文が送られたり、最後は被害者女児の遺体写真を送るのにも使われたのだ。母親はその写真をいきなり見せられた。
 結局、繰り返されたメール・電話などの解析結果が犯人特定につながったのだから、携帯はまったく役に立たなかったわけではないが、犯人逮捕は携帯を持たせた保護者の一番の願いだったのだろうか?
 実は女児が不審な男性の車に乗り込むところを目撃した人がいた。その証言によると、女児はいともあっさりと車に自分から乗り込んで行ったのである。のちに犯人自身の証言によっても、そのことは確認されている。
 つまるところ最後は人間なのだ。小学1年生にそこまでの対応が期待できない以上、大人が隙間を埋めなくてはならない。本気で心配するなら、子どもが一人になる時間を、限りなく減らしていくしかない。もちろん減らしたところで、親が加害者ではどうしようもないのだが。

【GPSがないばかりに誘拐されて殺される確率が――一番低い】

 現在、日本で発生する殺人事件のおよそ45%は家族間で行われるものである(2019年のように54.3%と「半数以上」を占めた年も確認されている)。そのうちおよそ三分の一(32%)が配偶者によるもので、さらに約三分の一(32%)は親が子を殺した例である(その他、子が加害者である例は17.5%、兄弟姉妹間11.9%、その他の親族6.5%となっている《2022年警察白書》)。

 こうなると単に数字上は、年に1件あるかないかという子どもを対象とした誘拐殺人事件を警戒してGPSを持たせるより、自身や配偶者にGPSを持たせて互いを監視し合った方が、子どもの安全のためにむしろ良いということになる。南丹市の事件はまさに恰好の例である。

 また、GPSを与えられて365日24時間監視され、寄り道もできず、道草も食えずに育つ子どもの行く末を考えたり、さらに進んでスマホまで与えられ、SNSで良からぬ人とつながったり依存症に陥ったりする子どものことを考えると、誘拐されて殺される危険性を引き受ける方が、よほどマシだと思うようになる。誘拐殺人事件の犠牲者になる確率なんて、数千万分の1もない。しかしスマホで犯罪に巻き込まれたりいじめになったりする子は、その何万倍も確率で存在するのだ。

 実際に私は、ふたりの子どもには高校生になるまで携帯を持たせなかった。もちろん孫たちについては、親の方針に口出しこそしないものの、先回りをして買ってやることなど絶対にない。その上で孫たちのいずれかが誘拐殺人の犠牲者になるとしたら、それはもうその子の運命というしかないのだ。