キース・アウト

マスメディアはこう語った

日教組の組織率が2割を切った。教職員の代表者たちは尾羽打ち枯らし、何のパワーも持たなくなった。おかげで彼らのナマの声は政府に届かず、大切なことは雲の上で決まってしまう。そして教職員たちは「働き方改革」という名の賜物が、天から降ってくるのをひたすら祈り、指を咥えて待っているだけなのだ。

(写真:フォトAC)

記事

 

日教組加入率2割切る 過去最低更新―文科省
(2024.03.01 時事通信

www.jiji.com  
 日本教職員組合日教組)に昨年10月時点で加入している公立学校の教職員の割合は、前年比0.9ポイント減の19.2%で、初めて2割を切ったことが1日、文部科学省の調査で分かった。47年連続の低下で、他の団体を含めた教職員団体全体の加入率は同1.5ポイント減の27.7%だった。

 同省によると、大学と高専を除く公立学校の常勤教職員約101万4500人のうち、日教組加入者は前年比約9700人減の約19万4600人だった。

【昭和の亡霊たち】

 さすがにここ10年ほどはいなくなったが、日本の教育が悪くなったのは日教組の掲げる行き過ぎた平和主義・平等主義・人権尊重ためだと信じる人たちが大勢いて、日教組さえ潰せばかつての偉大な日本が戻ってくると信じる人々がいた(Make Japan Great Again)。しかしさすがに組織率が3割を下回るとその声は小さくなり、2割を切った今(*1)はだれもその話をしない。
 私はかつて日教組をあしざまに言った人たちに聞きたい。
「組合は実質的に潰れてしまったが、日本の教育は日増しに良くなっているのだろうか」

 しかし昭和の亡霊たちはこう答えるのかもしれない。
「日本の教育全体がよくなったかどうかは知らんが、教職員たちが生意気を言って、給与を上げろ、教員定数を見直せ、あるいは仕事を減らせだの言わなくなった――言っても声が小さすぎて届かなくなったのは事実じゃないか。それだけでも十分だ」

 確かに、SNSの「#教師のバトン」などでは現状を嘆く教師の声が未だ衰えないが、そんなものは政府には全く届いていない。不満のガス抜きの場として「#教師のバトン」を用意した文科官僚はやはり頭がよかったというべきだろう。

【教職員はどう行動したか】

 実際に、自分たちの待遇改善のために、教師たちは何をした?
 国内には小中高校の教職員と呼ばれる人たちが100万人近くもいるというのに、誰がプラカードをもって文科省に押しかけた? 全国の駅前で教職員の窮状を訴えるチラシを誰が配った? ひとりひとりの声は小さいからと、集団を組織して誰がシュプレヒコールを叫んだ? 
――もちろんいなかったわけではない。しかしその数は微々たるものだった。

 具体的に行動に出る改革の先兵も、部活顧問拒否、学級担任拒否、時間外勤務拒否と激しい闘争を仕掛けるが、相手が行政の末端の校長ひとりでは、大きく波紋は広がらない。叩いても叩いても根本的な解決には結びつかないからだ。稀に開明的な校長が要望に応え、大胆な改変を行っても次の校長が修復してしまう。強力な背景を持たぬ人間は弱いのだ。

 いよいよ打つ手のなくなった全国の教職員たちは、今や「働き方改革」という賜物が、天から降ってくるのを手を合わせて拝み、指をくわえて待っているしかない。彼らを代表する人々は国会議事堂の中にも外にもおらず、大事なことはすべて雲の上で決まり、降りてくるだけだからだ。
 ”幸い”深刻な教員不足が始まり、タナボタ的に雲の上の人たちも少しは考える気にはなってきている。もしかしたらいいことがあるのかもしれない。

【誰が組合を潰したのか】

 ただしこうなった責任は現職の教師たちにはない。日教組を潰したのは私たち昭和と平成前期の教師たちである。多くの教師が組合を辞めていくのをただ見ていた。新しく教師になった人たちにも、一緒にやろうと声をかけることもしなかった。
 私個人は資格を失うまで組合員でいたが、だからといって活動に熱心だったわけでも若い先生たちを勧誘するでもなかった。いつか組合が衰退した日に責任を問われないよう、組合費という金を払ってアリバイを買っていたようなものだ。
 こうなる日の来るのは分かっていたのに、何もしなかった私たちの罪は深い。

*1:まだ教職員団体全体の加入率は27.7%もある、という考え方もできるが、27.7%中には「全国教育管理職員団体協議会」などというものもあり、それぞれが勝手な方向を向いているので力にはならない。