キース・アウト

マスメディアはこう語った

南房総市は市内の小中学校で1日5時間授業を実現するという。夏休みは5日ほど減るが日常の業務はかなり楽になる、はずだった。しかしよく調べると学校の負担増にしかならない欺瞞策。「教育改革はやるたびに教師を追いつめ、学校をダメにする」という原則の典型だ。

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(フォトAC)

 

記事

市内小中学校で1日5時間授業を導入 南房総
(2022.03.29 房日新聞)

bonichi.com 南房総市は、市内の小中学校で新年度から「1日5時間授業」を導入する。週2~3日の授業時間を5時間とし、教育活動や日課表にゆとりを持たせ、さまざまな教育活動の向上につなげる。児童生徒の授業時間が減らないようにするため、夏休みを5日間短縮して対応する。全国的にも珍しい取り組みだという。

 市教委によると小中学校では、学習指導要領の改訂もあり、週に29または30コマ(時間)の授業が常態化され、1日6時間授業が行われている。放課後の時間が取れず、児童生徒にも教職員にとっても学校活動にゆとりがないため、“空き時間”を確保しようと、市では1日5時間授業を導入することとした。

 5時間授業を導入することで、その日は昼休みを長くとったり、放課後の時間をつくったりして、子どもたちに遊びなどの中で人間関係の深化や主体性の伸長、活動の多様化といった、小中学校におけるより良い成長を図る活動に充てる。

 教職員については、会議や研修の時間を無理なく確保し、長時間勤務の解消だけでなく、授業研究、校内研修、教材研究を行い、力量向上につなげることも狙い。
(以下略)

 

 多忙とは何か。

 簡単に行ってしまえばそれは「仕事が多すぎて」「時間が足らず」「人手も足りない」状況のことである。したがって対応策も簡単で「仕事を減らす」「時間を増やす」「人を増やす」のいずれかを改善すればいいだけのことだ。しかも三つすべてに手をつける必要はなく、ひとつを劇的に改善するだけでも構わない。

 教員の働き方改革に関する基本的な考え方も同じで「三つにひとつ」なのだが、さて、どれがいじれるのか。

【良いことはなくせない、増えるのみ】

 学習指導要領に示された学習内容に悪いものはない、不必要なものもない、したがって減らすことは容易ではない。かつて一度減らしてみたが「ゆとり教育は教師のためのゆとりか」とさんざんに叩かれて結局ひっこめた。文科省は二度とあんな冒険はしない。つまり内容は減らさない。

 

 昨夜のニュースでは高校の教科書検定の話が出たが、今回の目玉は「探究」だとか。これからの時代は知識だけではダメだ、問題を発見し、調査し取材し、資料を検討して仲間と議論し合い、その上で解を導き出す探究の力こそ必要なのだという。

 ここで重要な点は「知識『だけ』ではダメだ」である。「知識は不要」とも「知識の獲得はそこそこに」とも言わない。「知識がある」ことはすでに前提で、「探究」はその上に目指すべき新たな力、つまり期待される追加の能力なのである。

 指導要領は改訂されるたびに内容が増える。これでは教師の仕事が減ることはない。

【100兆円つぎ込んでも教員を劇的に増やすことはできない】

 教員を増やす試みはどうだろう。
 もちろん増員は必要だが、1000人や2000人増やしたところでどうなるものでもない。現状を変えたいならせめて2割、できれば3割以上の増員が欲しいところだ。

 現状から2割ないし3割の増員、それは教師を20万人から30万人も増やせという要求だが、予算もさることながら、応募してくる人がいない。現在でも採用試験の受験者が不足しているのだから、1万人の増員すらできるものではない。

 その分を外部委託で凌ぐと言っても、吹奏楽だのバスケとボールだのを指導をしてくれる人材が、各地に何人いるというのか。プリントの印刷や配布の仕事をボランティアになどのアイデアもあるが、だれが人を探しに行くのか。結局PTAにお願いして保護者のPTA離れを加速するだけのことだ。

 絵に描いた餅はいらない。教員の働き方改革に資するほどの教職員の増加など、絶対にありえない。

【可能なのは授業日数を増やすことだけ】

 こうなると可能性は、時間(日数)を増やすこと以外になくなる。一日の授業時間を減らして過重労働を緩和し、減らした授業時間分を、長期休業を減らすことで回復する――南房総市の結論は、ここまでは私の結論とほぼ一致する。

 

 基本的な発想は、教師も児童生徒も学期中は忙しいが長期休業中は比較的に暇だ、ということから始まる。同じ地点から文科省は「長期休業中に休暇のまとめ取り」といったつまらない発想をしたが南房総市は違った。

「繁忙期の仕事を閑散期に移せばよい」

(1日6時間の授業が常態化しているために)放課後の時間が取れず、児童生徒にも教職員にとっても学校活動にゆとりがないため、“空き時間”を確保しようと、市では1日5時間授業を導入することとした。

 これこそ至極まっとうな考え方ではないか。すばらしいことだ。

 

 週2~3日の授業時間を5時間とし、教育活動や日課表にゆとりを持たせ、さまざまな教育活動の向上につなげる。児童生徒の授業時間が減らないようにするため、夏休みを5日間短縮して対応する。全国的にも珍しい取り組みだという。

 なるほど、これで放課後の2~3時間(一週につき)を職員は教材研究や事務仕事にあてることができる。中学校の教員は時間外の部活をやらずに済む。すべて万々歳とは言わないが、これでかなり楽になるはずだ。

 

 しかし実際問題として、週2~3回の5時間授業で不足した授業を、夏休みの5日間で回復できるものだろうか?

教育改革はやるたびに教師を追いつめ学校をダメにする

 私の試算によれば、これはできない。

 南房総市は週2~3日の授業時間を5時間としと言っているから仮に二日間だけ5時間授業にしたとしよう(週に2時間の減)。

 平均的な学校は現在およそ40週(200日)を登校日としているから、毎週2時間の授業時間減は年間で80時間減である。すると単純な計算で、夏休みに毎日5時間の授業を行っても80時間の不足を補うには16日間も登校しないといけないことになる。

 児童生徒の授業時間が減らないようにするため、夏休みを5日間短縮して対応するなど、とんでもないまやかしだ。

 

 さらに記事で私が割愛した部分には、

 学校再編で増えたスクールバス通学の子どもたちの運動量や体力向上の機会を設ける他、中学校では空いた6時間目に英語検定やプログラミングといった特設講座を開くなど、より多様な学習機会を提供することが可能だという。

という記述もある。

 つまりせっかく週5時間授業にしても、放課後(旧6時間目)には何らかの活動を入れ、児童生徒は家庭に戻さない、教員も子どもたちから離れさせない、夏休みは5日ほど減り、教員は特設講座などの新しい取り組みを計画し、準備し、実施しなくてはいけない。

 

 児童生徒にも教職員にとっても学校活動にゆとりがないため、“空き時間”を確保しよう
として、その上で“空き時間”教師の負担で埋める計画なのだ。

 結局、子どもが家にいては困る家庭のために、夏休みに5日間も学校が面倒を見てくれる行政サービスが増えただけの話だ

 

「(それがたとえ『教員の働き方改革』の場合でも)、教育改革はやるたびに教師を追いつめ、学校をダメにする」

という原則がここでも貫かれている。

 

 なお、私の提唱する“毎日5時間授業”は以下に示してある。教職員は誰も賛成してくれないだろうが、日常の負担軽減となればこれしか方法はない。

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