キース・アウト

マスメディアはこう語った

小学校の「登校班」が廃止か継続かで揺れているらしい。どう転んでもけっこうだが、どちらにしても保護者の希望とマスコミの後押しで動いている話。『かつて好まれた「全員一律」』だの「教員の負担」だの、始めるもやめるも学校の事情みたいな話にするのはやめてくれ。

(写真:フォトAC)

記事

 

小学校の「登校班」廃止か継続か 保護者を悩ませる、かつて好まれた「全員一律の扱い」
(2024.04.13 AELA.)

dot.asahi.com

 新年度がスタートし、新たに学校や勤務先に通う人が増える季節。1年生の保護者にとっては登校班があると安心だが、その運営はPTAや教員の負担になっていることから廃止する動きも。保護者と子どもにとってベストな登校手段とは。AERA 2024年4月15日号より。
*  *  *
(以下、略)

 どうにもこうにも取っ散らかった文章で、どこから手を付けていいのか分からないが、とりあえず、思いつくままに事実関係を箇条書きで書いておこう。

【集団登校の歴史的経過】

  1. 登校班の歴史はものすごく古くて、およそ60年前の私自身の小学校入学時にはすでにあった。しかしそれは制度としてあったというよりは自然発生的な地域子ども社会で、上級生が責任をもって中低学年の子どもを連れて行こうとするものであって、学校の指導も、おそらくほとんど入っていなかったと思う。
  2.  高度経済成長期に入って通学路の交通量が増えるにしたがって、学校が積極的に関り、6年生が年少の子どもを引率するという制度化された集団登校が増えて行った。しかし多くの場合、制度化は実際に子どもが交通事故に遭った学校から、保護者の要望によって始まったのであり、記事にあるようなかつて好まれた「全員一律の扱い」のためではない。
  3.  登校班はあるのに下校班がないのは、下校時刻が学年ごと異なるためである。特に1年生の4月は極端に早いため、最初から高学年による集団下校はできない。い。
  4.  集団登校が爆発的に増えたのは、2004年(平成16年)11月の奈良幼女誘拐殺人事件以降のこと。全国に「子ども見守り隊」がつくられ、大人による児童の登下校監視が始まった。それと同時に、保護者の希望に従って集団登下校を始めた学校も相当数にのぼる。
  5.  2004年当時、私が勤めていた学校は校長が登校班に懐疑的で、保護者の希望があったにもかかわらず丁寧に説明して実施しなかった。賢明な判断だったと思う。学校に要求されることは“いいこと”ばかりである。だからいったん始めるとやめることが難しい。
  6.  以前からすでに集団登校には問題が多く、現代の低学年は高学年の言うことを聞かずに勝手に動くため危険で、高学年児童の負担は非常に大きかった。しかも登校班内での人間関係トラブルも多く、「集団登校」ならぬ「集団不登校」になってしまうと揶揄されることもあった。やがて保護者の間にも集団登校をやめてほしいという要望が現れ始めた。
  7. ただしその後も「集団登校」は交通事故や誘拐に対して有効であり安全・安心という点ではまだまだ意味があると考えられたため、内部にトラブルがあってもやめることができなかった。やめたとたんに交通事故があった、誘拐事件が起こったとなると責任追及はハンパではなくなる。そう考えるとやめる決断のできる校長・PTA会長はなかなか出てこなかった。
  8. コロナ禍は集団登校をやめる千載一遇のチャンスだった。これを機にやめられたことは良かった。

以上が「集団登校」の簡単な経緯である。私はそれで良かったと思っているが、コロナ後の今、復活するかどうかはやはり議論すべきだ。

【集団登校は復活すべきか(どうせ子どもは死なない)】

 私は復活すべきではないと思う。
 個別登校の経験がない1年生の保護者などからは登校班に賛成する意見もあがった。「安心感がある」「心強い」「他学年の子と交流をもてる」「不審者対策になる」「遅刻しづらい」「個別登校は不安」などがその理由だ。
 その気持ちも分からないではないが、その安心感は教員と2年生以上の児童・保護者、特に5~6年生の犠牲の上に成り立っているのだ。
1年生の保護者としては面倒を見てもらいたいが、高学年になって苦労するのは親も子もイヤでは筋が通らないだろう。

 今、「子どもや各家庭のペースで登校できる」「家から直接学校に行ったほうが早い」「個別登校で問題はなかった」「委員や見守りをする保護者の負担が大きい」と不満を言っている人たちは、かつて子どもが1年生のときに登校班のおかげで安心できたことを忘れているのだ。来年以降そんな恩知らずになるより、1年生の今から保護者の責任で登校させればいいのだ。アメリカの親たちはみんな、そのようにしている。
 
 ちなみに、記事に、
西日本のある小学校では20年度から個別登校を実施したが、事故が起きることもなく問題は見られなかったため、登校班はそのまま廃止することを決めた
とあるが、やめてすぐに事故の起こるような地域では、そもそもやめることすらできなかったろう。普通の学校の周辺では交通事故も誘拐事件も放っておいても滅多に起きないのが普通だ。
 昨年度、2023年度の小学校1年生は全国でおよそ96万人。1年経ったがこの間に誘拐殺人で殺された子は私の覚えている限りゼロだ。交通事故で亡くなった1年生の数は正確には分からないが、全国で交通事故で亡くなる小中学生は年平均で40人~45人。1学年平均では5人弱。状況としては「親の車に乗車中に」とか「自転車に乗っていて」というのもあるが「歩行中」がもっとも多く全体の45%(2~3人)。ただし登下校中に限ったものではない。つまり統計上は、放っておいても登下校中に子どもは死ぬような目に滅多に遭わないということだ。
 では何もしなくていいのか、ということになるが、ここが問題を危機管理と捉えるか否かの違いだ。

【注意していないとまた教師のせいにされる(かもしれない)】

最大の理由は個人情報保護の観点から班名簿の取り扱いが難しくなっていること
というのも言い訳めいている。
「子どもの『自分で考える力』が育たない」
というのは、何もしなければ子は育つと信じる空想的教育不要論者の言うことだ。
 それらは理由にならないが、何が何でもやめたい、保護者と子どもが自己責任を取るというなら、新1年生も含めてさっさとやめるべきだ。

 しかしやめたあとで事件や事故が起きても、集団登校が始まった事情を説明するのにかつて好まれた「全員一律の扱い」といった荒唐無稽を持ち出すように、学校の負担やら働き方改革のせいにして、
「結局、教師が楽をしたがって集団登校をやめたから事故が起きた(事件に繋がった)」
とならぬよう、全力で見張り続ける必要があるだろう。