キース・アウト

マスメディアはこう語った

1年生の児童が遠足中、お茶の購入を要望したのに同行の校長が認めなかった。そのため熱中症で救急搬送されたなどとして、児童と両親が損害賠償を求める訴訟を起こしたという。しかし普通、本人が希望したらお茶を買ってくれなどといって金を渡す親もないだろう。普通は予備の水を持たせる。極めて特殊な事例だ。

(写真:ACフォト)

記事

 

遠足で小1女児の「お茶買いたい」認めず、熱中症で救急搬送 学校側を提訴
(2024.02. 27  産経新聞

www.sankei.com小学校の遠足中に1年生だった女児(8)が茶の購入を要望したのに教諭が認めなかったため熱中症で救急搬送されたなどとして、女児と両親が大阪府八尾市を相手取り、慰謝料など220万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしたことが分かった。27日に第1回口頭弁論があり、市側は請求棄却を求めた。

訴状などによると、遠足は令和4年5月末にあり、往復で計約2時間歩く行程があった。母親が前日に体力面の不安から欠席したいと伝えたが、担任教諭から促されて参加を決めた。ただ、水筒の茶が足りない場合は購入を認め、女児が異常を訴えた場合は母親に連絡するよう要望した。

しかし当日、女児が教諭に「お茶を買わせてください」と伝えても校長の判断で認めず、めまいを覚えて「ママ呼んでください」と伝えても聞き入れなかった。下校の際に迎えに行った母親が高熱に気づき、女児は救急搬送されて熱中症と診断。女児側は学校側に「安全配慮義務違反があった」と訴えている。

一方、学校側は答弁書で「様子を確認し、体調に問題ないと判断した。児童に熱中症の症状が出た際は、飲料水を購入することを想定していた」と主張している。


【遠足の概念は変わるのか】

 いずれにしろ女児の命に別条がなかったことは、本・人家族はもちろん、学校にとっても良いことだった。万が一亡くなっていたりしたら、今後の学校はたいへんな重荷を背負うことになっていたはずだ。
 上の記事ではないが関西テレビの取材に応じた保護者は、
「八尾市内でも別の学校では、遠足時に先生方が飲み物を児童向けに買うこともあるようです。しかし娘の小学校では、こうした事態に備えた予備の水を持参することもありませんでした。熱中症の予防は基本的なことだと思います。小学1年生だと、先生が言うことは絶対だと受け止めてしまう。促してでも飲ませる体制でないといけないと思います」
と語っており、その主張の多くはネット市民の支持を受けている。

 しかし途中での購入となれば遠足コースは自動販売機または商店のある場所に限定され、予備の水を用意するとなれば、200mlのペットボトルとしても35人分7kgを担任教師が背負って歩くことになる。重さも大変だがリュックの中に入った35本を想像すると、大きさもハンパではない。いざというときに児童のもとに駆けよって庇えないそんな装備では、引率すること自体が問題となるだろう。

【これは特別な例である】

 ただし八尾のこの事件は特殊過ぎて一般化できない部分も多い。報道がすべて正しければ、まず、

  1. 保護者は前日に体力面の不安から欠席したいと伝えたのだ。したがってこの段階では学校側にも「無理をさせない」という選択肢はあった。
  2.  しかし保護者は担任教諭から促されて参加を決めたのである。体に大きな障害や病気でもない限り、私が担任でも同じことをする。例年と同じであれば遠足のコース自体も無理のあるものとは思えない。小学校1年生にとって皆と同じ経験をしておくことはとても大切である。遠足で育てられるものもたくさんある。それを簡単に捨てはいけないというのは一種の親心である。辛い思いをさせたくない親心もあれば、子どもを成長させたい親心もある。
  3.  しかしそのあとはまずかった。担任は水筒の茶が足りない場合は購入を認め、女児が異常を訴えた場合は母親に連絡することを了承してしまったのだ。それが参加への交換条件のようになったのかもしれない。しかも校長には、おそらくひとことの相談もしていない。だから現場の混乱が起きた。
  4.  この事件の最大のポイントは、お茶の購入と母親への連絡を担任教師が受け入れ、当日参加の付き添いで、事情をしらない校長が拒否したというところにある。
  5. もちろん校長の気持ちも理解できないわけではない。子どもの成長の機会を逃してはいけないというのが一番の理由だが、この学級担任、校長の拒否がなければほんとうに当該の子どものお茶を買って渡したのだろうか?
    その場合「ずるい」「エコヒイキ」といったほかの児童の思いをどう処理したのか。学校で一番嫌われるのは怖い先生ではなく、エコヒイキする先生だ。この先、学級経営はすこぶる難しくなるはずなのに、その覚悟はあったのか。
  6.  常識破りの行動は教師間でも担任教師の孤立を生むだろう。児童どうしでも「エコヒイキされる子」は孤立し、いじめられかねない。そのことを保護者や担任教師は考えたことがあるのだろうか?
  7. 保護者には「行かせたくなかったのに行かせられた」という思いがある。だから「水筒の茶が足りない場合は購入を認め、女児が異常を訴えた場合は母親に連絡する」、その程度の要望は通って当然だと考えた。しかし「『足りなければ買ってもらえる』という条件を与えられた児童は、とうぜん水筒のお茶を節約したりやり繰りしたりしない。結果、早い段階で水筒を空にしてしまう」という当たり前のことには気づかなかったようだ。結果、午後の相当な時間を、児童は「水ナシ」で過ごさなければならなかった。おそらくそれが熱中症の原因だろう。 
  8. 校長の態度は理念としては正しい。ただし午前中、あるいは午後の早い時刻に児童の水筒が空になっていたとしたら、それは現実的な健康上の脅威である。校長の責任で例外をつくり、児童が熱中症にならないように校長の自腹で購入する等、配慮すべきだったのは事実だ。したがって事件としてのこの出来事の責任は校長が取るべきである。


【前例にされそうなことは教師一人で決めてはいけない】

 事例は私たちにさまざまなことを教えてくれる。私たちは事例から謙虚に、多くのことを学ばなくてはならない。しかし過剰に反応してもいけない。
 もし障害や病気でないとしたら、まず「遠足に参加させない」という親の選択が普通ではない。行かせるなら途中離脱、あるいは補給用のお茶を買ってほしいと要求することもまた普通ではない。
 子どもが全員同じことを希望したら、1学年150人もいる学校では販売機に同じものが150本あるかどうかも微妙だし、購入している時間の確保もたいへんである。
 さらに保護者が、
「八尾市内でも別の学校では、遠足時に先生方が飲み物を児童向けに買うこともあるようです」
と言うように、来年以降は「ウチの学校でも昨年、お茶を買ってもらった児童がいたそうです」と言われかねない内容だ。したがってこの件は担任が約束する前に、保護者と校長の間で話し合われるべきだった。そして校長と話し合って折り合いがつかないようなら、その子の欠席もやむを得ないだろう。学校としてできないこともたくさんあるのだ。

【学校は格差を埋める場だ。聞けない親の要望もある】 

 学校は個人の能力の伸長の場であるが、同時に社会を支える人材を育てる場でもある。学校教育にあれほどの予算が投じられるのは、教育に《個々人に任せることのできない部分がある》からである。
 子どもは親のものか、教師のものかという二者択一ならもちろん親のものだが、子どもの人生そのものは子ども自身のものだ。子どもは自らの人生のために、育まれ、育てられ、鍛えられなくてはならない。
 
 自分の思い通りになるなら子どものために何でもするという親から、子どものためとは言え何かさせられるのはまっぴらいやだという親まで、保護者にはさまざまな姿がある。そうした親の言う通りにしていると、格差は広がるばかりだ。義務教育の学校はそうした格差を埋めるものでなくてはならない。それがまっとうな義務教育の理念である。