キース・アウト

マスメディアはこう語った

神戸市教委が「学校業務見直しの指針」を発表したが、必要なものを減らし、どうでもいいものを残すという錯誤は、どうして起こるのだろう。

 授業時数の確保と教職員の負担軽減のために、
 神戸市教委が業務見直しの指針を出した。
 
しかしよくもまあここまで、
 やめてはいけないものをやめ、
 
やめた方がいいものを残す計画が立てられたものだ。
という話。

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記事

神戸市、教員の業務軽減 動物飼育を縮小、通知表の所見欄廃止…
(2020/1/17 神戸新聞NEXT)

 新学習指導要領による授業時間数の確保と教職員の負担軽減のため、神戸市教育委員会は市立小中学校の業務見直し方針を策定し、16日までに各校に通知した。例として運動会を午前中だけの開催にするなど原則、学校行事を簡素化。ウサギや鳥といった動物飼育(小学校)は全校で段階的に縮小、成績通知表の「所見欄」(中学校)は廃止する。

 新学習指導要領が小学校で2020年度、中学校では21年度から全面実施されるのを前に、市教委は昨年5月から学校現場の声を基に検討を重ねてきた。

 業務見直し方針のうち、事前練習の負担が大きいとして原則、各校に簡素化を求める学校行事は、運動会のほか入学式や卒業式、音楽会、文化祭など。小学校でのスキー実習も段階的に廃止し、中学校では野外活動などは1、2年で計3泊する学校が多いが、計2泊以内を原則とする。

 さらに、毎年4月に全家庭を対象に実施してきた家庭訪問は、希望する家庭だけにするなど、原則として見直しを求める。

 全校で必ず取り組むのは、動物飼育の段階的な縮小のほか、夏休み中の水泳の補習廃止、夜間電話の自動音声対応への切り替えなど。学校で購入し、児童、生徒宛てに送っていた年賀状や暑中見舞いも、担任の負担が大きいとして取りやめ、成績通知表は小学校も項目を整理、簡素化する。

 市教委によると18年度、教職員の平均残業時間は小学校で月44時間、中学校で月62時間。(長谷部崇)

 

 市が発表した「神戸市立小中学校における教育活動等について(方針)」に対して、ど神戸新聞がういう立場を取っているのか全く理解できない記事だ。

 どう評価したらよいのかわからないのでいちおう事実を投げ出してみた、というところかもしれない。しかしこれはきちんと批判してもらわなくてはならない内容だ。なぜなら記事に、
市教委は昨年5月から学校現場の声を基に検討を重ねてきた。
とあるのに、教職員の声が反映した様子がまるで見えないからだ。
 現場教師はほんとうに「動物飼育を減らしたい」「通知票の所見欄はなくしてほしい」「運動会や音楽会を縮小してほしい」と言ったのだろうか。

 

【教師は校務の何に負担を感じているのか】

 少し古い資料になるが、2015年に全国1万人の教員を対象にして文科省が行った調査(2015文部科学省7月27日「学校現場における業務改善のためのガイドライン~子供と向き合う時間の確保を目指して~」)で、5割以上の教員が従事する業務のうち、負担感の大きいワースト5は、
「57.国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」
「52.保護者・地域からの要望・苦情等への対応」
「11. 研修会や教育研究の事前レポートや報告書の作成」
「45.児童・生徒、保護者アンケートの実施・集計」
「8. 成績一覧表・通知表の作成、指導要録の作成」
だった。(数字は71に分類された業務の番号。特に意味はない)
 いずれも教員の6割以上が負担に感じていて、「57.国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」などは9割近い職員が負担感を持っている。

 それに対して神戸市が縮小しようとしている学校行事については、
「5.学校行事の年間計画の策定、各種行事の企画」が負担だと答えた教員は小学校で33.3%、中学校33.0%。
「6.学校行事の事前準備、当日の運営、後片付け」については同じく小学校で32.5%、中学校で31.9%しかいない。

 あの悪名高い中学校の部活動も、
「24.部活動の活動計画の作成」が負担だという職員は39.0%。
「25.部活動の技術的な指導、各種大会(運動部・文化部)への引率等」も48.5%と、5割を切っている。

 ちなみに負担率5割を越えるもので、前述のワースト5以外のものは次のようなものだ。
「9 .週案・指導案の作成」
「23. 学期末の成績・統計・評定処理」
「26. 関係機関への申請・登録、大会申込み」
「28. 児童・生徒の問題行動への対応」
「29. 児童・生徒の指導に関する照会・回答」
「45. 児童・生徒、保護者アンケートの実施・集計」
「47. 会議のための事前準備、事後処理」
「48. PTA活動に関する業務」
「50. 地域との連携に関する業務」
「58. 児童生徒の在籍管理」
「59. 月末の統計処理や教育委員会への報告文書の作成」
「67. 備品・施設の点検・整備、修繕」

 一方、いかにも大変そうで、それにもかかわらず負担感の少ないものは、
「7.テスト問題の作成、採点」
「17.朝学習、朝読書の指導、放課後学習の指導」
「10.教材研究、教材作成、授業(実験・学習)の準備」
「14.職場体験、校外学習等の事前打合せ」
「15.学年・学級通信の作成、掲示物等の作成・掲示
「30.特別な支援が必要となる児童生徒への対応」
「31.児童・生徒、保護者との教育相談」
「34.進路相談、保護者進路説明会の開催」
「22.日々の成績処理(テスト等のデータ入力・統計・評定)」
など。

 一見してすぐにわかる通り、直接児童生徒に働きかけるもの、子どもの成長に欠かせないものは、どれほど大変でも負担感を訴えない(例えばテスト作成)のに対し、潜在的に「なくても何とかなるだろう」と思えるものは軒並み負担感が大きいのだ。
「57.国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」だの「45.児童・生徒、保護者アンケートの実施・集計」だの、あんなもの、なくても一向にかまわないと内心、本気で思っているのである。
(例外は「28 児童・生徒の問題行動への対応」だが、ときに内容が底なしで、徒労感の少なくない場合が多いといった事情もあるのだろう。どんなに誠意を尽くしても、うまくいかないときがある)

 

【神戸は何をしようとしているのか】

 そうした観点から改めて神戸市の取り組みを見てみると、縮小ないしは廃止すべきものとして挙げたものは、
「ウサギや鳥といった動物飼育」
「運動会のほか入学式や卒業式、音楽会、文化祭」
「小学校でのスキー実習」
 いずれも児童生徒に直接働きかけ、成長を促すものばかりである。言い換えれば、教師がやりたいこと、手放したくないことは縮小する。

 夜間電話の自動音声対応への切り替えも、一見教師の負担を減らしそうだが実は逆である。普通の教師は、情報が毎日12時間以上に渡って遮断されているという状況に耐えられない。

 電話さえ取らなければ以後一切問題が持ち込まれないというならいいが、金曜日の夕方に聞いておけばよかった話を月曜日に持ち込まれても手の施しようがないだろう。
「危機管理のさしすせそ」は「最悪の事態を考え」「慎重に」「すばやく」「誠意を持って」「組織的に」である。三日も放置された問題に、”素早く誠意をもった対応”などできるはずがない。”慎重に行う”には失われた時間は長すぎ、”組織を動かす”暇もない。

 また、心ある教師なら、今日あった子どもの素晴らしい様子を、その日のうちに保護者に伝えたいと思う。その日のうちに伝えておけば、親はその日のうちに子どもを誉め、子は気分がよくなり、親子関係が良くなるとともに教師への信頼も厚くなる、そういうことを知っているからである。

 学校の電話が遮断されるとなると、教師は自分の携帯番号を親に知らせなければならなくなるだろう。「お宅のお子さん、今日、こんな素晴らしいことがありましたよ」という話を、非通知で電話する教師もいないからその瞬間に番号を取られてしまう。
 かくて教師は24時間、保護者に捕捉されてしまう。夜間、学校で電話を取ってもらえば遅くとも平日は9時以降、土日も自由でいられたものを――。

 年賀状や暑中見舞いについても言いたいことがあるが、長くなるので別の機会に話そう(それにしてもこれまでハガキ代を学校に出してもらっていたのは羨ましい)。

 

【英語やプログラミングのために何を棄てたのか】

 学校に持ち込まれるものに悪いものはない。子どもと日本の将来を考えれば、国語も算数数学も理科も社会も、英語も小学校英語も図工・美術も技術家庭科も、音楽も、体育も、道徳も部活も、総合的な学習の時間も特別活動も、ぜ~~~~んぶ良いもので大切なものだ。
 ただ問題なのは、もうカリキュラムが満杯で、時間的に入れ込んでいかないということだ。したがってあとは優先順位をつけ、より重要なものを入れて、不要なものを抜くだけである。

 今回の学習指導要領改訂によって、小学校英語とプログラミング学習と特別な教科道徳が最優先で入った。
 では何を抜くか。

 神戸市教委はひとつの基準を示した。
「ウサギや鳥といった動物飼育」を外して、「もう“命の教育”はほどほどでいい。道徳の時間に教科書で学ぶ程度で構わない」という宣言した。

「運動会のほか入学式や卒業式、音楽会、文化祭」を縮小するのは「地域との連携や人間関係づくり、仲間との協力や計画性・実行性、ひとと一緒にものを作り上げていくという過程の学びも、これからは教科書を中心にやっていこう」というサインだ。

 それはまるで運転免許を取るのに学科のみで実地教習をしないこと、あるいはゴルフのプロテストを受けるのに入門書を山ほど読んでクラブを一度も握らないことと同じと言えるが、英語やプログラミングの重要さを考えれば、人間教育などという手間のかかることはしないでいい、ということになるのだろう。少なくとも神戸においてはそうだ。

(参考)

学校に動物がいることは子どもが動物と触れ合う大事な機会です。学校での動物の世話や触れ合いにより、学校で過ごす時間が楽しくなったり、人や動物への共感性が高まったりすることが、学校動物に関する研究で確かめられています。/動物との接触から生じる児童へのリスクを恐れるあまりに、学校での動物飼育がなくなっていくと、抱いて温かく、愛着を感じやすい「鳥・哺乳類」と触れ合う機会が子どもの生活から失われてしまう。/動物との触れ合いを通して、“命の大切さや思いやりを学ぶこと”と“教員の負担の軽減”。これらをどうすれば両立できるのか。「学校での動物飼育」は今、曲がり角に来ていると感じます。

 

【やめるべきものはいくらでもある】

 ところで、教師の働き方改革というとき、なぜ教員が一番ムダでやめたいと思っていることをやめてくれないのだろう。

 日常の学習との関連性の薄い全国学力学習状況調査(全国学テ)。

 もう形ばかりになった教員評価、
 保護者による学校評価
 児童・生徒による担任評価。

 お前はバカだから金を出して勉強しなおせという免許更新制度。
 はっきり言って女性教諭は除外してもいいコンプライアンス講習。
 報告書ばかり書かされるその他の研修。

 何のためにあるのかわからなくなった学校評議員制度。

 子ども自身に向かわない、子どもの向上に資さない、どうでもいい制度はまだまだいくらでもある。

 

(付記)

 学校で購入し、児童、生徒宛てに送っていた年賀状や暑中見舞いも、担任の負担が大きいとして取りやめる

 では担任は以後いっさい年賀状を書かないか、子どもから届いても返事を書かないのか――もちろんそんなことはないだろう。あとは自腹でやってもらうしかない。

 ただし職員全員が書かなから、却っていいということもある。
「いまはプリンターで枚数指定をすればいいだけだから、出すとなったら1枚も30枚も同じだ。住所録はすでに4月の段階でコンピュータに入力してある。自腹となった3000円は痛い出費だが、そうなれば出さない担任はアイツとアイツと、アイツだ。その分、差がつけられる。
『あ~ら、お宅の担任の先生、年賀状くださらなかったの? うちの先生はくださったわよ。やっぱり子どもに対する熱意が違うのね』
 保護者の信頼を勝ち取るというのはそういうことだ」
 そんなふうに考えてせっせとハガキづくりに励む教師もいる。私はそういうタイプだ。

 

時間割に入るはずのない英語やプログラミングを入れると、学校がガタガタになる様子が目で見えるようになってきた

 もう満杯の小学校のカリキュラムに、
 さらに新しい内容を盛り込む。
 そうなると、
何かをつぶすか、何かをいい加減にするか、
 あるいはあれもこれもグチャグチャにするしかない。
という話。

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記事

 15分×3日=授業1コマ 新年度から授業数増 時間確保に「モジュール学習」
(2020.01.14 丹波新聞)

 2020年度から始まる新学習指導要領に基づく「外国語」などの導入に伴い、小学校では3―6年生の授業時数が週1時間拡充される。すでに各校では、必要な課外活動などとの兼ね合いで授業時間の確保に苦慮する中、兵庫県丹波篠山市の多紀小学校は今年度から、始業前の朝の15分間を正式な「授業」として位置付け、週3日計45分を1コマ分としてカウントする「モジュール(構成要素)学習」を試験実施している。

 同校4―6年生の授業は通常時、月曜と木曜が5時間で、それ以外は6時間。月曜か木曜の6時間目に1コマを増やす方法もあるが、同校伝統の「金管バンド」の活動やスクールバスの送迎、教諭の教材研究などとの兼ね合いがあり、6時間目を使うのは難しい状況だった。

 そこで週4日、朝の始業前に計算や漢字ドリル、読書などの短時間学習に使っている時間(午前8時25分―40分)のうち3日間を、15分間の国語の授業に充てている。

 これまでの実施を経て、同校の教頭は、「15分という短い時間なので授業の目的がより明確になり、教師の指導力向上につながる。放課後の課外活動や教諭の教材研究などの両立にもつながる」と利点を挙げる。

 一方、「分刻みのスケジュールになるので休憩時間が少なくなるなど、教師や児童の負担が大きくなる。週時程の変更など工夫が求められる」と課題も。来年度以降も継続するかは未定という。

 6年の児童は、「通常の授業と比べても、特に違和感なくできている」と言い、6年担任の教諭は「最初は慣れなかったが、今はあって当たり前。授業に『スッ』と入れるようになってきている」と話す。

 同校教諭らはこのほど、校内で研修を行い、同僚教諭の授業の様子を見学し、限られた時間での指導方法を思案した。この研究成果は、2月5日に同校で開かれる研究発表会で報告する予定。

 同校の教諭に指導方法のアドバイスを行っている兵庫教育大学の山内敏男准教授は、「45分の授業だとだらけてしまうことも多いが、モジュール学習は児童たちがいい意味で面白がり、リズム良く学びを得ることができる」と話している。

 学習指導要領の改訂 近年のグローバル化や、AI(人工知能)を活用した技術革新などを受けて、文部科学省が2017―18年に改訂。小学校3、4年生には英語を楽しく学び、慣れ親しむ「外国語活動」、5、6年生には中学生と同様の「外国語」を新設した。この新設した1コマをどのような方法で確保するのかが、学校側の重要課題になっている。丹波篠山市教委によると、同市内では、曜日に応じて放課後の掃除時間を削るなどして授業時間を確保している学校もあるという。

 

 英語学習やプログラミング学習を小学校の教育課程に入れるということになったとき、まず問題となったのは“どこに入れるのか”ということだった。

 小学校の時間割にたっぷり余裕があって、子どもたちがあくびをしているようなら私もこれらの学習に反対したりはしない。しかしすでに日程は満杯なのだ。
 そこで編み出されたのがモジュール学習という概念だ。

 モジュール学習というのは、記事にある通り、一時間の授業を細切れにして、日課のあちこちに置いて合計で1授業時間(45分)にしようというものだ。ただし週五日制の学校に合わせて45分を5分割にして9分ずつに割り振ったところで10分近い時間を差し込む余裕は学校にはない。

 子どもが登校している時間帯で授業時間でないのは、朝のドリル・朝読書、朝夕の学級の時間、休み時間(教室移動を含む)、給食の時間、清掃の時間、だいたいそれですべてである。だから思案のしどころは「英語やプログラミングを学ぶために、なにをやめるか」という選択でしかなくなる。

 丹波新聞の丹波篠山市立多紀小学校は、課題を次のように解いた。
 そこで週4日、朝の始業前に計算や漢字ドリル、読書などの短時間学習に使っている時間(午前8時25分―40分)のうち3日間を、15分間の国語の授業に充てている。

 つまり週4回あった計算および漢字ドリル、読書の時間を1回(!)に減らしてそこにモジュールを入れたわけである。

 

 考えてみると「読書の時間」は30年近く前、子どもの本離れが深刻な問題とされた時期に、休み時間を細かく削って生み出したものだった。それまでは一斉に読書をするなどという習慣はまったくなかったのに、ブームとして全国の小中学校に広まっていったものである。
 ところが十数年前、PISAの結果が出ると今度は学力が大幅に低下したとかで、「読書なんかしている場合ではない」とばかりに「朝読書の時間」が削られ、ドリルに充てられるようになった
 学校には時間がないから、何か新しいことをしようとすると古い何かをつぶさなくてはならない。そしていつも、同じ朝の15分間が塗り替えられてきたわけだ。

 もっともモジュール学習について、私は45分を5等分した9分にさらに1分を加えて、毎日10分間の英語学習を行うのが当たり前だと思っていた。ところが丹波篠山市立多紀小学校はここに「国語」を置いた。そこが独創的だ。
 英語はいずれかの曜日に1時間きちんとやるとして、週5時間の国語のうちの1時間を授業時間から外し、三日間にばらまいたのである。

 これまでの実施を経て、同校の教頭は、「15分という短い時間なので授業の目的がより明確になり、教師の指導力向上につながる。放課後の課外活動や教諭の教材研究などの両立にもつながる」と利点を挙げる。

 もちろん実施校の教頭自身が自校の試みを悪く言うわけはない。試行期間なので担任の意識も高く、勤務時間外にたっぷり教材研究を重ねて15分が有効に使えるように工夫しているのだろう。
 しかし長続きはしまい。

 大学教授なんていい加減だから、
 同校の教諭に指導方法のアドバイスを行っている兵庫教育大学の山内敏男准教授は、「45分の授業だとだらけてしまうことも多いが、モジュール学習は児童たちがいい意味で面白がり、リズム良く学びを得ることができる」と話している。
 
そういうなら全教科をモジュールにして、1日20コマくらいを回せばだらけずに学習できることになろう。毎日全教科学べるというメリットもある。
 しかしそうなるはずもない。

 さらに
 同市内では、曜日に応じて放課後の掃除時間を削るなどして授業時間を確保している学校もあるという。
 
教育に関しては日本国内だけでも1500年もの歴史をもつ仏教寺院に行って、「学問のために掃除を減らしました」と報告してみるといい。錫杖で殴られるかもしれない。
 あるいはエジプトやインドネシアの教育相に日本で清掃を減らしている現状をささやいてみればいいのだ、彼らがどれほど失望するかは目に見えている。

 かつて学校教育に見本であった日本は、清掃や読書やドリルの時間を減らしてしまった――読書や基礎学力や人格づくりよりも、英語やコンピューターの方が大切だと、方向を変えてしまったのだのだから、日本の教育を手本にした国々の失望(軽蔑?)は大きいに違いない。

 

元文科官僚が「不登校は学校に責任がある」と言っているけど、この人、在職中は何をしていたのだろう?

文科省の元官僚が、
不登校の原因は現在の政権が右傾化して、
上から抑えつけるような“押し付け道徳”を復活させたために、
学校が居心地の悪い場所になっているからだ、と言っている。
百万歩譲ってそうだとしても、
それは学校の責任ではないだろう。
という話。f:id:kite-cafe:20200111105410j:plain(「文部科学省文化庁スポーツ庁phtoACより)

 

記事

不登校は学校に責任がある」前川喜平桐野夏生と考える教育問題(2020.01.10  AERA.com )

(以下、抜粋)
桐野:学校に行きたくても行けなかった人がいる一方で、不登校も増えている。

前川:不登校に関しては、私は学校のほうに責任があると思うんです。今、学校がものすごく居心地の悪い場所になっている。例えば道徳が「特別の教科」として格上げになりました。教育勅語も安倍政権のもとで閣議決定まで行われていて、学校の教材として使っていい、ということになっている。さすがに公立学校で教育勅語を教材に使ったというケースは聞いていませんが、これから出てくる恐れはあります。森友学園の幼稚園では暗唱させていましたね。
 とにかく上から抑えつけるような“押し付け道徳”が復活してきていて、全体のために自分を捨てることがいいことなんだという滅私奉公みたいな考え方が復活してきている。

桐野:軍隊や企業とか、組織に従順であれ、という教育ですよね。それが家父長制の家族に結びついて、全く今の状況と合わないのに、なんでそんなアナクロニズムなことをするんでしょう。

前川:私はやはり今の政権を担っている一人ひとりが、自己肯定感を持ってないからじゃないか、と思う。自分に自信がない人っていうのはより大きなものにすがろうとしますから、強い権力や大きな権威というものと一体化することによって、実態のない安心感を得ているんじゃないかと。

桐野:大きなものというのは、つまり日本人であることですとか、日本国であるというナショナリズムに結びつくわけですね。

前川:だからヘイト的になったりするんじゃないかと。

桐野:「企業の一兵士として、企業のために働け」という発想が今なお残っていることが、大人の自己承認欲求が満たされないことにつながっていると思います。だから家で威張るようになる。すごく問題を生んでいます。

 

  まさかこの記事を鵜呑みにする人もいないと思うが、天下の元文部科学官僚が、天下の週刊朝日を使ってこのような発言をする、それを天下のYahooニュースが無批判に引用する――そんなことがあっていいのだろうか?

 これは現代のマスコミの低俗さという問題ではない。これだけいい加減なことを言っても騙される国民はいくらでもいると、バカにして挑戦しているのだ。
「どうだオマエら、こんなことも分からないんだろう」

 特別な教科道徳が始まったのは小学校で2018年、中学校では2019年、つまり昨年一昨年からのことだ。しかし不登校は1975年あたりから顕著になってきた、よくも悪しくも”歴史ある“問題である。我々は40年以上もこの問題と戦ってきた。

 それを前川喜平はいとも簡単に、
不登校に関しては、私は学校のほうに責任があると思うんです。
と言い、タイトルにも、
不登校は学校に責任がある」
と掲げる。

 見出しを見ただけで内容にまで進まない人は、
「ああやはり学校が悪いんだな」
と思い、読んだ人の一部は、
「ああ学校は息苦しい場になっているんだ」
と心に刻んで行ってしまう。

 百万歩譲って特別な教科「道徳」がつくられるような“押し付け道徳”の素地が、不登校の始まった1975年前後からつくられてきたとしても、原因が前川氏の言うように、
今の政権を担っている一人ひとりが、自己肯定感を持ってないからじゃないか
ということだったら、不登校の責任は今の政権を担っている人たちがとるべきであって学校ではない。

 ところで確か、不登校が明確な社会問題となってきた1979年に当時の文部省に入省し、2016年には事務方トップの次官にまで上り詰めたエリート官僚がいたが、彼は不登校の児童生徒数が14万人を超えた2017年に退官するまでの間、この問題にどう対処したのか、前川氏に調べてもらいたいものである。
 難しいことではない、記憶をたどるだけでいいのだから。

 そのうえで、なお、
不登校に関しては、私は学校のほうに責任があると思うんです。
と言えるとしたら、
オマエはとんでもないクズ野郎だ。

 

小学校英語やプログラミング学習のために、今から学習塾に入れる親や祖父母がいるらしいけど、馬鹿らしいからやめなさい。

 小学校英語とプログラミング学習のために今から塾に行く、そのための教育費がかさんで大変だという記事。
 しかし爺ちゃん・婆ちゃん、孫に”転ばぬ先の杖”を渡してはいけない。
 あんなもの、大して役にも立たなければ大変でもない。
 それにしても政府・文科省は、本気で国民にあれをやらせようというのか?
という話。

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記事

小学校の英語、プロミング教育導入 増える教育費に祖父母の負担増も
(2020.01.06 マネーポストWeb)

 2020年、子や孫の教育に関わる費用負担が大きくなるかもしれない。2020年度から新学習指導要領が実施され、4月から小学校でプログラミング教育が必修化される。合わせて、小学校5~6年生は英語も正式教科となる。

 こうした動きに伴い、民間の「英語塾」「プログラミング教室」が活況を呈しているという。 

 矢野経済研究所の調査によれば、2018年度の語学ビジネスの市場規模は8866億円にのぼる。小学生の英語教育の必修化に伴い、幼児・子供向けの市場は拡大する見込みだ。

 船井総合研究所などの共同調査では、2019年のプログラミング教育の市場規模は、前年比26%増の114億2000万円まで増加した。背景には、「小学校側の授業体制への疑問もある」と語るのは、ある学習塾関係者だ。

「小学校の先生は、英語やプログラミングの指導の専門性を持っているわけではなく、これまで触れてこなかった人も多い。それなのに、制度が変わったから4月から生徒に教えることになった、と言われて混乱している先生も少なくない。そうした先生には任せられないという不安から、民間の専門塾で習わせたいと考える保護者が増えていると考えられます」

 都内在住の70代男性は、英語教育を見据えて、小学生の孫を英会話教室に通わせ始めたと語る。

「孫は4月から5年生になるので、学校で英語の授業が始まります。なんとか頑張っていい成績を取ってほしいけれど、私と妻はもちろん、娘夫婦も英語を教えられない。それなら、英会話の先生がいる塾で勉強したほうがいいんじゃないかと通わせました。週1回1時間の授業で、月謝が1万円程度。孫のためと思って年金から払っています」

 株式会社バンダイが2015年に行なった「祖父母と孫の関わり方に関する意識調査」によれば、12歳以下の子供に対して祖父母が援助している教育関連費用は、平均で年間13万3135円だった。

 国語や算数など、従来の科目に加えて、英語やプログラミングの習い事が増えれば、親だけでなく祖父母が負担する事例はさらに増えそうだ。

(以下略)

 

【孫に“転ばぬ先の杖”を渡してはいけない】

 学校、特に小学校で学ぶことについて、「ついていけなければ子どもが(孫が)かわいそうだから・・・」と塾へ行かせることには基本的に反対である。
 基本的にと条件をつけたのは、ときに中学年以上でほんとうに何もわからなくなって教室で座っているだけの子が出てしまうことがあり、そうなる前に、親が丁寧に教えるとか塾に入れるとか、考えなくてはならない場合があるからだ。しかし一般的ではない。
 ましてや“転ばぬ先の杖”とばかりに、始まってもいない小学校英語やプログラミング学習のために、下準備する必要などさらさらない。

 さらに付け加えれば、国語や算数で遅れが出てしまったらちょっと気にしてやらなくてはならないが、週に1時間しかない授業のために、金を使い、時間を使い、子どもから遊びを奪うのは愚の骨頂だ。
 同じく週に一回しかない図工や家庭科のために塾に通わせる人はまずいないだろう。私たちは週1の学習で大きな差などつかないことを経験的に知っているし、そもそも週1ではつけられる力に限界があるのだ。

 爺ちゃん、婆ちゃん、暇に任せて始めた習字や絵画教室。講座は週1でも家でいっぱい練習してるだろ? 学習というのはそういうものだ。
 ほんとうに週1回しかやらないとしたら、それは大して力がつかなくてもいいということなのだ。小学校英語もプログラミングもその範疇にある。

 さらに爺ちゃん、婆ちゃん、英語やプログラミングが生きていく上で大して重要でないことは、あなたたちが一番よく知っているじゃないか。そんなアホなことで大事な孫を苦しめてはいけない。

 

 【ところで・・・】

 私は日本人を信じているから、国会議員や官僚が己の利益のために制度をつくったり変更したりするという見方には賛成しない。彼らだって大部分はまじめで誠実な日本人だ。
 ただ教育の制度改革・改変に際して、かくも業者の影がチラチラすると、もしかしたら本当に議員や官僚は財界のために制度をいじっているのではないかと不安になってきたりする。

 棚上げになっている大学入試の民間試験導入や記述式の業務委託、そう言えば全国学力学習状況調査(全国学テ)も一部の受験産業・宅配業者を十二分に潤わせている。
 教員免許更新制度は大学に年間30億円の収入を保障している(毎年10万人の教員が3万円ずつ払ってくれるから)。
 そのうえ小学校英語とプログラミングで、少子化のために息も絶え絶えの中小学習塾が潤うとなると、もう教員の働き方改革なんてどうでもよくて、経済を回し、財界に感謝され、ゆくゆくは自らの天下り先を用意してもらうための制度改革なのではないかと、勘繰りたくもなろうというものだ。

 私は日本人だ。同胞を信じたいし政府も信じたい。
 しかしこのまま唯々諾々と、政府に従っていてもいいものだろうか?

 

 

先生たち、怒れ! 教育委員会が「『小児性愛』の傾向が自分にあるのか自覚してもらう」とか言ってるよ。

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 教師はロリ(ロリコン男性)の就く仕事、
 教師は変態ばかり――。
 ネット上のガヤが言うならまだしも、
 地方公共団体教育委員会に言われるようになったら終わりだ。

 ところで、
 果たして教員のわいせつ事件は有意に多いのか、
 
多いとしたらその原因は何なのか、
 ――政府・地方自治体・マスメディアは、
 本気で調べ、考えたことがあるのか?。

 

記事



2019.12.22

 生徒のわいせつ被害、大阪府が調査へ
学校通さずに回収


朝日新聞デジタル 12月21日]

 

 教師による生徒へのわいせつ行為やセクハラが絶えない。大阪府教育庁は来年度から、府立の中高や特別支援学校の生徒計約13万人を対象に被害の有無をアンケートで尋ね、学校を介さず、直接回収する方針を固めた。学校が回収すると、被害の訴えが加害側に知られる可能性があるためだ。府教育庁によると、直接回収の取り組みは全国的にも珍しいという。

教え子へのわいせつ、後絶たず 処分歴隠し就職・再犯も
 文部科学省によると、2017年度に強制性交や強制わいせつ、痴漢、盗撮などの行為で懲戒・訓告処分を受けた教職員は210人。うちほぼ半数の97人が自校の児童・生徒へのわいせつ行為と認定された。都道府県別では大阪府は20人とワースト1位で、東京都18人、千葉県13人、広島県11人、北海道・沖縄県各10人、愛知県9人、神奈川県7人など。政令指定都市別でもワースト1位は大阪市5人、2位は堺市と神戸市の4人と続く。

 府教育庁の生徒へのアンケートは府立中学1校、高校150校と、府立支援学校の44校の計195校を想定。これまでも年2回、被害を尋ねる調査を実施していたが、各校が生徒の回答を回収していた。今後は生徒にアンケート用紙を配り、生徒から府教育庁に直接郵送してもらう。府教育庁の担当者は「これまで埋もれていた被害生徒の声を拾い上げたい」と話す。

 対策に動き出したきっかけは兵庫県尼崎市の市立小の男性教諭が今年9月、林間学校で引率した複数の女児に就寝中にわいせつな行為をした事件だ。府教育庁は同様の事例がないか事態を重くみたという。

 教員側の自覚を促す新たな取り組みもある。長崎県教育委員会は今年度、公立小中高の全教職員約1万4千人を対象に「心と性に関するチェックシート」を導入した。選択式の設問で、「小児性愛」の傾向が自分にあるのか自覚してもらうのが狙いで、回答は回収しない。県教委の担当者は「自分の行為をわいせつと認識していない教員にいくら研修をやっても届かない。自覚させることで問題の根絶をめざす」と話す




  教師諸君! 怒れ!
 
選択式の設問で、「小児性愛」の傾向が自分にあるのか自覚してもらうのが狙い
 こんなことを書かれてキミたちは傷つかないのか?

 
長崎県教育委員会は今年度、公立小中高の全教職員約1万4千人を対象に「心と性に関するチェックシート」を導入した。
 その半数は女性教諭なのだ。怒れ女性教師!
 少なくとも私たちは女児に手を出さないと声高に叫べ!
 
 
自分の行為をわいせつと認識していない教員にいくら研修をやっても届かない。自覚させることで問題の根絶をめざす

 その“いくら研修をやっても届かない”教員を採用した側の責任は問わないのか。
自覚させることで問題の根絶をめざす”というが、その程度の実効性のない対策しか思いつくことはないのか。
 世の中、“自覚”で問題が解決したためしはない。自覚で何とかなるなら世界中の事件・事故・政治問題のほとんどは解決してしまう。
 
 私は断言する! これは小児性愛の問題ではない 自覚の問題でもない。

 果たして教員のわいせつ事件は有意に多いのか、多いとしたらその原因は何なのか――政府・地方自治体・マスメディアは本気で調べ、考えたことがあるのか?

 私は名もなく退屈な一介の元教員だが、少なくとも朝日新聞文科省地方自治体よりも正しい見解を発表する用意がある。

 年末年始に話すのは気が重いから来月、冬休み明けにこの問題に関する意見を表明しよう。それはまったくロクでもない答えだが、少なくとも「小児性愛」云々よりはるかにましなことははっきりしている。マスコミや政府・地方自治体よりも確かだ。
 
 それにしても――、
 年末だというのに、なんとも胸糞の悪い記事ではある。

 

 

 

教員免許更新制、「10年もやったのに教師の資質はさっぱり上がっていないじゃないか」と言われている件について

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 教員免許更新制。
 
メディアはさっぱり効果がないじゃないかとご不満。
 教員は高い金を払って大した講習ではないとご不満。
 それなのに、
 10年に一度の講習が全員にいきわたってもやめられない。
 そこには浅~いワケがある。


 

 記事            




2019.12.09

教員免許更新制10年 資質の向上、乏しい効果

神戸新聞NEXT 12月 7日]


 かつては一度取得すれば終身有効だった教員免許に、10年に1度の「更新制」が導入されてから10年が過ぎた。目的は教員としての資質を高めることにあったが、導入以降も体罰やわいせつ行為などで懲戒処分を受ける教員数は高止まりし、大きな変化は見られない。神戸市立東須磨小学校の教員間暴行・暴言問題でも教員の質が問われる中、専門家からは効果を疑問視する声が出ている。(堀内達成)

 教員免許更新制は「教育再生」を掲げる第1次安倍政権の下で導入が決まり、2009年度に始まった。背景には教員の指導力不足や全国の高校で発覚した必修科目の未履修問題など、教育現場に対する批判の高まりがあった。

■講習30時間以上

 文部科学省によると、17年度末までに全国で約74万人が更新を迎え、このうち失効したのは約千人。兵庫では3万2414人で、41人が失効した。質の保持や向上が狙いではあるが、同省は「不適格教員の排除が目的ではない」とも。失効割合は全国、兵庫とも0・1%程度となっている。

 兵庫県教育委員会によると、失効理由は退職時期が近くあえて更新しなかったケースが8割。残りは更新に必要な講習の受講を忘れるなどのミスだった。

 では、求められる質の向上をどう実現するのか。その柱となるのが、更新時に定められている30時間以上の講習だ。期限を迎える直前の2年間に、それぞれ教職課程のある大学などで受講する必要がある。

 内容としては、国の教育施策などを学ぶ「必修」や、免許状や勤務する学校の種類に応じた「選択必修」などに分かれるが、重点は近年の教育課題や教科指導に置かれがち。コンプライアンスなどに関する講習は乏しい上、基本的には受講さえすれば更新できる。多忙な教員にとっては負担の大きさも課題とされる。

 県内の中学校に勤める50代の男性教員は、4年ほど前に夏休み期間などを利用して受講。人権問題など興味のあるテーマを選び、姫路市内の大学や通信制で学んだ。費用は自己負担で約3万円。「ためになる授業もあったが、知っていることも多く、質の向上につながったかは分からない」と振り返る。

コンプライアンス

 一方、文科省のまとめでは、更新制導入前の08年度に懲戒処分を受けた公立学校の教員数は全国で1059人(免職は182人)、兵庫では神戸市教委分も含め39人(同6人)。以降も年度によってばらつきはあるが、17年度まで全国では777~1162人、兵庫では22~55人で推移し、必ずしも教員の質が高まったとは言い難い結果となっている。

 処分理由は例年、体罰とわいせつ行為が合わせて3~5割程度を占める。同省はこうした現状について「コンプライアンス研修の充実などで対応していきたい」としている。

■教員免許更新制に詳しい池田賢市・中央大教授の話

 教員の資質を培うには、職員室でのコミュニケーションが必要だ。勤務する学校の児童や生徒についてしっかり議論すれば、課題が具体化する。その話し合いを通じて、子どもとの関わり方や解決方法を学ぶことが質の向上につながるのではないか。一方、毎年のようにミスで失効者が出てしまうのは制度設計上の問題。仕組みが複雑で、学校の管理職も把握できていない。

【教員免許更新制】制度導入以前に交付された免許は「旧免許状」と呼ばれ、各教員の生年月日に応じ、2010年度末~19年度末の間に最初の更新期限が割り振られた。以降の更新は10年に1度。一方、制度導入後の免許は「新免許状」で、当初から10年の有効期限が定められている。更新には30時間以上の講習が必要で、受講後に修了証明書が発行される。仮に免許が失効した場合でも過去に取得した教職課程の単位は有効で、講習を受講・修了し、各教育委員会への申請などを行えば再び免許を取得できる。




【いつものマスコミのやり口】

 神戸新聞NEXTはいいところに目をつけた。
 マスメディアはときどき人々が忘れていることを突然目の前に突き出して、「これどうなってる?」と驚かすことがある。

 かつて新しい学力・「総合的な学習の時間」に夢中になっていたら「ところで算数数学や国語の力、落ちてない?」とか、
 だから学力の国際比較でより高い成績を上げようとして頑張っていたら「『道徳』の授業、ちゃんとやってるよね?」とか、
 そこから慌てて道徳の授業にも力を入れ始めると、「これからの社会はやっぱ英語力でしょ」
とか言った具合。
 ただし今回、教員免許更新制に注目してくれたことは、ありがたいドッキリであると言える。

 

【バカな教師を叩き直すための制度】

 教員免許更新制度は全国学力学習状況調査(全国学テ)とならんで、教師が「働き方改革を言うならとりあえずやめてほしい」ツートップのうちのひとつだ。
 いつも問題にされる部活動などにはやりたい教師もいるが、このふたつに限って「なくなると困る」教師は皆無だろう。

 特に「教員免許更新制」は、”学力低下や教員の質の低下問題など、日本の教育が死んでしまったことは明らかだから生き返らせてあげよう”という趣旨でつくられた「教育再生会議」の提案によって、2009年から始められた屈辱的な制度である。

 「教員は質が落ちているにもかかわらず、バカで勉強しないから政府が場を与えてやる。3万円払って30時間の講習を受け、まっとうな教師になれ」
 そんな悪態が聞こえてきそうな腹立たしい制度だが、10年ごとに受講することになっているために一応10回はやらないと全員に行き届かず、不公平になるので今日まで続いてきてしまった。
 さらにそこには誤解もあった。

 

【教員の不祥事をなくための制度ではない】

 神戸新聞NEXTが勘違いしているのは教員の資質向上をコンプライアンス(法令順守)の問題と同一視していることである。
 更新制導入前の08年度に懲戒処分を受けた公立学校の教員数は全国で1059人(免職は182人)、(中略)17年度まで全国では777~1162人(中略)で推移し、必ずしも教員の質が高まったとは言い難い結果となっている。

(更新講習の)内容として(中略)重点は近年の教育課題や教科指導に置かれがち。コンプライアンスなどに関する講習は乏しい上、基本的には受講さえすれば更新できる。

 教師の不祥事が再三にわたって報道される昨今、コンプライアンス講習が10年に一度では世間が黙っていないだろう。実際には年中行事のように繰り返し行われ、「法令順守」など耳にタコができるほど聞かされている。校内研修など年に何回行われるかわからない()。

 

【“知”は現場にある。大学に落ちているわけではない】

 更新講習の中心はあくまでも教育課題への対処と教科指導だ。しかし“専門家”の池田先生のおっしゃる通り、
 教員の資質を培うには、職員室でのコミュニケーションが必要だ。勤務する学校の児童や生徒についてしっかり議論すれば、課題が具体化する。その話し合いを通じて、子どもとの関わり方や解決方法を学ぶことが質の向上につながる

 実際に教育に関する実践的な”知”は現場にこそあるのであって、大学の構内に落ちているわけではない。
 記事の中でも一人の教員が遠慮がちにこんなふうに言っている。
「ためになる授業もあったが、知っていることも多く、質の向上につながったかは分からない」

 そういうものだ。

 

【それでも教員免許更新制はなくならない】

 講習の最後には必ずアンケートがあって、まったくムダということもないし敢えてケンカを吹っ掛ける必要もないから大半の教師が「講習を受けてよかった」に〇をして帰ってくるが、設問が「今後も続けて3万円払って30時間の講習を受けるか」だったら絶対に〇はしない。
 
 そんな「へ」にもならないような制度が教員の熱望にも関わらずなくならないのは、毎年10万人もが受ける更新講習の受講料、総額30億円が大学の運営費に組み込まれているからである。
 政府が負担すべき費用の一部を学校の先生たちが出してくれるわけだから、この制度、なくなるはずがない。
 そういうことだ。

*この件に関して、よく女性の先生たちが怒らないものだといつも感心している。
「もういい加減にしてよ! 教員不祥事っていったってやっているのは99.99%男の先生ばかりじゃない! だったらコンプライアンス講習なんで男の先生だけが受ければいいのよ!」
 そう言われても仕方がないと私は思っている。そのくらい講習会は繰り返し行われているのだ。