キース・アウト

マスメディアはこう語った

時間割に入るはずのない英語やプログラミングを入れると、学校がガタガタになる様子が目で見えるようになってきた

 もう満杯の小学校のカリキュラムに、
 さらに新しい内容を盛り込む。
 そうなると、
何かをつぶすか、何かをいい加減にするか、
 あるいはあれもこれもグチャグチャにするしかない。
という話。

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記事

 15分×3日=授業1コマ 新年度から授業数増 時間確保に「モジュール学習」
(2020.01.14 丹波新聞)

 2020年度から始まる新学習指導要領に基づく「外国語」などの導入に伴い、小学校では3―6年生の授業時数が週1時間拡充される。すでに各校では、必要な課外活動などとの兼ね合いで授業時間の確保に苦慮する中、兵庫県丹波篠山市の多紀小学校は今年度から、始業前の朝の15分間を正式な「授業」として位置付け、週3日計45分を1コマ分としてカウントする「モジュール(構成要素)学習」を試験実施している。

 同校4―6年生の授業は通常時、月曜と木曜が5時間で、それ以外は6時間。月曜か木曜の6時間目に1コマを増やす方法もあるが、同校伝統の「金管バンド」の活動やスクールバスの送迎、教諭の教材研究などとの兼ね合いがあり、6時間目を使うのは難しい状況だった。

 そこで週4日、朝の始業前に計算や漢字ドリル、読書などの短時間学習に使っている時間(午前8時25分―40分)のうち3日間を、15分間の国語の授業に充てている。

 これまでの実施を経て、同校の教頭は、「15分という短い時間なので授業の目的がより明確になり、教師の指導力向上につながる。放課後の課外活動や教諭の教材研究などの両立にもつながる」と利点を挙げる。

 一方、「分刻みのスケジュールになるので休憩時間が少なくなるなど、教師や児童の負担が大きくなる。週時程の変更など工夫が求められる」と課題も。来年度以降も継続するかは未定という。

 6年の児童は、「通常の授業と比べても、特に違和感なくできている」と言い、6年担任の教諭は「最初は慣れなかったが、今はあって当たり前。授業に『スッ』と入れるようになってきている」と話す。

 同校教諭らはこのほど、校内で研修を行い、同僚教諭の授業の様子を見学し、限られた時間での指導方法を思案した。この研究成果は、2月5日に同校で開かれる研究発表会で報告する予定。

 同校の教諭に指導方法のアドバイスを行っている兵庫教育大学の山内敏男准教授は、「45分の授業だとだらけてしまうことも多いが、モジュール学習は児童たちがいい意味で面白がり、リズム良く学びを得ることができる」と話している。

 学習指導要領の改訂 近年のグローバル化や、AI(人工知能)を活用した技術革新などを受けて、文部科学省が2017―18年に改訂。小学校3、4年生には英語を楽しく学び、慣れ親しむ「外国語活動」、5、6年生には中学生と同様の「外国語」を新設した。この新設した1コマをどのような方法で確保するのかが、学校側の重要課題になっている。丹波篠山市教委によると、同市内では、曜日に応じて放課後の掃除時間を削るなどして授業時間を確保している学校もあるという。

 

 英語学習やプログラミング学習を小学校の教育課程に入れるということになったとき、まず問題となったのは“どこに入れるのか”ということだった。

 小学校の時間割にたっぷり余裕があって、子どもたちがあくびをしているようなら私もこれらの学習に反対したりはしない。しかしすでに日程は満杯なのだ。
 そこで編み出されたのがモジュール学習という概念だ。

 モジュール学習というのは、記事にある通り、一時間の授業を細切れにして、日課のあちこちに置いて合計で1授業時間(45分)にしようというものだ。ただし週五日制の学校に合わせて45分を5分割にして9分ずつに割り振ったところで10分近い時間を差し込む余裕は学校にはない。

 子どもが登校している時間帯で授業時間でないのは、朝のドリル・朝読書、朝夕の学級の時間、休み時間(教室移動を含む)、給食の時間、清掃の時間、だいたいそれですべてである。だから思案のしどころは「英語やプログラミングを学ぶために、なにをやめるか」という選択でしかなくなる。

 丹波新聞の丹波篠山市立多紀小学校は、課題を次のように解いた。
 そこで週4日、朝の始業前に計算や漢字ドリル、読書などの短時間学習に使っている時間(午前8時25分―40分)のうち3日間を、15分間の国語の授業に充てている。

 つまり週4回あった計算および漢字ドリル、読書の時間を1回(!)に減らしてそこにモジュールを入れたわけである。

 

 考えてみると「読書の時間」は30年近く前、子どもの本離れが深刻な問題とされた時期に、休み時間を細かく削って生み出したものだった。それまでは一斉に読書をするなどという習慣はまったくなかったのに、ブームとして全国の小中学校に広まっていったものである。
 ところが十数年前、PISAの結果が出ると今度は学力が大幅に低下したとかで、「読書なんかしている場合ではない」とばかりに「朝読書の時間」が削られ、ドリルに充てられるようになった
 学校には時間がないから、何か新しいことをしようとすると古い何かをつぶさなくてはならない。そしていつも、同じ朝の15分間が塗り替えられてきたわけだ。

 もっともモジュール学習について、私は45分を5等分した9分にさらに1分を加えて、毎日10分間の英語学習を行うのが当たり前だと思っていた。ところが丹波篠山市立多紀小学校はここに「国語」を置いた。そこが独創的だ。
 英語はいずれかの曜日に1時間きちんとやるとして、週5時間の国語のうちの1時間を授業時間から外し、三日間にばらまいたのである。

 これまでの実施を経て、同校の教頭は、「15分という短い時間なので授業の目的がより明確になり、教師の指導力向上につながる。放課後の課外活動や教諭の教材研究などの両立にもつながる」と利点を挙げる。

 もちろん実施校の教頭自身が自校の試みを悪く言うわけはない。試行期間なので担任の意識も高く、勤務時間外にたっぷり教材研究を重ねて15分が有効に使えるように工夫しているのだろう。
 しかし長続きはしまい。

 大学教授なんていい加減だから、
 同校の教諭に指導方法のアドバイスを行っている兵庫教育大学の山内敏男准教授は、「45分の授業だとだらけてしまうことも多いが、モジュール学習は児童たちがいい意味で面白がり、リズム良く学びを得ることができる」と話している。
 
そういうなら全教科をモジュールにして、1日20コマくらいを回せばだらけずに学習できることになろう。毎日全教科学べるというメリットもある。
 しかしそうなるはずもない。

 さらに
 同市内では、曜日に応じて放課後の掃除時間を削るなどして授業時間を確保している学校もあるという。
 
教育に関しては日本国内だけでも1500年もの歴史をもつ仏教寺院に行って、「学問のために掃除を減らしました」と報告してみるといい。錫杖で殴られるかもしれない。
 あるいはエジプトやインドネシアの教育相に日本で清掃を減らしている現状をささやいてみればいいのだ、彼らがどれほど失望するかは目に見えている。

 かつて学校教育に見本であった日本は、清掃や読書やドリルの時間を減らしてしまった――読書や基礎学力や人格づくりよりも、英語やコンピューターの方が大切だと、方向を変えてしまったのだのだから、日本の教育を手本にした国々の失望(軽蔑?)は大きいに違いない。