キース・アウト

マスメディアはこう語った

小学校教員の採用試験が、軒並み競争率1倍台だとか。採用数が増えたからだともいうが、昭和後期並みに受験生が殺到すれば6~7倍も夢でないはずだ。仕事が面白くて長時間労働にしてしまった昭和の教師と違って、令和の教師はあまりにもやることが多い。それなのに政府は、さらに負担を求めてくるのだ。

記事


小学校の採用倍率、1倍台が続出、全国平均は過去最低更新…教師人気は回復できるのか?

(2022.10.16 大人んサー)

otonanswer.jp


 学生の「教員離れ」が指摘される中、中央教育審議会中教審文部科学相の諮問機関)の特別部会が10月5日、教師の在り方に関する中間まとめを公表しました。9月9日の会合で部会長一任を取り付け、修正を加えたものです。

 この日の会合では、2022年度公立学校教員採用試験の実施状況も報告され、小学校の採用区分を設けている57道府県・指定都市のうち約4分の3に当たる42県市で3倍を切り、17県市では1倍台という深刻な実態が明らかになっています。中教審では年内にも答申をまとめることにしていますが、これで本当に教師人気は回復できるのでしょうか。


3倍を切るだけで危機的状況なのに…

 教員採用試験を巡っては、倍率が3倍を切ると優秀な人材が確保できなくなる、というのが採用担当者の経験則です。しかし小学校は全国平均で2019年度に2.8倍となってからも過去最低を更新し続け、2022年度は2.5倍という危機的状況です。

 現在、第2次ベビーブームに対応して大量採用された世代の教師が大量退職して、その穴を埋めるために、教員を大量採用しなければならなくなっています。そんな中、学校現場の「ブラック職場」化が知られるようになり、ますます教職志望者は減っていきます。国立の教員養成大学・学部ですら平均教員就職率は65.2%にとどまり、関係者によると優秀な学生ほど「自分には務まらない」と民間企業に流れるようになっているといいます。
(以下略)

【教師不足の原因は教職志望の減少がすべてだ】

 現在の教員不足について、「団塊の世代の大量退職にともない」などと15年も前のできごとを持ち出すわけのわからない記事の多い中で、「第2次ベビーブームに対応して大量採用された世代の教師」の退職に原因を求めたこの記事は、現状分析としてはかなりマシなものである。
 しかし世の中にやたら出回っている下のグラフを見ればわかるとおり、極端な話、令和2年の採用数役35000人に対し、昭和54年と同様の受験者258000人が馳せ参じてくれれば倍率は7・4倍だ。十分に人材は集まるし、教職が魅力的な職業なら翌年もう一度チャレンジしてくれる。教職浪人が大量に生まれ、この人たちが講師に応募してくれるというわけだ。
 昭和から平成の前半にかけて、教員採用の現場はそのように回っていた。受検者が多いから、採用数が増えようが増えまいが、教員不足など起きようがなかったのだ。

 

【教員の長時間労働は今に始まったものではない】

 ところが平成25年ごろを頂点に、教職志望は一貫して減ってきて、回復の兆しがまったく見えない、それが令和の学校の最大の困難である。なぜこれほどまでに志望者は減ってしまったのか――。
 原因は記事にもあるとおり、
 学校現場の「ブラック職場」化が知られるようになり、ますます教職志望者は減っていきます。国立の教員養成大学・学部ですら平均教員就職率は65.2%にとどまり、関係者によると優秀な学生ほど「自分には務まらない」と民間企業に流れるようになっている
からだと、私も思う。

 昔の学校だってブラックだったという人はいるが半分しか当たっていない。
 昭和の教師の端くれだった私も、独身時代は22時~23時と平気で学校にいたし、朝は7時前に登校しないと部活の朝練習に間に合わないので6時半には登校していた。
 結婚して子どもが生まれてからはさすがに早く帰宅するようになったが、それでも仕事を減らしたわけではない。ほとんどは持ち帰りとなり、同業の妻は午前0時前に寝ることはなく、子どもの寝かせつけ係の私は午前3時には起きて仕事をしていた。夫婦で教員であるということはそういうことだった。
 私たちの世代はそうだったが、さらに数十年さかのぼっても教員の労働時間は少なくなかった。「提灯(ちょうちん)学校」というのは私が子ども時代からあった言葉で、もしかしたら学校に電灯の入る前からのものかもしれない。いずれにしろ、大昔から教員たちは長時間労働に慣れていたのだ。

【昔の教師は仕事が面白くて長時間労働になった】

 しかし昔と現在との間には決定的な違いがある。それは若いころの私たちが自主的に労働時間を伸ばしていったのに対して、いまの教師たちは強いられているという点である。昔は楽しんでやったが今はそうではないと言ってもいい。
 
 どこに転換点があったのか――これにははっきりとした記憶があって、中学校では平成15年4月(小学校では14年4月)から施行された学習指導要領で、総合的な学習の時間が週3~4時間(現在は週2時間)創設されたときからである。これで学級担任の授業時数が飛躍的に増えることになった。しかも「教科書のない、教師の独自性が問われる授業」だったため、計画や準備に大量の時間とエネルギーが必要とされる。
 その後さらにキャリア教育やICT教育が加わり、法令順守や説明責任の研修や校内体制の組み換えも始まり、教員評価・学校評価が行われ、全国学習状況調査の結果次第でとんでもない量の授業改善の作業が加わってきた。
 
 現在教職にある人のほとんどはこうした転換点を経験していないため、あたりまえのように仕事をしているが、昔はそうでなかったのだ。彼らが大量の仕事をしていたとしても、そのほとんどは自分のためであり喜びですらあった。
 私は研究授業が大好きで、そのための準備はいつも面白く、いくらでも時間が使えた。学級通信は毎日書いた。それも子どもが反応し変わっていくのが面白かったからだ。平成の後半から、それが本当に苦しくなった。
 
 幸い私は総合的な学習の時間が始まっていくらも経たないうちに学級担任を手放して管理職に逃げたが、あのまま続けていたら凡、庸な私などには勤まらなかったのかもしれない。

【それでも教師への要望はさらに高まる】

 今回取り上げた記事の後半には次のような記述がある。
 一方で、授業では「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が求められており、教える側にも変革が迫られています。
 中間まとめでは、教師に共通的に求められる資質能力として「特別な配慮や支援を必要とする子供への対応」「ICT(情報通信技術)や情報・教育データの利活用」を加え、教員養成や現職研修でしっかりと身に付けさせることを求めています。
 つまりこの期に及んでも、教員に負担を求めることは絶対に辞めないと宣言しているわけで、もう採用試験の受験者がゼロになってもかまわない、と覚悟を決めたとしか思えないありさまである。

 どうしたら志望者を増やすことができるか。
 私が具体的にイメージできるのは学校を昭和時代に戻す程度のことだけだ。しかし案外悪くない考えだとも思う。
 総合的な学習の時間やキャリア教育、ICT教育などは、教師をゼロにしてまで取り組まなくてはならない学習だとは思えないからである。