キース・アウト

マスメディアはこう語った

保護者やPTAがボランティアでやっている仕事を公費で賄うと、教師や備品が少なくなってしまう

f:id:kite-cafe:20191014195948j:plain

 保護者やPTAにあれこれ頼むのも感心しないが
 それをすべて公費でやれといっても 予算を持ってくるところがない
 だからいきおい、市費教員を減らすとか、備品・設備費を削ってとかになりかねない
 良くも悪しくも歴史ある学校教育に切り込む以上は 十分考えた上でなくてはならない

というお話 




2019.08.16

保護者が学校のカーテン洗濯やトイレ掃除
傍から見た非常識が「当たり前」になる理由


[Yahooニュース 8月16日]

 先日、関西発のニュースサイトに「学校のカーテンをPTAが洗っている」という話が掲載され、SNS上では「そんなことまで親がやるのか!?」といった驚きの反応が多く見られました。

 この「PTAによるカーテン洗濯」、筆者は取材でたまに聞くことがありますが、やはり比較的めずらしいパタンでしょう。筆者も経験したことはありません。

(中略

 レアではありますが、ほかにも「PTAが学校のトイレ掃除をする」「PTA役員が各クラスの児童名簿作成を代行している」(言うまでもありませんがいろいろと問題があります)、などの話も聞いたことがあります。

 ただし、そういったことを「おかしい」と思うのは、他地域(出身)の人間です。ずっとそこにいる人は何とも思っておらず、それを「当たり前」と思いがちです。

 なぜなら、「それ以外」を知らないからです。これは虐待を受けて育った人が、よく「小さいときはこれが当たり前(よその家も同様)だと思っていた」というのと似ているかもしれません。家庭も学校も、(多くの)子どもにとっては唯一のものだからです。

 たとえば筆者が住む地域では、PTAがよく学校集金業務を部分代行しているのですが、疑問を感じている人はそう多くありません。「PTAがやる」以外の選択肢があるということに、皆気付いていないからです。

 筆者もはじめは「そんなものか」と思っていましたが、他地域の人から「えっ! PTA会費だけじゃなくて、学校のお金(給食費や学級費等)までPTAが集めるの!?」と驚かれる経験を何度か繰り返してようやく、「これは“当たり前”ではないんだ」と気付かされました。

 「カーテン洗濯」や「学校集金代行」などだけではありません。

 考えてみれば、「PTAそのもの(全体)」も同様です。いまのやり方を「当たり前」と思っている人が大半ですが、一歩外から見れば、相当おかしなところがあります。

 自動入会も、「できない理由」の公表も、会費の無断引き落としも、もしNPOなど(*1)で行われたら大問題になります。

 いままで「当たり前」と思ってきたことも、外の世界を知り、別のやり方と比較することで、見直すことができます。

*「保護者のお手伝いは当たり前」も、見直しを

(以下略)

           (大塚玲子 ライター、編集者、PTAジャーナリスト)
 

 大塚玲子という人はPTA活動を中心とする“保護者の犠牲による学校の支援”に一貫して反対し、児童生徒による清掃も含め、すべては公費で賄うべきとの論陣を張ってきた人である。
 保護者の負担軽減が中心的な課題であるから、当然親たちからの受けはいい。しかしそれは果たして現実的な提案と言えるだろうか。
 
 PTAがカーテンを洗う背景には「学校にお金がない(公費が非常に少ない)」という問題があるわけですが、そもそも学校運営に必要な経費なのですから、きちんと予算化される必要があります。
 保護者もこういった「学校のお手伝い」を「当たり前」のこととせず、公費の拡充を求めていく必要があるでしょう。
 もちろん正論なのだが、予算というのは無制限にあるわけではない。
 その辺りの事情は記事が引用してる参考資料学校のカーテンを洗う…って、PTAの仕事!?背景にある学校の厳しい懐事情とは(まいどなニュース) の中にもあるのだが、筆者は読んでいないのだろうか?
 学校予算ではなく市町村教委、あるいは国の予算でやれという意味かもしれないが、市町村にも国にも余分な金があるわけでもない。
 カーテンのクリーニング代が必要だからといって住民税を上げることもできないし市道や橋の補修費を削ることもできない。

 それでもなお予算化しろと言えば、教育予算の中でのやりくりでしかなくなる。つまり市町村独自でつけている補助教員を減らすとか、プールの使用期間を減らしてその分の水道代・消毒費用を浮かすとか、図書館に入れる本の数を半分に減らすとかいったやり方である。

 現職のころ、私は21世紀になって何年も経つというのに学校の大型地図にソビエト連邦が残っていることに気づき、マジックインキでロシアやらウクライナやらを書き込んだことがある。本当に情けなかった。
 地球儀は、軸が外れてしまったので応急修理したが、素人仕事ではうまく行かず、ソ連ユーゴスラビアが哀しいくらいゆらゆらと揺れて回っている。
 しかしそんなものでもあるだけマシで、大きな学校で社会科教師が3人も4人もいるところでは、不備とはいえ一本しかない地図を奪い合ってさまざまに策略を巡らせたものだ。
  上の記事ではクリーニング代を集める代わりに公費で大型洗濯機を購入した学校事務員の手柄話が出ているが、その代わりに削られたものが何なのか、私は知りたい。
 地域経済の振興費や農業補助から回されたものなら多少我慢できるが、教材・教具を削って洗濯機なら腹が立つ。
 そこで何が起こるか?
 妙なところに金は回さず、地図を買ってくれ、児童用図書を買ってくれ、先生を減らさないでくれ、カーテンの洗濯なら私たちがやるから――。
 
「PTAがやる」以外の選択肢があるということに、皆気付いていないからです。
 そんなことはない。
“先生がやればいいじゃないか”なんてことは、最初から皆気づいているって!
 もともと大型洗濯機を導入した話にしても、実際に洗濯をするのは教師なのだ。


*ちなみに、児童生徒が清掃をするのは、学校に金がないからではない。それが非常に旧力な教育だと信じているからである。

 市役所や県庁で、職員が廊下やトイレの掃除をすることってほとんどない
 しかし、高野山比叡山で学僧が掃除をやらず、業者に任せているとしたら皆、首を傾げるだろう。
 落語家や武道家の門下となった弟子が「先生、掃除は専門業者に頼んでください」といったら即刻、破門に違いない。
 日本には清掃を学びとする伝統があるのだ。

 学校教育について知識のない人が学校批判を言い出すと、とんでもない方向に話が進んでしまう。