キース・アウト

マスメディアはこう語った

常識的に考えてありえないことは、実際にありえない

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 教師による教師のいじめという極めてありえないような話が世間に広まっている。

 しかし、常識的に考えてありえないことは、学校でもありえないのだ。

 そこには報道から漏れた何かがある。

 という極めて常識的な話。
 




2019.10.09

 教員4人が同僚にいじめ
「羽交い締めされ激辛カレー」


朝日新聞 10月 4日]

 神戸市須磨区の市立東須磨小学校で、30~40代の教員4人が同僚の20代の男性教員に対し、嫌がらせや暴言などのいじめ行為を繰り返していたとして、市教育委員会が4人の処分を検討していることが市教委への取材でわかった。男性教員は体調を崩し、9月から学校を休んでいるという。

 市教委によると、いじめ行為をしたとされる教員は男性3人と女性1人。昨年以降、通信アプリ「LINE」で別の女性教員にわいせつなメッセージを無理やり送らせたり、コピー用紙の芯で尻をたたいたり、「ボケ」「カス」などの暴言を浴びせたりした。

 男性教員の車の上に乗ったり、車内で飲み物をわざとこぼしたりこともあった。4人はこれらの行為を認めているという。

 また、男性教員は「羽交い締めにされ、激辛カレーを無理やり食べさせられた」とも訴えている。市教委は4人の処分を検討中で、さらに詳しく調査を進めている。
(以下、略)



 世の中、常識的にありえないことは実際にありえない、それが当たり前だ。一見ありえないことのように見えても、真実が明らかになれば、同意や同情ができるかどうかは別として、納得はできる、頭で理解できるようになる、そういうものだ。

 神戸市須磨区で起きた教師による教師いじめ事件は、訴えがあり、証拠映像や証拠画像があって、市教委まで頭を下げたとなれば、あたかもそれが真実のように見えるが、それでも不確実だ。

 いい年をした分別盛りの大人が、一人ならまだしも4人もそろって、一緒に若い教師に子どもじみたいじめを繰り返した。しかも4人は学校の中核となる、子どもや保護者から信頼の厚い教師だった――となると、やはりありえない事件だ。
  そこにはまだ表に出てこない何かが確実にある

 繰り返しになるが、ありえないことはどんな社会にあってもありえない。
 
 ただし世の中にとって学校というのはいつまでたっても理解不能で、何が起こっても不思議がない場所だと思われている。
 これだけ教師の多忙が報道されても、子ども相手の何が難しいのか誰も理解できない。絶対倒産しない組織にいながら、なぜあんなに教師たちが不安なのか、それも理解できない。そうした、わけのわからない人ばかりのいるところだから、何が起こっても不思議がないと、そんなふうに思っている。だからこんなありえない事件でも、報道された“事実”そのものを疑う空気はどこにもないのだ。
 しかし世の中、ありえないことは本当にありえないのである。
 
 今は学校も教育委員会もかつてのように事実を解明しようとしない。
 いじめでも子どもの自殺でも、事実解明に手間取っているとネット上に個人情報がどんどん流され、あることないことがすべて真実のように語られてしまう。デジタル・タトゥーを掘られると、たとえ後から異なる事実が出てきても、絶対に元には戻れない。
 だから現代の組織にとって最も大切なのは「できるだけ早く、世の中の人々に忘れてもらう」ことだ。だからできるだけ早く謝って世間の興味を削ぐように動かなければならない。
 訴えられた事実があるかどうかなんてどうでもいいことだ。
 
 映画「謝罪の王様」の阿部サダヲのセリフに曰く、
「この国じゃあなあ、車をぶつけてから謝ったんじゃあ遅いんだ! ぶつける前に謝れ!」
 
 今回の事件も早々に教育委員会は頭を下げ、4人を自宅待機にして仮処分のようにしてしまった。これで「教師というのは、まるで子どもみたいで何をするのかわからない連中だ」という評価は定着するが、個人が痛めつけられることはない。名前のない情報はいつか忘れられる。
 
 だが、私は事件が公のものになることを望んでいる。
 報道が事実ならすでに立派な傷害事件だ。一刻も早く警察が介入し、4人を逮捕するとともに裁判の場で事実を明らかにすべきである。そうすればアホな事件のアホな様相が明らかになるからである。
 
 世の中、ありえないことは本当にありえない。
 真実の究明を望む。