キース・アウト

マスメディアはこう語った

結局だれも個性的な教育なんて望んでいない。子どもの希望を最優先にさせて、横並びにするのが一番いいとマスメディアも思っているのだ。

 修学旅行に関して、同じ市立中学であるのに子どもに人気のあるユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、大阪市)に行けた学校と、そうでない学校の違いが生れ、それが大問題らしい。
 この時期に大都会に行くことこそ問題だと思うが、子どもの希望を優先しなかったことの方が罪が深いらしい。やはり学校教育は横並びがいい。
という話。

f:id:kite-cafe:20201206103550j:plain(写真:フォトAC)

記事 

 「隣の学校はUSJ行ったのに!」コロナ禍、修学旅行先変更で波紋 相生の中学校

 (2020.12.05 神戸新聞NEXT)

www.kobe-np.co.jp 

 僕らはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、大阪市)に行けなかったのに、どうして隣の中学校は行けたのか-。相生市立那波中学校(兵庫県相生市那波南本町)で、生徒たちが疑問を抱いている。新型コロナウイルスの感染拡大で、修学旅行が近場の日帰り旅行に変更され、那波中は北播磨の大型リゾート施設へ。一方で、隣の市立中はUSJへ行き、判断が分かれた。なぜ同じ相生市立中で行き先が異なったのか、市教委や中学に取材した。(伊藤大介

 当初、那波中の修学旅行は5月に東京へ行く予定だったが、都心を避けて長崎に変更。全国的な感染拡大を受けて、8月下旬に長崎行きも中止になった。

 相生市教委は「近場で、代替の日帰り旅行をしてほしい」と各校に要請した。具体例として、県内のほか、岡山、広島、滋賀などの近隣府県を行き先に挙げたという。

 那波中の校長は「感染者が多い大阪に行く、という発想はなかった」と県内に旅行先を絞り、3年生は10月13日、北播磨のリゾート施設へ行った。だが、隣の双葉中(相生市双葉)は1週間後の20日、生徒の要望が多かったUSJへ日帰り旅行した。「僕らもUSJへ行きたかったのに」と生徒たちの間で疑問が募った。

 生徒会は、旅行に参加した3年生にアンケートを実施した。
 (1)那波中が県内、双葉中が県外の旅行になったことを疑問に思いますか
 (2)対応が違うことの理由を、納得のいくように説明してほしいですか
 (3)かなうのであれば、県外(USJなど)に行きたいと思いますか
 いずれの問いも、9割以上の生徒が「イエス」と回答した。

 生徒会役員は22日、市教委を訪ね、「対応が異なったのはどうしてですか」と説明を求めた。市教委は後日、どの学校にも「近場で日帰り旅行をしてほしい」と一律に求めたと那波中に書面で回答。校長は3年生の教室を回り、市教委の回答を伝えたが、自身の判断で旅行先を県内に絞ったことは伝えなかった。校長は「当時は大阪に行かせたら駄目だと思っていた。市教委の回答を伝え、納得してくれたかなと感じた」とする。

 生徒会役員の一人は「北播磨のリゾート施設は楽しかった。ただ、なぜ僕らがUSJに行けなかったのか、納得のいく説明をしてほしかった」と話す。校長は「もう受験に向けて頑張る時期なので、あらためて説明するつもりはない」としながら、「生徒からの求めがあれば、話す場を設けたい」と話した。 

 なぜこんなことがニュースになるのか。
 那波中の校長にしたら「(USJに行った)双葉中も余計なことをしたものだ」が本音に違いない。

 さらに、
「僕らはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、大阪市)に行けなかったのに、どうして隣の中学校は行けたのか-」
が主題なら、聞きに行くべきは双葉中のはずなのに、生徒会役員も神戸新聞も双葉中を避けて市教委やら自校の校長やら、訊ねやすいところにしか行っていない。解せないことだ。
 一般論として、こんな時期に大阪へ行った双葉中が間違っているのであり、本気で扱うなら双葉中校長をこそ糾弾すべきであろう。教員も保護者も、よくもためらわず子どもたちの希望を優先させたものだ。

 生徒会は、旅行に参加した3年生にアンケートを実施した。
 (1)那波中が県内、双葉中が県外の旅行になったことを疑問に思いますか
 (2)対応が違うことの理由を、納得のいくように説明してほしいですか
 (3)かなうのであれば、県外(USJなど)に行きたいと思いますか
とは、誰の入れ知恵なのか。
 こんな、最初からイエスとしか答えられないアンケートを実施して自校の校長や市教委に突きつけようとしたのか、その目的は何だったのか?
 まさか市教委の指示に従わなかった双葉中を罰するために、市教委か那波中内の誰かが企てた深謀遠慮でもあるまい。

 いずれにしろこうした記事がたくさん出されることによって、学校は独自の判断で動きにくくなる。常に右顧左眄して隣りの様子を伺い、同じような教育活動をしていこうという機運は高まっていく。

 マスコミも世の中全体も、実は個性的な教育など望んでいないのだ。
 出る杭は打たなくてはならない。