キース・アウト

マスメディアはこう語った

絶対に怒るはずがないと思って挑発したハゲ教師に怒鳴られ、恥をかき、傷ついた中学生が、復讐を果たし、復活するまでの物語

(写真:フォトAC)

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育毛剤チラシめぐり生徒に「ふざけるな」 教諭が一方的に25分叱責
(2023.12.01 朝日新聞デジタル

www.asahi.com

 福岡市立中学校で10月、30代の男性英語教諭が、自身の頭髪をめぐり、授業を担当する男子生徒の首をつかんで廊下に連れ出し、25分間にわたって叱責(しっせき)していたことが分かった。生徒の言い分を聞かないまま一方的に指導をしており、市教育委員会は不適切だったとして処分を検討する。

 学校や市教委によると、教諭は10月27日午後、教室で授業を始める直前に、育毛に関するチラシを持っていた生徒に対し、事情を聴かずに「何だこれは」などと言って肩を押し、首元をつかんで廊下に連れ出し、25分ほど指導。さらに「ふざけるな」「25分間、授業ができなかった。どうしてくれる。代わりに授業をしろ」などと責めたという。

 チラシは生徒のところに誰かが置いたとみられる。生徒は指導を受けた後、登校できなくなることもあり、オンラインで授業を受けるなどしたという。学校は、教諭を生徒のクラスの英語担任から外すことを決めた。

 文部科学省が定める教職員向けの生徒指導の手引「生徒指導提要」は、不適切な指導例として「生徒の言い分を聞かず、事実確認が不十分なまま思い込みで指導する」と示しており、市教委は教諭の行為がこれに該当すると説明している。

 市教委の聞き取りに、教諭は「頭髪にコンプレックスがあった。期末考査前で最後の追い込みをしないといけないと思い、テスト対策をしてきたのに、侮辱をうけ、気持ちが折れた」などと話しているという。また生徒について、「心を傷つけてしまった。謝罪したい」などと反省の言葉も述べているという。

【個性と独創性にあふれ、自主的で行動力に満ちた子どもたちの危険】

 昔、昭和の、まだ暴力団うしの抗争の激しかったころの話である。
 ある中学生がとんでもない事実に気づき、友人とともに自ら試してみることにした。それは、
暴力団事務所の前で爆竹を鳴らすと、強面のおっちゃんたちがうろたえて飛び出してくるのでおもしろい」
という事実だ。
 確かに大のおとなが爆竹を拳銃の発射音と勘違いして、一斉に飛び出して来るような世界は、この日本国内おいてはここだけだろう。きっと子どもたちにはほんとうにおもしろかったのだろう。しかし普通の人は気がついても試したりしない。それでもやろうとするのが子どもだということだ。
 
 そうやって何回か遊んでいるうちについにひとりが捕まってしまい、仲間も呼び出されて事務所で説教を受けたという。ここまでは私が実際に新聞で読んだことだから(新聞が嘘を書かない限り)ウソのない話だが、事務所では恐ろしげなおっちゃんから「こんなことをしていちゃあ、ロクな人間に育たん」と諭されたというのは、私がつけたオヒレだ。

 子どもの自主性だとか行動力、独創性、個性といったことが話題になると、よく思い出すのがこの話だ。実に独創的で個性的、行動力・自主性どれをとっても申し分ないが、だからといって彼らの行動を誉め、他の子どもたちに勧める気はない。
 私たちが自主性だの独創性だのと言って持ち上げるときは、その前に声には出さないカッコ書きの《正しいことを行う上での》があるのであって、誰もやらないことを自分からやるなら何をやってもいい、ということではないのだ。
 
 この事件は半分笑い話で終わったが、障害が残るほどの暴力を受ける可能性も、無事手打ちを済ませてそのままリクルートされる可能性もあった。世の中にはやっても試してみてもいけないことがたくさんある。
 もう中学生にもなったのだから何か実際に行う前に、頭の中で試行(シミュレーション)してみて、危険ならば回避する、深追いはしないというのが最低限求められる能力である。子どもたちには小さなころから、そうした危険回避の技術を身につけさせておく必要がある。子どもたちにはそれを学ぶ権利がある。

【一般に考えられているひとつの仮説】

 30代の若ハゲの教師に育毛剤に関係するチラシを見せて、「これ、先生のですよね」と言えば面白いことが起こるはず、普通のおとなだったら怒鳴ったり殴ったり何をするか分からないが、よもや教師がそんなことしまい。だったらどう出てくるのか、いずれにしろ面白いことになるはずだ、やってみよう――。
 一部の教育評論家なら手を叩いて喜びそうな、極めて独創的で個性的な発想を、呆れるほど迷いのない行動力と自主性で実施したところ、あに計らんや教師は激怒して25分間に渡って廊下で叱責を受けた、そのときの中学生の衝撃と屈辱は想像して余りある。
 なんたる見通しの甘さ、なんたる道化。クラス全体どころか廊下を通して全学年、あるいは全校に知れ渡ってしまったじゃないか。25分間も曝し者になったわけだ。
 
 ただしその復讐は難しいものではなかった。細かな法律上のことは分からなくても、中学生が教師から一方的に追い詰められて、ただで済むはずがない。そんなことは保育園児だって知っている。
 ぼくはただ机の上にあったチラシ(それを持って来たのがぼくだったのか他の誰かなのかは大した問題じゃないけど)を先生のものだと思って返しに行っただけなのだ。それをこんな目に遭わせて! 家に帰ったらパパに報告しなくちゃ。こんなにボロボロになったぼくの心を、パパが放っておくはずがない――。

 かくて訴えられた市教委や学校は対応せざるを得なくなり、連絡を受けたマスコミも取材に行かなくてはならなくなった――。その意味でこれは、
 絶対怒るはずがないと思って挑発したハゲの教師に怒られ、恥をかき、傷ついた中学生が、復讐を果たし、復活するまでの物語――
だといえる。これがありうべきひとつの仮説である。

 実際に起こったことが何なのか、引用した朝日新聞の記事からだけでは分からないが、もしこの仮説が事実だとしたら、生徒はこの先も大人を舐めて生きることになる。その歩む道が危険なものでないといいのだが――。
 ただし私には、この説が何となくしっくりこない感じもあるのだ。

【十分な情報が揃っていない可能性】

 このテのニュースを聞いた時、まず考えるのは「必要な情報が揃っていないのではないか」という可能性である。もちろん世の中には信じられないほど異常な思考形式を持つ人間もいる。しかし普通はそうではない。
 
 普通の保護者は、自分の子が学校でぞんざいな扱いを受けたとしても、たちどころに学校(校長)や教委に訴えようとはしない。たいていは長い長い期間に渡ってさまざまに伏線が張られ、(主観的には)我慢に我慢を重ねた上でもう耐えきれなくなって、ようやく訴えるという手段を取るのである。
 したがって今回のような、内容的には教師に分があるように見える事件も、実は保護者にとってはコップの水が溢れ出す最後の一滴だったということもありうる。今回の割り切れない報道も、そうした幾多の伏線にまったく触れていないから突飛な感じがするだけで実はよく分かる話、ということもあるかもしれない。

【誰が問題を公にしたのか】

 しかし最も考えられるのは、今回この件を問題として市教委やマスコミまで巻き込んでおおごとにした人物は、実は養毛剤チラシには直接かかわらない、クラスの別の生徒とその親だという可能性である。

 特に暴言問題ではよくあることとして、のちに加害教諭とされる教師と被害者とされる生徒の間に深い人間的関係があって、乱暴なやり取りが友達どうしのような親近感を高める働きをしていることがある。
 二人だけだったらそれもいい。しかし傍で見ている生徒の中には快く思っていない者もいて、その子の報告を心待ちにしている保護者もいる場合がある。子どもが家に持ち帰る学校批判の糸口が、何よりの好物という大人も少なくない。
 そうなると当事者の思惑とは無関係に事態は動いてしまう。
 
 育毛剤チラシ問題の場合、25分間に渡って叱責を受けた生徒がそのまま深い反省に至るということもあるし、そうでなくても普通の親だったら教師に謝罪こそすれ訴えたりはしない。下手に訴えれば学校全体、あるいは地域までも敵に回しかねないからだ。
 しかし匿名の生徒、匿名の保護者だったらそんな心配はいらない。“被害者”がこれ以上の事態の問題化は望まないと言ったところで、
「人権問題だから被害者本人がいいと言ったって。それで済む話ではない」
 そう言って火に燃料を注ぎ続ければいいのだ。

【傷ついた教師たちは手を引く】

 いずれにしろこうした事件が起こるたびに教師は傷つき委縮する。子どもからどんなに傷つけられても、耐えて忍ばなければならない教員の姿を見た学生たちは、教師だけにはなってはいけないと固く決心する。そして一部の子どもたちは万能感に酔い痴れ、親の半分が一緒に喜び、もう半分が恐怖する。
 教師たちは思う。ただでも余裕はないのだ。もう子ども多少の悪さには目をつむろう、人は懲りるまで本当のことを理解しないのだ。暴力団事務所前で爆竹を鳴らしたらどうなるか、学校以外の場で大人の髪の毛の薄さを嘲笑ったらどうなるのか、実際に試してみるといいのだ。私はもう手を引きたくなった。さらばだ。