キース・アウト

マスメディアはこう語った

「ウチの子の給食は普通の子の1割程度でいい」と親が言っているのに、普通の子の6割程度の食事を食べさせようとした教師が、裁判で違法性を指摘された。しかし先生たち、負けるな。これは例外だ。栄養価の良く計算された学校給食を、90%もカットしていいはずがないじゃないか。

(写真:フォトAC)

記事


強要…小食の女児に無理やり、給食を完食させようと迫る 母親から「食べられる量が他の児童の1割」と言われていた担任教諭、6割まで盛り増し さいたま市に賠償命令「許されない、違法と言わざるを得ない」
(2023.10.26 さいたま日報)

www.saitama-np.co.jp

 さいたま市立小学校で担任教諭が児童に対して給食の完食を強要していたなどとして、小学5年(当時)の女子児童とその両親らがさいたま市に対して慰謝料など約2900万円の支払いを求めた損害賠償請求訴訟の判決が25日、さいたま地裁であり、関根規夫裁判長は原告の請求を一部認め、市に33万円などの支払いを命じた。

 判決理由で関根裁判長は、女児の母親が担任教諭に対して完食できる給食量が他児童の1割程度であることを知らせ給食配膳量の減量などを求めていたにもかかわらず、担任教諭が他児童の6割程度の給食を配膳し続けたと判断。

 さらに文科省が学校給食について、食事を残さずに完食するという食育に取り組むことを推奨している一方で、食に関する健康課題を有する児童については個別の事情に応じた対応が重要という方針を示していることに言及。「食育の一環として児童の偏食を改善する目的が含まれていたとしても、(中略)食べられない量の給食を盛り増しし、事実上完食を強要するもの」であると指摘し、「担任教諭として許される程度を超えて行われた指導として、児童の人格権を侵害する違法行為であると言わざるを得ない」とした。

 訴状などによると、女児は2017年4月から多数回にわたって、食事量が極端に少ないにもかかわらず担任教諭から他児童と同程度の給食を配膳された上で完食を強要され、精神的苦痛や健康被害が生じたなどとして、さいたま市に対して慰謝料などの支払いを求めて21年に提訴していた。

 さいたま市教委教職員人事課は「手元に判決文がないためコメントは差し控える」とした。

【親が給食を9割減らせと言ったら、素直にきいていいのか】

 なんともよく分からない話である。記事のうしろの方に、
 食事量が極端に少ないにもかかわらず担任教諭から他児童と同程度の給食を配膳された上で完食を強要され、精神的苦痛や健康被害が生じた
とあるため、ネット上では過去に苦しい思いをしたことのある市民を中心に批判が沸騰! しかし落ち着いて見直すと表題には「担任教諭、6割まで盛り増し」とあり、本文にも「担任教諭が他児童の6割程度の給食を配膳し続けた」とあるから「他児童と同程度」は保護者の誤解だろう。
 ただそう考えても、本来“給食”は栄養士が子どもたちの成長を考え、きちんとカロリー計算・栄養計算をして提供している食事である。それをやたらと減らしていいものだろうか?
「せめて6割以上は食べてほしい」「食べるべきだ」と考えるのは、児童の健康に責任のある担任教師として当然ではないか、そんな気もする。「完食できる給食量が他児童の1割程度である」と親が言ってきても、はいそうですか減らしていたら、その子は餓死してしまうかもしれないのだ。

【成長期の子どもが、他の子の10分の1の食事でいいのか】

 しかしそれにしても世の中に、普通の人間の1割しか食べなくて、しかも健康に生きられる人間がどれだけいるのだろうか?
 カロリーだけをみても身体活動レベルが中程度の小学校5年生(10歳~11歳)女児が1日に必要な推定エネルギーは2109Kcal/日。この子がもし三食すべてにおいて他の子の1割程度しか食べられないとしたら、1日の摂取エネルギーは211Kcal程度ということになってしまう。1食につき70Kcalである。
 1食につき70Kcalはどの程度かというと、食パンなら5分の2枚、ゆで卵なら1個弱、野菜サラダ1杯といったあんばい。どら焼き1個(227Kcal)を食べてもシュークリーム1個(229Kcal)を食べても軽く1日分をオーバーしてしまうわけで、女の子とはいえ、その程度のエネルギーで毎日活動し成長を続けて行けるものか、はなはだ疑問である。この子、生きて行けるのか?

 そこで改めて記事を見直すと、この子が他児童の1割程度しか食べられないのは食事全般ではなく「給食量」だということが改めて注目される。判決文にも教師の情状として、「食育の一環として児童の偏食を改善する目的が含まれていたとしても」とあるから、どうやら1割しか食べられないのは給食がその子に合っていない、つまり偏食のためではないかと推測されるのである。
 
 そう考えると、裁判中に両親が1割しか食べさせなかったという虐待で告発されなかった理由も分かろうというものだ。そう言えば昔、私が担任した小学1年生の女児は、給食で食べられるものがご飯と牛乳、具のない味噌汁くらいしかなかったが、毎日家に帰るたびに元気よく、
「ただいまあ、おなか空いた~」
と言ってケーキやらお菓子やらを食べていたようだ。ショートケーキなら1個およそ300Kcal。朝も夜も同じようなものを食べているとしたら、カロリー問題はなんとかクリアできてしまう。もちろん、だからといってバランスの良い栄養摂取ができる訳ではないのだが――。

【実際に起こったことは多分これだ】

 さて、これで様子がだいぶ分かった。
 偏食のために出された給食の大部分が食べられない女児のために、担任教師はせめて6割程度は食べさせたいとあれやこれやと手を尽くす。ところが女児にはそれが苦痛で、再三再四、親に訴える。最初は聞き流していた親もやがて苛立ち始め、学校との交渉が始まる。そして何か決定的に気に障る事件が起こって親は叫び出す。
「給食なんて十分の一でも食べられればいいでしょ? その子の好きにさせてください!」

 ところが学校には学校側の事情がある。
 好き嫌いなく一生懸命食べるのに胃に入って行かない小食な子と、あれも嫌いこれも嫌いと言っているうちに食べるものがなって、家でのおやつを心待ちにするような子と、その二つでは教師の対応も違ってくるのだ。

 教室ではAの好き嫌いを認めてBの好き嫌いを認めないというわけにはいかない。児童生徒を公平に扱わない教師は“エコヒイキ教師”と言って学校で一番嫌われ、指導力を失うからである。
 もちろん食物アレルギーがあったり、一品か二品、食べられない食品があっても、学級内で認め合える程度ならいい。しかし《あれもこれも食べられない》《食べる努力もしない》子を、「そのままのキミでいいよ」と言ってしまったら、ほんの少しがんばれば苦手な食品を食べられるようになる子も頑張らず、苦手な食品はあれもこれも捨てられて食育もSDGsもへったくれもなくなってしまう。
 がんばることをやめてしまった子どもは「食の多様性」を獲得する、せっかくの機会を軒並み失ってしまうことにもなる。
 
 改めて言っておくが、他児童と同程度の給食を配膳された上で完食を強要するといった話ではない。子どもに必要だと計算され尽くした食事の、4割も削って食べてくれと言っているのに、9割減らさなければ食べられないと母子は言ってくるのだ。そしてその4割削減=6割強要が、裁判所から見ると「児童の人格権を侵害する違法行為であると言わざるを得ない」のである。
 納得できるか?

【担任の責任は百分の一ほど】

 私は納得できる。
 基本的に私はこの国の政府を信じている。この国の国会を信じ、司法を信じている。もちろん多くの不備や問題もあるが、今あるものを諦めて新しいものに代えたり、今あるものを見限って別の国に渡ろうとも思ったりはしない。この国でダメなら、どこの国へ行けばいいのだろう?

 したがってこの国の司法が、
母親から「食べられる量が他の児童の1割」と言われていた担任教諭』が、「『6割まで盛り増し』たのは「許されない、違法と言わざるを得ない」というなら、大部分はその通りなのだろう。
 そして当該児童の精神的苦痛や健康被害(=金銭に置き換えると2900万円)のうち、学校側には33万円、つまり1・1%程度の責任があるとうのだから、これも受け入れるしかない。1・1%は大した数字でもないし--。

 では残りの98・9程度の責任はだれが負うべきなのか――児童本人なのか、学校給食の十文の一しか食べられないような子に育ててしまった両親なのか、はたまた完食を推奨して手引きまでつくっている文科省なのか――。今回の裁判では明らかにされなかったが、それぞれ割合でそれぞれが背負わなくてはならないものだろう。

【何でもおいしく食べられる力は宝だ。先生たちがんばれ!】

 文科省の指示に従ったって「せめて6割くらい」と頑張った担任教諭や学校に責任があるとの判決は、今後に禍根を残すかもしれない。しかし教師たちよ、怯えて引き下がるほどのことはない。さいたま市の例はおそらくどこかで保護者との間に感情のもつれができてしまっただけで、親が高い弁護士料をかけてまで裁判に訴えようなどということはめったにない。さいたま市の学校より少しだけ慎重になればいいだけだし、ドジを踏んでも責任は1・1%だ。
 
 人は死ぬまでにおよそ8万回の食事を行う。時間にして平均20分と考えると総計26,700時間。そのたびに何でもおいしくたくさん食べられる力は宝だ。ひとりでも多くに子どもに、そうした幸せをつかんでもらいたいものである。
 だから先生たち、負けるな!