(写真:フォトAC)
記事
相次ぐ未成年の“SNSテロ”、学校の責任問う声も…「SNS禁止にすべき」教員の本音
(2023.02.02 ENCOUNT)
はま寿司、くら寿司、スシローなどで不衛生な行為が“寿司テロ”として拡散
回転ずしでの利用客による悪質な迷惑行為の動画拡散が後を絶たない。
(中略)
スシロー動画ではネット上で特定された当事者の高校生が在籍する高校にも多くのクレームが寄せられている。
ネット上でも「しつけの問題で学校は関係ない」「親の責任」という声の一方で、「親任せでは家庭によって個人差があってすべてをなくすことはできない。学校でもっとネットリテラシーについて教えるべき」「昔は生徒指導で済んでいたことが、スマホの普及で大問題になるようになった。時代が変わったなら教育現場も変わらないと」といった声もあがるなど、意見が分かれている“SNSテロ”問題。被害の連鎖を防ぐためにはどうしたらいいのだろうか。
関東の高校で担任を持つ30代の男性教諭は「高校生にもなって、学校内での出来事ならともかく、街でのトラブルまで教師の責任にされてはたまったもんじゃない。そもそも今の教育現場にはそんなことに時間や人手を割くだけのリソースはありません。ネットリテラシーの授業というのであれば、自治体などで専門家を派遣して行うのがいいのでは」と語る。
一方、中学校で教鞭を執る60代の女性教諭は「こうなってはもう、ブラック校則と言われようが一律でSNSを禁止とするべき。保護者の伴わない生徒同士での飲食店の利用も、認めるべきではありません。ひと昔前は先生が見回りして、ファーストフードやゲームセンターに寄り道していないかを指導していた。何かあると学校側も大きな風評被害を受けるのだから、厳しく管理すべきです」との見方だ。
(以下略)
評
大した内容ではないが、発言の取り上げ方が面白いので拾った。
「しつけの問題で学校は関係ない」「親の責任」
v.s.
「親任せでは家庭によって個人差があってすべてをなくすことはできない」
「時代が変わったなら教育現場も変わらないと」
どちらも間違っていない、正しいと思う。
教員の、
「街でのトラブルまで教師の責任にされてはたまったもんじゃない」
v.s.
「こうなってはもう、ブラック校則と言われようが一律でSNSを禁止とするべき」
も、その通りと思う。
通常こうした記事で「専門家は~」とか「学校の教諭は~」と書いてあったら8割がたは記者が架空の人物をでっち上げ、自らの意見を言わせていると考えて間違いないが、「学外のことは知ったことじゃない」と言う30代の男性教諭と、「そこまで言うならやってやろうじゃないか、その代わりやり方に文句は言うなよ」と言う60代女性教諭、いずれも平成と昭和を代表するにふさわしい極端な意見でいかにも言いそうだ。もちろん私は後者に加担する。
さて、そうは言っても令和だ。いまどきSNSや生徒だけの外食を禁止して、夜討ち朝駆けで市中を見回るなどできるはずもないし、オレたちには関係ないとそっぽを向くことも難しい。そう考えるとなかなか答えが見つからない気もしてくるが、実は簡単なのだ。
親の責任と言って突き返したくても、他人が頼んだ寿司に唾をつけたり醤油さしを舐めたりするクソガキの親に、我が子の指導なんてできるはずはない。それに学校教育はそもそも、家庭に任せておいたら広がる一方の格差を解消するためにあるのだ。
したがって理屈上、
「児童生徒の不祥事は学校が保護者と一緒になって責任を負い、解決するもの」
である。そのためなら夜も昼も、土曜日も日曜日も休日も、学校と保護者は子どものために尽くさなくてはならない――のが理想。
しかし現実の学校はすでに能力を越えて、あまりにも多くの仕事を抱え込みすぎている。もう格差解消のための仕事はできない。一通りのネットリテラシーの授業はするが“ネットリ”はできない。

警察だって、“自転車盗程度の犯罪には対処しません。しかし重大犯罪については見逃しません”(1987)と宣言して久しいのだ。そして約束を守っている。自転車泥棒や傘盗は放置状態だから全体の検挙率も極端に落ちたが、かんじんな部分は押さえられている。
学校も、
“SNSテロは本来、学校も責任を負うべきものでありますが、教員数は増えないのに仕事量は爆発的に増えています。時代が変わった以上、教育現場も変わらざるを得ず、これからはSNSおよびコンピュータ・インターネット関連の問題への対応は、いたしません”
そう言えばいいだけのことじゃないか。