キース・アウト

マスメディアはこう語った

部活の外部コーチが生徒と性的関係を持つという不祥事があった。「学校の常識は社会の非常識~真っ当な人間は学校の外にこそいる」という幻想を打ち破る事件だ。もう戻れないが、やはり本当は先生たちにやってもらう方がいいのだ。しかしあのころ、なぜもっと先生を大切にできなかったのだろう?

(写真:フォトAC)

記事

 

中学部活外部コーチが生徒と性的関係、市教委把握後も指導継続 長野
(2024.06.13 朝日新聞デジタル

www.asahi.com

 

 長野県松本市の市立中学校で昨夏ごろ、運動部の外部コーチをしていた市内の30代男性が部員の生徒と性的関係を持つなど不適切な行為をしたのに、学校や市教育委員会がその事実を把握した後も約1カ月間にわたり、部活動の指導を続けさせていたことが、市教委への取材で分かった。市教委は「突然やめると、周囲で理由の詮索(せんさく)が始まり、個人の特定につながるおそれがあった」と説明している。
(以下、略)

【部活動の肥大・加熱は今に始まったことではない】

 部活動の地域移行に関しては、一義的には肥大・加熱しすぎた部活動を、学校及び顧問教師が担いきれなくなったというのが理由である。しかし私は現在の部活が肥大・過熱化してきたとは思っていない。
 私が中学校の教員だった昭和末期は土曜日の授業・午後の部活があったこともあって、休日部活も入れると、1年365日のうち350日は部活をやっていたと思う。休んだのは盆暮れくらいのものだった。朝練もあったし大会直前はいったん家に帰して夜の練習もしていた。土日のいずれかを休み、朝練もなくなった現在の方がよほど沈静化している。

【肥大化し加熱化したのは、学校教育の本体の方だ

 肥大化し加熱化したのは学校教育本体の方であって、総合的な学習の時間もキャリアパスポートも、評価を文章で書く道徳の教科化もすべて平成に入って以降のものだ。追加教育と称される特別教育(いわゆる「○○教育」)も、昭和のあいだは平和教育同和教育(現在の人権教育)、そして始まったばかりの性教育があったくらいなものだった。環境教育だのITC教育だの、薬物等乱用防止教育だのはどれもこれも平成以降のものである。コンプライアンスアカウンタビリティもカウンセリングマインドも学校マネジメントも、およそ日本語で表現できない概念は、すべて平成以降に入って来たもので、だから学校は苦しくなった。
 
 学校教育のすべてを海鮮丼に例えれば、次々と具が入ってきて蓋さえ被せられなくなった丼から、何かを外すとしたら(定評はあるものの)「海鮮(正規の教育課程)」ではない部活くらいしかなく、そこで地域への移行ということが言い出されてきたのである。
 それも昨日今日始まったものではない。もう20年も昔、2004年ごろから外部講師の導入・保護者会による運営という形で、次いで2010年ごろ、今度は「部活動の社会体育への移行」「運営委員会(実際は保護者会長と学校長が担った)による運営」という形で、地域移行が模索されてきたのである。しかしいずれもうまく行かなかった。

【部活動の地域移行の歴史】

 現在の部活動の地域への移行は2018年に文科省が策定した「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」及び「文化部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」を2022年に統合した上で全面的に改定した「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドライン」に基づいて行われているものである。いったんは2025年度末までに完全移行するとまで宣言したのを、各自治体の悲鳴に近い要請に応えて努力目標へと変更された経緯がある。
 
 なぜそこまで強硬に地域移行を急いだのか――これには三つの理由があった。
 まず初めに、過去二回の失敗から得た教訓。「時期を定めない計画は必ず失敗する」のため。
 第二に、ここにきて教員の働き方改革が問題として急浮上したこと。
 そして三番目に、(今回はこれが一番大きいのかもしれないが)部活内で繰り返される顧問教師による不祥事――体力を考えない過剰な練習・不適切で未熟な技術指導・パワーハラスメント体罰・事故・わいせつ事案などがたび重なり、学校という密室で行われる部活動に非難が集中したこと。一刻も早く、とりあえず管理職の目の行き届かない休日の部活を中心に、子どもを教員から引き離し、よく訓練された専門家のもとに移すことが企図されたのである。

【教師以外だったら誰でもいいという思い込み】

 しかし人材がいないという状況は、過去2回と全く変わってはいなかった。
 地域移行を本気で考えるなら、週日は朝1時間と夕方2時間、休日は土日のどちらか一方で3時間、合わせて週6日、18時間程度の勤務でも十分に生活が成り立つくらいの収入を保証するしかないのだが、どだいそれはムリな話である。さらに今回は、努力目標とは言え、期限を区切っての計画である。とりあえず誰でもいいから引き受けてもらいたいというのが本音になったのだろう。

 休日のよく訓練された専門家の代わりに学生が動員され、現役部員の保護者が渋々と顧問を引き受けた。いずれも5年~10年と続けられる人ではない。その人たちも含め、ほとんどが選手としての経験はあっても指導経験があるわけではなかった。中には本気で自分の持っている技術を子どもたちに伝えたいという有徳の士もいるが、もしかしたら目的がまったく別のところにある“専門家”も含まれてくるのかもしれない。例えば小児愛の専門家、少年愛の専門家、それらをすべて含めた性愛の専門家が、手を挙げているのかもしれないのだ。それでも教員に任せるよりは安心だということもないだろう。

【あの幸せな日々は返ってこない】

 思えば昭和のあいだじゅう、教師もまた部活動を楽しむことができた。本務が今ほど苦しくなかったからだ。
 部はクラスと違って子どもたちが最初から目的を持って入ってくる《目的集団》である。誰でも上手くなりたいし活躍したい。選手になりたいし試合にも出たい、出れば勝ちたい。したがって指導者がしっかりとしてさえいれば、子どもの成長は手に取るようにわかり、指導の手ごたえを感じとることができる。実にやりがいのある世界だった。教師はそれを喜びにできたし、そのための勉強もよくした。
 今となればもう取り戻せるものではないが、あのころの学校と教師を、もっと大切にすべきだったのだ。

【付記】
 学校や市教育委員会がその事実を把握した後も約1カ月間にわたり、部活動の指導を続けさせていたことについての市教委の説明、「突然やめると、周囲で理由の詮索(せんさく)が始まり、個人の特定につながるおそれがあった」を私は信じる。
 なぜなら事件から1年も経った今ごろになって、「部活のコーチが生徒と性的関係を持っていた」といわれても、誰も詮索できないし、できたとしても特定に至らないことはほぼ確実だからだ。これが1年前だったらさまざまに不穏な動きがあったはずである。学校の保護者には聖人から悪党まで、すべての人が揃っているからだ。