キース・アウト

マスメディアはこう語った

中教審の提言「教職調整額10%以上に増額」に財務省の財政審が「それは適当ではない」と反論。すり合わせができていないのか猿芝居なのか――しかしいずれは教員社会に出世競争を持ち込んで、給与を上げずともよく学びよく働く教師集団につくり替えようという点では、文科・財務両省の思惑は一致しているらしい。

(写真:フォトAC)

記事

 

教職調整額の引き上げは「適当ではない」 財政審が建議
(2024.05.23 教育新聞)

www.kyobun.co.jp


 財務相の諮問機関である財政制度等審議会は5月21日、国の財政運営に関する建議を公表し、中教審の質の高い教師の確保特別部会が求めている教員の処遇改善に関連して、主任手当の引き上げなど、負担に応じたメリハリある給与体系とするのが基本とする考え方を示した。特別部会の「審議のまとめ」で盛り込まれた教職調整額の引き上げについても、適当ではないと結論付けた。

 建議では、2025年度予算編成で行われる予定の教員の処遇見直しに関して、教職調整額の水準を引き上げるべきだという意見に対し、①人材確保との関係(教職業務の効率化の徹底)②民間や一般行政職とのバランス③メリハリある給与体系(既定の給与予算の活用)④安定財源の確保(歳出・歳入の見直し)――の4つの視点に立った議論が必要だと指摘。
(以下、略)

 さて、状況が読めない。
 あれほどの鳴り物いりで発表した「調整額10%以上増額」、当然財務省との擦り合わせはできているものだと思い込んでいたが、単に餅の絵を描いただけだったのかもしれない。

【調整能力0なのか猿芝居なのか】

 文科省が何かを言い出して財務省が潰す、あるいは財務省が潰すことを承知で文科省が何かを言うということはこれまでもあった。しかし残業代を求める教員に対して、いわば「調整額を10%以上にするからこれで勘弁して」と譲歩を迫る案を出しておいてそれも通らないのでは話にならない。毎日新聞は「中教審案は『0点』だ」とぶち上げた*1が、案が0点というより前に、調整能力が0点では何を言っても絵空事ということになりかねない。
 もっとも先週、調整手当増額に失望と怒りをあらわにした一部の教職員たちはホッと胸をなでおろしているに違いない。調整額10%以上が通ってしまった残業代の話はできないところだった・・・が、どうだろう? 調整額10%以上ですら認めない財務省に残業代を認めさせる目算はあるのだろうか?
 もちろん残業代にしてくれたら総額で「調整額10%以上」よりもはるかに安く抑えます、場合によっては「調整額4%」よりも低く抑えて見せますといった話なら呑むと思うが・・・。
 
 財政審の「それは適当ではない」、しかしもしかしたらそれ自体が猿芝居という可能性もないわけではない。
 文科省の諮問機関である中教審中央教育審議会)が「10%以上増額」などと予算に関わる発言をしたのだ。所割外の発言で簡単に予算が変わるようなら、すべての省庁が黙っていない。あっちもこっちも「増やします」「増やします」では結局実現できないから政府の信頼性にも関わってくる。
 
 そこで水面下では話し合いを済ませ、
中教審が増額を提案」→「財政審が反対する」→「両省、動きが取れなくなる」→「政府自民党が割って入り『まあ、ここは世間の批判もあるから調整額を上げてやってくれ』と財務省を説き伏せる」→「財務省は渋々、ほんとうに渋々受け入れる(ふりをする)」→「メデタシ、メデタシ」
という展開の可能性もないわけではない。これなら全員の顔が立ち、政府自民党も良き教育のためにがんばっている姿を国民に見せることができる。次の選挙ではネタにも使える。印象としては野党より政府自民党の方がよほど学校教育に熱心に取り組んでいるというふうに見えなくもない。メデタシ、メデタシ。
 帰趨に注目していよう。

【透けて見える文科省財務省の共通の動き】

 ところで財政審が示した教員の処遇見直しに関わる4つの観点――どれもこれもひとこと以上言いたくなる内容だが、特に③メリハリある給与体系(既定の給与予算の活用)が気になる。
 既定の給与予算の活用というのは現在の予算額を1円も増やしたり減らしたりしない中で、教員の給与に差をつけ、教師のやる気を引き出せということだ。そこで思い出したのが先月16日、唐突に発表された「公立小中教員に若手指導ポスト新設へ、給与も増額…「主幹教諭」と「教諭」の間に」*2という話である。

 東京都はかなり以前から校長に下に副校長を置いてこの中間管理職が「教員の頭(教頭)」ではなく「校長の次官(副校長)」であることを示し、さらに主幹教諭・主任教諭といった細かなポストを設けて学校組織をいわゆる鍋蓋式(鍋の蓋のように平等な教職員の中央で校長教頭だけがツマミみたいに浮き上がっている形態)からピラミッド型に変更しようとしてきた(あまりうまく行っていないが)。今回、文科省はこれを全国に広めようとしているが、おそらくそれが財務省メリハリある給与体系とリンクする。

 既定の給与予算の活用を前提にポストを増やし、給与に差をつければそこから出世競争が始まる。教員は出世のためにさらに自己研鑽に励み、時間外労働にも文句を言うことなく励むだろう――と、そんなふうに思っているのかもしれない。
 民間企業はもちろん一般公務員の世界も、多かれ少なかれ給与と地位が労働のモチベーションを高める道具として利用されている。聖職者といえど金と地位には弱いはずだ――と卑しい人たちが考えている。 
 もっとも教師の中にも自らの能力に頼むところの多い人たちは、年功序列的な教員社会に横行する(と彼らは言う)「老害」を親の仇のように憎んでいる人も少なくない。学校社会に階層性を持ち込んで能力主義にしていくことには、案外賛成してくれる人も多いのかもしれないのだ。果たしてどうなるのか。
 いずれにしろ注意深く見ておこう。