キース・アウト

マスメディアはこう語った

四半世紀前に12.5倍もあった教員採用試験の倍率。さすがに2.0倍まで下がれば “教師の質”に関わるだろう。それを学校の「採用後に先生が育つ仕組みと支える体制」で乗り切りましょう、と言われてもなあ。

(写真:フォトAC)

記事

 

教員採用倍率ダウン=質の低下?現場目線で見る「本当に危ないポイント」
(2026.01.20 yahooニュース) 

news.yahoo.co.jp

 文科省によると、2025年度(令和7年度)採用の公立学校教員採用選考試験で競争率が過去最低の2.9倍となりました。小学校の教員採用試験では、倍率2.0倍で過去最低でした。
(中略)
 「小学校の教員採用試験では、倍率2.0倍で過去最低」と聞くと、「先生の質は大丈夫?」と不安になりますよね。ただ、倍率は単に先生の良し悪しをそのまま示す数字ではありません。
 
倍率低下の背景
 今回の低下は、主に「採用する人数が増えた」一方で「受ける人が減った」ことの組み合わせで起きています。背景には、退職者の増加などで採用枠を広げざるを得ない事情があること、これまで臨時的任用などをしながら再受験していた人が大量採用で正規採用され、受験者層が薄くなった可能性があることが挙げられます。
 (以下、略)

 記事はこの後、教員の質に影響するのは、
 『「採用の倍率」よりも、採用後に先生が育つ仕組みと、支える体制』
 であり、自分の子どもの通う学校にそれがあるかどうか、学校内の働き方改革や指導体制の充実がセットで進むかどうかが問題であるという方向に話が進む。
 しかし私は、「学校や管理職が適正に対応をして教員が育つ仕組みや支える体制がしっかりすれば、教員の質は高まる」という考え方に、素直に従うことができない。なぜなら記事の筆者自身が、
「忙しさが限界に近い職場では、その育てる時間が確保しづらくなります」
と書いているように、管理職の頑張りで何とかなる時代はとうに終わっているからである。

【さすがに12.5倍に比べれば質は下がるだろう?】

 採用倍率の問題にしても、例えば倍率2.5倍が2倍に下がっても合格者の質に大きな差はないだろうが、就職超氷河期だった2000年(平成12年)の12.5倍と比べて、倍率が六分の一以下の2.0倍に減っても影響ない、というのも違うだろう。私は2000年前後に採用された教師をたくさん知っているが、明らかに優秀であって私など及びもつかなかった。教職が10倍以上の倍率を維持していたら、学校の問題もかなり少なくなっていたのではないかと、今も思う。

 2000年前後のあの時代、ゆとり教育とかいって時数は減らしたのに「総合的な学習の時間」やら「キャリア教育」やらを詰め込み、のちには「全国学力学習状況調査(全国学テ)」やら「教員評価」「学校評価」などと次々と仕事を増やしても学校が潰れなかったのは、この時期の新人教師がこぞって超優秀で、軽々と新しい仕事を担ってしまったからである。同じものを倍率2倍に担えと言っても、それはムリだろう。学校の「先生が育つ仕組み」と「支える体制」で何とかなるものではない。

【本当に大事なことをなぜ飛ばしたのだ?】

 引用した記事の筆者は、途中で実に大事なことを書いている。今回の採用試験倍率低下の「背景には、退職者の増加などで採用枠を広げざるを得ない事情があること、これまで臨時的任用などをしながら再受験していた人が大量採用で正規採用され、受験者層が薄くなった可能性があることが挙げられます」
 採用試験倍率低下の原因を、その前の「受ける人が減った」も含めて箇条書きにすると以下の通りとなる。

  1. 採用試験を受ける人が減った。
  2.  これまで臨時的任用などをしながら再受験していた人が大量採用で正規採用され、受験者層が薄くなった。
  3. 退職者の増加によって採用枠を広げざるを得なかった。

 1番はよく知られた話だが、2番は一般には知られていない。3番は改めて考察する必要のある内容である。これほど重要な問題を拾い上げながら、なぜ敷衍しようとせずに「学校の先生たちが頑張りましょう」みたいなつまらない話にしてしまったのか、私には理解できない。

教育委員会は“講師”という虎の子資産に手を付け始めた】

 まず2番目の件だが、これは“講師”の話である。
 誤解を恐れずに言えば、“講師”は教育委員会や学校にとって、便利でとても都合の良い存在だった。昔は翌年度の採用試験を目標にアルバイトなどをしながら勉強を続ける「教職浪人」がいくらでもいて、学校で産育休などによる欠員が出ると、すぐに来てもらって代替勤務にあたってもらうことができた。休んでいた教員が戻ってきたら、簡単に辞めてもらうこともできる。

 将来の学級減を見越して、正規職員でなく、講師を学級担任にしておく場合もあった。正規職員は首にすることできないが、講師なら簡単に辞めさせられる――。講師は言ってみれば荷物の緩衝材、自動車のショックアブソーバー(バンパー)、コンピュータのバッファみたいなもので、ぜひとも必要なものだった。ところがこの虎の子のような存在が、10数年前から不足し始めたのだ。

 まず、大学4年生で採用試験を受けて落ちた人たちの中で、講師になろうという人が減った。教職は1年棒に振ってまで就く仕事ではないと思われ始めたのだ。
 すでに講師になっていた人たちの中からも、採用試験はこれを最後に、落ちたら他の職に就こうという人も出てくる。世間には好条件の仕事がいくらでも溢れている。
 しかし講師のみんながみんな他の職業に向かったわけではなかった。採用試験の倍率が下がったことで、以前はなかなか受からなかった人も受かり始める。さらにそれでも受からない人が教職を諦めないように、教委もいわゆる「講師枠(講師経験者を対象とした特別選考)」を増やして講師経験者が受かりやすいように配慮する。

 確かに無理もないのだ。採用試験が8月から7月、6月・5月と前倒しされると、新年度(3~4月の超繁忙期)に講師をしていた人は絶対に合格できない。即戦力である以上、なんとしても繋ぎ止めておきたい。
 しかし、考えてみるといい。長く講師を務めた人が採用試験に受かるということは、“講師”という便利な虎の子資産がひとつ減るということである。また一度、採用試験に受かった講師は二度と試験会場に顔を出さないから、その分、受験者数が減って倍率も下がる。
 さらに――。
 講師の中には結婚などによっていったんは退職したものの、子育てが終わって学校に戻ってきた人たちも大勢いた。フルタイムで正規と同じように働くことも厭わない人たちだったが、以前は現役の大学生と競っても勝てる気がしないと、最初から採用試験を諦めるふうもあった。それが採用試験の易化と講師枠の拡大によって、続々と正規への道を歩み始める。

 講師の不足が常態化する。採用試験はますます易化する。それにも関わらず受験者は減り続ける。給与が良くて安定していて、試験が楽になったとしても、仕事に殺されたら何にもならんと皆が思っている。

【戦慄すべき「退職者の増加」の意味】

 三番目の「退職者の増加によって採用枠を広げざるを得なかった」。これについてはつい最近まで「団塊の世代の大量退職によって」と説明されることが少なくなかった。もしかしたら今日もどこかで、誰かがそんな愚かな分析を語っているかもしれない。しかし団塊の世代は1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)ごろに生まれて、今年満76~78歳になる年齢層だ。この人たちが退職したのは、もう16~17年も前のことになる。それが今日の教員不足の原因などと、なぜそんな愚かな分析がいつまでも続いていたのか、私には理解できない。

 引用記事の筆者が退職者の増加などというだけで原因について語らないのは、まだ誠実なのかもしれない。しかし退職者の増加は定年退職者が増えたといった穏やかな話ではなく、早期退職者が増えているからなのだ。それに触れなかったのはなぜだろう。

 昨年4月に東京都は、2024年度(令和6年度)に条件付採用された教員4,237人のうち217人(約5.1%)が「年度途中に自己都合等で退職した」と発表し*1世間を驚かせた。東京都では採用一年以内の退職者が令和2年から、2.7%、4.0%、4.2%、4.6%と年々増加しておりこの傾向は今後も続くと予想されている。

 こうした定年退職を待たずに教職を去る人の増加は全国的な傾向で、特に小学校の場合、3年ごとに行われる「学校教員統計」では、平成24年の全退職者に対する「定年退職以外の退職者」がおよそ三分一の33.4%だったのに対し、令和3年の確定値では46.7%とほぼ半数に迫ろうとしているのだ。

 退職理由を病気としたものは平成24年の9.8%から10.7%と微増だったものの、そのうち精神疾患が占める割合は59.4%から75.6%へと激増。言っておくがその人たちが教職を去って別の場所で生き生きと生きているとは限らない。むしろその逆だろう。しかもそうした精神疾患による退職者の予備軍が、2024年度だけで7,087人もいるのだ*2
 それも休職という限界まで追い込まれた人の数であって、心に問題を抱えながら崖淵で教職を続けている教員は、何十倍にも及ぶかもしれない。

【もはや限界は超えた。学校を救え!】

 事態はもはや「先生たちで頑張りましょう」の段階を越えている。
 教育に身を捧げようとした有能な若者が、次々と潰れて他の世界でも生きて行けない人間になってしまう。それを黙ってみている社会は異常である。
 学校を救え!