欠席連絡ひとつを取っても、
いまだに子どもの友だちを介した連絡帳の提出で求める日本の学校。
そんな昭和から時間が止まったようなことはやめて、
ICTを充実させ、保護者がいつでも気楽にメールで連絡できるようにすることで、
先生の業務をこれ以上増やすことなく、
保護者との信頼関係を強化していけるのではないか、
――って、それをやったら先生たち、死ぬぞ。
という話。
(「電話をする女性」 フォトACより)
記事
意見する親・クレームする親・沈黙する親
・・・ICT教育阻むモンペの境界線
(2020.06.19 現代ビジネス)
保護者丸投げ型「無理ゲー」
GW明けに始まった『保護者へ丸投げ型・時間割ベースド家庭学習』によって、ただでさえ家の中で子育てと仕事を両立させるという『無理ゲー』な自粛生活でストレスを溜めていた多くの保護者は、瀕死の状態に陥ったことと思います。「瀕死になってるのはうちだけ? みんなはどんな状況?」という疑問から始めた、『23区公立小学校ICT進捗状況★草の根ウォッチ』が、想像以上にバズりました。
きっと、私と同じように『無理ゲー』に苦しみ、ICTの活用に活路を求める保護者が他にもたくさんいたんだろうなと感じます。
ちなみに、ICTが進んでいる文京区や渋谷区の保護者からは、「いやいや、紙がデジタルになっただけで、勉強に向かわせるところは相変わらず親まかせだから、めっちゃ負荷高いよ!」とのお声も。ICT化が遅れている自治体の保護者の皆さんは、「羨ましい」と思うかもしれませんが、現場の「ICT活用力」は一朝一夕にはいかないでしょうから、まだ今は50歩100歩かもしれません(と、フォローしときましょう。笑)。
今回は、私が公立小学校のICT進捗状況を可視化しようと思った理由と、その後実施した「保護者アンケート」で見えてきた「学校と保護者の関係性」についての考察をご紹介いたします。
「個人情報」という免罪符。
学校のICT活用が進まなかった理由
私が住む目黒区ですら、このwithコロナの中で未だに「体調不良の際は連絡帳をお友達に渡してください。難しい場合は学校の大代表に電話してください」という運用フローになっているんですよね。大代表の電話は回線が1本しかないので、朝の時間は通話中で繋がらないし、欠席の連絡を1本入れるだけでもストレスだという話を、他自治体の保護者からもよく聞いております。
今どき、学校外の社会の中では、メールやLINEが当たり前なのに、どうして学校という組織の中では、昭和から時間が止まっているのか? すごく疑問に感じました。「メール連絡じゃダメなんですか?」と聞くと、個人情報が云々と言われて一蹴されてしまうと聞きます。
私自身も、このコロナ休校中に小学1年生になった「小学生になれていない小学生」は、クラスのお友達の名前も顔もわからない状態で休校期間を過ごし、「学校となどんなところなのか」も知らないままに、宿題だけが出されるのはよろしくないのではないかと思い、その件を担任の先生に電話で相談している最中に、「同じクラスの子どもの顔写真と名前をメール等で集めて、シェアしたらどうでしょうか?」と提案してみたところ、食い気味に「個人情報の問題でそれは絶対にできません」と言われてしまいました。
私はその食い気味に発言された先生の様子を見て、公立学校の中で「個人情報」というキーワードが、いわば『免罪符』のような感じになってしまっているのではないかと感じました。
その免罪符を出せば、その場の空気が「だから仕方がない」となり、そこで思考が停止しているのではないか。そうやって思考停止を繰り返してきた結果、日本の公教育のICT化が、世界の先進国の中でも類を見ないほどに遅れてしまったのではないかと感じるのです。
(中略)
ICT活用で真っ先にやるべきこと
私がリスクに感じているのは、「保護者から声が上がらないから問題ない」と思ってしまっている学校関係者の認識です。実際には、不満の火種はとても大きく、SNS上ではすでに炎上しているところもあるのに、「自分たちが提供している教育は問題ない」と捉えているとすると、非常に危険だと思います。
こういう負の心をどちらか一方だけが密かに持っている関係性だと、今後、何か1つのミスに対して、とんでもない炎上が起こるリスクが高いと思います。私は教育新聞社で記者の仕事もしているので、全国の様々な教育がらみのニュースを知る機会があるのですが、最悪のケースだと、先生が自殺しちゃうこともあるんです。
まだ若く未来のある先生が、たった一回のミスによって叩かれて、自分を責めて命を絶つということは、今後、絶対に起こってほしくない。だからこそ、子供が人質に取られているような心理から声をあげにくい状態にある保護者が、安心して些細な不安を相談できるよう、学校と保護者の「コミュニケーション・ライフライン」を確立させることが、喫緊の最重要課題だと私は考えています。
ICT活用で真っ先に着手して欲しいのは、まさにこの「コミュニケーション・ライフライン」の整備です。「学校の大代表に電話」は、保護者の心理的ハードルがとても高い(=モンペと思われるんじゃないかと気にしちゃう)ので、メールなどを使って、気軽に担任に連絡ができるようにする。そして、よくある問い合わせは、速やかに学校全体のQAとして公開していくことで、「コミュニケーション・ライフライン」によって、過労死ラインを超えていると言われる先生の業務をこれ以上増やすことなく、保護者との信頼関係を強化していけるのではないかと考えております。
私自身も、この話を教育関係者向けに教育新聞でも書いているし、目黒区の教育委員会や、目黒区義の文教子ども委員会にも言っていますが、ぜひみなさんもそれぞれの自治体や学校にご提案いただけたら大変心強いです。「保育園落ちた、日本死ね」の事例もある通り、保護者の声は国をも動かす力があります!
評
いやはやご本人は気づいておられないかもしれないが、慇懃な言葉の中に垣間見られる鋭い匕首は、学校にとって最近の金与正(キム・ヨジョン)氏に匹敵するものだ。
こういう負の心をどちらか一方だけが密かに持っている関係性だと、今後、何か1つのミスに対して、とんでもない炎上が起こるリスクが高いと思います。私は教育新聞社で記者の仕事もしているので、全国の様々な教育がらみのニュースを知る機会があるのですが、最悪のケースだと、先生が自殺しちゃうこともあるんです。
一言でいえば、
「私たちの言うことを聞かなきゃ、先生死ぬよ」
しかも本人には脅しているという自覚がまるでない。
ぜひみなさんもそれぞれの自治体や学校にご提案いただけたら大変心強いです。「保育園落ちた、日本死ね」の事例もある通り、保護者の声は国をも動かす力があります!
ああ、あの勢いで叩かれるのかと思うと、もはや(退職によって)部外者になった私でもビビらざるをえない。
さて、
今どき、学校外の社会の中では、メールやLINEが当たり前なのに、どうして学校という組織の中では、昭和から時間が止まっているのか? すごく疑問に感じました。「メール連絡じゃダメなんですか?」と聞くと、個人情報が云々と言われて一蹴されてしまうと聞きます。
現代ビジネスに寄稿しようという以上はジャーナリストとして「一蹴されてしまうと聞きます」はないだろう。なぜ確認しないのか。「個人情報が云々」の部分も何を言われたのか分からない、分からないことは調べるのが当たり前だ。
私は自分が理解できない事象に出会うとまず怯える。
私なんぞの知らない特別な理由があるのかもしれない、とんでもなく頭の良い人たちが気づいた落とし穴があってそれを回避しているだけなのかもしれない、安易に結論づけたり批判したりしたら、それこそこちらがバカを見るかもしれない、批判がブーメランになって返ってくるのかもしれない、そう考えると慎重にならざるをえないのだ。
今どき、学校外の社会の中では、メールやLINEが当たり前なのに、どうして学校という組織の中では、昭和から時間が止まっているのか? すごく疑問に感じました。
だったら調べればいいだろう。問い合わせる相手はいくらでもいる。5~6本も電話すれば一人くらいはきちんと答えくれる人がいるだろう。私だったら答える。
それにも関わらずこの部分を憶測で解決するから文章全体があらぬ方向に行ってしまうのだ。
【学校がメールを嫌うわけ】
学校がメールを嫌う理由はまさに記事の言う、
メールなどを使って、気軽に担任に連絡ができるようにする。そして、よくある問い合わせは、速やかに学校全体のQAとして公開していく
が求められるためである。誰が「学校全体のQAとして公開していくのか」ということが問題になる。
メールでの問い合わせをすべて公開するわけにはいかないし、公開したから直接答えなくていいということにはならない。
メールが来たらきちんと回答する、その上で重要な問題に関しては学校長や教育委員会の承認を得て学校のサイトのQAに載せていく、繰り返すが、誰がその仕事をするかが問題だ。
これに関して行政には苦い経験がある。20年ほど前からトップに立とうと立候補してくる人たちが次々と「皆様の声を直接、聞く」を公約にし始め、当選すると実際に窓口をつくってしまったことだ。
もちろん首長の座に着いた瞬間から行政の末端まで知り尽くして返事の書ける人などいない。経験を積んだ首長だって具体的ないちいちに詳しく答えられるはずもない、そもそも忙しくて返事を書いている暇もない。そこで返答の大部分は担当部署が書くことになるのだ。首長はそれに目を通して許可を出すだけである。
ネットがなかった時代は問い合わせや抗議の大部分は匿名の電話や手紙できた。それだと「調査して後日、返答」と言っても相手がわからないので返答のしようがなく、中身は承っても返事を返す必要がなかった。
ところが今は匿名のメールにも返答が求められ、回答しないといつまでも要求され続ける。それでも遅れると今度は匿名のSNSに上げられてそこで執拗に攻撃されることになる。だからすべての抗議・問い合わせには必ず返事を書かなくてはならないのだが、その労力たるや半端ではない。
まだ私が在職中のことだが、県の担当者がメールの返答に窮して、私に事実確認を求めてきたことがある。その事実確認も電子メールで送られてきたのだが、発信時刻はなんと午前2時過ぎであった。毎晩のようにそんな仕事をしているわけだ。
保護者がメールなどを使って、気軽に担任に連絡ができるようになったら、担任または副校長(または教頭)が死ぬ。中途半端な返答をして言質を取られたことにならないよう、いちいち吟味し、文章を書き直して返さなくてはならないからだ。そんなメールが10通、20通と送られるようになったら、通常の業務はできなくなる。
学校を追いつめるモンスター・ペアレンツなんて保護者1000組に1組もいないが、その1組に当たってしまったら学校は機能不全に陥ってしまう。そうならないためにも、文書(メール等)での返答は最優先で検討されなくてはならない。
だから都道府県教委も学校がメール・アドレスを公開して窓口とすることを許さないのだ。自分たちで懲りている。
学校職員のために許さない、さらに学校が拾い上げた細かな面倒ごとが都道府県教委もたらされないためにも許さない。
県のたった一つのメール・アドレスで苦境に立っているというのに、県下数百の学校で採集され、一部がお伺いとして送られてきたらたまったものではないからだ。
学校と保護者の間のことは、できればお互いに顔を合わせて、そうでなければせめて電話を通して肉声で会話しながら、学校内で解決してもらいたいものだ、都道府県教委はそう考えている。
当然である。
記事の筆者は(学校の大代表に電話をやめてメールなどでやり取りする「コミュニケーション・ライフライン」を使うことによって)過労死ラインを超えていると言われる先生の業務をこれ以上増やすことなく、保護者との信頼関係を強化していけるのではないかと考えておりますと主張するが、全く逆である。
【個人情報はかくも軽いものだったのか?】
最後に、
公立学校の中で「個人情報」というキーワードが、いわば『免罪符』のような感じになってしまっているのではないかと感じました。
についても応えておこう。
私たちは、
「同じクラスの子どもの顔写真と名前をメール等で集めて、シェアしたらどうでしょうか?」
などと言い出す恐ろしい保護者の出現を予想していなかった。
子どもの顔写真や名前、電話番号やメール・アドレスなどは第一級の個人情報で、決して他人に渡してはいけないものだと思い込んでいた。ところがどうやら、今やみんなで「シェア」してもよいものになってしまったようだ。
これまで学級名簿を紛失したために処分された教員が、いったい全国に何人いたことか。
学級連絡網という便利なものが個人情報保護の立場から廃されて、担任が一軒一軒電話するような面倒な月日を何年送ったことか。
家庭内の様子は重大なプライバシーだということで家庭訪問も廃止となり、教師たちは重要な情報収集の場を失い、生活困窮や児童虐待、家庭内不和などの環境悪化も察知できなくなった、それがどれほど大きな犠牲だったのか。
そう考えると暗澹たる気持ちになる。
個人情報保護で学校が失ったものは山ほどなのに、得たものはほとんどないのだ。それなのに「個人情報」が「免罪符」で、
その免罪符を出せば、その場の空気が「だから仕方がない」となり、そこで思考が停止しているのではないか。そうやって思考停止を繰り返してきた結果、日本の公教育のICT化が、世界の先進国の中でも類を見ないほどに遅れてしまったのではないか
とは。
「個人情報」がそこまで軽いものなら、私たちにやれることはもっとたくさんあったはずだ。
嗚呼!