キース・アウト

マスメディアはこう語った

一部の科学者は「スマホやゲームをやりすぎると脳が破壊され、心身が侵される」というが、脳はそこまでヤワではないだろう。しかしだからといってそれらを野放しにしてもいいというものでもない。

 記事

 子どもが突然キレるのはスマホのせい?デジタルが「脳に悪い」といわれる本当の理由
(2022.09.07ミュレ)

mi-mollet.com

 デジタルスクリーンは子どもの脳を壊す

   現代生活においてデジタル機器、なかでもスマホやPC、タブレット、ゲーム機といったスクリーンを有する機器はなくてはならないものになっていますよね。
   しかし、筆者などは「テレビばかり見ていると頭が悪くなる」と親に叱られて育った世代ということもあり、このデジタル漬け、およびスクリーン漬けの生活に不安がないといえばウソになります。ですから、デジタル機器に対して一歩引いて見ているところがあります。
   これがデジタルネイティブと呼ばれる若い世代になると、どのような感覚になるのでしょう? おそらく、筆者ほどに抵抗を感じてはいないのではないでしょうか。しかし、そんな人たちにとって少し不都合な研究結果が発表され、話題を呼んでいます。
   
   それは、スマホタブレット、ゲーム機などの「デジタルスクリーン」は「子どもの脳を壊す」ということ。この説を唱えるのは、10年間にわたって7 万人以上の子どもの脳と認知機能の発達を追跡調査した医学博士・川島隆太さんです。川島博士は自身が監修を務めた『子どものデジタル脳完全回復プログラム』という米国のベストセラー書籍の日本語版において、子どもの脳が壊れると以下のような問題が現れると説いています。
・ 学力(IQ)が下がる、授業についていけない
・ 物事に集中できない、すぐに気が散る
・ 突然キレる、泣きわめくなど、感情のコントロールができない
・ 人とうまくコミュニケーションがとれない、友だちができない
・ 不自然に太ってしまう、肥満やメタボになる
発達障害うつ病双極性障害を発症しやすい、症状が悪化する
   
   最近の子どもは感情のコントロールが苦手といわれていますが、これを見るとデジタル機器と無関係ではなさそうですね。では、なぜこのような症状が出てしまうのか? そちらに関しては、本書のオリジナル版の著者である精神科医ヴィクトリア・L・ダンクリー博士が、エビデンスをしっかり示しながらメカニズムや対処法を説明しています。
(以下略)

スマホやゲームをし続けるとバカになる、性格がゆがむ、精神的・身体的に不健康になる】

 私のような「子どものスマホ・ゲーム撲滅希求症候群」の人間が飛び上がって喜びそうな記事が出た。しかも書いたのは日本の学者ではなく、この種の研究では世界のトップを走るアメリカの医学博士だ。もう間違いない。スマホやPC、タブレット、ゲーム機といったスクリーンを有する機器は子どもの脳を破壊するのだ。
 
――と、一気に話が進みそうだが「好事、魔、多し」。自分に都合の良い話に出会えたらむしろ要注意である。私たちは都合の悪い意見には猜疑心をもって注意深く当たるが、逆は甘くなる。
 うっかりこんな記事があった、あんな論文があったと情報を振り回すと、とんでもないしっぺ返しを受けることがある。注意してみていこう。
 

【著者と監修者は?】

 とりあえず精神科医ヴィクトリア・L・ダンクリー博士について調べてみる。有名な科学者ならさまざまな場面で活躍しているはずだからである。
 ところがこれをgoogle先生に訊ねてみると、最近出版された川島隆太氏監修の「子どものデジタル脳 完全回復プログラム」(2022 飛鳥新社)の著者としてしか検索できないのである。まさか架空の人物ではないだろうが、世界にあまねく知られた専門家、というわけではなさそうである。
 
 一方、監修者の川島隆太氏は知る人は知る、覚えている人は覚えている脳科学者である。認知症患者の学習療法(読み・書き・計算をさせることによる治療)で名を馳せ、脳トレブームの火付け役となった・・・らしい。川島氏はブームのおかげで数十億円の収入を得たと言うが、そのほとんどを大学の研修室に寄付してしまったというから奇人でもある。私も数十億円手に入ったら同じように寄付したいものだ(どうせ一銭も使えずに遺産となって、子どもたちの人生を狂わせるだけだから)。


 【ゲーム・スマホは子どもの脳を破壊するのか】

 先に「火付け役になった・・・らしい」とい書いたのは、学習療法や脳トレに関するこの人の活躍を私はまったく知らなかったからである。
 この人の名を知ったのは3年前の月刊文芸春秋に載った『スマホと学力「小中7万人調査」大公開』という記事の筆者としてであり、その内容も今回とりあげた『子どものデジタル脳完全回復プログラム』とほぼ同じ、ゲームやスマホは人間の脳を破壊するというものだった。そのときも私は眉に唾をつけて読み、今もピンとこない。


 例えば文春の記事には、
 家庭で毎日2時間以上勉強をしていても、携帯・スマホを3時間以上使用すると、携帯・スマホを使用せず、かつほぼ勉強もしない生徒より成績が低くなっていた
 という記述があったが、
「“家庭で毎日2時間以上勉強をして、なおかつ携帯・スマホを3時間以上使用する子ども”がデータとして意味を成すほど大勢いたのか?」
とか、
「“携帯・スマホを使用せず、かつほぼ勉強もしない生徒”は毎日なにをやって過ごしているんだ? 部活か? 街の徘徊か?」
とか、考え始めるときりがない。
 そして何より、これほど重大な研究成果が3年経っても世間の常識にならないのは、結局、ゲームやスマホが子どもの脳をダメにするという説が、学問の世界でも一般社会でも肯定されず受け入れられてもいないからだと考えることが妥当だということだ。
 同じような警鐘を鳴らす人は少なくないので、いちおう気には留めておくべきだが、あまり深刻に考える必要もないだろう。

【それでも私は戦う】

 ただし私は今も「子どものスマホ・ゲーム撲滅希求症候群」の真っただ中にいる。もちろん「脳を破壊する」説を信じているわけではないが、とんでもなく強い依存性や昂進性、つまり中毒性があり、魂を24時間奪われる可能性があるからである。
 それらが子どもたちを連れ去ろうとするなら、私たちは全力で阻止しなくてはならない。

 

教頭は過労死直前というごく当たり前の話。しかし教頭は案外しぶとい。さらに言えばしぶといはずなのに、しばしばワイセツ事件の容疑者としてマスコミに顔を出す。なぜだろう?

(写真:フォトAC)

記事

 「激務で倒れそう」ほとんどの教頭が過労死リスクの高い働き方をしている事実 仕事が多岐にわたり緊急対応も多い大変な業務
 (2022.08.22 東洋経済ONLINE)
 執筆:妹尾昌俊・東洋経済education × ICT編集部

toyokeizai.net

 「学校の先生がとても忙しい」ことは広く知られるようになったが、その中でも「とりわけ激務なのが副校長・教頭だ」と教育研究家の妹尾昌俊氏は話す。全国公立学校教頭会の調査では、約8割の副校長・教頭が過労死ラインである月80時間を超える時間外勤務を余儀なくされているとみられ、中には朝7時から夜の9時、11時まで働いている先生もいるという。なぜ副校長・教頭は、こんなにも忙しいのか。その仕事内容と、過酷になりやすい業務の特徴について妹尾氏に解説いただきながら解決策を考えてもらった。
 
 約8割の教頭が過労死ライン超え
 全国の小中学校の副校長・教頭(以下、副校長・教頭をまとめて教頭と表記)のほとんどが過労死リスクの高い働き方を余儀なくされている。
 
 こうしたことは、10年以上前から、少なくとも教育関係者(教職員、教育委員会文部科学省など)の間ではよく知られていたことではある。だが、事態は一向に改善しないどころか、悪化しているところもある。

 全国公立学校教頭会によると、2021年の公立小中学校の教頭の通常日(行事前や特別な日を除く)の勤務時間は、11時間以上が約83%にも上る。1日11時間というと、月当たりの時間外勤務は70時間近く。土曜、日曜などに残業する人も多いから、こうした教頭の多くは過労死ラインとされる80時間を超えているとみたほうがよい。
 
 1日13時間以上という人は、2年前よりは多少マシになっているとはいえ、直近でも約3割に上る。これは120時間以上の水準(1日5時間以上×24日と仮定した場合)で、いつ倒れてもおかしくないような働き方だ。数日前も、ある小学校教頭から「周りの教頭は朝7時から夜の9時、11時まで働いている人が何人もいる」ということを聞いたばかりだが、本当に心配だ。
 (以下略)

 

 【比較的に良くできた記事】

 執筆者の妹尾昌俊という教育評論家はコンピュータの前だけで記事を書く人で、しばしばあらぬ方向に話が進み、私は好きになれない。しかし今回は「その仕事内容と、過酷になりやすい業務の特徴について妹尾氏に解説いただきながら解決策を考えてもらった」というように編集部の調査の上に妹尾氏がコメントをする形式をとっており、その分、客観性のしっかりとした良い記事となっているように思う。
 
 さて、教頭がなぜ忙しいかをまとめた四つの視点、
 第1に、教頭の仕事の範囲は広く、多岐にわたっている。
 第2に、緊急性の高い対応が多いことが、教頭の仕事をより大変にしている。
 第3に、以上の2点(業務の多さと緊急性)を、新型コロナを含む昨今の学校教育事情が、さらに悪化させている。
 第4に、教頭への評価の問題もある。
は確かのその通りだ。

 しかし「教頭は基本的に授業を持っていないために緊急性の高い仕事にすぐに対応できてしまいそのぶん日常的な仕事は常に夜に回される」とか、「そもそも開錠・施錠は教頭の最も大切な仕事で、誰よりも早く出勤して誰よりも遅くの残っているのが本来の姿、だから一般教師の過剰労働が解消しない限り永遠に長時間労働はなくならない」とか、「総務および雑用係のため、防災機器の扱いからハチの巣ができやすい場所まで熟知していなくてはならない宿命がある」とか、そういった具体的な部分にも触れてほしかった。

 他にも、追加される新しい仕事(例えば「特異な才能を持った子どもたちへの支援・教育」)に対するいち早い対応、不登校になりかかっている教員への支援、代替えがいない場合はつなぎの学級担任、校長の失言のしりぬぐい・・・等々、書き出したらきりがない内容にも十分に突っ込んではいない。
 

【しかし対応策はお粗末だ】

 また、無理ないと言えば無理はないのだが、「今すぐ取りかかれる解決策」はあまりにもお粗末だ。
 書類や手続きのなどの断捨離は教頭のできる仕事ではない。それらを下ろしてくる教育委員会だって分かっていながらできない。それは議員たちが次々と教育問題について議会で質問し、マスコミが繰り返し問い合わせ、市民もメールなどを通じて常に批判や無理な提案をしてくるからである。答えを持っていないと持っていないこと自体を責められる。
 分担・分業といっても教師の働き方改革が求められる昨今、配下の教員に仕事を回すわけにも行かず、PTAはマスコミの支援を受けて規模を縮小し始めているところだ。仕事を振り分けるわけにも行かない。ときおり遊びに来る猫の手を借りるわけにも行かない。
 ボランティアを募ろうにも、ひとが集まれば今度はその人たちへの説明・訓練・作業確認をしなくてはならない。それくらいなら自分でやった方が早い。
 かくして教頭の仕事は減らない。
 
 記事には「教頭の中には校長を目指している人が多いこともあって、校長や教育委員会に悪く思われたくないという心情になりやすい」という表現もあったが、過労死直前の教頭にとって、そこから抜け出すのは降任人事を頼るか中途退職するか、あるいは校長に出世するしかない。おそらく多くの教頭(副校長)が校長を目指して励んでいる背景には、そんな事情があるのだろう。ただし校長はありとあらゆる会合で挨拶をして、あとは不祥事の責任をとるだけの、ほんとうにつまらない仕事だ。
  

【付記:教頭はなぜワイセツ事件に関わるのか】

 教頭先生たちの働きを見てつくづく感心するのは、病気になる人が実に少ないことだ。普通の病気になる人も心の病に陥る人も、一般の教師に比べるとおそらく有意に少ない。もともとそういう人が選ばれているとも考えられるし、気を張っていれば数年は何とかなるという話なのかもしれない。しかしそれにしても、あれだけ過重な働きをしているにしては、あまりにも元気だ。
 もうひとつ感心するのは交通事故・交通違反が驚くほど少ないことだ。体力のギリギリで働いて睡眠不足の日も少なくないはずなのに、なぜか居眠り運転だとか信号の見落としだとか、あるいはスピード違反だとかがない。不思議なことだ。
 それでいてワイセツ事案で検挙される例は驚くほど多いのも、大きな謎である。
 
 たしかにあんな働き方をしていたらストレスも尋常ではないだろうし、家のことは一切できないから夫婦関係も(必ずしも悪くなくても)良好というわけにはいかないだろう。家族からも見放されている。
 職と立場を考えれば普通のサラリーマンがストレス解消に使う場所にも、簡単に立ち入るわけにはいかない。浮気など、とりあえずしている時間がない。

 これは一般教員についてもいえることだが、これだけ教員のワイセツ事案が問題視される中で、誰も「教員の性生活とその問題性」といったテーマで研究しないのはほんとうに不思議である。
 

 

 学校で孤立しがちな、特異な才能を持った子どもたちを支援する事業が始まるという。すばらしいことだ。しかし支援の場は学校で、教師が担当者となるらしい。そのための研修も始まる。結局、“ホラまた仕事を増やした文科省”みたいな話。

(写真:NHK
 

 記事

 特異な才能ある子どもに“多様な学びの場を” 有識者会議
 (2022.07.25 NHK) 

www3.nhk.or.jp 
 小学生で大学レベルの数学を理解するなど、特定の分野で特異な才能のある子どもが、学校生活で困難を抱えるケースがあるとして、文部科学省有識者会議は、多様な学びの場を確保するといった支援策の素案を公表しました。
 
 科学や言語、芸術など特定の分野で特異な才能のある子どもの中には、教科書をすべて理解していて、授業で時間を持て余したり、同級生との関係を作るのが難しかったりして、困難を抱えるケースがあるとされています。
 
 文部科学省有識者会議が25日公表した素案では、こうした子どもを支援するため、学校の教室に居づらい場合は、一時的に空き教室や図書室で過ごせるようにするなど、多様な学びの場の確保が考えられるとしたうえで、子どもの特性を理解するよう、教員や専門スタッフへの研修を国から促すべきだとしています。
 
 また、学校外の学びの場も活用できるようにする必要があるとして、大学や民間団体など外部の機関が提供する学習プログラムについて、オンライン上で情報提供する仕組みを国が作るべきだと指摘しています。
 
 有識者会議では、特異な才能の定義に一律の基準を設けることなく、一人ひとりに応じた教育の一環として、支援策を考えることが重要だとしていて、文部科学省は、こうした方針を受け、今後、予算確保に向けた検討を進めることにしています。
 

 評

 日曜日(24日)夜、NHKニュースでこの話題を扱っており、Webにアップしたら中身を確認してひとこと書こうと思っていたが、当日、NHKはおろかどこのメディアも扱っていなかった。
 月曜日、さらに手を広げると6月の上旬にnippon.com「突出した才能の子に学習支援=授業中の苦痛や孤立解消―文科省」
などでこの件に関する記事があり、大枠で新鮮味のない内容であることが分かった。ではNHKは何をいまさら引き出してきたのか。

 

【誰が支援を担当するのか】

 実は6月のnippon.comの記事「特異な才能ある子どもに“多様な学びの場を”」に書かれていた支援の方法は、
「特定の教科だけ別室で高度なオンライン教育を行ったり、大学やNPOなどで指導を受けられるようにしたりすること」(nippon.com)
であったのに対し、今回は、
「学校の教室に居づらい場合は、一時的に空き教室や図書室で過ごせるようにするなど、多様な学びの場の確保が考えられるとしたうえで」
と学習の場が現存の学校であることとされ、さらに、
「子どもの特性を理解するよう、教員や専門スタッフへの研修を国から促すべきだ」
と、指導の主体が学校の教師であることを明らかになったのである。だからNHKは改めて取り上げたのだ。つまりしごとは増やすが教員や専門スタッフ(誰のことかわからないが)の増員はないということだ。


【昭和の節度は失われた】

 かつて「学校は民間の知恵を学べ」と繰り返し言われたが、少しでも気の利いた企業なら新しいプロジェクトを立ち上げるために、人員を雇い増すなりあちこちの部署から臨時に引き抜いて期限付きのチームをつくるなりするはずだ。それができなければプロジェクト自体を諦める。事業を持続可能なものに留め、人材を失わないためにはそうするしかない。

 しかし学校は違う。定数法と加配予算によって人員は厳しく制限されているのに、仕事は増やす一方で、事業の成否も組織の存続にも、まったく頓着する様子がない。
 総合的な学習の時間もキャリア教育もICT教育もプログラミングも小学校英語も、すべて人を増やすことなく、担任教師に背負わされた。小学校1・2年生の生活科を創設するために社会科と理科をなくした昭和の節度は、平成以降まったく失われてしまったのだ。


【小さなことの積み重ねが岩盤をくり抜く】

 こういう話になると教育委員会はバカか、文科省は何も分かっていないという話になるが、私はそう思わない。
 両者ともSNSやネットメディアに疎いワケではない。それらを通して自分たちがどれだけバカ者扱いされているか百も承知している。それでいながら教員の仕事を増やさざるを得ないのは、そこに別の力が働いているからだ。文科省教育委員会を動かして自分の夢を実現しようとする輩がいる。

 確かに、
科学や言語、芸術など特定の分野で特異な才能のある子どもの中には、教科書をすべて理解していて、授業で時間を持て余したり、同級生との関係を作るのが難しかったりして、困難を抱えるケースがある
 そういう児童・生徒はいる。古くはレオナルド・ダ・ビンチやモーツァルト、新しいところならビル・ゲイツスティーブ・ジョブズイーロン・マスク。そういった特異な才能のタマゴが国内で埋もれているとしたら実にもったいない。
 また、協調性が重要視される日本社会・日本の学校では、特異な子どもたちはいじめの標的や不登校になりやすい。
 したがって彼らが自由にのびのびと成長できる特別な支援はぜひとも必要だし、そのためのコスト=教員や専門スタッフの研修も、専門家を養成するわけではないからたいしたものではないだろう。
 
 これはいつもの学校の在り方である。
 新事業のコストのひとつひとつはたいしたことはない。しかし「涓滴(けんてき)岩を穿つ」――、その「たいしたことのないひとつひとつ」の30年の累積が、いま、「日本的学校教育」という世界に誇る岩盤に、穴を開けようとしているのだ。
 もはや学校も市町村教委も都道府県教委も、そして文部科学省もこれを押しとどめることはできない。

 

退職教員ボランティア諸君! 学校は乾ききった砂の世界だ。善意のためにうっかり近づくと、あっという間に吸い込まれるアリジゴク。「砂の女」に取り込まれぬよう、ゆめゆめ近寄ることなかれ!

(写真:フォトAC)

記事


教育現場を救え!多忙を極める先生をサポートするのは元教員 “担当不在サポート”とは《新潟》

(2022.07.22 TeNYテレビ新潟)

www.teny.co.jp

教員の多忙化についてです。通常の授業に加え、新型コロナウイルスの対応などで悲鳴に近い声が上がる学校現場・・・多忙を極める教員を少しでもサポートしようと活動する団体があります。
所属メンバーは〝元教員”。〝後輩たち”を助けるべく立ち上がった〝先輩たち”を追いました。

新潟市の関屋小学校です。4年生の教室で教壇に立つ笠原恵子先生です。
分からないところがないか…必要に応じてアドバイスをしながら様子見て回ります。
その後の給食ではエプロン姿に。新型コロナウイルス感染症対策として机を消毒し、アレルギーのある児童のメニューを確認。

実は笠原先生・・・このクラスの担任ではなく、ましてやこの学校の教員でもありません。
教員サポートを行うNPO団体「smileういんず(読み:スマイルウインズ)」のメンバーとして不在の担任に代わり子どもたちの見守りを行っていたのです。

「担当不在サポート」と呼ばれるこの取り組み。学校は担任や養護教諭が不在時に一日4時間、月5日を上限に見守りできる人を依頼。依頼を受けた「smileういんず」は対応できる人をマッチングして学校に派遣します。
対象は新潟市内にある小中学校です。サポートはボランティアで行われ、派遣時の交通費は寄付金で賄われています。
この取り組み、一番の特徴は派遣される人が全員“元教員”なのです。笠原先生も3年前まで市内の小学校に勤めていました。
(以下、略)


【教員はひとを助けるのが仕事。そうしたいと願っている】

 方法論は違っても、すべからく教員は子どもが好きだ。少なくとも子どもの成長を見守ったりその手助けをしたりすることが好きでなければ、この職に長くはいられない。その最も大切な子どもが困っている、同僚が疲れ果てている、そう聞けば何とか助けてあげようとするのが教員の性である。
 そして現在のように、現職が忙しすぎて子どもや同僚を助けられないとしたら、ここは退職教員の出番であろう。

 退職後は楽をしたいと思っていた人も、趣味に生きたいと思っていた人も、あるいは別に働き口を考えている人も家に仕事のある人も、どこかで悲鳴が上がれば行かないわけにはいかない。なにしろ「困っている人がいたら助けなさい」と40年近くも教え続けてきたのだから。

 

【本来はなかなか悪くない活動】

 したがって教員不足などなかった一昔前なら、この制度もさほど悪いものではなかった。教員が出張に出かける、通院のために数時間教室を空ける、そういった時間だけ退職教員がボランティアに入る――それは学校にとっても暇を持て余してる一部の退職教員にとっても、利益になることだったろう。
 しかし今は違う。
『学校は担任や養護教諭が不在時に一日4時間、月5日を上限に見守りできる人を依頼。依頼を受けた「smileういんず」は対応できる人をマッチングして学校に派遣』
は退職教員が無制限に搾取されないための最後の砦かと思うが、どこまで守れるかということだ。


【理念は現実に踏みつぶされる】

 一人の教員が突然休職に入る。
 最初の一週間、午前中は「smileういんず」が教室に入り、午後は校内の先生たちで何とかやり繰りする。校長はその間、必死に代理の教師を探し、翌週には間に合わせようとする。しかし見つからない。
 今や3カ月間も担任不在の教室がある時代だ。おいそれと変わりが見つかるはずがない。約束の期限は「月5日」だから1週間で消費されてしまう。
 そこで校長は「smileういんず」に泣きを入れる。なんとかもう一週間、続けてはもらえないかと。

 これがビジネスなら話は簡単だ。
「時給を2倍にするから一週間だけ頼む」
 それで通る場合は通る。教室に入る方も事情があれば事務的に断ればいい。しかしボランティアは違う。
 それでもなんとか受けてもらったとして、代理探しが2週間~3週間と長引けば、さすがに校長もタダ働きさせるわけにはいかず、講師として雇い入れることを考える。自分が受けなければ教室が空きっぱなしになると分かっていて、さて、ボランティア教師は決然とこれをはねのけることができるだろうか。


【この仕事、持続可能か?】

 かくして「smileういんず」の試みは追い込まれる。「一日4時間、月5日を上限」ならいいが、フルタイムの教員となればとてもではないが応じられない、そう考える元教員は、そもそもボランティアに加わることにさえ躊躇する。そのままずるずるとフルタイムに引きずり込まれたら、断れないことははっきりしているからだ。

 こうした取り組みは、何十年も前から文科省都道府県教委が予算を立ててすべきことだったのだ。そうすれば教員の負担も多少軽くなり、研修意欲も高まったはずだ。
 
 TeNYテレビ新潟よ、「smileういんず」の活動をもうしばらく追い、本質的な教員不足にどう対応していくか、私たちに知らせてほしい。

 

部活動の地域移行。人々はなぜか優秀な専門家は学校の外にいると思い込んでいる。しかしその競技または芸術に精通して、指導経験があり、人間関係の調整や生徒指導的内容に踏み込んで、情熱的に、かつタダ同然で働いてくれる人をどれだけ揃えられる? こうして現職と退職教員に白羽の矢が立てられ、教員は死ぬまで働かされるのだ。

(写真:フォトAC)


記事

文化系部活に地域の先生 専門的技術を指導 金沢・野田中 教員の負担も軽減
  (2022.07.20  北国新聞) 

www.hokkoku.co.jp 
●市教委、23年度拡充へ
 金沢市教委は19日までに、地域住民が生徒の部活動を指導する制度を野田中の文化系部活で試験導入した。文化系では県内初の試みで、専門的な技術に精通した文化団体の役員らが生徒への技術指導を行っている。教員の負担軽減にもつながり、市教委は来年度以降に他校に順次拡大する方針だ。
 (中略)
 合唱部で指導に当たるのは、県合唱連盟理事長を務める粕谷雪子さん(66)=土清水1丁目=で、週末や平日の放課後に、歌唱時の発声や呼吸法など専門的な技術を生徒に教えている。
 
 3年前まで同校音楽科の教員を務めていた粕谷さんは「子どもの指導は教えがいもあって、こちらも楽しい」とやりがいを感じている。合唱部顧問の山本光太郎教諭(35)は「これまで他校では吹奏楽部顧問をしていたので、技術的な面を指導してもらえるのは心強い」と話した。
(以下略)

 

 「吹奏楽部の地域移行、受け皿があるわけがない」
 そう書いたばかり()なのに、あった。こちらは合唱部なのだが、退職教員が引き受けてくれるらしい。
 
 考えてみれば合唱や吹奏楽の経験者は大勢いても、指導の専門家となるとほとんどいない。金沢市の言う、専門的な技術に精通した文化団体の役員も、中身は退職してから文化団体の役員になった元教師だ。だったら最初からそう言えばいいのに、体裁が悪いのか「地域の人材はいた」という形にしたのかもしれない。

 たしかに土日のどちらかで2時間の練習をしてくれ、週日も朝晩合わせて3時間の指導をし、部員たちの人間関係を調整したり生徒指導的事案にも関わったりしてくれる――それだけの技量があり、生徒を育てることに情熱を持ち、しかもほとんど無償で働いてくれる専門家と言ったら、現役の教員か退職教員しかいない。

 退職後は家でのんびりしたいと思っていた元教員も、別に働き口を見つけた人も、学校の危機、部員が路頭に迷う、現職が倒れかねないと聞かされれば、行かざるを得ない。
 こうして現役時代は殺人的な超過勤務に苦しめられた教師たちは、退職後も学校への献身的な奉仕を求められるのだ。
 

kieth-out.hatenablog.jp

地域移行といって外に出されても吹奏楽部の行くところはない。結局、親に頼まれ、部員にすがられ、元の教員が休日の指導を続けるしかないのだが、そのとき教師は別の名で呼ばれる。「休日も指導を希望する教員」、だから時間外勤務の対象にもならないのだ。

(写真:フォトAC)

記事

 中学文化部も来年度から3年で地域移行を 文化庁有識者会議が提言案
 (2022.07.12 朝日新聞デジタル) 

www.asahi.com 中学校の文化部活動の地域への移行を議論している文化庁有識者会議で12日、提言案が示された。運動部と同様、2023~25年度を「改革集中期間」とし、公立中の休日の文化部活動を、地域の文化芸術団体や外部指導者らにゆだねる取り組みを進めるとしている。
 
 部活の地域移行は、少子化による廃部や活動の縮小、教員の長時間労働などの課題に対応するため、スポーツ庁有識者会議が先行して運動部について議論し、6月に提言をとりまとめた。文化部の提言案も、運動部の方向性に沿ったもので、将来的には平日の移行も視野に入れている。
 
 提言案では、文化芸術団体や民間教室、芸術系大学が地域移行の受け皿となり、それらの団体に所属する人たちなどが外部指導者になることを想定。休日も指導を希望する教員は、兼業の許可を得て地域で指導できるようにする。
 

【どう考えてもイメージがわかない】

 文化庁有識者会議の人々の頭に、どんな心象が描かれているのだろう?
 月曜日から金曜日まで、コンクールの課題曲と自由曲の練習を学校で続け、土曜日または日曜日になると地域に出て行って・・・で、何をするのだ? 
 顧問と意思疎通の十分にできている指導者が、同じ考えをもって、顧問以上の指導力で続きをしてくれるのならいい。しかしそれだと私の住む市では、15中学校に15人の地域指導者が必要になるのであって、毎週休日を使って吹奏楽の指導ができる専門家をそれだけ用意できるかどうかが問題になる。もちろんできるはずがない。
 
 いやそうではない、休日の部活は数校集まっての合同練習だ、ということになれば、今度は場所や楽器移動の問題が生れる。仮に三校一緒の練習だとして部員はざっと60~70人。それだけの保護者が休日の朝、自分の子の学校へ行って楽器を受け取り、練習後は返還に行かなくてはならないのだ。自宅にトラックでもあればまとめて移送ということにもなるが、そうでなければひとりひとりの親が動くしかない。さて、そんな生活に耐えてくれるだろうか?
 

【誰が受け皿になる?】

 そもそも受け皿となってくれる文化芸術団体や民間教室、芸術系大学がどれくらいあるか、文化庁は調査してから提案しているのだろうか? 
 地域の文化芸術団体といっても、ほとんどが勤務の傍ら、自分の楽しみのために時間を割いてがんばっている人たちだ。とてもではないが他人のために譲る時間はない。そもそも演奏ができることと指導できることは別なのだ。

 民間の教室もいいが、月4回の講座で20000円もの月謝を取る音楽教室がタダでやってくれるとは思えない。受益者負担? ホラきた「困ったときの受益者負担」。だとしたらはじめから「義務教育は、これを無償とする」などと言いつつ、部活動など始めなければよかったのだ。

 ついでだが、我が田舎県にも芸大のひとつくらいはあっていい。是非とも早急に設置してもらいたいものである。

【結局、部活顧問しかない】

 どう見ても――上から見ても下から見ても、前後左右どちらから見ても、吹奏楽部の地域移行などできるはずがない。合唱部も然り、美術部も然りである。
 
 結局、部活顧問が親に懇願され部員に泣きつかれて休日も続けるしかないのだが、異動の際にはひと悶着あるだろう。
 親は「転任してもこのまま休日指導を続けくれ」と強く迫り、断れば新任の音楽教師を手ぐすね引いて待つ。うまく行かなければ議員に泣きつき、議員は教委を脅し、教委は校長を締め上げて次は校内で闘争だ。管理職と一般教員の仲は悪くなる一方。
 教員の働き方改革によって、職員集団が極めて居心地の悪いものとなっていく。


 
 【ひとつだけ、いいことがある】

 いや待て、悪いことばかりではない。
 もはや休日に指導している教員は「休日も指導を希望する教員」。やりたくてやっているわけだから、時間外労働の枠には入れなくて済む。おまけに兼業の許可を得て地域で指導できるわけだから、そこで多少の収入が出てきてもかまわない。自治体が民間の指導者と一緒に予算化してくれるかもしれないし、ほんとうに困ったら親も出してくれるだろう。これで「定額働かせ放題」の非難も多少はかわせるだろう、ホイ、ホイ。
 有識者会議はそんなふうに考えたのかもしれない。
 

 

全国市長会が運動部の地域移行に待ったをかけた。SNS上では極めて不評だが、これには無理なからぬ事情がある。そもそもスポーツ庁の検討会提案が、絵に描いた「変な餅」なのだ。食えたものではない。

(写真:フォトAC)


 記事

 

市長会、期間の柔軟化を要望 運動部活動地域移行
 (2022.07.01 日本教育新聞 NIKKYO WEB)

www.kyoiku-press.com 全国市長会は、休日の運動部活動を地域移行する目標時期を見直すよう求める緊急意見を出した。「経費負担の在り方や受け皿の確保などの課題が整理されていない中、期限を区切って地域移行を進めることに対し、多くの自治体から懸念や心配の声が広がっている」などと訴えた。スポーツ庁有識者会議では、令和7年度をめどに地域に移行するとの提言を出していた。
 緊急意見では、国が地域移行の必要性や方向性を明確に示し、教職員や生徒、保護者らの理解と協力を得るよう要望。また、施設確保や費用負担などの問題の解決には時間がかかることから、期間を限定することなく、地域の実情に応じて移行できるようにすることを求めた。スポーツ環境の整備に地域による格差が生じないような具体策を示すことも要求した。
 費用負担の在り方については、地域移行によりスポーツ団体に支払う会費は、学校の運動部活動の部費と比べ高額となることが想定される、として国が財政負担の仕組みを明確にすることとした。
 この他、スポーツ団体の整備や指導者の人材確保についても国の財政措置や支援を求めている。

 

  一週間以上前の記事で見落としていたが、重要な内容なので改めて拾っておく。
  運動部の活動を地域に移行することに、全国市長会が待ったをかけたというこの件、SNS上では「市長会が逃げた」だの「期限を区切らなければいつまで経っても移行できない」だの悪評ふんぷんである。後者については全く正しく、しかし前者についてはムリもない事情がある。
 「令和7年度をめどに地域に移行する」など、とてもでないが現実的でないからだ。
 

【部活動の地域移行には20年の失敗の歴史がある】

 部活動に関して外部の人材をつかうことで教員の負担を減らそうという試みには、もう20年近い歴史がある。
 ある時は「地域の人材活用」、ある時は「学社融合」、またある時は「部活動の社会体育への移行」という呼び名で、市町村も学校も、繰り返し外部に人材を求めてきた。そしてついに一度も成功してこなかったのだ。
 
 単純に考えて、野球やサッカーの経験者ならそこそこいても、男女バスケットボールだの剣道だのといったスポーツでは、そう簡単に人材は見つからない。
 それにもかかわらず強引に進めた「社会体育への移行」は、悲惨な結末を迎える。ごく一部の、生徒に全国大会の頂点までをも極めさせようと考える顧問たちが、これを奇貨としたからだ。
 
 彼らはさっそく社会体育のチームを立ち上げ、部活動をやめてしまった。学校で名ばかりの部員は下校時刻になるとさっさと帰宅し、夕食を食べて宿題を終えると、午後6時からの社会体育に参加するため、再び学校の体育館へ向かったのだ。
 朝も登校前に体育館で練習し、そのまま学校の昇降口へと向かう。練習時間は毎日4時間にも及び、休日の練習は無制限となった。学校における教育活動という軛から、完全に自由になったのだ。
 
 他の顧問はそれほど熱心でもなかった。
 しかしひとたびそうしたチームと試合で対戦すると、大人と子どもほどの力の差でなぶり者にされてしまう。それは親にとっても教師にとっても耐えがたいことだった。
 
 顧問の力量にも練習の質にも差はあるにしても同じ三年間、部活動に身を捧げてきた我が子が、教え子が、コート上で、あるいはグランドで、同い年の子たちに弄ばれているのだ。
 バスケットボールで66対4、バレーボールで1セット25対2、サッカーで20対0・・・。野球で26対0となると、延々と守備を続けるさらし者である。それが平気な顧問はやはり教師としても人間としても問題があると、私は思う。
 どんなに勝つことに執着のない顧問でも、せめて相手の半分くらいは点を取りたい、たとえ一矢であろうと報いたい、そう考えるのが人間ではないか――。すると必然的に社会体育のチームを立ち上げて、同等に近い練習をしなければならなくなる。
 
 社会体育への移行という以上、教員以外に引き受ける人材がいればいいのだが、そもそも地域に経験者さえいない場合がある。やはり先生しかいないと保護者に拝み倒され生徒に泣きつかれると、教員としては受けざるを得ない。学校の部活を社会体育に移行することで、教師の負担はむしろ倍増したのだ。
 

【問題が問題となった理由】

 今年6月6日にスポーツ庁の運動部活動の地域移行に関する検討会が長官に提出した「運動部活動の地域移行に関する検討会議提言」はけっこう厄介な内容で、サブタイトルに「~少子化の中、将来にわたり我が国の子供たちがスポーツに継続して親しむことができる機会の確保に向けて~」とあるように、中心的な内容は、「本当は野球をやりたいのに、少子化のために野球部が成立しないいくつかの学校の生徒を集め、連合チームとして中体連に出られるようにしよう」というものだった。

 ところがそこに、
「平成 18 年度に行われた調査結果と比べて、平成 28 年度の調査結果では、土日の部活動指導に従事している時間数が1時間6分から2時間9分とほぼ倍増しており、部活動指導に係る負担が増していることがわかる」
と、教員の働き方改革を絡めたために難しいことになった。
 二つは方向性がまったく異なるからだ。

 

少子化による部活不成立は大した問題ではない】

 一般に少子化の顕著な中学校では、野球部やサッカー部など大人数を必要とする部活が成立しなくなると、それらを廃部にしてバドミントンやテニス・卓球といった少人数でも可能な部へと編成替えをしていく、それでよいと考えていたのである。
 現実問題として部員10名の野球部やサッカー部ではなかなか強くなれないが、バドミントンやテニスなら大規模校の選手よりコートに立てる時間が圧倒的に長く取れ、県大会やさらにその上も目標に入ってくる、それで十分だった。

 もちろん何が何でも野球・サッカーという子は、これまでも親の責任で遠く離れた地域の野球クラブやサッカークラブに通っていた。本人がその気になって親がそこまで応援するような子は、才能も実力もあって将来は甲子園やプロを目指そうという子ばかりである。たとえ中体連の大会に出られなくても、全市または複数市にまたがってチームの中で練習した方が、高校やその先の競技人生にとってよほど有利だ。


 つまり「提言」が示すような組織に、新たな需要はさほどない。そもそも土日に地域の野球チームに参加する子どもたちは、平日は学校の何部に所属すればいいのか?


【部活の繁忙期、学校を単位としない土日練習で何をすればいいのか】

 6月6日の「提言」はマスコミを通して、一般には「学校の部活動の土日分を地域の専門家が担う」というかたちで周知された。「提言」の中に「単に運動部活動の実施主体を学校から地域のスポーツ団体等へ移行するのではなく」とあるにもかかわらず、である。しかも報道は明らかにこちらの方に重点がかかっていた。

 全国市長会「運動部活動の地域移行に関する緊急意見」も、文中に、
経費負担のあり方や受け皿の確保などの課題が整理されていない中、期限を区切って地域移行を進めることに対し、多くの都市自治体が唐突感を持って受け止めるなど懸念や心配の声が広がっている。
とあるように、「提言」の意図は理解しつつも、明らかに学校の部活をそのまま地域に移行することの困難を訴えている。

 さらに実際問題として、秋から冬にかけての部活動の閑散期、土日に部員を集めて体力づくりや基本練習をさせるのは分かるにしても、活動の過熱する大会直前1~2か月の、本来はチーム練習や練習試合をしたい土日に、複数校の部員を集めて地域スポーツ団体にどんな練習をさせようというのだろうか?

 全国市長会が要望として挙げた第一が、
「学校部活動は、教育活動の一環として実施してきたものであり、運動部活動の地域移行の必要性や方向性などを明確に示すとともに、国が中心となって周知を行い、地域、教職員、生徒、保護者及びスポーツ団体など関係方面の十分な理解と協力を得ること」
であったことは無理なからざることである。

 

【悪いのは誰だ?】

 結局、部活動改革は、今回も絵に描いた餅に終わるだろう。ただ何もなく終わるのではなく、本質的問題が3年先延ばしになるのだ。しかし悪いのは全国市長会でもスポーツ庁でもない。文科省にあれもこれも持ち込んで、すべて実現せよと迫るあの人たちである。