キース・アウト

マスメディアはこう語った

職員室盗聴:パンドラの箱は開いた。子どもたちから学校を守らなくてはならない時代が来たのだ。(2022.11.29 追記あり)



記事

 

タブレット端末に職員室での会話が録音 生徒ら不登校に 山口
(2022.11.17 NHK

www3.nhk.or.jp

山口県岩国市の公立中学校で、生徒が置き忘れたタブレット端末のアプリに職員室での教諭どうしの会話が録音され、会話の内容を知った生徒の1人がその後、登校していないことがわかりました。
岩国市教育委員会は「子どもたちなどに不安を与え、大変申し訳ない」と陳謝しました。

 

岩国市教育委員会によりますと、先月31日、市内の公立中学校で複数の生徒が学習用のタブレット端末を教室に置き忘れているのに教諭が気付き、職員室の机で一晩、保管したということです。

 

このうち1台で録音アプリが起動していたため、職員室での教諭どうしの会話が録音され、教諭はそのことに気付かないまま、生徒に返却しました。

 

録音された会話には、生徒の生活指導に関する情報や生徒に対する教諭の個人的な感情などが含まれていて、返却された生徒は録音されていることに気付き、複数の同級生に音声データを送信したということです。

 

その後、データの内容を知った生徒の1人が今月上旬から登校していないほか、会話が録音されていた教諭の1人も出勤していないということです。

学校側は、音声データを持っていたり、録音された会話で名前が出たりした生徒全員の自宅を訪ねて謝罪するとともに、データを削除したということです。

 

岩国市教育委員会の守山敏晴教育長は記者会見で「子どもたちや先生、地域の方に不安を与えたことを大変申し訳なく思う」と陳謝したうえで「どの学校でも起こりうる事案なので、タブレット端末の使い方の指導を徹底するとともに、教諭についても言動を気をつけるよう改善していく」と述べました。

 NHKですら全国放送にするニュースなので、すでに様々なコメントが出そろっている。
 多くが「これをやられたらかなわん」という感じで学校に同情的だが、
「教員の人権感覚の問題かもしれません。(中略)聞かれると、ひどく傷つけるようなことを会話しているのだとしたら、それは本当にいいのでしょうか」(教育評論家:妹尾昌俊)
とか、引用記事の岩国市教委の森山委員長の、
「教諭についても言動を気をつけるよう改善していく」
とか、教師の発言を問題視する見方も少なくない。
 状況を考えると、「どんな場合も陰口はいけません」とか「陰口にも程度があるでしょ」とかいった極めて道徳的な内容で、問題解決とは程遠い話だという気もするが、“子どもの心は地球より重い”と考える人たちが、常に一定数いることは前提としなければならないだろう.

【いったい何が起きたのか】

 学校で子どもたちの使うタブレット端末に、どんな機能があるのか知らないので何とも言えないが、少なくとも私のスマホiphone)で録音をしようとしたら、画面をタップして電源を入れ、顔認証のあとで上にスワイプしてホーム画面を表示させ、録音アプリ(ボイスメモ)のあるページに移って、アプリをタップした上で録音ボタンを押さなければならない。同じくらいの段階があるとしたら偶然録音が始まる可能性は極めて低く、やはり生徒が録音状態で放置したのだろう。
 しかもタブレット端末が職員室に運ばれるまで、ほとんど無音の状態が長く録音されていたはずで、それを4時間に及んで最後まで聞いた執念も理解できない。

 

 そんなところから生徒の意図的な盗聴を疑う声も多いが、たとえ盗聴であっても学校や教委が公表して本人や保護者に謝罪を求めることはないだろう。学校で起こったことは学校が責任を負うことで、世論はほぼ一致しているからだ。学校も岩国市教委もすでに謝罪してしまっている。この問題は学校の責任として終わる。
 ただし忘れてはいけない。今回の事件の突きつけるものはあまりに大きいからだ。

【悪のファーストペンギンたち】

 世の中には、ひとりの勇気ある先駆者によって行われたことが、あっという間に社会に広がることがある。いまテレビドラマでも評判の「ファースト・ペンギン」である。

 

 1971年、ある未婚の女性が新生児の遺体をコインロッカーに隠すという方法に気づいた。そして実行する。するとこのやり方はあっという間にブームとなり、コインロッカーベイビーは全国で発見されるようになる。村上龍はこれを題材に「コインロッカーベイビーズ」という小説まで書いた。

 

 21世紀が目前となった1999年、高齢者の家に「オレ、オレ」と言って電話をかける極めてユニークな詐欺犯が出現した。警察は注意喚起の必要から詳しく手口を紹介したが、それをその通り実行する輩があとを絶たず、20年以上たった今日も続いている。
 いずれも先駆者の勇気ある行動から始まったものだ。

 

 今回、故意か偶然か、学校の端末によって職員室の盗聴ができることが明らかになった。そのファースト・ペンギンのあとを、目つきの悪いペンギンたちが次々と飛び込んでいく。

【探せば隙は山ほどある】

 もちろんしばらくの間、教室に置き忘れたタブレットはひとつひとつ電源が落ちているか確認され、職員の声の届かないところにある専用のケースに入れられ、保管されるだろう。管理がだらしなくなるまでの間は。
 しかし毎朝、持ってきた生徒から預かって職員室に保管している個人のスマホはどうか? いちいち電源が切れていることを確認して保管しているだろうか? 録音機能は働いていないかどうか? 毎朝のことだが。

 

 あるいは教師に敵意を持つ生徒が、机の中においた学校タブレットで辛抱強く不適切発言の出るのを待っている可能性も考えなくてはならない。まさか子どもがそんなことを、と考える人は、2019年に東京都町田市の都立高校で起こった事件を忘れてしまった人だ。その程度のこと、子どもはすぐにも行える。

kite-cafe.hatenablog.com


 生徒が生徒を盗聴する可能性についても留意しておかなくてはならない。
 休み時間、女の子が集まりやすい場所に置き忘れた男子のタブレット、もしかしたら意図的に置かれたものかもしれない。それで録音されたのが自分の悪口だったら自業自得でガッカリすればいいだけだが、他の子の悪口や秘密の暴露だったらどうだろうか? 面白い使い方ができそうだ。

 

 国は児童生徒のプログラミング学習に力を入れているが、いまに天才的なハッカーが生まれてくる。現在だけでも全国に323万人もの中学生がいて、その中の323人は1万人にひとりという逸材だ。その子たちが学校のサーバーに繋がったタブレットで遊んでいる。もちろん全員が良い子とは限らない。大丈夫か?

 

 いや、学校貸与の端末からファイヤーウォールを突破して、友だちの成績や生徒指導案件を盗み出すくらいの技量の子の誕生は、政財界にとって望んだり叶ったりかもしれない。もともとそれが目的だった。
 苦労したり責任を取ったりは、校長をはじめとする学校や地方自治体、そして文科省がやってくれるだろう。

追記(202.11.29)

newsdig.tbs.co.jp

「衝動が抑えられなかった」 女子中学生の着替えを盗撮 男子生徒が学習用タブレット端末で 愛知

やっぱりね。また教委と学校が謝らなくちゃイカン。

深刻な教員不足に対して、財務省もいよいよ乗り出してきた。そしてこんなふうに言う。 もう教育学部の卒業生などあてにしない、子どもの教育なんて楽な仕事だからITとビジネス界の落ちこぼれでジャンジャン補充すればいいじゃないか、そのために教員免許取得も採用試験もどんどん楽にすればいい、とね。

(写真:フォトAC)

記事


“教員不足 人材の官民間での行き来など仕組み導入を” 財務省

(2022.11.14 NHK 

www3.nhk.or.jp

小中学校の教員の不足が課題となる中、14日に開かれた財務大臣の諮問機関、財政制度等審議会で、財務省は、人材が官民の間で行き来するなど新たな仕組みの導入を提案しました。

教育関連の予算が議題となった14日の会合では、財務省の担当者が、公立小学校の教員の採用倍率について、2000年の12.5倍からことしは2.5倍まで低下している状況を挙げ、質の高い人材の確保が課題だと指摘しました。

そのうえで、
▽官民の間で人材が流動的に行き来する仕組みを導入するなど免許制度や採用方法の新たな仕組みを検討することや、
▽学校ごとの働き方改革の取り組み状況を公表し、国から自治体への補助事業の要件に盛り込むことなどを提案しました。

これに対して委員からは、
働き方改革IT技術を組み合わせて教育の質を高めることや、
▽ビジネスの経験者が教員となるルートの拡充を検討することなどを求める意見が出され、提案に対しおおむね賛同したということです。

審議会では、来年度予算案の編成に向けて、今月末にも財務大臣に対する提言を正式に取りまとめることにしています。

 

【記事の読み解き方】

 記事の▽印の着いた部分について、私にはこんなふうに読める。
▽官民の間で人材が流動的に行き来する仕組みを導入するなど免許制度や採用方法の新たな仕組みを検討すること

  • もう教育学部卒の学生を教員に採用するのはムリなので、民間企業から人が転職できるよう、誰でも簡単に教員免許が取れるようにしたり、極端に言えば無試験で教員になれるよう制度改革を計る。


▽学校ごとの働き方改革の取り組み状況を公表し、国から自治体への補助事業の要件に盛り込む

  • 学校ごとに働き方改革の状況を確認し、労働時間が削減できない自治体からは予算を引き上げ、時間短縮に成功した自治体には厚くするように計らう。やらされる仕事の多すぎる現状での時短は、自主的・意欲的な活動のみが削減対象となり教員の意識が低下するがそれもかまわない。児童生徒および保護者からの要望に応えることも、指導要領に書かれていないことであれば無視してかまわない。


働き方改革IT技術を組み合わせて教育の質を高めること

  • 教員の仕事の多くはITで代用でき、しかも教員が行うよりはるかにレベルの高い仕事ができるから教育の質の向上にも資する。したがってIT化はよりいっそう推し進めるべきである。


▽ビジネスの経験者が教員となるルートの拡充を検討することなどを求める

  • 18歳で教育を志し、教育学部へ進んだような“学校しか知らない人間”は役に立たない。まずビジネス界を経験し、そこで続かなかったり使えなかったりしたとしても、教育学部卒よりはマシである。したがってこの人たちをより多く採用する道筋をつくれ。

【教師はそこまで舐められている】

 政府を筆頭に、世の中の人々が等しく学校に対して抱いている偏見は、「教育は子ども相手の楽な仕事だ」というものである。
 したがって教員の長時間労働といっても、マルクスが「資本論」に書いた「1日12時間、年間365日、休まず働かされるマッチ工場の少年たち」みたいな印象しかもたない。
 そうなると最も確実な労働時間の削減方法として機械化(IT化)と大人(ビジネス経験者)の導入はまことに筋の通った話となる。

 

 だが考えても見るがいい。世の中の大部分の人たちは、自分の子ども一人でさえ思い通りに教育できていない。少なくとも望んだとおりの成長を遂げ、願った通りの成果を上げている子どもなどほとんどいないだろう。
 ところが学校は、ひとりの教師が40人もの子どもを相手に、信じられないほど多くの成果を上げている。100点満点とは言わないが、これほど学力が高く、道徳性に溢れ、調和が取れて犯罪の少ない国を、だれが育てたと思っているのだ? そうしたことをすべての国民に平等に、日常的に、計画的に、持続的に行っているのは学校を置いて他にないではないか。

 

 もし日本の学校教育がダメだと言うなら教えてくれ。我々はどこの国(地域)の教育を手本にし、そこに近づければいいのだ? 
 学力全体は中国、授業時数はドイツの半日学校、道徳はフィンランドのルーテル派宗教教育、数学はインド、英語はオランダ、とか言うなよ。
 

クレーム対応の、落としどころも、ノウハウも、余裕も持たない学校はすぐに謝ってしまうが、謝ることでさらに追い詰められる。学校はこうして壊れていく。

(写真:フォトAC)

記事

 

ミサンガ注意の教員へ抗議→生徒に謝罪 対応に疑問の声も 浜松の中学 学校現場の苦慮浮き彫り

(2022.11.04 みんなの静岡新聞

www.at-s.com

 浜松市の市立中学校で9月下旬、授業中に生徒のミサンガを外した教員が保護者から抗議を受け、その後の対応を巡って体調を崩し、授業やクラス担任、部活動指導を行えない状態が続いていることが3日までに、関係者への取材で分かった。学校は生徒と保護者に「行き過ぎた指導だった」と謝罪したが、事態を知った他の生徒の保護者は「謝罪は過剰な対応ではないか」と同校の姿勢を疑問視する。保護者対応に苦慮する学校現場の実態が改めて浮かび上がった。

 関係者によると、20代の女性講師が体育の授業中、2年の男子生徒が足に付けていたミサンガをほどき、生徒に手渡した。これに対し、保護者が「ミサンガが駄目という規則はあるのか」「足に触れたのはセクハラだ」などと主張し、女性講師の謝罪や学校全体への周知に加え、この生徒に関わらないよう学校と市教育委員会に求めた。

 同校は「ミサンガは学習に不要で、授業中の指導の一環だった」と説明したが、数日後から生徒が登校しなくなった点を踏まえ、口頭などで複数回謝罪した。学年集会も開いて「女性講師に不適切な指導があった」と2年生全員に説明した。

 だが、謝罪後も事態は収まらず、全校生徒への周知や女性講師の処分を求める要請が保護者からあった。この件に関連するSNSの投稿を巡る生徒間のトラブルも発生。同校教員や市教委職員は連日のように夜間まで残業し、休日も出勤するなど対応に追われたという。
 女性講師は心身の不調を訴え、10月初旬から教科や部活の指導から外れている。2年生の保護者の1人は「過剰と思われる要求に、なぜ応じるのか。先生1人が突然いなくなって多くの生徒に影響が出ているのに、十分な説明もない」と話す。
 市教委は「現在対応中の事案のため、回答は差し控えたい」としている。
(以下、略)

 学校が保護者の無体な要求に追いつめられるという報道自体が珍しいが、ここまで丁寧に書いてもらったことにも驚く。しかしそれでも限られた紙面での話、細かく見ると分からないことだらけである。

【生徒と教師の関係が分からない】

 保護者は「ミサンガが駄目という規則はあるのか」などと吠えるが、装飾品がダメなことは日本の学校の場合「常識」であり、そんなものまできまりにしたら校則はちょっとした国語辞典並に厚くなってしまう(パジャマで登校してはいけない、ウェディングドレスで登校してはいけない、水着での登校も不許可、もちろん全裸登校もしてはならない・・・・)。それを承知で、なぜこの生徒はミサンガなんぞを足につけて登校したのか。
 単なるファッションだったのか、あるいはかつて私が経験したような不良グループの符丁だったのか・・・。手首と違って体育の時間にしか見えない“足”にした、というのにも何か意味はありそうだ。
 
 その足のミサンガに気づいた女性教師はなぜ本人に外させようとしなかったのか? 「外しなさい」と指示すればいいだけなのに、わざわざ解いて返してやったのはなぜか? 没収だってかまわないはずなのに。
 そして生徒はなぜ唯々諾々と外させたのか。
 
 その場の様子を想像すると空恐ろしくなる。女性教師は生徒の前にかしずいてミサンガを解いたのだ。それが目的だったのだろうか?

【想像もつかないさまざまな保護者がいる】

 普通、人はたったひとつの事象で他人を訴えたりしない。子どもを預かってもらっている学校の教員を訴える場合はさらにそうで、満水のコップに水を一滴落とすのと同じように、つもりに積もった不満が些細なことで溢れ落ちるとき、保護者は訴える。だから保護者の異常な訴えも、学校側のだれも気づかず記事にも書かれなかった積年の恨みによるのかもしれない。

「足に触れたのはセクハラだ」
もほとんど保育園児の言いがかりだが、振り上げたこぶしの落としどころがない、そこまで保護者も追いつめられている、と考えれば、それも正しいのかもしれない。

 

 しかし全く異なる推測も成り立つ。
 かつて私の勤めていた学校で、保護者が教員を訴えそうになるという出来事があった。職員のひとりが保護者であることに甘え、支払うべき期日までにすべき入金を怠ってしまったのである。それを保護者は詐欺だという。
 怒りはすさまじく、教頭や校長が謝りに行っても聞く耳を持たない。なぜそこまで怒らなくてはならないのか。それは何回目かの話し合いで思わぬ提案が出されて初めて理解される。
「校長先生、大人には大人の解決の仕方ってものがあるじゃないですか――」

 企業にやたらと難癖をつけて引きずり回し、根負けした担当者が代品をもってくるとさっそく受け取って転売する、そういう生活をしてきた人らしい。この時は奥さんが「いくら何でも自分の子どもが通う学校を脅すのは恥ずかしい」と、離婚を盾に取り下げを迫ってようやく引き下がってくれたが、袖を引っ張ってくれる人がいないと、こうした場合でも収拾がつかなくなる。
 世の中にはそういう手合いもいるから何とも言えないが、「足に触れたのはセクハラだ」男にも、私などには想像もつかない理由があるのかもしれない。そういう場合もあり得る。記事はそこまで言ってはいないが。

【学校はすぐに謝るから、すぐに切羽詰まる】

 学校は代品を送るとか返金に応じるといった仕組みを持たないので、かえってクレームに弱い。お詫びで納得してもらい、努力でお返しすると口約束をする程度しかできないのですぐに謝ってしまい、相手が容赦ないと切羽詰まる。もしかしたらそうした安易な謝罪の積み重ねが、記事の保護者を怒らせているのかもしれない。

 

 教員はクレーム対応の専門家ではないし専門研修も受けていない。だから取り上げた記事の割愛した部分にあるように、スクール・ローヤーを置いてプロの見地で対応してもらうのが一番よいのだが、地方はそこまで予算潤沢なわけではない。また、仮に金を出すと言っても、いつ来るか分からないモンスターペアレントへの対応より、日々の活動に役立つ教員の方に金を使ってほしいと、現場の教師は言うに違いない。学校は詰んでいる。

 

 さて、結局よく分からない記事だったが、よくわからない理由で一人の有能な教師が抹殺されていく――それが学校だというとことを、世間に周知させる点では、有益な記事であったと言えるのかもしれない。

 

全国学力テスト:練習もしないであんなものに向かわせるなんて、あまりにも可哀そうだ。さっさと事前対策をして、そこそこいい点数を取らせ、あとは一刻も早く日常生活に戻ろう。真面目に取り組んでいいものではない。

記事


国学力テストで「事前対策」 小学校現役教員が実態など証言

(2022.10.21 NHK

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小学6年生と中学3年生を対象に毎年、実施されている「全国学力テスト」をめぐり、行き過ぎた「事前対策」が各地で行われていたことが明らかになっている問題で、石川県の小学校の現役教員がNHKの取材に応じました。教員は、テストの直前には授業で教科書を使わず、いわゆる「過去問」を繰り返し解かせるといった「事前対策」の実態や、テストの結果の信頼性にかかわる対応について語りました。

「全国学力テスト」をめぐっては、全国トップクラスの成績が続く石川県で、ことし4月のテスト直前、多くの学校が授業時間を削り、過去の問題を繰り返し解かせるなど、「事前対策」をしていたことが県教職員組合が行った実態調査で明らかになり、その後、秋田県富山県などでも「事前対策」が行われていたことがわかっています。
(以下略)

 記事の大部分を割愛したが内容を知る上ではこれで十分だろう。石川県教組の告発で慌てて調べたら、あそこの県もここの県も同じように事前対策が行われていたという話。しかしやるのが当たり前なのだ。いや、しなくてはならない。

【全国学テの成績が低いと学校はひどい目に遭う】

 2007年、初めて実施された全国学力学習状況調査(以下、全国学テと略す)を、私は転任したばかりの学校で担当した。結果は惨敗。テストの三日前にいじめに関する保護者会を開いているようでは学習に実が入るはずはない。問題の多い6年生で勉強どころではなかったのだ。
 夏が過ぎて成績が返ってくると案の定、市内で最下位。点数は「振り向けば沖縄」という状態だった。この言い方、沖縄県には失礼だが、子どもたちが学習に前向きでないことは既に知れ渡っていた。私の勤務校も同じような状況だった。
 
 市教委からはさっそく担当者がやってきて授業の見学、さらに「授業再建計画」を至急提出せよとのこと。一応それなりのものをつくったが朱を入れて返され、再提出。以来計画が順調に進んでいるか、3カ月ごとの査察が入った。あちこちのクラスを参観して、そのたびに臨時の研修会を設けてご指導を受ける。そのあとは若手教員を中心に個別の指導だ。中でも屈辱的だったのは主事を児童に見立てての模擬授業だった。教育実習でもあるまい。いまさら指導を受ける先生方の、胸中は察して余りあった。
 低い成績の原因が教師の教科指導法にないことは明らかだった。ほとんど学級崩壊状態だった1クラスが、もう少し落ち着いてさえいれば最下位ということはなかったに違いない。他の2クラスはほぼ平均点に近かったのだから。私はホゾを噛んだ。
 
 しかし市教委を恨むのも気の毒だ。市教委は市教委で圧力がかかっている。市長や市議会、県教委や県議会。中でも議会は特に怖い。下手に機嫌を損ねたら通したい予算も通らなくなる。逆に点数さえ上げておけば気持ちよく税金を回してくれることも少なくないのだ。そのわずかな増額分が、県教委・市教委・学校にとって決定的ということもある。例えば県費または市費の講師が一人増えるだけで、学校がどんなに助かるか――そう考えると成績の振るわない学校を指導したくもなる。点数もバカにできないのだ。
 
 翌年、私は新6年生の担任と少人数加配の講師にお願いして4月の始めに数時間の試験対策を実施した。
 その結果は市内第2位。半年間私の学校を指導し続けた主事はまるで自分の手柄であるかのように「やったじゃないですか、あと一歩で1位だった!」と喜び、そのあとかなりの間、顔を見ることはなかった。他の、成績の低い学校を指導するのに忙しかったからだろう。

【全国学テは事前対策がよく馴染む】

 その翌年以降も私は6年の担任には必ず事前対策をしてもらうよう声を掛けた。その背景には、少人数指導担当の講師の次のような言葉があった。
「先生! 事前対策、そんなにしなくていいみたい。ちょっとやればすぐに成績が上がりますよ!」
 実際その通りだった。
 全国学テで点数が取れない理由は大きく分けて二つ。ひとつは「部分点」というものに子どもが慣れていなかったことである。
「とにかく解答欄を真っ白なまま出すな。途中でもいいから思いついたことは何でも書け、書いた分だけ点数がもらえる」
 それだけの理由でおそらく平均点は5点以上あがった。

 もうひとつは二つ以上の内容を関連付けた問題というものに、子どもたちが慣れていなかったことである。
 小学校の場合、日常的に行っているのはいわゆる「単元テスト」で、単元をまたぐ問題が出ることは稀だ。ところが全国学テの大部分は総合的な能力を問われる。確かに良問が多いが、初めての形式なのでそのための学習はどうしても必要になる。どのようにやるのがいいのか。
 答えは簡単だ。十分によく考えられた問題の集まり、つまり過去問を解けばいいのだ。それが一番である。かくして全国学力学習状況調査への対策はいかにも受験対策めいてくる。しかし必要なことだ。

徒手空拳で受験させるのはあまりにも可哀そうだ】

 2007年の第一回全国学力学習状況調査では、私の学校から1名分の解答用紙が提出できなかった。テストが始まってしばらくすると、ひとりの児童が用紙を引きちぎって捨ててしまったからである。担任によると「泣きじゃくって以後何もできなかった」というのだ。
 
 理解できない話ではない。これまでの単元テストでは80点以下など考えられないのだ。それが全く異なる出題形式のテストで手も足も出ない。絶望的な気持ちになるのも無理ない。
 全国学テは児童生徒に直接返ってくるものがあまりに少ないテストである。そんなもので子どもを深く傷つけることはないだろう。事前に練習くらいはさせたいものである。

【事前対策はどこまで負担なのか】

 記事の割愛した部分にはこんな話がある。
教員によりますと、勤務する小学校では、5年生の2学期ごろから昼休みや放課後などを使って「過去問」を解かせるということです。
 わざわざ授業時間をはずすとは律義なことだ。それが、
そして、6年生になると4月のテスト直前は授業の時間にも教科書は使わず、繰り返し「過去問」を解かせることが常態化しているといいます。
となる。もはや過去問も15年分近くあるから、やろうと思えば国語だけでも15時間も当てられることになる。しかしそこまでやる必要もないだろう。先に言ったように全国学テは事前対策がよく馴染むテストで、その特殊性を克服すればあとは日ごろの学力がものを言うだけである。
 
 学習指導要領では中学生でも年間の授業時数は1015時間となっている。週29時間授業で35週間、つまり175日間登校すれば消化できる量である。それを実際には200日も登校しているのだから試験対策に6時間ほど削ったところでどうということないはずだ。

 全国学テは学校間の競争によって学力を高めようと考えた愚かな政府のお偉方を、満足させるためだけのものだ。だからやめるが一番いいが「良いことは簡単にやめられない」が原則だ。そうである以上は適当に凌いで、さっさと先に進むがいい。
 真面目に取り組むことこそバカらしい。

 

小学校教員の採用試験が、軒並み競争率1倍台だとか。採用数が増えたからだともいうが、昭和後期並みに受験生が殺到すれば6~7倍も夢でないはずだ。仕事が面白くて長時間労働にしてしまった昭和の教師と違って、令和の教師はあまりにもやることが多い。それなのに政府は、さらに負担を求めてくるのだ。

記事


小学校の採用倍率、1倍台が続出、全国平均は過去最低更新…教師人気は回復できるのか?

(2022.10.16 大人んサー)

otonanswer.jp


 学生の「教員離れ」が指摘される中、中央教育審議会中教審文部科学相の諮問機関)の特別部会が10月5日、教師の在り方に関する中間まとめを公表しました。9月9日の会合で部会長一任を取り付け、修正を加えたものです。

 この日の会合では、2022年度公立学校教員採用試験の実施状況も報告され、小学校の採用区分を設けている57道府県・指定都市のうち約4分の3に当たる42県市で3倍を切り、17県市では1倍台という深刻な実態が明らかになっています。中教審では年内にも答申をまとめることにしていますが、これで本当に教師人気は回復できるのでしょうか。


3倍を切るだけで危機的状況なのに…

 教員採用試験を巡っては、倍率が3倍を切ると優秀な人材が確保できなくなる、というのが採用担当者の経験則です。しかし小学校は全国平均で2019年度に2.8倍となってからも過去最低を更新し続け、2022年度は2.5倍という危機的状況です。

 現在、第2次ベビーブームに対応して大量採用された世代の教師が大量退職して、その穴を埋めるために、教員を大量採用しなければならなくなっています。そんな中、学校現場の「ブラック職場」化が知られるようになり、ますます教職志望者は減っていきます。国立の教員養成大学・学部ですら平均教員就職率は65.2%にとどまり、関係者によると優秀な学生ほど「自分には務まらない」と民間企業に流れるようになっているといいます。
(以下略)

【教師不足の原因は教職志望の減少がすべてだ】

 現在の教員不足について、「団塊の世代の大量退職にともない」などと15年も前のできごとを持ち出すわけのわからない記事の多い中で、「第2次ベビーブームに対応して大量採用された世代の教師」の退職に原因を求めたこの記事は、現状分析としてはかなりマシなものである。
 しかし世の中にやたら出回っている下のグラフを見ればわかるとおり、極端な話、令和2年の採用数役35000人に対し、昭和54年と同様の受験者258000人が馳せ参じてくれれば倍率は7・4倍だ。十分に人材は集まるし、教職が魅力的な職業なら翌年もう一度チャレンジしてくれる。教職浪人が大量に生まれ、この人たちが講師に応募してくれるというわけだ。
 昭和から平成の前半にかけて、教員採用の現場はそのように回っていた。受検者が多いから、採用数が増えようが増えまいが、教員不足など起きようがなかったのだ。

 

【教員の長時間労働は今に始まったものではない】

 ところが平成25年ごろを頂点に、教職志望は一貫して減ってきて、回復の兆しがまったく見えない、それが令和の学校の最大の困難である。なぜこれほどまでに志望者は減ってしまったのか――。
 原因は記事にもあるとおり、
 学校現場の「ブラック職場」化が知られるようになり、ますます教職志望者は減っていきます。国立の教員養成大学・学部ですら平均教員就職率は65.2%にとどまり、関係者によると優秀な学生ほど「自分には務まらない」と民間企業に流れるようになっている
からだと、私も思う。

 昔の学校だってブラックだったという人はいるが半分しか当たっていない。
 昭和の教師の端くれだった私も、独身時代は22時~23時と平気で学校にいたし、朝は7時前に登校しないと部活の朝練習に間に合わないので6時半には登校していた。
 結婚して子どもが生まれてからはさすがに早く帰宅するようになったが、それでも仕事を減らしたわけではない。ほとんどは持ち帰りとなり、同業の妻は午前0時前に寝ることはなく、子どもの寝かせつけ係の私は午前3時には起きて仕事をしていた。夫婦で教員であるということはそういうことだった。
 私たちの世代はそうだったが、さらに数十年さかのぼっても教員の労働時間は少なくなかった。「提灯(ちょうちん)学校」というのは私が子ども時代からあった言葉で、もしかしたら学校に電灯の入る前からのものかもしれない。いずれにしろ、大昔から教員たちは長時間労働に慣れていたのだ。

【昔の教師は仕事が面白くて長時間労働になった】

 しかし昔と現在との間には決定的な違いがある。それは若いころの私たちが自主的に労働時間を伸ばしていったのに対して、いまの教師たちは強いられているという点である。昔は楽しんでやったが今はそうではないと言ってもいい。
 
 どこに転換点があったのか――これにははっきりとした記憶があって、中学校では平成15年4月(小学校では14年4月)から施行された学習指導要領で、総合的な学習の時間が週3~4時間(現在は週2時間)創設されたときからである。これで学級担任の授業時数が飛躍的に増えることになった。しかも「教科書のない、教師の独自性が問われる授業」だったため、計画や準備に大量の時間とエネルギーが必要とされる。
 その後さらにキャリア教育やICT教育が加わり、法令順守や説明責任の研修や校内体制の組み換えも始まり、教員評価・学校評価が行われ、全国学習状況調査の結果次第でとんでもない量の授業改善の作業が加わってきた。
 
 現在教職にある人のほとんどはこうした転換点を経験していないため、あたりまえのように仕事をしているが、昔はそうでなかったのだ。彼らが大量の仕事をしていたとしても、そのほとんどは自分のためであり喜びですらあった。
 私は研究授業が大好きで、そのための準備はいつも面白く、いくらでも時間が使えた。学級通信は毎日書いた。それも子どもが反応し変わっていくのが面白かったからだ。平成の後半から、それが本当に苦しくなった。
 
 幸い私は総合的な学習の時間が始まっていくらも経たないうちに学級担任を手放して管理職に逃げたが、あのまま続けていたら凡、庸な私などには勤まらなかったのかもしれない。

【それでも教師への要望はさらに高まる】

 今回取り上げた記事の後半には次のような記述がある。
 一方で、授業では「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が求められており、教える側にも変革が迫られています。
 中間まとめでは、教師に共通的に求められる資質能力として「特別な配慮や支援を必要とする子供への対応」「ICT(情報通信技術)や情報・教育データの利活用」を加え、教員養成や現職研修でしっかりと身に付けさせることを求めています。
 つまりこの期に及んでも、教員に負担を求めることは絶対に辞めないと宣言しているわけで、もう採用試験の受験者がゼロになってもかまわない、と覚悟を決めたとしか思えないありさまである。

 どうしたら志望者を増やすことができるか。
 私が具体的にイメージできるのは学校を昭和時代に戻す程度のことだけだ。しかし案外悪くない考えだとも思う。
 総合的な学習の時間やキャリア教育、ICT教育などは、教師をゼロにしてまで取り組まなくてはならない学習だとは思えないからである。

 学校で児童生徒に1人1台配布されている端末が、相次いで故障したり壊されたりしているという。一部では保護者に修理費を求めたり、あるいはPTA予算で保険に入っていたりするらしいが、子どもに高価な道具を渡したのだ、30人の学級で1年間に5~6台壊れるくらい、最初から織り込んでおけよ。

記事

 

学習端末「よく机から落ちる」「こんなに壊れるとは」…自治体にのしかかる修理費
(2022.10.08 読売オンライン)

www.yomiuri.co.jp

 学校で学習用デジタル端末が小中学生に1人1台配布されて1年以上たち、端末の故障が相次いでいる。端末を落とすなどの事故が目立ち、修理費が年間数百万円に上る自治体もある。今後、機器の更新でも自治体や保護者の負担が生じる可能性もあり、現場は対応を迫られている。
 
4か月で40台
 「こんなに壊れるとは予想しなかった」。東京都の区立小学校の男性副校長(48)は驚く。端末は全校約650人に配られ、昨年春から本格的に使い始めた。1年目の故障は約60台だったが、今年度は4~7月だけで約40台に上った。故障の多くは学校や自宅で落としたり、ぶつけたりしたことが原因だ。
  
 学校の机には、教科書、ノート、文具に加え、端末も置かなければならなくなった。都内の公立小学校で6年を担任する女性教諭は「机に空きスペースがなく、よく端末が机から落ちる」という。「来年の1年生が使うので大事に使って」と呼びかけるが、落としてしまう子供は減らない。少数だが、わざと壊す子もおり、昨夏には小5男子がキーボード部分をはがしてしまった。
(以下、略)

 

【「こんなに壊れるとは予想しなかった」わけがない】

 学校管理の実質的な責任者である副校長として、
「予想通り、小学生なんてこんなもんでしょ」
とはとてもではないが言えない。だから「こんなに壊れるとは予想しなかった」と言っているだけで、そんなこと、少しも予定外ではない。現場の教師に匿名で聴けば、
「学校で使って家にも持ち帰らせているのですから、30人のクラスで年間5~6台の破損は仕方ないでしょ」
くらいのことはきっとみんなが言うはずだ。

 信じられない人は小学生の下校風景を見に行ってみればいいのだ。
 学校の児童玄関を飛び出した子どもたちは、まだ時間があればランドセルを投げだして、校庭に遊び出る。投げ出してというよりは地面にぶん投げて走っていく。背負ったままの子どもも、よせばいいのにそのままで鉄棒の逆上がりに挑戦して、落ちる。どういう意味があるのか背中を向け合い、ランドセルをぶつけ合って「ドンケツゲーム」みたいなことを始める子もいる。彼らはいずれもその中にPC端末の入っていることを忘れている。

【モバイルのみの学習は不可能だ】

 もちろん普通の扱いの中で壊してしまうこともある。記事にもあるとおり、
 「学校の机には、教科書、ノート、文具に加え、端末も置かなければならなくなった」
 のだ。端末の入る以前だって教科書を落とす子、筆箱を落とす子はいくらでもいた。そこに端末が加わればいろいろ落ちる頻度は高まるに決まっている。
「だから早くデジタル教科書にすればいいのだ」
という声も聞こえてきそうだが、教科書も資料集もノートもデジタル化して、端末上で切り替えるなどということ、子どもができるようになるためには相当時間がかかるだろう。それに小学生の学習なんて机上に広く展開して初めてできるもので、小さなモニター画面でできるものでもないと思う。大人のデイトレーダーでも机上にモニターが何台も並んでいるように、一覧性が大切な場面は山ほどあるのだ。

【そんなもの最初から分かっている必要経費】

 だからモバイルを使った学習はダメだと言っているのではない。端末がやたらと壊れたり故障したりすることについては予算的に最初から織り込めということだ。
 記事の割愛した部分には、配給した端末約1万1000台に対して修理費用として75台分約260万円を計上した自治体の話が出てくる。誰が考えても足りるはずのない金額だが当初予算と言うのはそういうものだろう。あとは補正でやればいい。
 ではどのくらいを覚悟しておけばいいのか?

 ちょっと想像してみるといい。
 30人のクラスの30台の端末。一年間日常的に持ち帰りするとして、何台修理が必要となるか。
 わずか3台(1割)ということはないだろう。同じ子どもが壊す可能性も含めて5~6台は覚悟した方がいい。ということは2割だ。
 1万1000台配給した先の自治体で言えば2200台分、わずか7600万円ほどである。ICT教育が絶対ならそれもやむを得ない支出ということだろう。覚悟すべき金額だ。
 

 通知票の所見欄がなくなったり、通知票そのものの回数が減らされたりしているらしい。しかし待て、親も子も楽しみにしていて、かつ人間関係の上で有益なものをなくすことはない。それより先に減らせるものがあるだろう。

記事

 

全国で広がる「通知表」の削減…適切な評価に必要なことは?Z世代が議論
(2022.09.15 TOKYO MX) 

s.mxtv.jp

 TOKYO MX(地上波9ch)朝の報道・情報生番組「堀潤モーニングFLAG」(毎週月~金曜7:00~)。「モニフラZ議会」では、削減傾向にある“通知表”についてZ世代の論客が議論しました。
 
 ◆一部の小中学校で通知表の配布回数&所見欄が削減
 
 学期末に配られる通知表ですが、最近では、学期ごとの配布をやめたり、先生からのコメントが減ったりと、各地で通知表の削減が広がっています。
 
 例えば、熊本市立の小学校では、配布回数を年に3回から2回に。京都・亀岡市京丹波町の小学校、北九州市立の中学校などでは、先生からのコメントなどがある所見欄が削減。こうした背景には、教員の働き方改革があり、所見欄をなくすことで1学期につき、先生1人あたり約10時間の業務時間減につながるとされています。
 
 子どもの頃、通知表で一番楽しみだったのが「所見欄だった」と話すのは、キャスターの堀潤。その理由は、先生が自分をどう見ているのか、先生が自分のことを見てくれていることがわかるから。
 (以下略)

【通知票、悪者でもないのに真っ先に切られる】

 「以下略」と内容の大部分を割愛したのは、そこで多くの紙幅が「成績が教師の主観に左右されていいものか」対「人間は点数だけで評価されていいものではない」という、もう何十年も続けられてきた不毛な論争が行われているからである。不毛である上に「通知票および所見欄の削減はいかがなものか」という問いの本質とはかけ離れている。
 
 しかし先まで読み進むと、
「(先生に)自分がどう思ってもらっているとか、学校でどういった役割を果たしているかなどは自己肯定感につながると思う。保護者も、自分の子どもが学校でどのようにしているのかわかるのは通知表ぐらいしかないので、所見欄がなくなってしまうと、(子どもの学校生活ぶりが)わからなくなってしまう」
といったごく常識的な発言があり、
「もっと違うところで教員の仕事の削減ができるのではないか。ここ(通知表)を削減するべきなのか」
と、これもごもっともな発言も見受けられる。

 その通りだ。通知票よりも前に削減できる仕事は山ほどある。それなのに真っ先に手がつけられるのは、これが公簿ではなく理屈上は校長裁量でやめていいものだからだ。現実には市町村教委レベルで合意するのが望ましいが、校長ひとりでやめることも、中身を簡略化することもさほど難しいことではない。
 そして通知票を廃止ないしは簡略化することは、教師たちの想いに叶っているからでもある。

【文章で記入する欄が多すぎて・・・】

 一般にはあまり知られていないが、平成以降、通知票は記入内容が増え続け、特に文章で書かなくてはならない部分は、ひところ「特別な教科道徳」「総合的な学習の時間」「特別活動の記録」「総合所見」と4か所もあった。小学校ではこれに加えて「外国語活動の記録」まである。

 いずれも分量としては大したものではないが40人近い児童生徒の5つの記入欄に、それぞれ別の文章を書くとなると並大抵のことではない。私は作文が得意だから創作でもいいならいくらでも書けるが、本人に渡す以上ウソ八百というわけにも行かない。当たり障りのない数パターンを用意して使い回す方法も思いつくが、今はトラブルを怖れて事前に教頭や校長の目を通してもらうからそれもやりにくい。
 かくして教師にとって真面目に書くしかない地獄のような学期末が続いてきたのである。通知票の簡略化はある程度必然だったのかもしれない。
(昭和のころは「特別活動の記録」と「総合所見」しかなく、特別活動の方は属する委員会名や学級内係名を書けばいいだけだった)
 
 しかしそれにしても、なぜ公簿でもなく学校独自でつくっていいはずの通知票がかくも全国に広がり、かつどれもこれも似たようなものになったのか――実は通知票には全国的にほぼ統一されたひな形あって、それに合わせるようにしたためなのだ。それが指導要録だ。

【指導要録の話】

 指導要録は、一人一人の子どもの学籍や指導の過程及び結果を記録したもので、その後の指導や外部への証明等に役立たせるための原簿となるものである。
 百聞は一見に如かずで、その様式(参考様式)を下に示しておこう。
 小学校指導要録(参考書式)
 中学校指導要録(参考書式)

 児童生徒がその学校に入ったときから書かれ始め、小学校の6年間、あるいは中学校の3年間の活動の様子が、3ページに渡ってびっしり書き込めるようになっている。

 1ページ目の「様式1」は児童生徒の学籍を証明するもので卒業後20年間は保存されることになっている。2・3ページ目の「様式2」は成績や活動に関する記録で、担任が代わったり校内で検討しなくてはならなくなった場合に参考にするためのものだ。この部分の保存期間は5年。

 特別なことがあった場合はいつでも書き込めるが、普通は年度末にまとめて記録する。その上で学年主任や教頭・校長に見てもらって担任と校長の認印を押し、保管庫に納められる。しかしそれを次年度に新しい担任が見ること稀だ。年度初めは忙しくて見ている暇がないし、ようやく一息つける大型連休明けくらいなれば要録など見なくても子どものことは十分わかってくるからだ。
 
 かくして指導要録は3学期末に担任が死ぬほど忙しい思いをしながら書いたのに、点検する主任や教頭・校長以外はまったく誰も見ない謎の書類として収納庫に収まり、毎年年度末に書き加えられて続けて児童生徒の卒業とともに眠る。
 そして5年がたつと成績や活動に関する様式2の部分は誰の目にも触れられないまま破棄されるのだ。
 
 しかし指導要録の作成は法的な義務で書かないわけにはいかないし、「特別の教育道徳」や「総合的な学習の時間の記録」などの部分は、文章で記すことも決められている。やめるわけにはいかない。

【通知票の総合所見は残してほしい】

 そうした指導要録に準拠した通知票はしたがって 「あなた(またはあなたのお子さん)は、公的記録の指導要録にこんなふうに書かれることになります」という報告も兼ねていることになる。
  中学校の場合はさらに加えて「通知票に書かれた内容は、指導要録の内容および調査書(内申書)の内容とほぼ同じですからご承知おきください」という意味にもなる。
  そこで通知票が指導要録の簡易版みたいになってしまい、所見欄が5か所といった異常事態が発生したのである。
 
 しかしどうだろう。保護者はそこまで詳しい報告を望んでいるのだろうか。先ほども引用したが、児童生徒は、(先生に)自分がどう思ってもらっているとか、学校でどういった役割を果たしているかなどを知りたいだけなのだ。保護者もまた自分の子どもが学校でどのようにしているのかが分かりさえすればいい。
 担任が自分を(ウチの子を)忘れずに温かい目で見ていてくれると確認するだけで、安心するし気持ちも和らぐ。通知票の所見欄は「総合所見」ひとつでいい。
 
 朝の報道・情報生番組「堀潤モーニングFLAG」の堀潤キャスターも、
 子どもの頃、通知表で一番楽しみだったのが「所見欄だった」
 と話している。
 その理由は、先生が自分をどう見ているのか、先生が自分のことを見てくれていることがわかるから。
 私自身も子どものころはそうだったが、ふたりの子の親としても総合所見を見て誉めてやることも安心することも少なくなかった。

 通知票の総合所見欄はぜひ残してほしい。その代わり指導要録の記述欄は全部削除でかまわない。どうせ5年しか保存しないのだ。その子のことが知りたくて資料が必要なら、旧担任を探し出して訊けばいいのだ。
 指導要録の簡略化は、文科省にしかできない。だからすればいい。

 

 (付記)
 「いいことだらけの総合所見に何の意味があるのか、悪いことも家庭に知らせるべきだ」という意見がある。筋としてはその通りだ。
 しかし通知票は単なる連絡票ではなく一生残るものである。そこに苦言を書き残してもいいことはない。問題があるなら学期末まで残してまとめて言うのではなく、そのつど早めに伝えて対処する方がお互いのためでもある。
 通知票の所見は誉めるためだけのものと腹を据え、保護者に気にいってもらい、子どもの気分の良くなる文を考えるべきと思う。

 

 ついでに、
 通知票には良いことを書いて、指導要録や調査書(内申書)の方には本当のこと(悪いことや困ったこと)も書くのではないか、と疑う人もいるかもしれない。しかし大丈夫だ。両者とも情報開示の対象であるから悪いことは書けない。ほぼ似たような調子のよいことが書かれていると考えて間違いないだろう。