キース・アウト

マスメディアはこう語った

「放っておいたら良い子が育った」という話は、すべからくまやかしだ

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親はなくとも子は育つ
下手にいじれば悪くなる
その子の望むように 好きなようにさせなさい
そうすれば 放っておいてもいい子が育つ
――そんな言葉にゆめゆめ騙されてはいけない
そこにはさまざまな仕掛けがあるのだから

というお話。

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2019.06.16

 「1人でできる子」は、テキトーに育てられている

東洋経済オンライン 6月16日]

 

1人でちゃんとできる、しっかりした子に育ってほしい。部屋の片づけ、食べ物の好き嫌いをなくす、早寝早起き、ドリルがちゃんと解ける、どれもできるようになってもらわないと――。たいていは親が子に「こうであってほしい」と望み、そして、そのとおりに行動してくれないから、イライラしてしまったりします。
しかし実のところ、かなり多くのことが、子どもをいい子にするためになっておらず、悪い方向に向かってしまっています。

『1人でできる子になるテキトー子育て 世界トップ機関の研究と成功率97%の実績からついに見つかった!』の著者であり、子育て支援サービスを運営する、はせがわ わか氏はハーバード大学東京大学など国内外の1000以上の子育てに関する研究を調べ尽くした結果、「テキトーこそ最高の子育てである」という結論にたどりつきました。

テキトーとは「こうじゃないとダメ」とこだわるのではなく、「こだわらなくていいことにはこだわらない」という意味です。今回は、テキトー子育ての具体的なものをいくつかピックアップしてご紹介します(なお、本記事でいう子どもとは、未就学児を指します)。


■無理に部屋の片付けをさせなくてもいい
 大人でも、なんだかよくわからないものに囲まれていると、気が散って1つのことになかなか集中できません。子どもは大人よりももっと気が散りやすいので、部屋をきれいにするのは子どもにとっても大きな意味があります。ですから、部屋が片付いたときの気持ちのよさを知れば、やがて子どもは自主的に片付けるようになります。

 その気持ちよさを十分に知るまでは、遊びに夢中になっている子どもに「片付けなさい!」と言ったところで、なかなか片付けてくれません。

 だったら大人がササっと片付けてしまいましょう。損な役回りと思うかもしれませんが、そのうち子どもはたくさん散らかしても、自分で片付けるようになりますから。

 きれいにしていれば、汚したり散らかしにくくなることは、「窓割れ理論」として知られる理論からも説明がつきます。割れた窓を放置すると、どんどん窓が割れていきますが、逆にちょっとでも割れたらすぐに直せば、窓は割れなくなるという理論です。

 わかりやすい例が、ニューヨークの街。以前は落書きだらけで、ゴミが散乱していました。しかし、落書きなどの取り締まりを強化したところ、落書きもゴミも、さらには犯罪までもが激減したのです。


■食べ物の好き嫌いがあっても気にしない

 

         (以下略)


【やらせようとしなければやるようになるという逆説教育論】

 子どもを指導しようとしてはいけない、放っておけば必ず良くなるという育児論・教育論は、古くはジャン・ジャック・ルソーに始まり、スポック博士の育児書を経て今日まで脈々と流れる一方の派閥である。もちろんルソーやスポック博士がそう言ったというのではなく、誤解され続けたという意味でもあるが。

 学校も「担任が“勉強しろ”“勉強しろ”と言えば言うほど子どもは勉強しなくなる」とか「不登校は登校刺激を与えなければ必ず良くなる」といった非科学的な理論で攻撃され続けたが、結局は“子どもの学力はどうなっているんだ”とか“不登校14万人を生み出した学校の責任”みたいな形で逆の立場からも攻撃されるようになった。

 育児について言えば、これだけ虐待が問題になり育児放棄が重要な課題と浮かび上がっている中で、『「1人でできる子」は、テキトーに育てられている』といった本が持ち上げられるのも不思議なことだ。

 もちろん筆者には「思い詰めた育児が虐待を産む」といった思い込みがあり、気楽に子育てできるようになればそれもなくなるといった考えがあるのかもしれないが、万人が喜びそうだというだけでテキトーなことを述べるのは教育のポピュリズムであって何の益にもならない。

 

【片付けろと言わなければ片付け上手になるのか】

 しかしこの記事、よく読むととてもではないが「テキトーに育てられている」といったお気楽な話ではないことが分かる。

 たとえば「無理に部屋の片付けをさせなくてもいい」では、
 部屋が片付いたときの気持ちのよさを知れば、やがて子どもは自主的に片付けるようになります。
 その気持ちよさを十分に知るまでは、(中略)大人がササっと片付けてしまいましょう。損な役回りと思うかもしれませんが、そのうち子どもはたくさん散らかしても、自分で片付けるようになりますから。


「食べ物の好き嫌いがあっても気にしない」でも、
 ピーマンやしいたけなど、子どもは何かしら嫌いな食べ物があるもの。ただ、理由があって嫌いなのです。実は子どもの好き嫌いの判断基準はただ1つ。食べても安全かどうか。(中略)
子どもが信頼しているお父さん、お母さんが同じものを一緒に食べれば、本能的に安全だと理解しやすいのです


「早寝早起きにこだわらない」と言っても
それよりもはるかに大事なのは、決まった時間に寝て起きることです。
という話。
 バカヤロー! それが大変なんだ! と思わず叫びたくなる。
 
 つまりがみがみ言って何とかやらせるのではなく、親が一生懸命片付け、好き嫌いなくい何でも食べて見せ、睡眠時間はきっちり守らせよう、もっと工夫をしましょうというごくごく常識的な話なのだ。

 ここまでくるとこの、さまざまに考えさまざまに工夫をする著者の育児法が「テキトー」というのが理解できなくなる。
 もしかしたらこの本のタイトルは、
「『1人でできる子』は、適当(適切)に育てられている』
だったのかもしれない。

 

【素人は真似をしてはいけない】

 さらに読み進んで「ドリルでのミスを正さない」までたどり着くと私は絶句する。
 未就学児にドリルを取り組ませる際は、ドリルの選び方がとても大事。

 ヲイ! オマエ、未就学のうちからドリルさせてんのか?

 
 私自身は自分の子に対して過保護で過干渉で、しかしそれが分からないようにかなりの時間と手間をかけて工夫しながら子育てをしてきたような人間だ。しかし未就学のうちから国語や算数のドリルに取り組ませようなど、爪の先ほども考えなかった。

 かくしてこの人の育児論の底が割れる。

 要するに、
 能力のある私が、ハーバード大学東京大学など国内外の1000以上の子育てに関する研究を調べ尽くした上でしっかりと工夫してやれば、子育てなんてチョロイものよ。テキトーでかまわない、といった話なのである。
 
 能力もなく古今東西の子育て論研究なんてさらさらする気もなく、工夫もない――そういうフツーの人たちは、ゆめゆめこんなアホ話に乗っからないよう、切に願う。