キース・アウト

マスメディアはこう語った

親も教師も、ともに子どもがいちばん大切なのに、なぜか意見が合わないことがある。その理由のひとつがこれ。「今のこの子を苦しめないで」↔「今がチャンスだ!」。

(写真:フォトAC)

記事

 

「日本の先生は、文字の修正が細かすぎる!」の声の一方で ハワイの教育はおおらかに見えるけれどスパルタ? 通知表の細かさに驚き

hint-pot.jp

(2024.08.13 Hint-Pot)

 成績が悪いと夏期講習も! 4歳で移住した息子の成績は

(中略)
 キンダーガーデンでは絵日記を通して文章を書く練習があり、ロコ男*1の絵日記は毎回、単語のスペル間違いがあったのです。バイリンガルで育っているがゆえに語彙力が少なく、スペルもあやふや……。ところが親の心配とは裏腹に、先生はスペルを一切修正することなく絵日記に☆印(花丸のようなもの)をつけてくれます。

「先生はロコ男を励ますために☆を書いてくれるのね(涙)」。そう思っていたら、なんとアメリカの先生はスペルを修正しないのが一般的だそうです。知らなかった!

 

文字コンプレックスがある夫 日本の細やかな文字指導は大切なこと?
 日本で育ってきた私は当然、書き間違いを直されてきました。この夏、ロコ男は一時帰国中に日本の小学校に通学したのですが、「あ」「お」「わ」の最後のおしりの部分とでもいいましょうか、その部分を小さめに書くと、大きく書くよう赤字で修正されていました。

 書いては修正され……のトライ&エラーを繰り返し、きれいな文字を習得していくのだと思っていましたが、アメリカはスペル間違いの修正はおろか、アルファベットの見た目バランスを先生から指摘されることもありません。

 だからなのか、ハワイで生まれ育った私の夫が書くアルファベットは、日本でいうギャル文字のよう。私が書くアルファベットのほうが大人っぽくて上手だと夫は言います。

「日本の先生は、文字の修正が細かすぎる!」「子どもの名前まで修正された!」と憤っていた日本のママ友もいましたが、ギャル文字しか書けない夫は文字コンプレックスを抱えているので、日本の細やかな文字修正には、実はとても意味があるのでしょうね。
(以下、略)
*1:筆者の息子(7歳)

【親も教師も、ともに子どもがいちばん大切なのに、なぜか意見が合わないことがある】

 その理由のひとつは、両者が見ている「子ども」がどの時点のものかという点に違いがあるからだ。
 現在のその子と未来のその子――親は目の前の子どもを見ていて、教師は未来のその子に目を奪われる傾向がある。親は目の前の子どもが可愛いし、教師は将来のその子に責任を持ちたいと感じている、そんなふうにも言い換えてもいい。
 
 親と教師の関係は医師と教師の関係にも似ている。
 子どもが「お腹が痛い」と言えば、医師は薬を飲ませたりお腹を暖めたりと、とりあえず目の前の痛みを取り除こうとする。親も同じだ。ところが同じ場面で、教師はこともあろうに「もう少し我慢できそう?」などと平気で訊くのだ。
「あと少しだけがんばってみよう」
「あともう一回がんばってみて、それでダメなら薬を飲もう」
・・・それが教師だ。

「日本の先生は、文字の修正が細かすぎる!」「子どもの名前まで修正された!」
と憤る日本のママは、教師に詰められている我が子が可哀そうでついそんな言い方になるのだろう。しかし教師の方は、今がんばっておけば将来つまらないコンプレックスに悩まされずにすむと、そんなふうに考えている。
 ある意味でどちらも正しい態度だと言える。

 ではアメリカ(ハワイ)の教師は子どもの将来に責任を負おうとはしないのかというと、これもまた違う。

【欧米の子どもは初等教育が大変】

 とりあえず記事の筆者の息子の「ロコ男」がそうであるように、英語の会話自体がままならない子どもがクラスにたくさんいる、それがアメリカの学校だ。日本でも最近は似たような環境の学校が増えてきているが、アメリカの比ではない。
 第二に英語の表記は日本語に比べて、とてつもなく難しいという点も考慮しなくてはならない。なにしろ文字が26種類しかないのだ。”I”は単独で書かれれば「アイ」と読むが単語の頭にくると「イ」と発音されることも多い。それでいて「アイ」発音することも少なくない。
 ”S”はアルファベットとして単独で現れるときは「エス」と発音するが、他の場合は絶対に「エス」とは読まない。
 日本の子どもがローマ字読みで「ベアウティフル」としか読めない “beautiful”を、「ビューティフル」と発音しなければならない困難は、アメリカの子どもたちも同じなのである。
 
 日本の子どもたちは小学校1年生を終える多段階で、自分の話し言葉や人との対話をすべて文章にすることができる。平仮名とカタカナで書けばいいのだから――。しかし欧米の子どもは自分の意思を文章で変換できるまでにたいへんな時間とエネルギーがかかる。とてもではないが正しいスペルだとか文字の美しさなど気にしている余裕はない。たくさんの単語を、曲りなりにも文章に落とし込めればそれでいいのだ。日本の子どもたちが高校生になってもなお漢字を覚えなくてはならないように、欧米の子どもは時間をかけてスペルの間違いを(さらに余裕があれば文字の拙さを)修正して行けばいいのだ、そう考えればいい。

【美しい文字で他人に差をつける絶好の機会】

 それにしても、
ギャル文字しか書けない夫は文字コンプレックスを抱えている
というのには驚いた。欧米人は文字の美しさなどには興味がないと思っていたからだ。日本とは違って、コンピュータのない時代からタイプライターを使って活字を打っていた人たちだから、ペンを使って文字を書くこともほとんどなかったに違いない。その意味でも文字の美しさなどどうでもいいのではないかと思っていた。しかし案外なところで、手書きの文字は引っかかってくるのかもしれない。

 私にしても、手紙のほとんどはワープロで打つが、封筒の表書きは手書きにせざるを得ない。それが苦痛だ。どんなに素晴らしいに文章を書いても、あて名の手書き文字を見るとバカが書いたとしか思えないからだ。また、ちょっとした連絡はハガキで出したいが、ハガキにワープロ文字というのも何か抵抗がある。
 私の妻は非常な能筆である。したがってちょっとした礼状もすぐにハガキに認めて出す。私はそれが羨ましくて仕方ない。2割増し以上で能力が高く評価されている気がする。

 現代の子どもたちは字が下手なのが基本である。だから今こそ子どもに字を習わせる絶好の機会だと言える。何かの折りにその美しい文字で手紙を書かせれば、実力の数段上で評価されることは間違いないからである。
 だから教師は言う。
「もう少し丁寧に書こう」
「あ」「お」「わ」の最後のおしりの部分丸く大きく書こうね」
「漢字は大きく、平仮名は小さめに書くとかっこういいよ」
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