キース・アウト

マスメディアはこう語った

PTA会長の最も重要な仕事は、正統な保護者および教員の代表者として自治体や議会に要望を通すこと、場合によっては保護者の代表者として学校や教職員から子どもを守ること。それを考えたらPTA活動のすべてを骨抜きにしてもいいから、会長だけは死守しておいた方がいい。

(写真:フォトAC)

記事

 

「PTAがないと保護者は学校や行政に要望できない」はホント? 思い込みが要望の実現を妨げる例も

PTAの取材をしていると、時々「PTAやP連は学校や行政に要望を行うために絶対に必要だ」という声を聞きますが、筆者はこれにはちょっと賛同しかねます。要望を行う方法はPTAを通す以外にも、いろいろあるのです。それぞれの利点や不利な点を考えます。
大塚 玲子
(2024.07.12 AllAboutニュース) 

 PTAの見直し・改革の動きが広がっています。そんな中、時々聞こえてくるのが「PTAやP連(PTAの連絡組織)は学校や行政に要望を行うために必要だ。だから絶対になくしてはならない」といった声です。耳にしたことがある人も多いのでは。
 
筆者はちょっとこの意見には賛同しかねます。保護者と学校のコミュニケーションも、保護者が子どもの権利を守るために要望を行うことも大事だと思うのですが、現状「要望を出すためにPTAが絶対必要」とまでは言えないと思うのです。また、要望を行うほかのさまざまな方法を見えづらくするようにも思えます。
 
PTAやP連で行う要望については、いろいろと考えるべき点があると感じてきました。今回はそれを、お伝えできたらと思います。 
(以下略)

【忘れてはならない「専門家はそれでメシを食っている人」という視点】

 フリーライターの大塚玲子は主としてPTA批判で飯を食ってきた人で、PTA批判の著書も2冊も持っている。したがって日本国内ではPTAを最も深く研究し、PTA問題に最も詳しい人であるがその大塚玲子が、
PTAに関していえば、そもそも「要望」を活動内容として掲げているところはほとんどないと思います。
とか、
P連は時々「要望」を行っているのを見聞きするのですが、これも全てのP連がやっているわけではありません。どちらかというと多分、要望していないところのほうが多いかなと思います。
とか。これがマスコミやミニコミの新人記者の言葉だったら、デスクは机(デスク)を壊れんばかりに叩いてこういうはずだ。
「『思います』じゃねえダロ! 『ある』か『ない』かくらい、きちんと調べてから記事にしろ!」

【PTAが校長に要望を出すことはほとんどないが、問題には物申す】

 問題は二つに分けて考えなければならない。
 ひとつは、「単位PTA(単P:学校のPTA)は学校に要望を出して実現させているか」ということ。もうひとつは「単Pは行政に要望を出して実現させているか」ということだ。

 結論から言うと、前者については否である。日常的な意味で単Pは学校に要望を出していない――というのは多くの場合、PTAの副会長のひとりは校長自身だからである。要望をまとめている段階で内容のほとんどは校長の耳に入るし、そもそも保護者の要望で校長の応えられる内容は少ない。
給食費が高すぎる」「家庭科室が暑くて子どもが可哀そうだからエアコンを入れてほしい」「(小学校の)遊具を増やしてほしい」等、予算の必要な問題は、校長に要求したところで埒の開く話でない。予算編成権も人事権も持たない校長にできることは、せいぜいそれを市教委や県教委に伝える程度のことである。
 それだったら会長が自ら役所を訊ねて談判した方が早い。勤務校のある自治体に選挙権もなければ政治力もない校長より、地元に暮らすPTA会長の方が話は通ることも多い。市の担当者が中学校の後輩だったり、課長が高校の同級生だったり、都合のよいことも多いのだ。
 もちろん「新たに部活を立ち上げてほしい」「『校長先生の話』をもっと短くしてほしい」「運動会の種目を変えてほしい」などは校長との交渉の主題となるところだが、果たして保護者の総意がまとまるかどうか――。

 そんなふうに日常的なレベルでは単Pが学校に要望を出すことはないが、いったん問題が発生すると、俄然PTAは重要度を増す。

 今はほとんどしなくなったが、「うちの子がいじめられている」「先生の心ない言葉で子どもが傷ついた」といった話は、昔は保護者が学級PTA会長を伴って担任のところに行ったものだ。学級会長もそれが仕事のひとつだと心得ていた。
 当事者だけでなく一応の第三者が入ることで互いに激昂する可能性が少なくなり、もしどちらかに言い過ぎがあれば会長が双方の袖をそっと引いてくれる、それで何かと面倒事にならずに済んだのである。今でも同じことをすればいいのだが、現代の保護者は単身、喧嘩腰で乗り込んでくるので収拾がつかなくなることが多い。

【危機管理のためのPTA会長、保険としてのPTA】

 同じように学校全体でも、PTA会長が間に入ることによって、事が柔軟に運ぶことは多い。特に危機管理の場面ではそうだ。
 
 子どもが事故にあった、犯罪に巻き込まれた、生徒のひとりが自殺した、重大ないじめ事件が発覚した、給食に異物が混入した、食中毒事故があった、教職員が犯罪を起こした、校内で生徒が盗撮事件を起こした――。
 現代では全く可能性がないわけでもないこうした事件事故に際して、PTAをもたない学校の保護者はどう対処するのだろう? どうやって情報を取り、どうやって学校や教育員会に要望を伝えることができるのか。はたまた学校はどうすれば「隠ぺいだ」「保身だ」と言われないですむのか、どうやって対応の透明性を担保するのか、それが私には不安だ。
 
 まさか保護者一人ひとりが職員室に聞きに行くわけにもいくまい(実際は多くの部内者・部外者が一人ひとり電話をかけるので、職員室の電話は鳴りっぱなしだというが)。学校側から「警察の現場検証がありますので、誰でも立ち会いたい方はいらっしゃってください」「午前10時から対策会議がありますから、どなたでも自由にご参加しください」とか、そんなことができるはずもない。

 しかしPTA会長が一人いて、保護者代表としてすべての場に参加してもらえば、それだけで透明性はほぼ担保されるし、毎日繰り返して保護者説明会を開く手間もなくなる。保護者からすれば、良く知った誰かが見てくれているとなると安心だ。毎日聞きに行く必要もなくなる。
 学校や教育委員会のやり方に不安や不満があれば、直接自分が出向かなくてもPTA会長を通して要求すれば簡単だ。その見届けも会長にやってもらう。それでも学校や教委が動かなければ、保護者の代表たるPTA会長や役員から厳重に抗議してもらう。
 いずれどこかへよその土地へ行ってしまう教職員と違って、地元でずっと暮らしていくPTA会長がよもや裏切ることはないだろう――その意味でPTAは危機管理の要、一種の保険なのである。

【PTAが敢えて市や県に要望を出さない――理由はあるか?】

 P連(市町村PTA連合会・都道府県PTA連合会)について大塚玲子は、
P連は時々「要望」を行っているのを見聞きするのですが、これも全てのP連がやっているわけではありません。どちらかというと多分、要望していないところのほうが多いかなと思います。
と言う。もしかしたら「全てのP連がやっているわけではありません」という事実はあるかもしれないが、「どちらかというと多分、要望していないところのほうが多いかなと思います。」はウソだ。市Pの活動は県Pで、県Pの活動は全国Pで発表され情報が共有されているというのに、敢えて行政への要望を伝えないP連があるとしたら、よほど特殊な事情があるのだろう。私には想像できない。そういう事実を大塚がつかんでいるなら、それこそ調べて公表するに値する。なぜなら、
「ほかのP連がやっているのにウチだけやっていないとしたら、ウチだけが損をしている可能性がある」
からだ。予算はサイズの決まった同じパイをどう切り分けるかというゼロ・サム・ゲームである。誰かの得は自分の損である可能性は高い。さらに――。

【10年後のウチの学校の利益は、10年後の我が子の利益にはならない】

 大塚は、P連が行政に要望している場合でも、それは大したことではなく、
例えばある自治体では、毎年地元の議員たちと各校のPTA会長が学校予算について話し合い、P連で要望を出しているというのですが、予算増額を求めるのでなく、どの学校が先にもらうか順番を決めているだけでした。それは要望ではないでしょう。
という。しかしこれも半分ウソで半分は認識不足だ。
 P連が要望を出して予算増額を求めないはずがない。要望から敢えて予算増額の文言を外す理由はどこにもないし、予算増額を求めないで済む要望だけを選りすぐって提出しなければならない理由もない。

 さらに言えば、
どの学校が先にもらうか順番を決めているだけ
の「順番」は、私にとってはとても重要な問題だ。例えば特別教室(家庭科室など)のエアコン設置、市内に20校ある学校に毎年2校ずつ入れていくとしたら、順番が最後の学校は10年経たないと入らない。それは現在の多くの保護者にとって「ウチの子はエアコンの恩恵にあずからない」ということである。だから単Pの会長たちは少しでも順番を上げたく、他で譲歩したり、毎年2校を毎年3校にできないかなど苦労しているのだ。
 もちろんそんな状況でP連が、代表も出さなければ参加費も出さない学校の優先順位を高くするなどありえない。行政にしても順位の遅れた学校については「要望が少なかったので後回しにしました」と説明すればいいだけのことである。

【実現しなくても掲げ続ける要求は「存在する要求」、降ろした要求は存在しない】

 さらに大塚は、
せっかくP連で毎年要望を行っていても「ほとんど実現していない」
ことにも噛みつき、
例えば、あるPTAが通学路の危険箇所の改善要望を毎年行政に出していたのになかなか実現せず、悲しい事故が繰り返されてしまった、ということもありました。
と言う。
 これはあり得る。しかしPTAが前もって改善要求を出していた箇所で事故が起きたとなれば、責任はすべて行政にあることになって補修は翌日にもなされるか、大掛かりな工事が必要な場合はとりあえず車の通行を制限するとか警備員をおくといった対応が取られるだろう。とにかく対応を急ぐ。
 ところが改善要望が出されていなかった場合、市は「危険個所という認識がなかった」「地元から強い要求が出ていなかった」ということで補修自体が先延ばしになるか対応が甘くなる可能性がある。たまたま今回は事故が起きたが、以前から危険個所だったわけではなさそうだからだ。そして、もしかしたら事故は繰り返される。

 自治体には金がない。わずかな予算を皆で奪い合っている。そんな場で「要望が通らないから」と黙ったら負けなのだ。うっかりどこかで大型の計画がとん挫して、予算が回ってくるというタナボタもあるかもしれない(実際にある)し、政治の世界は言い続けた者、声の大きい者が勝つのだから。
 要望は常に出し続けなくてはならない。そしてそのためには組織が必要だ。

【PTAがなくても保護者が要望を伝えられる方法】

 大塚は最後に、「保護者の要望を伝えるためにPTAやP連が絶対に必要」とまでは言えないが
もちろん効果が出ている場合や、見込める場合はよいのです。これからも続けたらよいのではないでしょうか。
とトーンを弱める。PTAの力を知っているからだ。さらにあとの方では、
無視されづらい、という意味では、ある種権威を与えられているPTA・P連を通して要望をすることは、やはり有効でしょう。
ともいう。
 しかし反PTAでメシを食う者としてそのまま引き下がるわけにはいかない。したがって、
PTAやP連を通さなくても、保護者が要望を伝え、実現するための方法はほかにもあります。
として、

  1. 個人要望すること。できれば保護者がある程度まとまって要望すれば、簡単に無視はできなくなる。
  2. 署名サイトなどを使って教育委員会などに要望を行う方法。
  3. 議員に相談するやりかた。
  4.  テレビや新聞などマスコミを使う方法。

などを挙げている。
 いずれもPTAのない学校では考えなくてはならない方法で、特に「3」の「議員に相談する」について大塚の紹介する、
「PTAやP連では通らなかった要望があっさり実現した、という話は実際、時々聞こえてきます」
は私も経験してきたことである。

 しかしそんなことは単Pの会長も十分知るところで、だから会長は入学式や卒業式の控室で議員や教委代表に盛んに話しかけているのである。
 議員も議会での質問内容を考えたり、選挙民たる地元の人々の要望を収集したり、顔を売ったりする、そのために学校行事に参加しているのだ。運動会の蒸し暑いテントの下で、PTA会長が議員の耳に何を吹き込んでいるのか、一度聞いてみるといい。折り合いがつけば議員は議会で学校寄りの質問をしてくれるし、場合によってはそのまま教育委員会に出向いて圧力を加えてくれる。
 
 これは間違ったやり方ではない。地元の要望を聞いてそれを実現するのが議員の仕事で、その見返りに選挙民は地元の議員に投票するのだ。PTA会長がこの仕組みを使って保護者や学校の要望を伝え続けるのは当然のことである。したがってPTAのない学校の保護者も、機会あるごとに議員に近づいて要望を囁き続ければならない。そうしなければ切り分けたパイはすべて他校に持っていかれ、ひと切れもこちらに回ってこないからだ。

【今のままでいいとは言わないが、大塚玲子の甘い言葉に乗ってはならない】

 もう保護者に何かをしてもらう時代ではない。PTAは時代遅れで保護者の負担のない組織へと改編されるか廃止されるべきである――それが大塚の立場である。
 私も時代の流れには抗いがたい。
 もうPTA作業は嫌だという保護者に仕事を押しつける訳にも行かない。もちろん「それは行政の仕事だ」と言ったところで金のない自治体が予算を出してくれるはずもないから、結局の学校環境は悪化するが、個々の生徒にとっては6年間、あるいは3年間我慢すれば済むことである。

 運動会や研究会の手伝いと言ったこともボランティアを募ればいいことだ。
――同じ保護者なのに不公平だと言ってはならない。この世の中は能力のある者がない者を補って成り立っているのだ。時間やエネルギーを奪われる不公平もあるが、その前に「こちらの方が能力は高い」という不公平を誰かに甘受してもらっている。

 PTAの研修もやめてかまわない。勉強したくない者にやれと言っても上手く行かないのは大人も子どもも同じだ。
 これから先、PTAの実質的な仕事はすべてなくなってもかまわない。しかしたとえ形式的にとは言っても選挙で選ばれた正統なPTA会長を置き続けなければ、結局いざというとき、とんでもない不利益を負うのは地元の子どもたちと保護者だ。私はそのことを怖れる。
 大塚玲子の甘い言葉に乗ってはならない。