(写真:フォトAC)
記事
東京・立川市の小学校侵入事件は「女児2人の前日のケンカ」が原因?
“酔った”男2人は「B子はいるか?」と叫びながら教室に乱入
「担任に椅子で殴りかかった」
(2025.05.09 デイリー新潮)
ゴールディンウィーク明けの小学校であってはならない暴力事件が発生した。小学2年生の女児同士のトラブルに、保護者の知人2人が“加勢”。授業中の教室に乱入したばかりか、児童がいる前で教員に暴力を振るったのだ。その時、子供たちを襲った恐怖とはー――。
「B子はいるか?」。フルネームで女児の名を叫びながら…
事件は5月8日午前11時前、東京都立川市の市立第三小学校で発生した。同校に女児を通わせている母親の知人である40代と20代の男2人が校内に乱入。教職員5名に画面打撲などの怪我を負わせたという前代未聞の暴行事件である。駆けつけた警官によって2人の男は現行犯逮捕されたが、警視庁は男2人の氏名を「女児の特定につながる恐れがある」として発表していない。
きっかけは、2年1組に在籍するA子さんとB子さんのトラブルだった。
「子供同士の争いなので真相は不明ですが、A子さんの母親は、自分の子供がB子さんからいじめられている、と学校に訴え出ていたようだ。この日、9時15分から母親は担任の男性教諭と校内で1時間程度面談。母親は、担任から期待していたような対応を得られなかったため、知人男性2人に相談したのです」(学校関係者)
担任との面談後、一度校外に出た母親は、しばらくすると男2人を連れて学校に戻ってきた。そして、2年1組の教室に直行した。
(以下、略)
評
さすがのSNSも令和のドロンボー一味*1を擁護する声は少ない。しかし「襲撃は論外だが」を前提に「学校がまずいじめ問題に真摯に取り組み、隠ぺいしたり誤魔化したりすることなく、向かい合うことが大切だった」と学校の対応を問題視する意見も散見する。
この人たち、小学校2年生を見たことがあるのだろうか?
【小2ワンダーランドと子どもが学ぶべきこと】
小学校1・2年生の教室なんて1日中、どこかで誰かがいじめられて泣いている世界だ。そのいちいちを「いじめ事件」と認定して「真摯に取り組み、隠ぺいしたり誤魔化したりすることなく、向かい合うこと」などしていたら、とてもではないが授業などしていられない。
なぜそんなことになるのかというと、
- ひとつには子どもが極めて主観的な生き物だからだ。自分の殴った5発よりも殴られた1発の方がはるかに大きく見えて「ぼくもやったけど、あんなにひどい殴り方じゃない」「ぼくはちょっと触っただけなのに叩いて返した」。
- 他人には自分とは異なる想いや判断があるということを十分に理解できない年頃なので、「どろんこ遊びで顔に泥を塗ってあげただけなのに怒られた!」「欲しかったから取っただけなのに・・・」。
- そうかと思うと三日も前に解決したトラブルの、自分がやられた部分だけを突然フラッシュバックさせて殴り返す。相手にしてみれば「何もしていないのに叩かれた!」。
- 現代はかなり大人になってからも表現を惜しむ時代。個々の細やかな違いは無視してすべて「エモい」「ウザい」「ヤバい」「キモい」「エロい」。
当然、子どもの表現力はさらに拙くて「叱られた」「言い返された」「ケンカして負けた」はすべて「いじめられた」。助けを求めて先生を見たら先生は(気づかずに別のことで)「笑っていた」。ちょっとふざけたら(大ウケで)「みんなに笑われた」。
そういうことだ。
小学校低学年のこうした問題は、社会性を獲得していく重要な契機となる。時間がなくて十分にできないうらみはあるが、本来はその都度ていねいに、ひとつひとつ解きほぐして、「他人には自分とは異なる判断や思いがあるということ」「ボクの見た世界とは異なる客観的な世界があること」あるいは「丁寧に、言葉をつくして話せばほとんどのことは分かり合えるということ。そのためには言葉の勉強をたくさんしておかなくてはならないこと」、それらを学習させていけばいいだけのことだ。
もちろん簡単には伝わらない。しかし大人の説明の100分の1しか伝わらないなら、同じことを100回やればいいだけのことだ。
それを、昨日トラブルがあって今日の授業中に1時間もの面談を取らせ、期待していたような対応を得られなかったと今度は男たちを呼んで暴れさせる。令和のドロンジョ様は余りにも気が短く無思慮であるらしい。
【「あの子を掴まえて、やっておしまい」と母親は言ったのか】
それにしてもこの事件、一歩引いて見ると分からないことだらけだ。
担任から期待していたような対応を得られなかった母親は、男たちに何をさせようとしたのか。まさか「B子(いじめの加害者とされる)をつかまえてやっておしまい」と言ったりはしないと思うが、日ごろからの様子を考えれば、男たちを使ってもロクなことにはならないと想像できたろうに、どういう収まり方を考えていたのか。
その男たち、役回りから言えばトンズラーとボヤッキーが酒を飲んだ後でタクシーに乗って学校に向かったことは分かっている。けれど二人が朝から酒を飲んで過ごしていた “ロクでなし”だったのか、女から電話があってそこから飲み始めた、つまり飲まずには学校の敷居も跨げない“臆病者”だったのかは定かではない。ただし、ものごとの先々を想像できない“愚か者”であったことは間違いないだろう。
「B子はいるか?」。フルネームで女児の名を叫びながら・・・2年1組の教室に入った男たちは、もし本人が「私です」と名乗り出たり、別の子が「この子です」と差し出したりしたら、どうするつもりだったのか。
そこからB子ちゃんをきちんと座らせて、“いじめ”がいかに友だちの心を傷つけるか、どんなに苦しめるのか、あるいは加害者自身の心にも傷をつけ、未来にどれほど大きな障害をもたらすのか、そういったことを切々と語り諭す・・・というのも考えにくい。諭したところで効果も薄い。けれどだからといって小2の女児の首根っこを押さえ、ボコボコに殴るとか、怒鳴り散らすとかもできないだろう。いったい、どう収まりをつけるつもりだったのか。
実際には大乱闘になった挙句に警察に捕まって「お仕置きじゃ!」ということになるのだが、アニメと違って令和のドロンジョ様は罪には問われない。40代と20代の令和のトンズラーとボヤッキーが割を食っただけで終わる。愚かな話だ。
【愚か者のための愚かな対策はしないでおこう】
記事はこれを前代未聞の暴行事件であるといい、確かに空前ではあるが絶後ではない。したがって引用したデイリー新潮の記事も最後に、
幸いにも大事に至らなかったとはいえ、同じようなことが起きたらと思うとゾッとする事件だ。学校のセキュリティ体制に問題はなかったのか、徹底した検証が求められる。
と記している。
しかし1億2300万人中の3人という稀有な愚か者のために、全国の小中学校がフェンスで周囲を囲い、警備員を常駐さるといった愚かなことはやめてほしい。そんな金があるなら先生をひとり、よけいに雇ってほしいものだ。
私の住むような田舎の貧乏県は最初からフェンスを諦めて、
「1階の全教室、および2階以上で非常階段のあるベランダ側の窓はすべて週日閉鎖。体育館も締め切り。水泳指導は校長以下、数人の非学年職員を追加であてて周囲の監視」
といったことになりかねない。
今はエアコン完備の教室も多いが、2001年の大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件直後の学校にはエアコンなどなかった。そんな中での締め切り状態だったので死ぬほど苦しかった。あんなことはもう二度としたくない。
それに、
学校が徹底的な防犯対策を始めたら、「登下校は親の付き添いで」「8時前の登校及び4時以降の下校不可」となるのは必定。そんなの保護者だって困るでしょ?