キース・アウト

マスメディアはこう語った

東京都千代田区立麹町中学校で、10年近く前から進められてきた大規模な教育改革(宿題も定期試験も学級担任制もない学校、制服も運動着も自由な学校)は、いま重大な岐路を迎え、大部分が旧に復されようとしている。壮大な実験は終わった。改革を主導した校長は有名になったとして、その間の生徒たちはどう育ったのか。

(写真:フォトAC)

記事

 

「定期試験なし」の千代田区・麹町中、改革転換を検討 保護者に波紋
(2023.08.03 朝日新聞デジタル

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 宿題や定期試験の廃止など大胆な改革で全国的に知られる東京都千代田区麹町中学校が、指導方針を転換し、改革の多くを元に戻す方向で検討していることが分かった。学力向上などを理由に挙げているという。自由な校風に魅力を感じて転居してきた家庭も少なくなく、保護者らに波紋が広がっている。

 同校は、公立校教員などを経て2014年に就任した工藤勇一校長(現・横浜創英中学・高校校長)が「子どもの自主性を伸ばす」などとして、改革を実行。宿題や定期試験、固定した学級担任制などを廃止し、制服(標準服)や体操着も「着用自由」で一部私服も導入した。学校現場の長年の慣習を大胆に変える取り組みは全国的に注目され、工藤氏は、政府の教育再生実行会議の委員にも選ばれた。
(中略)
 説明会の出席者によると、方針転換の理由は、生徒の学力向上や生活指導強化の必要性、地域からの要望など。「来春の新入生から適用」という説明もあったという。

 大きな地震があった時、教室内の物品――机や椅子や床に置いたままのカバンなど――はどう動くのだろう?
① 教室の中央に集まってくる。
② 教室の周辺へ広がって壁に張り付く。
③ 教室のわずかな傾きを感知して低い方へ集まる。
――答えは①だ。私は見たことがある。

 

 布の袋に金槌やらペンチやらを入れたままでゆさゆさと揺する、するとどんなことが起こるか。――答えは「錐(きり)の先端が袋を破って顔を出す」である。
 これを「嚢中の錐(のうちゅうのきり)」といって、「才能のある者はどんな境遇でも必ず頭角を現すものだ」ということわざになる。

 

 この二つが示唆することは以下の通り。
「閉ざされた空間の中で、ものごとは揺らされるうちに最も合理的な形に向かい、落ち着く」
――つまり混沌が秩序を生み出すわけだ。

【歴史あるものはとりあえず正しいが、変える必要はあるのかもしれない】

 日本の近代教育が明治5年(1862年)の学制発布に始まると考えると、今日まで150年以上、さまざまに揺すぶられているうちに現在の形ができた。
 中学校の教科の学習は国語・社会・数学・理科・英語・音楽・技術家庭科・体育の9教科が適当だということ、そこに道徳が追加されて「特別の教科である道徳」へと発展し、別に「総合的な学習の時間」も置かれたということ。
 学習内容が増えると、例えば小学校の算数で有名な学習の三段階、「分かる」→「できる」→「すらすらできる」のうち、「すらすらできる」の部分がどうしても時間内に収まらなくなり、家庭学習(宿題)に頼らざるをえなくなったこと、学習の成果は定期的に検査されなければならないために定期試験が置かれるようになったこと、一人の教師が全的に生徒を把握し、横断的総合的な指導を行うためには学級担任制度が一番ふさわしいこと――、それらはすべて、ある時期までは合理的であった。
 問題はそれがいまも合理的で有効なものなのか、時代遅れで新たな合理に取って代わられるべきものなのかということだ。

 

 千代田区麹町中学校の元校長工藤勇一氏は、そうした旧来のやり方に「No!」を突きつけ、
宿題や定期試験、固定した学級担任制などを廃止し、制服(標準服)や体操着も「着用自由」で一部私服も導入した。
のである。
 その果敢で実験的な取り組みは、
全国的に注目され、工藤氏は、政府の教育再生実行会議の委員にも選ばれた。
というが、いま、そうした冒険の多くが旧に復されようとしている。

【良くも悪しくも伝統は強靭なものだ】

方針転換の理由は、生徒の学力向上や生活指導強化の必要性、地域からの要望など。
というから、工藤氏の取り組みが学力向上の上で問題があり、生活指導の弱体化を招き、地域の理解を得られないものだったということだろう。千代田区麹町という特殊な地域をもってしても、宿題がなく定期試験もない状況で十分な学習成果を上げることはできない、自らをきちんと律することのできない子たちが出てくる――そういうことなのかもしれない。
 おそらく思った以上に”宿題がなくても自ら学習する子”は少なく、定期試験の代わりに小テストを置くのは学習心理学上適切な配慮だとしても毎日のように繰り返される小テストは教師・生徒双方にとってあまりにも負担だった。学級担任制の廃止は責任の位置を曖昧にする、生徒の学力や生活態度の向上のために自分一人で頑張ることはないと、みんなが思う。

 

 工藤氏の改革を支持してきたマスコミのひとつである朝日新聞は、
自由な校風に魅力を感じて転居してきた家庭も少なくなく、保護者らに波紋が広がっている。
と残念がるが、改革を是とする保護者が多数なら宿題や定期試験の復活といった揺り戻しができるはずがない。非とする声が是とする声を上回ったか、上回ることが確実となったために学校が先取りしたのだろう。

 

 いずれにしろ150年の歴史を持つ学校教育の形は簡単には崩せない。
 旧来のやり方が正しくないにしても、新しいやり方が正しいとは限らない。ならば学校教育の変革というのは恐る恐る慎重にやるべきものであって、撥ねっ返りのような校長の信念で、一気にやるべきものではなかったということだ。

【結局だれが勝者なのか】

 もっともおかげで工藤氏は教育改革の盟主として政府の教育再生実行会議の委員にも名を連ね、多数の著書を出版し、講演に忙しい。めでたいことだ。
 しかし工藤氏が麹町中学校長となった2014年以降、宿題も定期試験もない学校を体験した生徒たちはその後どうなったのか――マスコミに後押しされた一人の校長の、信念に基づいた壮大な実験のモルモットたちだから、今後も20年、30年と追跡調査してもらいたいものである。

 それでよいものだと証明されたら、改めて後追いしよう。